宿屋 - 食事処
冒険者ギルドの受付で紹介してもらった宿屋に行ってみることにした。
「西門の方だったよね」
「左手に最初に見えた宿とおっしゃってましたわ」
午後2の鐘がなり帰宅者が増えたのか、人通りが増えている。
当たり前だが村しか知らないクレアは、人混みの中を歩くのは慣れていないため、遅れそうになっていた。
「クレア様、こっちですわ」
「あ、ありがとう」
対してリルファナは慣れているようでクレアの手を取って一緒に歩き出した。流されるようにリルファナを引き取ってしまったが、クレアとも仲良くしてくれるのは嬉しいね。口調も冒険者ギルド辺りからはほとんど素に戻っているようだった。
……絶対、どこかのお嬢様だよなあ。主人であるはずのわたしより動きが上品に見えるもん。
ギルドで紹介された宿屋は大通りに面しているだけあって、頑丈な赤茶けたレンガ造りで5階建てだった。歩道に面した窓ガラスからはロビーと食事処があることが見える。通りを見渡してみると、南通りは木造や土壁の建物が多かったが、中央広場と西通りはレンガの建物の方が多数見られる。その方が頑丈なのか高さもあるようだ。
「いらっしゃいませ、宿泊でしょうか。食事だけも出来ますよ」
フロントでは清潔で動きやすそうな服装の女性が受付をしていた。宿屋の制服になっているのか、食事処で働いている女性も同じ服装だ。
「3人部屋は空いてますか?」
「はい、空いてますよ。一部屋で大銀貨1枚と小銀貨5枚で朝食付きになります」
「それで良いです。2泊お願いします」
「では、代表者様の記帳をお願いします。代筆しますか?」
代筆は断って、カウンターテーブルに置いてある筆記帳に名前を書き込み、手持ちから大銀貨3枚を支払う。母さんは3、4泊してきても良いと言っていたし、町を回りきれなかったら延長するのも良いだろう。
「部屋の鍵をお渡ししますね。ええと、3人部屋は3階の奥になります。宿から出るときは鍵をお預かりしますので、こちらに寄ってください」
朝食は1階の食事処で部屋の鍵を見せれば用意してくれるらしい。夕飯は別途、食事処で、とのことだ。夕飯は宿泊費に含まれないなら、明日は別のところで食べてきても良さそうだ。
◇
食事処に入ると2人掛け、4人掛け、6人掛けといったテーブル席が並んでいる。夕飯時ということで、7割ぐらいの席が埋まっているようだ。女給さんたちが忙しそうにテーブルの間を歩き回っている。
「お好きな席にどうぞ」
店に入ると女給さんが声をかけてきた。
4人掛けの席にクレアと向かい合って座る。席にはメニューが置いてあり、日本と同じようなシステムになっているようだ。
「リルファナも座ってね。目立つと恥ずかしいし」
「わかりましたわ!」
奴隷の立場だからか、座ろうとせずに立ちっぱなしだったリルファナをわたしの隣に座らせた。素直に座ってくれてほっとする。『隷属の首輪』はあるかもしれないけど、わたしはリルファナとは出来る限り普通の交友関係を築いていきたい。
「文字の勉強しておいて良かったよ」
クレアが何を頼もうかメニューを開いて悩んでいる。
本屋があることからも分かるけれど、思った以上に町での識字率は高いみたいだ。各メニューには詳細な絵もついているので、文字が読めなくても頼めるようになっている。
「随分と近代的な店ですけど、お値段も随分安いですわ」
リルファナとイタリアン風の料理が多いメニューを見ていると、内容にリルファナが驚いていた。
畜産や穀物、野菜の生産をまわりの村に頼っているガルディアの町だが、牛、豚、鶏、兎と肉料理の種類も多い。
この世界では魔物の肉も普通に食べられているし、美味しいものもあるのだが、この店ではほとんど扱っていないようだった。
ガルディアの町は川も近いためか、川魚や小蟹の料理もメニューに入っていた。
トゥロタ、フィウメルッチョ、コレンテグラッキなどと並んでいるが、絵のおかげで魚や蟹だということ以外はさっぱり分からないけど。
村に帰れば野菜はいくらでも食べれるし、よく分からない魚料理も回避したいのでがっつりした肉料理がいいかな?
