【ミレル視点】女神様と宝物
「ミーナです、よろしくお願いします」
元冒険者仲間のマルクの娘はそう言った。
綺麗なアイスブルーの長髪に、エメラルド色の瞳。
彼女はそっくりだった。
――私に大事なものを与えてくれたあの人に。
◇
首都ソルジュプランテ。ミレルは街中をがむしゃらに走っていた。
浮浪児であり親の顔も知らないミレルは普段は残飯などを漁って生活している。この町では孤児院が経営されていたが受入れ人数が間に合っておらず、スラム街と言われる町の端の区画には浮浪児が少なからず存在していた。
ミレルは自分の歳も知らない。物心ついたときにはおっちゃんが面倒を見てくれていた。崩れた建物に、その辺から拾ってきた板切れをはった小屋のような場所に住んでいた。雨風はなんとかしのげる。その程度の小屋だ。
でも、おっちゃんは去年流行り病で死んだ。路上暮らしの私たちに薬なんて買えない。それからはずっと1人だった。おっちゃんが言うには私は今年で8歳ぐらいだと聞いている。周りの同い年の子より背が低いのはご飯がまともに食べられないからだとも。
――ついていない。
普段残り物をくれる店が閉まっていたり、他の浮浪児に先回りされていた。
手伝いで食料や古着を貰えることもあったがどこに行って頼んでも今は仕事が無かった。擦り切れ薄汚れた服装のままの浮浪児に任せられるような仕事も滅多にないのは仕方ない。
もう少し歳があれば冒険者ギルドに登録して、街の外で食べられる草などを見つけることも出来たはずだ。頭を使って上手くやれば兎ぐらいなら狩れたかもしれない。
浮浪児は市民ならば誰でも持っている身分証代わりのカードを持っていない。冒険者ギルドに登録したカードがないと町に出入りするときにお金がかかってしまうため、勝手に町の外で狩りをすることが出来ない。
ここ数日間、何も食べていない。このまま空腹で倒れてしまうのも時間の問題だった。
――仕方ない。ミレルは覚悟を決めた。
通行人の財布を狙って食べ物を手に入れる。今まではここまで追い詰められたことは無かったので最終手段だった。
見つかって犯罪者として捕まれば良くても牢屋入りか犯罪奴隷落ち。何の後ろ盾も無い浮浪児では相手次第では死刑になるかもしれない。
しかし、このまま何もしなければ体力が無くなりそれすら出来なくなりそうだ。
◇
――町の大通り。
油断してそうな相手から財布を盗む。観光客が理想だが、みすぼらしい格好の自分が長時間動かずに通行人を見ていれば怪しまれるだろう。物色している余裕は無かった。
しばらく影から様子を見ていると、キョロキョロと辺りを見まわしながら歩く大男がいた。都合よくポケットから財布が出ている。
昔から浮浪児として路上で暮らしていたミレルは観察力と危機管理能力は高かった。
あれならいける、いくしかない。
ミレルは、ゴミ捨て場で拾ったボロ布をフード付きの外套のようにかぶる。そっと大男の後ろにまわり財布を抜き取る。心臓は早鐘のように打ち続けているが、何とも無い顔をして歩いて離れた。
裏路地に入ったところで、盗んだ財布にいくら入っているかと立ち止まる。
「指輪……」
財布かと思っていたのは封筒だった。貴族などが使う革製のものであまり重要ではない手紙や贈り物を入れて使うものである。現金でないことに落胆しつつも中を確認すると指輪と何か書かれた紙が入っていた。ミレルは文字が読めないし、盗品の指輪の換金を出来る伝手もない。
……おっちゃんがいれば何とかしてくれたかもしれないのに。
いや、おっちゃんは頭が良かったからご飯が無くなってもスリなんて必要すらなかっただろう。
本当についてない。
「スリだ!」
「あのガキじゃないか?」
――見つかった!
