悪魔蜘蛛
思った以上に焼肉入りのコッペパンが美味しかった。
甘辛のタレを作るとは分かっているな、母さん!
あればラッキーぐらいに思っていた魔物避けの石柱だったが、街道に出たところで近くに見えたのでそこで昼食にしたのだ。
「この辺にいないという割には殺人兎が多く生息している気がしますわね。真っ直ぐ森を抜けるだけで2回も遭遇しましたわ」
「森林熊も随分入り込んでるかな」
「お姉ちゃん、森林熊は小熊連れが多かったよね?」
クレアの言う通り、森林熊は子供と行動している熊が多かった。
本来は臆病な性格のようだし、子供を守るために早く逃げ出したという可能性が高いかなとも思うけど。
「このまま放置しておくと森の生態系が崩れるかもなあ」
「それって大変なんじゃ?」
北の森は、普通の動物が多いから危険な魔物が多いと絶滅する可能性もある。
尚、普通の動物と魔物の境目はかなり曖昧だったりする。生態だけ見れば森林熊も普通の動物とほとんど変わらないし。
◇
お昼が食べ終わり、少し休憩していると突然辺りの鳥がぎゃーぎゃーと騒ぐように一斉に飛び立った。
「なに?」
「んー?」
先ほどまで聞こえていた虫の鳴き声が止んでいて、付近の生物全てが息を潜めるかのように静寂が支配している。
「ミーナ様、北側から何かが来ますわ」
「クレア、後ろへ」
「う、うん」
3人で武器を構えて待ち受ける。
木々の間から現れたのは、3mもありそうな真っ黒な蜘蛛。
前脚をかかげ、ギチギチと関節で音を鳴らし、こちらを値踏みするかのように立ち止まっている。
「悪魔蜘蛛!」
「付近には1匹だけですわ、毒攻撃とお尻から飛ばす糸に気をつけて」
悪魔蜘蛛、セブクロではレアモンスターであり、ゲーム中では滅多に見ない魔物の1つだ。
そのせいで数回しか戦ったことがなくうろ覚えだが、レベル50よりは低くて、前脚と牙にある毒と粘着糸の攻撃、木や岩を使って立体的な動きで強襲してくる敵だったはず。
このまま後ろに撤退したとしても、森の中を追ってくれば逃げ切ることは出来ないだろう。
――倒すしかない!
「本体は水属性、糸は火に弱いはずですわ」
「リルファナちゃんは知ってるの?」
「ええ、実際に戦ったことはありませんが、……たしか図鑑にも載ってましたわ」
「クレアは近付かずに援護!」
「わ、分かった!」
相手のレベルが高すぎる。クレアの棒術でしのげる相手ではない。
クレアは魔物避けの石柱に隠れ、魔力を練り始めた。
レベル差がどの程度影響しているのか、いまだに分かっていないが、クレアとリルファナがいる状態では本気でやらないと危ないかもしれない。
「リルファナ、足から行くよ!」
「はい!」
セブクロでも中盤辺りからの戦略としていくつかの暗黙の了解がある。
強い魔物を相手にするときは部位破壊系の技で足止めするのも、そのうちの1つだ。
ゲームでは一時的な足止めにしかならないし、ボスなどには無効化されてしまうことが多いが、現実味の強くなったこの世界ならば物理的に不可能でない限り、ちゃんと効果があるだろうと思う。
「筋力強化、加速」
「いきますわ!」
わたしが、自分への強化魔法を詠唱している隙にリルファナが短刀を構えて走り出す。腰を落とした姿勢のまま一気に走るリルファナには、加速のかかっているわたしでもなかなか追いつけない。
「防御値強化付与!」
クレアが防御値の上がる強化魔法を、わたしとリルファナにかけ、次の魔法を唱えるために魔力を練りだす。
付与と付いている魔法はパーティメンバーにもかけることが出来るのだ。
