リルファナの不安
宿屋の部屋に戻って泥水で染まったリルファナのスカートと靴を着替えさせた。
まだ微妙な顔をしているリルファナの手を引いて部屋を出る。
そろそろ午後2の鐘が鳴るころだと思うが、そうするとほとんどの服屋は店仕舞いしてしまうだろうと、急いで服屋に向かうことにしたのだ。
「あらー、いらっしゃいませー。手直しが足らない服がありましたかー?」
3日連続になってしまったが、時間もないので慣れている店の方が良いという理由で、エルフの店員のいるいつもの服屋である。
今日はお客が数人いるようだ。友達同士なのか試着室できゃっきゃと戯れているのが聞こえる。
エルフの店員に事情を説明して、明日の出発前までに受け取れるものでスカートと靴を買い直すことに来たことを相談した。
「なるほどー。商品は全て手作りなので同じものはないんですけど、似たものを探してきますねー」
ここの商品は手作りなのか、わたしたちが悪いわけじゃないとはいえすぐダメにしてしまったのは少し申し訳ない。
エルフの店員の口調はのんびりしているが、やることはやってくれるし、仕事も早い。いつも通り任せておこう。
「……ミーナ様、ごめんなさい」
「リルファナが謝ることじゃないから、気にしないで。ね?」
「はい……」
うーん、気にしすぎているようでリルファナの元気が無い。
どう見てもリルファナが悪いわけじゃないし、そこまで気にするほどのことでもないのになあ。
クレアの真似をして、よしよしとリルファナの頭を撫でてみる。
「ううぅ」
リルファナは嫌がってる……というより恥ずかしそうに呻いていた。
「この辺りでどうでしょうかー? 手直しはいらないサイズだと思いますー」
エルフの店員が靴とスカートをいくつか持って来てくれた。リルファナにあわせてみて、靴とスカートを2つほど選んで買うことにした。ダメになることを念頭に置いていなかったので、一応余分に買っておく。
わたしの裁縫の腕を考慮に入れると、村では市を待つか、母さんに作ってもらうしかないのだ。
「お姉ちゃん、これも買おうよ」
クレアが黄色のリボンを2つ持って来る。
赤髪のクレアには目立たないんじゃないかと一瞬だけ思ったけれど、リルファナにということだろう。薄い青髪には似合いそうだ。
「これはおまけしておきますねー」
クレアの追加したリボンはおまけしてくれた。やたらおまけしてくれるので経営は大丈夫なのかと不安になる。
「ふふ、そんな顔をしているより笑ってる方が可愛いですよー」
店員がリルファナの頭を撫でていた。なんだかリルファナって構いたくなるタイプなんだよね。
◇
服屋で支払いをすませて外に出ると、店員は閉店の準備をはじめた。
先にいた人たちが会計を済ませて出ていこうと扉を開いたときに、午後2の鐘の音が響いていたので、わたしたちが今日の最後の客だったのだろう。
「宿屋の手前辺りにあったお店で夕飯にしようか」
「なんか、美味しそうな匂いがしてた店?」
「そうそう、気になってたんだよね」
どんよりしたままのリルファナは、クレアに手を引かれている。
宿の手前にある飲食店。
看板には『がるでぃあ食堂』と書かれている。町の中央付近にあることもあり老舗なのかもしれない。
ご飯時ということもあって良い匂いが店の周りを漂っている。
「らっしゃい。空いてるとこに座ってくんな」
店に入ると背の低い親父。いや、ドワーフだ。
店主だろうか、鉢巻と無骨なエプロンをしている。衛生面からか髭は短くしているようだ。
町を歩いているドワーフはみんな立派な長い髭をたくわえていた。
客の入りは5割よりは少ないといったところだろうか。
中央に調理器具が置かれた厨房があり、それを囲むようにぐるりとカウンター席になっている。
鍋からは白い湯気がでていて、天井につけられた換気扇の魔導機から出て行く仕組みになっているようだ。
店の外周に、いくつかの団体用であろうテーブル席があった。
3人で空いているテーブル席に座ると、女給の女の子が寄ってきた。
「いらっしゃいませー。メニューはこれね。文字が読めなかったら適当に頼んでくれても良いけど、どうする?」
「メニュー見てから決めます」
ドワーフ独特の大きな丸みのある耳、店主と同じエプロンをつけた女給さんもドワーフのようだ。
ドワーフは男性と女性で見た目が全く違う種族だ。男性はがっちりした筋肉質で若いうちから深い皺がはっきりしていて髭を伸ばしているから年寄りに見えるし、逆に女性は人間に近く、背が低いため若く見える。顔立ちによっては子供に見えることもあるぐらいだ。
もしかしたら夫婦でこの店をやっているのかもしれない。
メニューを見ると焼飯、酢豚、肉の包み焼、ガンベの辛味和え、ラーメンなどと書いてある。
他にもあるが、中華メインのお店のようだった。
簡単な絵と説明はついているが、あまり上手く描けていないし、説明も簡易過ぎてよく分からない。
ガンベの辛味和えなんてガンベ、香辛料としか書いていない。描いてある絵もどうとでも取れるような感じだし。
