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第5話 パンドラボックス

「パンドラボックスなんて大げさな名前がついているけど、要するに、異世界転生した人たちの互助会みたいなものなんだよ」


 精緻に絵付けされた、見るからに高級そうな陶器のティーカップに口をつけながら、アークセルフが言った。


「『(おさ)』って言っても、体のいい雑用係の別名さ。パンドラボックスには百人近くの異世界人が所属しているけど、こうやって『長』みずからが、身支度を整える間もなく、異世界人の出現を『天網(エシュロン)』で探知して、そのお出迎えに奔走しているんだから、私たちの台所事情も察しがつくだろう」


「はぁ……」


 僕もアークセルフにならって、ティーカップのお茶を飲む。


 色は紅茶と似ているが、味は少し違った。


 でもすっきりとしていてとてもおいしい。


 ティーカップ同様、高級なお茶なのかもしれない。


 丸テーブルの上にはティーカップやティーポットといった茶器一式と一緒に、焼き菓子が盛られた盆が乗っている。


 先だって一つもらったが、香辛料の利いたクッキーのようで、これはすんなり舌になじんだ。


〈食事 Lv1〉とか、ふざけたスキルを要求されることもなく、すきっ腹にストンと落ちる。


 丸テーブルと椅子のセットや茶器一式などは、アークセルフが何もない空中から、何の前触れもなく出現させた。


 アークセルフが当たり前のようにそんなことをやったので、驚くタイミングを逃して、勧められるがままに席についてしまい、ちょっと遅めの午後のティータイムをともにしている。


 僕とアークセルフは、(物理的に)衝撃的な出会いを果たした草原にまだいた。


 数メートル離れたところには、アークセルフが「少し着地をミスっちゃった」跡であるクレーターがある。


 めくれ上がった土もまだ乾いていない。


 太陽はついに地平線にその身を沈め、青黒い闇が濃くなっていく。


 僕らの周りはアークセルフが灯した不思議な明かりで、ティーカップの小さな花の模様まで見分けられるほど明るい。


 拳大の蛍みたいな光球が丸テーブルの中央、僕らの胸の高さぐらいの宙にふわふわと浮かび、やわらかな暖色系の黄色い光で僕らを照らしてくれている。


 光量は程よく、暗さもまぶしさも感じない。


 さっきの突如出現したテーブルとかと同様、これもスキルだか魔法だかの産物なのだろうが、詳細について質問はできなかった。


 そんな雰囲気じゃない。


 僕としては日が沈むままに、すべてが暗がりに隠れてしまった方が断然ありがたかった。


 なぜなら、気さくに話を続けるアークセルフの勲章だらけの立派な軍服は、まだ血に濡れたままだからだ。


 湯気が立ちそうな鮮血にまみれた、どこを切ってもただ者ではない男を正面に見据えながら、平然とお茶を飲み、茶菓子をほおばる胆力なんてこの僕にあるわけがない。


 なんで血まみれなんですか? なんて、もちろん聞けない。


 アークセルフの機嫌を損ねないように、彼がお茶を口に運ぶタイミングに合わせて僕もお茶を口に運ぶが、ティーカップを手に取るたびに手が震え、ティーカップとソーサーがガチャガチャと派手な音を立て、そのたびに僕の心臓は口から飛び出しそうになる。


 幸い、僕の無作法に対してアークセルフが不機嫌になる様子はなかったが、地雷原を歩かされているような気分はぬぐえない。


「ここに来たばかりで勝手がわからなくて困っている異世界人には、パンドラボックスから最低限の生活費と、宿泊場所を提供しているんだ。あと、早くここに慣れてもらうために、生活全般を援助するナビゲーターもつけてあげてる」


 パンドラボックスとは、そのおどろおどろしい名前とは裏腹に、生活保護みたいな福祉事業に取り組む団体なのだろうか。


「早く自立してくれることに越したことはないけれど、特に援助に期限は設けてない。経験上、九割は一か月以内に自活できるようになるよ。一番遅い子でも、三か月はかからなかったな。中には、私が迎えに行った時点で町ひとつを支配下に置いていた子もいたし」


