蜘蛛の女王
リルファナが斥候に出てから数分後。
「戻りましたわ」
「リルファナちゃん、早いね」
「ええ、遠目から見ただけですが、どうやら蜘蛛の女王がいたようなのですぐ戻りましたの」
「……最悪か」
レダさんがため息をついた。
「アルフォスたちがいないから聞くが、ミーナちゃんたちなら倒せるか?」
質問する真剣な目に、レダさんの本気を感じた。わたしたちの新人には異常ともいえる強さを、レダさんは大まかにでも察しているような気がする。
どうせ冒険者になるのだし、村の窮地に誤魔化す必要もないと判断した。
「うーん、周りの敵は?」
「先ほどの戦闘の影響か、周囲の森にはほとんどいないと思いますわ。開けた場所が崩れた遺跡のようになっていて、悪魔蜘蛛が護衛のようで2匹いましたけれど」
「毒蜘蛛と大蜘蛛はいないってこと?」
「ゼロではないですが、数匹ですわね。あとは卵を包んでいると思われる糸が大量に見えましたわ」
「悪魔蜘蛛が邪魔かなあ。1匹ならどうにかなるかもしれないけれど」
「気になったのは蜘蛛の女王がほとんど動かないことですの。怪我でもしているのかもしれませんわ。それとサイズがかなり小さい気がしましたわね」
「悪魔蜘蛛を1匹、あたしが止めればいけるかい?」
蜘蛛の女王が本当に怪我などの理由で動けないならば、チャンスではあるだろう。小型のようだし、やはり巣の確立前なのかもしれない。
また蜘蛛は短時間で増えるらしいので、明日再戦とかになるとまた雑魚から倒す必要もありそうである。
悪魔蜘蛛が眠ってくれると簡単なんだけど、レダさんのレベルと運次第なんだよね。
もし、レダさんの足止めが失敗するとクレアに危険が及ぶ。
クレアだけアルフォスさんたちのところに戻すか?
「お姉ちゃん、私も戦うよ」
クレアは決心した顔で両手で杖をぎゅっと握る。
チラッと見ただけでばれてしまったようだ。クレアに隠し事は出来ないな。
「ふふ、クレア様はやる気ですのね」
それにわたしたちが守って安全圏にずっといるだけじゃ、レベルは上がっても冒険者としては強くなれないだろうというのも分かる。
いざとなったら加速、筋力強化を使えば担いで逃げれると思うし、ここでどこまでやれるか試すのもありかな。
「分かった、やってみようか。いざとなったらクレアを抱えて逃げるからね。レダさんは呪歌は何種類ぐらい使えるんですか?」
「有名所は大体使えるけれど、二重奏が出来るのはまどろみの歌と戦いの歌だけさね」
レダさんは呪歌の二重詠唱に、二重奏と名前をつけているらしい。
戦いの歌は、仲間を鼓舞する歌で攻撃力を大幅に上げ、その他のステータスもちょっぴり上昇させる呪歌である。
「リルファナは桜花を使えば、悪魔蜘蛛は倒せるよね」
「ええ、邪魔が入らなければいけると思いますわ。攻撃手段は他にもありましてよ」
「じゃあ、リルファナに1匹任せるよ。クレアは強化魔法をかけたら、待機してリルファナの攻撃にあわせて爆発で動きを止めて」
「分かった!」
こうして、作戦を立てていった。
◇
「じゃあそれで行くさね」
作戦というにはおこがましいかもしれないが、起こり得る予測に対して行動パターンをある程度作っておいた。これを共有するだけで、不意の敵の行動に対して焦らずに対処出来るようになりやすい。
長期戦になる可能性も高い。
先ほどまで使っていた剣を手に持って、腰に新しい2本をぶら下げておく。ちょっと重いが、これぐらいなら強化でなんとかなるだろう。
レダさんは、リュートを操り踊りの歌を奏でると同時にまどろみの歌を歌い始める。ステップを踏んで右の悪魔蜘蛛を相手取る。
ステップを踏むのは『タップダンス』という回避率を上げるスキルだろう。見た感じでは、リズムよくステップを踏んでいることは分かるがダンスっぽさはあまり無い。
本当にタップダンスなんてしてたら避けられるわけがないか。
踊りの歌は足捌きの技術を上げ、移動速度と回避率を上昇させる歌だ。
あらかじめ強化魔法をかけていたわたしとリルファナは武器を手に駆ける。わたしは蜘蛛の女王へ、リルファナは左手の悪魔蜘蛛へ。残っていた3匹の大蜘蛛はレダさんの呪歌の効果で眠ってしまっているようで全く動かない。
これで悪魔蜘蛛が1匹でも寝てしまえば楽なのだが、さすがに甘くは無かった。
レダさんはリルファナが駆けつけるまではひたすら回避に徹する。
リルファナは出来る限り早く、悪魔蜘蛛を倒すことが求められる。クレアはリルファナの補助がメインだ。
わたしは悪魔蜘蛛を2人が倒すまで女王の相手だ。
なーに、倒してしまっても良いのだろう?