私は急いで裏路地を走り出す。相手の見てくれは悪いが、貴族の手紙を運搬することを任される地位の人間だ。見つかればタダではすまない。
町の裏路地の構造は脳内にほぼ網羅している。顔は見られていないし、適当に逃げ続ければ相手も諦めるだろう。
◇
……考えが甘かった。
今では最低でも5人、私を探している。そんなにこの指輪が大事なのだろうか。
逃げ続けるうちに道が無くなり、貴族街に入っていた。日が暮れ始めている。
この町は平民街と貴族街の2つに分かれている。細い水路をはさんで区画が分かれているだけなので入ろうと思えばどこからでも入ることは出来るようになっていた。
貴族街はその名の通り貴族向けの区画で住宅と高級店が立ち並び、富豪以外の平民が使うことはあまりない。また貴族街は治安維持のために夕方以降は平民が用事もなくいると追い出されることもある。昼間ならば平民も使える店もあるが、私の格好では怪しまれるだけだ。
まずい。とてもまずい。
この町では浮浪児だからと殺されるようなことはないが、捕まったら良くても平民街か孤児院へと送られるだろう。そんな目立つことをしたらあいつらに見つかる。
しかし、逃げてきた路地を戻ることは出来そうにない。
貴族街を奥へ奥へと進んでいく。
警邏中の兵士たちにも気をつけなければいけない。
私を探している大男たちは兵士たちに止められることがないようだった。そこから考えられるのは、やはり大男たちは貴族の使いだったのだろう。
「行き止まり!?」
「こっちにはいねえぞ」
「どこ行きやがったあのガキ。見つけたらどうしてやろうか」
「だが、この辺にいるはずだ」
さすがに貴族街は道を知らない。でも私を探す声が近付いてくるので戻るわけにもいかない。
咄嗟に開いている屋敷の庭の隅に隠れた。生垣がうまく隠してくれることを祈るしかない。
「なんだか騒々しいわね」
私が隠れている屋敷から出てくる人影があった。どんどん悪い方向へと転がっていく。
出てきたのは女性のようだ。生垣の隅に隠れ、音を出さないように出来るだけ動かないようにする。
ちらっと女性がこちらを向いたが、暗くなりかけている闇の中では気付かなかったようで外の方へ向かっていった。
「あなたたちどうしたの?」
「お騒がせしてすいやせんね。こちらにガ、いや浮浪児の格好の子供が逃げてきやせんでしたか?」
「見てないわね。この先は行き止まりだからこっちじゃないと思うけれど?」
「そうでしたか、失礼しやした。おい、あっちを探すぞ!」
大男たちの声が遠のいていく。助かった。
女性は男たちを見送ると、私の方に歩いてくる。
――ばれてた!
「あなた、追われていたの? とりあえずこっちに来なさい。悪いようにはしないわ」
このまま黙っていたら大男たちはともかく兵士を呼ばれてしまうかもしれない。私は諦めて生垣から出る。
「まあ、可愛い子じゃないの。こんな子をあんな大人数で追いかけてたの?」
女性は水色がかった銀髪で、エメラルド色の瞳だった。すごく綺麗な人だ。あまり豪華な服装ではないけど貴族様だと思う。その女性に引っ張られるように家に入る。
家の裏口だったようで、そこは厨房だった。
大きなテーブルがあった。椅子に座らせられると女性は水を出してくれた。
「それで何で追われてたの?」
私が水を飲んで落ち着くと問いかけられる。
分からないと誤魔化すことも可能だけど、あいつらのしつこさを考えると住処に戻っても落ち着けないだろう。
「ずっと……何も食べてなくて……ご飯のために……これを」
スリだとばれたら通報されるだろうけど、見つかった時点で諦めた。素直に盗んだ封筒をテーブルに出した。
「そう。……辛かったのね。ちょっと見せてもらうわ」
女性は、私の頭をぽんぽんと優しく撫でると封筒を開いた。指輪を見たあとに紙を開いて読み始める。
手紙を読んでいた女性は驚いたように立ち上がった。
「ちょっとこれは預からせてもらうわね。外はまだ危ないから少しだけ待っててくれる?」
「ん」
どうせ逃げ場は無い。私が頷くと、女性は好きなだけ食べていいと水とパンがたくさん入ったカゴをテーブルに出してから廊下へ出て行った。
数日ぶりの食べ物はすごく美味しかった。
食べたこともないふかふかのパン。野菜などの具を包んで焼いたパンも混ざっていたが、黒くて甘い物が入っているパンが一番美味しかった。1つ1つはミレルのこぶし1つと半分ぐらいの小ぶりに焼かれているが、その分たくさんの種類が食べられる。
黙々と5つ目のパンを食べていると、さっきの女性が2人の女性を連れてきた。1人はしっかりしたドレスを着ているから貴族様、もう1人はメイドさんだと思う。
「そういえば名乗っていなかったわね。私はクローゼ。こちらはこの家の主人でもあるティネスよ」
「ミレル。ご飯、ありがとう」
「いいのよ」
メイドさんは紹介してくれなかった。貴族だとそんなものなんだろうか。
クローゼ様が泣きそうになりながら、私に抱きついた。綺麗なドレスが汚れちゃうと思って離れようとしたんだけど、離してくれなかった。
「クローゼ、離れてあげないと驚いてぽかんとしてるわよ」
「え、ええ。そうね」
クローゼ様が言うには私が持っていた指輪と手紙を買い取りたいということだった。
お金を貰えるのはいい、今回みたいなときにご飯が食べれる。でも住処に置いておくと盗まれてしまうかもしれない。
いや、ほぼ盗まれるだろう。おっちゃんはたまにお金が入ったときも盗まれると言ってすぐに使ってしまっていた。
でもそんなときは温かくて美味しいご飯が食べることができた。
そのことを話すとまたクローゼ様に抱きつかれてしまった。ティネス様もメイドさんも辛そうな顔をしている。
「分かったわ。とりあえず今日は泊まっていって」
「はい、すでに客室を準備させています」
ティネス様が泊まっていけと言ってくれる。本当にいいのだろうか?