 ふふっ、と何かを懐かしむようにアークセルフが笑いをもらした。


 異世界転生後、丸半日かかってスタート地点から一歩も動けていない僕とは大違いだ。


「あの……それで僕は何をすれば……」


 アークセルフの提示した条件は、あまりにうまい話過ぎて、およそ交渉能力皆無の僕でさえ怪しさを感じた。


 アークセルフ、ひいてはパンドラボックス側にもメリットが無いとバランスが悪すぎる。


「そうだねぇ……」


 アークセルフは顎の先をつまんで、夜の闇を見通すように宙を見上げ、思案にふけった。


「君はここに来て、何を望むんだい?」


「え?」


「見たところ、君は地球の日本からやってきたんだろう? 西暦2000年代……いや、その落ち着きっぷりからすると、2010年代後半から来たんじゃないか? 合ってる?」


 アークセルフは、テイスティングで酒の産地を当てるように僕の出自の予想を口にした。


「……そうです」


「よしっ! 三連勝!」


 アークセルフは嬉しそうに小さくガッツポーズをとった。


「っと、ごめんね。異世界人の出身地を当てるのが最近のマイブームなんだ……君と似たような人は結構いるんだよ。君みたいに……ところで名前は?」


「皆野京太郎です」


「キョウタロウ君は、地球の日本というところから来たんだろう? キョウタロウ君が来た時代だと、聞いた限り、食事に困ることはなく、戦争もなく、若くして病気や事故で死ぬ人もほとんどいないそうじゃないか。この世界で暮らす人々からしたら、夢のような生活だ。そんな満たされた世界からここへ来て、何を望む? 何が欲しいんだい?」


「何って……」


 アークセルフの手の中に、拳よりやや大きな巾着包みがいつの間にかあった。


 それが机の上に放り投げられるように置かれる。


 相当な重さがあったのか、机が大きく揺れた。


 置いた拍子に巾着のひもが緩み、中身が飛び出してテーブルの上に散らばった。


 それは、大量の金貨だった。


 見慣れた貨幣より造形は粗いが、厚みや大きさはちょっとしたベーゴマぐらいあり、テーブル上を転がったコインがぶつかった僕のティーカップが、ソーサーごとテーブルから押し出されて草地に落ちた。


 テーブルの宙に浮かぶ光球の光を受けて、散乱した何十枚という分厚いコインが怪しくきらめく。


「金か? それとも」


 アークセルフの声が途中から一オクターブほど高くなった。


 ハッとしてテーブルから目を上げると、そこには血まみれの軍服をまとい、豊かなふくらみをたたえる胸元までを覆う美しい黄金色の髪をたくわえた、ハリウッド女優みたいにスタイル抜群の、文句なしの絶世の美女が、ぎらぎらとした黄金色の瞳でこちらを見つめ、嫣然(えんぜん)とほほ笑んでいた。


 金貨に目を奪われているわずかな間に別人と入れ替わった?


 違う、これはアークセルフだ。


 性別も姿形も全く違うが、頭髪や目の色や、なんとなく感じる純金製のブルドーザーみたいに豪勢な威圧感はアークセルフと全く同質だ。


「女か? それとも」


 金貨の袋をつかんでいた手が勢いよく空に向かって振り上げられた。


 その手には、女性と化したアークセルフの身長と同じくらい長い、そしてそのきゅっとすぼまった腰と同じくらい幅のある無骨な刀身を備えた大剣が握られ、切っ先が中天をまっすぐに指していた。


 ほとんど鉄骨みたいな金属の塊を、アークセルフは全くふらつくことなく軽々と天高く掲げている。


 次の瞬間、その鉄骨が一気に振り下ろされた。


 あ、死んだ。


 そう思った。


 目を閉じるヒマはおろか、走馬燈のプロローグすら見る時間すらない。


 いや、何とか詩織ちゃんの笑顔だけ、滑り込みの一瞬で脳裏に浮かべることができた。


 冥土の土産としては十分だ。


 一抱えもある粘土を地面に叩きつけたような、重く骨に響く音が耳を聾する。


「力か?」


 丸テーブルは真っ二つになり、振り下ろされた鉄骨大剣の半ば以上が地面に埋まっている。


 顔や体を触ってみると、特に痛みや出血はなく、脚もあるようなので無傷で生きているようだった。


 完全に漏らしていたが。


 さっき出せる汁は全部出し尽くしたかと思ったが、いただいたお茶でチャージされていた分のようだ。


「それとも、もっと別の何かかな、キョウタロウ君?」


 瞬きをしていないのに、何が起こったのか全く把握できないまま、地面に突き刺さった大剣も、真っ二つになったテーブルも、地面に散らばった茶器や金貨も、すべてが跡形もなく消え去った。