リルファナはすでに悪魔蜘蛛の前まで届いている。わたしはまだ数秒かかる距離だ。
わたしたちが戦う気なのが分かった悪魔蜘蛛はギチギチと威嚇していた前脚を交差する鎌のように振り下ろした。
「遅いですのよ! 火球・氷針!」
リルファナは前脚の落ちてくる前に、蜘蛛の下へ入り込む。すれ違い様に二重詠唱を完了させた。
リルファナの通った跡、蜘蛛の手前に発生した火球が、前脚の交差部分に着弾し、小さく爆発、その直後に3本の氷柱が同じ位置へと殺到する。
前脚は爆発により、万歳したかのように上がっている。悪魔蜘蛛は悲鳴なのか悪態なのか口から「ギギギ」と発した。
着弾を少しずらせるのかと感心しながら追いかける。
魔法の発生場所が現在いる位置でなく、通った跡になったのはどうやったのか分からない。
わたしは正面ではなく向かって左の側面へと回り込みながら、一番近い前足へと斬りかかった。
「水剣!」
ヒットする直前に問答無用で魔法剣を発動。
刃先がするっと足に入り込むと、そのまま切断しきった。
やはり最上級職スキル、これぐらいのレベルなら攻撃面では問題無いか?
わたしはそのまま右側面の足を叩き斬っていくことに決め、水剣を維持したまま奥へと走り続ける。
リルファナはそれを察したのか、蜘蛛の真下を背後まで抜けると逆の側面の足へと回った。
悪魔蜘蛛は、足元で動くわたしたちをどうにかしようと、踏み潰そうと足踏みを繰り返す。
くるくると回転された方がやっかいなのだが、所詮は昆虫なのかそこまでは思いつかないようだ。
2本目の足を斬り飛ばした。前脚を除けばあと4つだ。いや、リルファナが右側面の後ろを斬り飛ばしたのであと3つか。
「結構硬いですわね!」
武器の性能差なのか、リルファナには時間がかかるようだ。
「糸注意!」
どうにもならず、悪魔蜘蛛はお尻をもじもじとさせはじめた。
「火球・氷針!」
リルファナの二重詠唱、火球が蜘蛛のお尻辺りに着弾して小爆発する。
ついでとばかりに氷柱が3本刺さった。
殺人兎のときもそうだったが、リルファナは行動キャンセルが上手い。
ゲームですらある程度は慣れているプレイヤーでないと出来ないことだったのだけど……。
――ギギギギギ!
悪魔蜘蛛は、この場にいてもどうにもならないことを悟ったのか大きく前方へ跳ねた。
「あ!」
「クレア様!」
街道のクレアの方向へと跳ねた悪魔蜘蛛は、クレアの前に着地した。
「ひえ」
突然、目の前に跳んで来た蜘蛛にびっくりしたクレアは一瞬動きが止まってしまう。
しかし、今回は腰が抜けるということもなく、すぐに魔物避けの石柱が背後になるように、わたしたちの方へと走ってきた。
足が3本失われていることもあり、のろのろとクレアを追いかける。
戦闘に入ってしまうと石柱は何の役にも立たないな。
わたしとリルファナは、クレアとすれ違うように走り出す。
が、2人とも蜘蛛の背後側、クレアから一番遠い位置にいたこともあり一瞬遅かった。
悪魔蜘蛛は、お尻から粘着糸を吐き出す。
クレアは背中から粘着糸をかぶって、転ばされた。
「わわわ」
「下手に動いちゃダメ! 絡まる!」
クレアは慌てて糸を取ろうとするが、粘着性のある糸が逆に絡んでいく。
ごろごろと何回か転げまわったせいか、仰向けで止まった。杖を持っていた右手はほとんど糸が絡んでいないようだ。
リルファナがぎりぎり間に合うか? という位置関係だ。
「大丈夫! 爆発!」
クレアの詠唱。それは中級の火属性魔法。
火球と違い、対象の位置を中心に単純に爆発させる魔法だ。乱戦では使えないし、正直なところ使い勝手は悪い。
対象は、……悪魔蜘蛛の広げた口の中!