でもメイドさんがすでに準備をしてくれているなら断る方が迷惑かもしれない。
「それに、あの男たちはあなたが思ってるほどすぐ諦めないわ。そっちが落ち着くまで泊めてもらったほうが良いと思うわ」
「ええ、構わないわよ。ミレルちゃんのおかげで私たちも助かったのよ。気にしないでいいわ」
クローゼ様とティネス様の言葉で泊まっていくことを決めた。貴族様が買い取りたいという手紙だ。よほど価値があるものだったのだろう。封筒を持っていない状態で歩きまわってあの男たちに捕まれば、先が無いことぐらい理解できている。
泊まっていくことを了承するとクローゼ様もティネス様も、メイドさんまで喜んだ。
私は別の部屋に連れていかれると服を剥ぎ取られて、お風呂に入れられ合流した他のメイドさんたち数人に綺麗に洗われた。
そのあと、ティネス様の娘さんのお古だという綺麗な服を着せてくれて、切ることもなかった伸ばしっぱなしの髪まで綺麗に整えられた。鏡を見ると私じゃない誰かが映っていて、なんだかお姫様みたいだった。
――翌日。
疲れた私は起きるのが遅くなってしまったけれど、ご飯は私の分まで用意されていた。
パンが好きだと思われたのか具材をはさんだ軽食だった。私のために用意された客室で食べているとクローゼ様とティネス様は朝早くから出かけているとメイドさんから聞いた。
クローゼ様はティネス様に会いに来た客人ということだ。この家の主人であるティネス様の旦那さんも用事で別の町に出かけていて、しばらく帰ってこないらしい。今はメイドさんなどの屋敷で働いてる人以外は私しかいないそうだ。
メイドさんにまだ屋敷からは出ない方が良いと言われた。暇そうにしていた私にメイドさんは絵本を持ってきてくれたけど、私は文字が読めない。それに気付いたメイドさんが本を読みながら文字を教えてくれることになった。覚えが良いと褒められた。
夕方になるとティネス様が帰ってきた。クローゼ様は明後日には顔を出す予定なので、それまでは屋敷にいて欲しいと言われた。その日はティネス様と夕飯を食べることになった。手掴みでしか食事をしたことがなかった私が戸惑っていたらスプーンやフォークの使い方を教えてくれた。
昨日までは起きている時間はずっと食べ物を探すだけだった生活だったのに、ご飯は用意され、ベッドにも洋服にも困らない生活になっていた。
少しはお金も貰えそうだけど、それもクローゼ様が帰ってくる明後日までだから当たり前にならないように気をつけなければいけないと気を引き締めなおす。
◇
翌々日、メイドさんにクローゼ様が帰ってきたと教えてもらった。今後のことも話したいと呼ばれた。
「ミレルちゃん、ありがとう。問題は片付いたわ」
クローゼ様に私の手を取ってお礼を言われる。なんのことだか分からなくて何も言えずにいると初めて会ったときのようにティネス様に止められていた。
詳しくは教えてくれなかったけれど、私が盗んだ手紙は非常に重要なもので、貴族様の家から盗まれたものだったらしい。それを取り返しただけなのだから私は無罪ということになるという。
「それでね、ミレルちゃんの今後なのだけど。ミレルちゃんに決めて欲しいと思うの」
これだけ親切にされても元の生活にはいずれ戻るのだ、あまり良い生活ばかり続くと逆に辛くなる。住処に帰るからいいと言うと、あそこに新しい孤児院を建てる予定になったという。
適当にいいわけを続けていたけど無理だった。結局、私は出された選択肢から選ばなければならないらしい。
1つ目は孤児院に入ること。ずっと1人だった私が今更そんな生活に馴染めると思えなかった。
2つ目は養子になること。クローゼ様が紹介してくれるらしい。
引き取り先になる人は貴族様ではなく平民。一度会ってから決めても良いと言われた。でも今更、おっちゃんしか家族と言える人がいなかった私が、全然知らない人と家族になんてなれるだろうか?
