契約
とても綺麗で流れるような所作だった。
床にひざをつき正座。
指先を伸ばし、手の平を地面へと。
その体勢から、静かに頭を床につける。
――土下座である。
「わたくしの主人になってくださいませ」
どうしてこうなった。ミーナはため息をついた。
◇
まあ分からなくも無い。愛玩奴隷として商人に買われるか、同年代の女であるわたしに拾われるか。その後を考えればどちらがマシになりそうかは火を見るよりも明らかだろう。
当たる確率がほぼ0%の宝くじを買うぐらいなら、少なくとも初対面で妹は優しく接してくれて、特に変なことも言わなかった同性を選ぶだろう。わたしでもそうする。
「とりあえず頭を上げてくれる?」
少女は「お願いします」と繰り返すばかりで、頭を上げてくれなかった。
すっごく気まずい!
町に着くまではクレアとは小声で何かしゃべっていたようだけど、それ以外は何も言わなかった少女がいきなり土下座しだしたわけで。
これにはクレアを含めた他の人はポカンとしていた。ただし、気まずいというよりは何しているのかよく分からないという表情にも見えた。
この少女がどこの国から連れて来られたのかは知らないけど、この辺って土下座無いんじゃないのと思うと少し冷静になる。
「登録は愛玩奴隷かもしれませんが、なんでもやります」
「わたし、これから冒険者登録しようかと思ってるんだよね」
「戦闘奴隷でもきっと大丈夫です、お願いします」
おや、戦闘は無理だと諦めるかと思ったけど、強さには自信がおありか? 売り込めるうちに大丈夫と言いたいだけかな?
「武器とか魔法は使える?」
「護身術程度ですが短剣や弩は使えます。魔法も魔力はそれなりにあるので覚えれば使えると思います」
弩は機械式の弓矢であり、力が無くても扱えるのが特徴だ。ボルトやクォレルと呼ばれる専用の矢を発射する。
この娘の言ってることが本当なら1から育てる必要があるかもしれないが、戦闘奴隷としても買いではないだろうか。
引き取るとして困るかもしれないのは、お金と家族の許可ぐらいかなあ、と少し前向きに考えてみる。
お金は持っている金貨を換金すればしばらくは困らないと思うけど、父さんと母さんが何て言うか……。
「クレアはどう思う?」
「え、えっと。……お姉ちゃんに任せるよ」
こそこそとクレアにだけ聞こえる声で相談したが、視線をななめに外される。うーん、放り投げられた。
「正直なとこ、勝手に決めると父さんと母さんが怒らないかなって」
「……うーん、お姉ちゃんが決めたんなら大丈夫じゃないかな? またかって感じで受け入れると思う」
わたしの家族からの評価を改めて聞きたくなった。そんなに突拍子もないことばっかりしてるかなあ?
いきなり剣術教えてくれって言ったり。遺跡見つけて大怪我(腹から血をなが)して帰ってきたり。魔法剣をいきなり披露したり。カレーとかホイップクリームとか家族が知らない料理を作ったり。プレゼントにいきなり彫金したり。
…ふむ。やっぱり大したことしてないね! 少なくとも怪我以外では迷惑かけてない、と思いたい。
隊長さんもトーマスさんも、わたしの決定まで関わるまいと決め込んでいるように見える。
少女は土下座のまま黙ってしまったけど、なんだか震えているように見えた。
ふと、脳内でここで手放してはいけないという本来のミーナの声が聞こえた気がした。
――直感を信じるか。
「……分かった。引き取るよ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「……いや、それはもういいから頭を上げて」
◇
奴隷商のトーマスさんが手続きをしてくれることになった。
少女もほっとしたような顔で席についている。無表情だったのは自分の状況を知っていて緊張の表れだったのかもしれない。
「『隷属の首輪』を腕輪タイプに変更したいと。商売道具は全て持ってきていますから可能ですが、あまりおススメはしませんよ?」
隷属の首輪には魔力が込められていて命令したり、逃亡したり、反抗出来なくしたりする。これは主人を守るものでもある。
「滅多にあることではありませんが、腕輪なら外せますから。逃亡が防げる足の方がまだ良いかと」とはトーマスの弁だ。どうしても嫌な主人相手なら腕を切れば逃げれるってことだろう。足なら動けない。
やはり奴隷商。恐ろしいことを平然と言う。
わたしにとっては奴隷を絶対に必要としてるわけじゃないし、逃げたきゃ逃げれば良いと思ってるけど、スパッとするぐらいなら事前に相談して欲しい。むしろ好きに取り外せるタイプの腕輪でも構わないぐらいだ。
クレアは話から想像したのか痛そうな、居たたまれない顔をしている。
「まあ何百年も前でもあるまいし、今はそんなことする奴隷もほとんどいなくなりましたけどね。奴隷といっても法によって守られてますから」
昔の奴隷は種類など無く、あくまでも主人の所有物でしかなかったそうだ。
奴隷の扱いの酷さに憂いたとある貴族とその奴隷が改革を起こしたとか。当時の話が有名なラブロマンスのひとつとして小説が出ているらしい。随分と尾ひれがついてそうだけど。