「あ、フェルド村の野菜を使っています。だってお姉ちゃん」
「おー、ほんとだ」
地元の野菜が使われているのは嬉しいけど、町で食べるなら野菜は後でいいやって気もしてしまうね……。
「フェルド村ですの?」
「わたしたちの村だよ。冒険者としての活動は成人後になると思うからリルファナもしばらくは一緒に村で生活だね」
「村の生活も楽しみですわ!」
リルファナは村での生活経験は無いようだ。
すぐ飽き……、いやなんでもない。
「わたしは鶏肉のトマトソース煮込みが気になってるけど」
「ううう、どうしよう」
クレアはメニューをすぐに決められないタイプだったようだ。
「リルファナも好きなもの頼んでいいからね!」
「ではこのトマトソースのピッツァにしますわ」
「それも気になってた。うーん」
「クレア様が良ろしければ、違うピッツァを頼んで半分ずつにするのも手ですわ」
「あ、そうしよう! ヴォルドーナっていうのにするよ」
リルファナよ、なんて提案をするんだ。わたしもピッツァにしてシェアしようか悩んでしまうじゃないか。
「わたしもピッツァにするから分けよう!」
「うん!」
「はいですわ」
本来、ピッツァは1人で食べるもの、ピザはシェアするものなのだがここは異世界、関係無いね。
わたしはアーリョのピッツァを頼んだ。トマトペーストに、アーリョ、ベーコン、香辛料、チーズをのせて焼いたピッツァだ。
アーリョとはにんにくのことだ。こちらの世界のにんにくは臭いが残りにくいのでいつでも食べやすいのが特徴だったりする。
「お待たせしました」
注文してしばらく待つと女給が頼んだピッツァと飲み物を運んできた。
リルファナの頼んだのは俗に言うマルゲリータ。トマトソースにモッツァレラチーズとバジルをのせたピッツァの定番である。ここの店ではトマトの輪切りものっけてあった。
クレアが頼んだヴォルドーナは、熟成した牛肉を赤ワインで漬け込んで作られたハムとキャレアなどの葉物野菜が中心のトッピングをされているようだ。
ピッツァは仲間同士で分けて食べることも多いようで、取り皿も用意してくれていた。どのピッツァも焼きたてで美味しそうだ。
「美味しい!」
「こんなに美味しいもの久しぶりに食べましたわ」
わたしは自分が頼んだピッツァから一口食べる。
口に含んだ瞬間、アーリョの香りが広がり、焼きあがったばかりの生地の端はサクサクしている。トマトソースの酸味のある味、さっぱりした香辛料と風味が広がり、ベーコンの塩味がほどよく混ざる。濃い味ながら飽きがこない。
リルファナじゃないけど、なんだか久しぶりに日本で料理を食べた気分だった。
フェルド村の母さんの料理が不味いというわけではない、でも塩での味付けが多いせいかシンプルな料理が多いんだよね。醤油があれば味に広がりが出来そうだし、この世界なら存在していそうな気もするから探してみようかな。
トマトソースのピッツァは、みずみずしいトマトとバジル、チーズだけのシンプルでド定番の味だが、その安心できる定番な味がまた味わい深いのである。輪切りのトマトに水気があるため、焼き加減をかえているのか、少し固めに焼かれているので全体的に歯ごたえのある生地だ。
ヴォルドーナと呼ばれるピッツァは、赤ワインで熟成されたハムがアクセントになっている。しゃきしゃきの葉物野菜との相性も抜群だった。
「美味しかったけど」
「食べ過ぎましたわ……」
「うう、お腹いっぱいで動きたくないよ」
1人でピッツァ1枚分は思ったよりも多かった。値段はこれだけ食べて小銀貨2枚だった。リルファナの知識によると3倍してもおかしくないと言っていた。
後ほど知ることになるが、ソルジュプランテでは食材の加工や保存方法の研究が数段進んでおり、他の国に比べて輸送や加工のコストがかからないのが主な理由であった。
なんとなくぽっこりしたお腹をさすりながら、それでも満足気に3人で階段を上がっていく。
――エレベーターが欲しい。