3つ目はクローゼ様が家を用意してくれるのでそちらに住んで良いということ。
女の子の一人暮らしでは心配なので定期的に確認に来るらしい。
成人までは援助してくれるって話だし、一番煩わしいことはなくて魅力的ではある。でも王都の識字率はかなり高く、文字が一切読めないのはスラムで育った住民ぐらいである。その状態で普通の職が得られるか分からない。
さすがにこれだけしてくれた人たちなので家と資金だけ寄こして放置されることはないと思いたいけど、後々困るかもしれないのはどうだろう。
ここまでしてくれるって一体あの手紙は何だったんだろうと思うけど知らない方が良いこともたくさんあるのは子供心に知っている。
クローゼ様の希望では養子になって欲しそうだった。一番安全だからだろう。義父と義母になる人と上手くやっていけるかは不安だ。でも1度ぐらい会ってみても良いかもしれない。どうせ私は命以外の失うものなど何も持っていないのだから。
――翌日。朝早く。
ティネス様に連れられて養子として預かってくれるという家族に会いに行った。
クローゼ様は自宅に戻らないといけないと言っていたのだけど、今まで観察していて思ったのは平民に会いに行くのは不味い地位の人なのじゃないかということだ。
貴族の立ち振る舞いなんて詳しくはないけど、ティネス様よりもクローゼ様の方がもっと上品というか、洗練されていたように感じたのだ。お茶の飲み方1つとっても見とれるほど綺麗な所作なのだ。
平民街の大通りから1つ外れた場所に、その家はあった。家の前までは馬車を使った。貴族街から出るため地味な馬車らしいけど、平民は個人の家に行くのに馬車なんて使わないのでバレバレだと思う。
この都市は大通りに近ければ近いほどお金持ちが住んでいて治安も良いとおっちゃんに聞いたことがある。
「邪魔するわよ」
ティネス様が気にせず家に入っていくので、それについていく。
私の服は何日か着させられていたドレスではなく、かなり高そうな生地ではあるけど平民が着るようなシンプルな服だった。数日前にメイドさんが私のあちこちのサイズを測っていたので、今日のために買ってきたのだろう。
「おう、いらっしゃい」
「久しぶりね、ティネス」
一睨みでドラゴンも震えそうなぐらい怖そうなおじさん。背丈も高く、とても威圧的で恐怖を掻きたてられる。
横にいるおばさんはふっくらとしてはいるものの、腕や脚を見ると鍛えられた筋肉が見て取れる。癖毛なのか強いウェーブのかかった赤毛だった。
……怖い。これは無理じゃないかなと思った。
「そっちの子が例の?」
「ええ、ミレルちゃんよ」
おばさんが「そう」と呟いたと思ったら、目の前にいた。いつの間に移動したんだろうと思う間もなく抱きしめられた。思った以上に力が強い。苦しい。
「おい! お前がそんな力入れたら潰れちまうぞ!」
おじさんがそう言っておばさんの頭を軽く叩くと、おばさんの力が緩んだ。おじさんもいつの間にかそこにいた。
「ああ、ごめんごめん。ジーナはこれでも大丈夫だから、つい」
「ごめんな。こいつ家にいるようになってから力が有り余ってるんだよ」
おじさんがニカッと笑って私の頭を優しく撫でた。あれ、笑うとあんまり怖くないかも。
「母さん、なーに?」
奥の部屋から出てきたのは私より少し年上だと思う、女の子だった。母親にそっくりな燃えるような赤い髪の少女は眠たそうに目を擦っている。
「ジーナはやっと起きたのかい。ほらあんたの妹になる子だよ」
「確定じゃないだろ」
おじさんがため息をついていた。
「妹!?」
ジーナと呼ばれた少女は眠気が吹き飛んだようだ。私に駆け寄ってきて強く抱きつかれた。この家はこれが歓迎の挨拶なのだろうか。さすがに子供なので苦しくはない。
「あたし、ジーナ!」
「ミレル」
ティネス様はしばらくおじさんとおばさんと話していたけれど、ジーナに奥の部屋へ連れ込まれ遊んでいたら、いつの間にか帰ってしまっていた。
今思えば、私が帰りたいと言えばおじさんとおばさんから連絡してくれたのだろう。
でも、帰りたいなんて思いはすぐに無くなっていた。
見た目は怖いけれど、私の生い立ちを知っていてもこの一家は私に同情の視線を一度も向けなかった。会ったばかりのおじさんもおばさんも私を見る目はジーナを見る優しい目と一緒だった。
おじさんとおばさんは元冒険者だった。ジーナが生まれたのを機に引退し、おじさんは今はギルドで働いていると知るのは夕食のとき。
おじさんが異様に怖く見えたのは、「あれは緊張してたのよ」と笑いながらおばさんに教えられたのは翌日だった。
――これがミレルが家族という宝物を手に入れることになった最初の物語。
ジーナと冒険者になり、マルクとアルフォスに出会い、女神様と再会するのはもうしばらく先の話だ。
ブクマ、評価、誤字報告ありがとうございます。