現在では国によって多少の差はあるものの、どの国も法律によって奴隷への過度な暴力や暴言は禁じているし、最低限の衣食住の提供は必須となるらしい。
奴隷の種類とは異なる仕事をさせたい場合も本人との交渉が必要となる。また愛玩奴隷以外への強制的な夜伽、それに準ずる行為も禁止されている。
強制的というのは、奴隷との恋に落ちる人も少なくないということだそうだ。特に冒険者に買われた戦闘奴隷は四六時中一緒にいることが多いわけなので。
それでもたまに奴隷の扱いが原因で犯罪者が出るというのは人間の性なのだろうか。
ちなみに、犯罪奴隷は犯罪の重さに比例してこの制約を無くされる。刑罰としての一種であるためで、重犯罪者であれば死刑より重い刑とされていることもある。
奴隷制を廃止している国もあるが、他国からの主人に連れられてきた奴隷に対してまで文句を言われることはないようだ。下手したら外交上の問題になっちゃうからね。
「『契約』……『奴隷』……『愛玩』」
魔法陣を敷いた紙の上に不透明な青い宝石のついた銀色の腕輪を乗せ、トーマスさんは呪文を唱える。腕輪にも複数の種類があったが、細めのアクセサリーに見えそうなものにした。
「主従契約をしますので、お二人の血を一滴お願いします。針は熱湯で洗浄済みです、それぞれ別の物をお使いください」
消毒や血液が混じらないようにするという概念はあるらしい。
「理由はよく分からないのですが、そういう決まりなのですよ」とトーマスさんが笑う。
理由までは広まっていないのか、学者か医者か、頭の良い人が決めたのかもしれないね。
促されるように何のためらいもなく少女は左手の薬指に針を刺し、小さな傷口からふくらんだ血を腕輪の宝石部分にぎゅっと押し付けた。青い宝石がキラリと光る。「もういいですよ」とトーマスさんにハンカチを裂いたような小さな布を渡されて指に巻いていた。
次はわたしの番だ。痛いの嫌なんだけどなあ。
……時間がかかったけれどわたしはやり遂げた。
「お姉ちゃん」
決まり手はクレアが早くしろと言わんばかりにジト目をしていたことです。
「『定着』」
トーマスさんの詠唱が終わると少女の左腕には継ぎ目の無い腕輪がはめられていた。
少しぐらい動かすのに余裕のあるサイズであるものの、外すことは出来ない絶妙なサイズである。
それと同時にパチンという音がして首輪が外れる。
普通であれば後からの契約が無効化されるが、予め契約を切っておくことで後からの契約で上書き出来るらしい。
普通なら別の奴隷商がこの方法で強制的に上書きすることは出来ない。
今回のように初期化された状態の首輪は無効化されたものと同じなので可能だとトーマスさんが言っていた。
主人や奴隷商が亡くなってしまったなどの理由で例外処理を使えば裏技のように外すこともあるけれど、そのための手続きはかなりの手間と時間がかかり、手続き無しで勝手に行えばその時点で奴隷商としては生きていけないらしい。
奴隷が自由になるには奴隷として主人の下で累計5年以上の仕事をしており、自分で自分を買い取ったときのみだそうだ。
解放される理由は、出世や主人やその周りの人との結婚が多く、主人や結婚相手が奴隷に給料などといった形で金銭を支払い買い取らせる形式が一般的である。
この少女も1度奴隷として登録されてしまっている以上、条件を満たさない限り奴隷から解放することは出来ないそうだ。
「奴隷の権利や義務について分からないことは本人から聞いてください。自分の身を守るためにも覚えるように教えられているはずですので」
少女はこくりと頷いた。分からないことは彼女に聞けば大丈夫なようだ。
◇
少女との契約が終わり、手数料を差し引いた分の謝礼を受け取った。
このお金で少女の服や装備などを買わないといけないだろう。今着ているこの襤褸だけというわけにはいかない。
ふと、奴隷契約したにもかかわらずまだ名前も聞いてないことに今更気付いた。後で聞かないとな。
血狼の謝礼は、明日以降になるそうなので観光中に寄るか、村へ帰るときにでも受け取ればいいかな。
身分証が無い場合は町の出入りに小銀貨2枚の保証金がかかるのだが、そこから引いてもらうことになった。
これで用事も済んだので町へとつながる門をくぐった。
門の横には馬車が止まっており、町まで同行した奴隷の男女2人が乗っていた。
トーマスさんがこのまま連れて帰るらしい。奴隷なのに2人は手をつないで見つめあい、幸せそうだった。
「実はですね、あの2人は奴隷解放の契約でガルディアまで来たのですよ。どうやら良い主人に買われたようですね」
心配そうに見ていたように見えたのだろうか。必要もないことであろうにわざわざトーマスさんはささやき声で説明してくれた。トーマスさんの顔も満更では無さそうだ。言いたかっただけなのかもしれない。
奴隷の2人が解放されて結婚する、か。あの2人にも様々な物語があったのだろう。
「それでは失礼します。奴隷のことで何かありましたら南西区のトーマス商店をお尋ねください」
トーマスさんは御者席に乗りこむ。隣の手綱を握った男に馬車を出させ、営業トークを残し去っていった。
馬車が動き出すと2人はぺこりとわたしたちに一礼し、街中へと消えていく。
――お幸せに!