悪魔蜘蛛の顔の中で小規模な爆発を起こす。
セブクロの知識で知っているよりも爆発が小さい。クレアの魔力不足? それとも制御している?
流石に顔面が爆発して怯まない敵はいない。悪魔蜘蛛もそれは同様だ。
「クレア様!」
わたしより先にリルファナが到着して、クレアの前に出る。
リルファナは、いつの間にか左手にも短剣を握っていた。
「もう怒りましたわよ! ……『裏・桜花五月雨斬』」
リルファナが舞う。
左右の短刀と短剣が、かすかな残像を生む。
それと同時に、悪魔蜘蛛は悲鳴のような鳴き声と共に薄い緑色の血液を飛ばしていく。
3mある大蜘蛛がなすすべもなく切り刻まれていく。
もう、リルファナに任せれば大丈夫だろう。
桜花五月雨斬、忍者の刀スキルの1つで大ダメージの連撃を行う。1度発動すると自分で止めるまで攻撃し続けることが出来るが、隙が大きく、あまり頻繁に使える技ではない。
尚、忍者の近接スキルの大部分は裏と付くと二刀流で扱うスキル名になる。だが、たまに裏ではなく真だったりするので油断は出来ない。
リルファナは現在の職業はトリックスターで、派生前の最上級職は忍者ということになるのだけれど、どこでそんな能力を……?
「お、お姉ちゃん、何か考えてないでこれ取ってよ……」
おっと、そんなことよりクレアに巻きついている糸を取らないと。
こういうときのために用意しておいた武器には使えない小さなナイフに火剣をかけて糸を切っていく。多少は熱いかもしれないが、我慢して欲しい。
「ありがとうお姉ちゃん、リルファナちゃん」
悪魔蜘蛛の分解に飽きたようで、リルファナが後ろに立っていた。
「おつかれ、リルファナ」
「あ、えっと……」
なんだか、言いたいことがあるけれど、言いにくい。そんな顔をしていた。
「リルファナ、こんな強かったんだね」
ほとんど粉々になった悪魔蜘蛛を見ながら呟いた。
鉄の剣を鞘へ戻す。鉄製のちゃんとした武器だからか魔法剣を何回か使っても耐えられそうだ。
「黙っていてごめんなさい……」
「え? それは別にいいよ。わたしにも言えないことはあるから」
わたしだって周りに転生者なんて言えないもんね。頭を疑われる可能性も高いよ。
「で、でもわたくしは奴隷ですし」
「わたしは奴隷っていうよりは友達だと思ってるよ。父さんとか母さんの反応を見てると嫁扱いなのかもしれないと考えることはあるけど……」
冗談めかしたわたしのセリフに、リルファナはハッとした顔をして、徐々に頬が赤くなった。
「み、ミーナ様……」
「リルファナちゃんがお姉ちゃんのお嫁さん……。ということは私のお義姉ちゃん」
「く、クレア様まで!」
「お義姉ちゃんはダメ! 義妹ならいいけど!」
え、そういう問題なの……?
「……まあ、これ持って帰ろうか」
「前脚と牙辺りだけ持ってけばいいかな?」
「眼も薬の素材として売れますわ」
「前脚と牙は素手で触れないようにね、毒だから」
「グローブも持ってきてたはず」
クレアがマジックバッグから革のグローブを取り出した。
いつも随分と準備がいいけど、わたしが買った『野外での生活 ~冒険者の心得~』でも読んだのかな?
しっかり読んだわたしは何も用意してないんだけどね!
細かいものは冒険者になってからでいいかなって思ってそのままだったよ。
「……あの、ミーナ様。……いつか……考えがまとまったらお話しますわ」
「うん、了解」
悪魔蜘蛛の素材を回収し、残りを道の端に埋めると、わたしたちはフェルド村へと歩き出した。