◇
蜘蛛の女王は、蜘蛛に女性の上半身が生えたような魔物である。胸元まで真っ黒な甲殻で覆われていて、まるで漆黒のドレスのようだ。大きさは、わたしの背丈ほどでかなり小さく感じる。
また、出血まではしていないものの身体中に完治していない傷跡があり、あまり動かなかったのは治療中だったということが分かった。
わたしたちが近付いたことで、身体を起こして威嚇しているが、あまり動けないのかもしれない。
リルファナが二重詠唱の魔法を駆使して戦っているのが見える。レダさんも危なげなく躱し続けているようだ。
「氷剣」
ミレルさんの『氷精製』を見ていて閃いたのだが、この世界では水と氷は違う属性なのだ。
わたしの持つ剣に、薄い氷がまとわりついていき、白い冷気をまとっている。
この白い冷気は外気温との差によるものだろう。秋の終わりとは言え、まだまだ動き回れば汗ばむぐらいの温度である。
足から崩すのが鉄則。
左に回りこみ、剣を振る。レダさんの呪歌が乗った移動速度での斬撃は、普段よりも切れ味も増している。
女王は、後退して躱そうとしたが、負傷により反応が鈍っているのか、一閃がかすった。
シャアアアァァ。
普通の蜘蛛と違って、女王は甲高い変わった声を出すようだ。
しかし、あまりダメージは通っていないように見えた。
高レベル相手にソロは辛いか。魔法戦士は火力がないと分かっていたことではあるけれど。リルファナを待つしかないかな。
◇
「氷針」
「火球」
リルファナは無手の左手から二重詠唱で魔法を放ち、押していく。
悪魔蜘蛛は前脚で弾くように防いでいる。厚みのある前脚は上手く使えば盾にもなるだろう。
「氷針」
「火球」
円を描くように、悪魔蜘蛛の周囲をまわる、氷柱と火球が悪魔蜘蛛に襲いかかるが、同じように防がれている。
その僅かな時間で、通りがかりに眠っている雑魚蜘蛛を一刀で倒すことも忘れない。
「氷針」
「火球」
初動から半周を大きく越えた。
同間隔で放たれる魔法を悪魔蜘蛛は同様に魔法を弾く、同じ攻撃に慣れてきたのか防御の隙が減ってきている。
「石弾」
「風刃」
リルファナは瞬時に判断し使用するタイミングと魔法をずらした。
丁度、蜘蛛を1周して戻ったところだ。
前脚に複数の石礫がガスガスと被弾し、そこに風の刃が叩き付けられた。
悪魔蜘蛛は、今までのテンポを崩されて、防御後の隙が大きく出る。
「クレア様!」
「うん! 爆発!」
前回と同じ、顔面への爆発。
ギギギギ。
リルファナは、爆発で小さな万歳をさせられた格好の悪魔蜘蛛へと迫る。
蜘蛛が防御に使っていた前脚の中央部、厚みのあるそこに足を掛け、更に跳ねるための足場とした。左手にはすでに短剣を握っている。
「『裏・修羅乃剣舞』」
胴体のど真ん中に、落下の重力も使って短刀と短剣を押し込むと、殺陣を思わせるかのような無駄の無い動きで悪魔蜘蛛を切り裂いていく。
◇
右、左、右。右、左、右。
生物には、その生物ごとに特有の呼吸がある。この呼吸の拍子は、攻撃、防御、回避などの全てのタイミングを無意識に支配している。複雑に絡み合うこの拍子を読むことは達人ですら至難であり、読み切ることは不可能だろう。
レダはそれを音の動きで瞬時に解析、判断し躱すことにつなぐ。
躱してあしらうだけであれば、レダにはさほど難しいことではなかった。身体が小さいことも恩恵となる。
そら、徐々に早くなってきた。このリズムはそろそろ当たらないことに癇癪を起こすぞ。
けれど、単純な生物ほど、そのタイミングは変わらない。変えられない。
――リズム感。
レダが生まれながらに持っていた唯一の長所。それを見出してくれたのは誰だったか。
右、左、右。リズムに乗って、ただただ躱すだけ。普段の生活とも変わらない単純なリズム。
1人では、ただの千日手。敵の攻撃は当たらないが、こちらも攻撃を仕掛けることが出来ない。
「今は頼りになる新人がいるさね」
リルファナが周囲の雑魚蜘蛛は倒した。もう歌う必要もなく、何気ない呟き。
―ーリズムに乗り始めて、どれだけ経ったのか。
そう思った途端。
「次、行きますわよ!」
リルファナがレダの作り出した、千日手のリズムに入ってきた。
「一目でノッてくるとは、本当に優秀さね」
レダは賛美を送り微笑みながらも、リズムは崩さない。
蜘蛛を挟むように、左にリルファナ、右にレダ。視線が合い、無駄な言葉は必要ない。
「爆発!」
「『桜花五月雨斬』」
――リズムが、終わった。
「これだけ動ける仲間があのときにいたら……。いや、今更考えても無駄なことさね」