中華系の辛いもの……、ぱっと思いつくのは2つだけど、ガンベが豆腐か海老かによって全然違うので今回はやめておこう。
「……ラーメンもあるの?」
クレアの横に座っているリルファナが、クレアと一緒にメニューを見ながら呟いている。
元気が無いせいで気が回らないのか、お嬢様口調も崩れていた。
「野菜のスープに入れた小麦粉の麺って書いてあるけど、美味しいの?」
「ラーメンは初めて見ましたわ」
「うーん、リルファナちゃんも知らないなら食べてみようかな?」
リルファナも知らないメニューがあるのか。ラーメンは貴族の食べ物っぽくないから仕方ないのかもしれない。放置すると麺がのびちゃうもんね。
「わたしもそれにするよ」
「では、わたくしも」
想像してるものと違う物が出てくる可能性もあるけど、話題にあがったせいか食べたくなったので挑戦することにした。
運ばれてきたラーメンは、わたしの知っているものに近いとんこつ系だった。
豚と野菜から取ったスープのようだ。麺は絡みやすい縮れ麺。チャーシューと葱、海苔の代わりなのか濃い緑の藻がトッピングされている。
盆にはフォークと箸がのっていた。レンゲは無い。行儀は悪いが、どんぶりに直接口をつけてスープを一口飲んでみる。
しっかりと出汁を取ったことが分かる、濃厚なとんこつスープ。
箸を手に取り麺を食べると、ややコシのある硬めの麺だった。
ずるずると麺を啜っていたらクレアが真似をしようとしたらしい。上手く啜れずに噛み切ってしまうようで苦戦している。
「クレア様、フォークでも良いかと」
「お姉ちゃんもリルファナちゃんも美味しそうに食べてるから……」
よく見たらリルファナは器用に箸を使って食べていた。
聖王国は和食が多そうなので箸自体は使ったことがあるのかもしれないけど、慣れてない人は啜って食べるのは意外と難しいって聞くんだけどな?
そういえば、リルファナはDEXがBだったなと思い出した。そういう部分にも影響するのかと納得である。
久しぶりのラーメンは美味しい。無言でずるずると食べきってしまった。
クレアは途中で諦めてフォークに切り替えたようだ。
自分で作るにはかん水が必要だから難しいかな? 小麦粉は村でもあるんだけど。調理スキルの自動補正でどうにかならないものか。
◇
「少なく感じたけどお腹いっぱいだよ」
「ラーメンは膨らむからねえ」
「え! 大丈夫なの?」
「すぐ消化されるから大丈夫だよ」
お腹を押さえて心配顔になったクレアに笑いながら、宿屋の部屋に戻った。
急いで出たので、着替えたスカートや靴は置きっぱなしだ。
「お姉ちゃん、洗えば多少は落ちるかな?」
「いえ、泥汚れは完全に乾かしてから落とさないと、逆に汚れが広がってしまいますわ」
「リルファナちゃん、詳しいね」
「小さい頃に、こっそり抜け出して遊びに行ったときに汚してしまったお洋服を、誤魔化そうと水で洗ったら家政婦に怒られましたの……」
「え、リルファナちゃんって結構やんちゃだったの? ……とりあえず、乾くまで吊るしておこうか」
「む、昔の話ですわ」
クレアが周りが汚れないようにハンガーにかけていた。
「これでよし、明日は早いし、先にお風呂入ってくるね!」
必要な返事はするけど、リルファナはベッドに座り込んで上の空だ。
ご飯を食べて少しは元気を取り戻したように見えるけど、まだ本調子じゃないみたいだ。
わたしはリルファナの横に座った。俯いているリルファナの顔を覗き込む。
「リルファナ、まだ気にしてるの?」
「……色々良くして頂いているのに、わたくしは何も返せずに、ご迷惑ばかりかけていますもの……」
「うーん、そんなことないんだけどなあ」
なんとなく、リルファナの頭に手をのせて撫で回す。
「気負い過ぎだと思うから、適当でいいんだよ」
「あ……」
あれ? 随分、前にもこんなことなかったっけ。「………ちゃんは気負い過ぎ! もっと普通にして?」
誰だったか思い出せない。けど大切な人だったような。
日本の生活で、小さい女の子でよく遊ぶような相手はいなかったし、クレアだったかな?
「出たよー。ってお姉ちゃんは何してるの」
クレアがお風呂から上がったようだ。リルファナを撫でていたのを見て鋭い目つきになってる。
「お姉ちゃんばっかりずるい! 交代ね!」
ぐいぐいとわたしを退かして、座っていた場所を陣取られた。
満面の笑みを浮かべてリルファナに抱きついている。リルファナも呆気に取られていた。
……まあ、ここはクレアに任せてお風呂に入ってこよう。
◇
真夜中に目が覚めた。
「うぅ……ぐす……パパ……ママ……」
壁際のベッドから、背を向けたリルファナの押し殺すような泣き声が聞こえる。
気を張っていたところに、小さなきっかけから落ち込んで、色々と思い出してしまったのかもしれない。
なんだかその声を聞いていると胸が苦しくなって、そっとリルファナの布団に入り、後ろから抱きついた。
「うぁっ!」
「大丈夫、大丈夫だから、ね?」
「……うん」
――そのままリルファナが眠りに落ちるまで、子供を寝かしつけるように優しくぽんぽんと叩いていた。