誰の耳にも届かず、そのレダの呟きは森の中へと消え去った。
◇
うーん、まずいな、これは。
蜘蛛の女王の攻撃を避けるのは難しくなく、かなり余裕がある状態だ。
どうやら、女王としても未熟なのか怪我のせいか、他の蜘蛛と変わらず前脚による攻撃ばかりを狙ってくる。
問題は、こちらの攻撃がほとんど通らないことだ。ちまちまと同じ足に攻撃し続けた結果、向かって左の前足が凍り付いている。
魔法剣は属性ダメージだけでなく、状態異常を付与出来る可能性があるようだ。今まではほぼ一撃で切り捨ててしまったから気付かなかったのか、氷剣のおかげで魔法剣への意識が変わったせいかは分からない。
ちらりと周囲を盗み見るとリルファナが1匹倒して、レダさんの方へと駆け寄っていく。
まだもう少しかかりそうだなあ……。
ダンジョン探索で譲ってもらったINT上昇効果付きの魔法剣も持ち出してくるべきだったか。魔法剣で壊れるのがもったいなく感じて、今回は家に置きっぱなしだ。
火力を上げるには、どうすれば良いか。手っ取り早いのは両手剣を使うことだろうか。女王の前脚を躱す。
ちらりと見た腰に下げている剣は片手剣。右手の剣を振るい、凍った足へのダメージを稼ぐ。
そもそも両手剣は腰に下げられないか。片手半剣もありかなあ。
女王の攻撃を右手の剣で受け流す。氷剣の影響か、剣に当たった前脚にダメージが通っている気がする。女王の人間の目が憎憎しい物を見る目に変わる。
そういえば使ってみようと買った円盾も、結局練習してないな。前脚は、……ふらついているからこれは当たらないな。無視して攻撃を当てていく。
「ミーナ様!」
「どんな敵だろうと 打ち倒せるのは ……」
悪魔蜘蛛が片付いたようでリルファナが合流し、いつの間にか止まっていたレダさんの歌唱が再開された。歌っているのは戦いの歌のようだ。
「いやー、甲殻が堅すぎるね。呪歌が乗ればいけるかなと思ってたけど、このままじゃ厳しい」
「吹き飛ばしてしまえばいいのですわね」
「忍者にそんなスキルあったっけ?」
「忍具があればですわね。クレア様に吹き飛ばしてもらいます?」
「クレアがどのぐらいの魔力で撃ってるのか知らないけれど、同規模の爆発だと少し力不足な気もするかな」
2人で戦いながら、戦略を組み立てる。思った以上に女王の装甲が堅すぎてどうにもならないとも言う。
「ではごり押ししてみましょうか」
リルファナが、短刀をしまうと弩を持ち出し、後ろへと下がる。相変わらず短刀以外はどこに仕舞っているのか分からないな。
「『火射撃』」
女王の人型部分、心臓目掛けて発射された太矢が突き刺さった。高熱の鏃からジリジリと肉の焼ける音がする。
シャアアァ。
内部から焼かれた女王が今までとは違う痛みによって暴れはじめた。全ての足を使って地面をただランダムにどしどしと踏みつける。
わたしは暴れまわる女王の攻撃を避けつつ、執拗に凍り付いている足を狙って斬りかかった。
ついに凍った足にひびが入って砕け散る。
女王は消失した足のせいでバランスを崩し、身体を傾かせた。
「『氷射撃』」
リルファナの2射目はほぼ同じ位置に更に太矢が刺し通る。ふわっと白い冷気が広がった。
「クレア様!」
「爆発!」
女王の胸元で爆発が起きる。
急速な2度の温度変化により、甲殻の耐久性は低下し脆くなっている。
爆発の爆圧に耐え切れず、太矢によるヒビの入った甲殻部分が吹き飛んだ。
そのチャンスを逃すわけがない、後方へ傾いだ身体、心臓を狙って跳び込んでいく。
装甲の無くなった胸元にするりと氷剣を突き刺した。
この剣はもう魔法剣の魔力に耐えられないことが感覚で分かり柄を手離して、着地する。
体勢を整えて腰の予備の剣を鞘から引き抜く。
女王は、ぐらりと身体を揺らし、一瞬だけ天を仰ぐと倒れた。
「倒せた……」
躱すのは難しくなく、余計なことを考えながら戦えていたから余裕だと思っていた。
けれど、倒しきれないボスと長い時間、向き合い続けることで実際のところは精神的な疲労が溜まっていたのだろう。
立ちくらみのようなふらっとした感覚に、わたしはその場に座り込んでしまった。
気配に後ろを振り返るとリルファナが立っている。悪魔蜘蛛を短時間で強引に倒した影響か、いくつかの攻撃が掠ったようで、メイド服の数箇所が切り裂かれて血が滲んでいた。
「イベントクリア。……と言ったところですわね」
リルファナが微笑んで、わたしの横に座った。
リルファナの火力とクレアの爆発には助かった。
クレアをアルフォスさんにところへ戻さなくて良かったよ。
火力の無い魔法戦士って現実になると大変なんだな。