 アークセルフも男の姿に戻っている。


 二脚の椅子だけが、最初の位置のまま向かい合うように置かれ、アークセルフはまたそれにどっかと腰かけた。


 椅子に座ったままだった僕の目と、アークセルフの金眼が向かい合う。


 これって、答えを間違ったら、殺されるタイプの面接?


 宇宙飛行士だって、さすがに鉄骨で一刀両断されるプレッシャーを向けられるような圧迫面接を受けたことはあるまい。


 十六歳の僕には荷が重すぎる。


 涙腺と鼻腔と唾液腺と汗腺と膀胱と直腸は、すでに空っぽだった。


 ありとあらゆる緩衝材を使い果たした僕の精神は、ついに限界を迎え、ブレーカーが落ちた。


 思考が空っぽになると、空いた空間に、思い出が勝手に漏れ出してきた。


 今度は、走馬燈を見る時間くらいはあるようだ。


 詩織ちゃんと、通学時間に交わした何気ない会話が再生される。


『ねぇねぇ、京ちゃぁん。世の中にはぁ、二種類の人間がいるんだけどぉ、京ちゃん分かるぅ?』


 詩織ちゃんのクイズに、僕は「善人と悪人」とか「金持ちと貧乏人」とか「男と女」とか、何のひねりも無い答えしか返せなかった。


『ぶっ、ぶぅー。もぉー、まじめに答えてよぉー』


 可愛く頬を膨らませて抗議されても、僕の虚弱な想像力ではそこらへんが限界だった。


『しょうがないなぁ京ちゃんはぁ。じゃぁ、特別にしおりんが教えてあ・げ・るぅ』


 こういう時の詩織ちゃんはこっちが怖くなるほど激甘で、じらすこともなくすぐに答えを教えてくれた。


『正解はぁ、京ちゃんとぉ、しおりんの二種類でぇす! しおりんにしおりんポイント二百億点!』


 謎のポイントを大量得点した詩織ちゃんは、楽しそうに僕の周りをぐるぐる駆け回った。


 クイズになっていなかったので、「他の人は?」なんて、僕は詩織ちゃんに聞き返してしまった。


 詩織ちゃんはぴたりと立ち止まって答えてくれた。


『歩くクズ肉。しゃべるゴミ溜め。さかってまぐわい節操なく繁殖するクソども』


 かみつぶした苦虫を吐き捨てるような忌々しい口調で言った後、詩織ちゃんは僕の頭を両手でつかんで、今にも鼻先が触れ合わんばかりに顔を近づけ、目をじっと覗き込んだ。


『京ちゃぁぁぁぁん。だからぁ、あんなクズとかゴミとかクソどものことをぉ、人間を見るみたいに見ちゃだめだよぉぉぉぉ。じゃないとぉ、しおりんんん、『嫉妬』しちゃうかもぉぉぉ?』


 万力のように僕の頭を固定する詩織ちゃんの手ごと、僕はうなずいた。


 あの時、詩織ちゃんの目の奥に宿っていた、黒々とした深い渦が思い出される。


 世界に二種類の人間。


 僕と、詩織ちゃん。


 あとはクズとゴミとクソ。


 ………………


 頭の中には、思考らしい思考はなかった。


 ただ、あの時の詩織ちゃんとの思い出だけが充満していた。


 そして、目の前に座り、こちらを煮えたぎる黄金の色を宿した瞳でじっと見据える、クズでありゴミであるクソに向き合う。


 緊張はなくなっていた。


 クズやゴミやクソに対して緊張なんてできるほど、僕の神経は器用じゃない。


「女です」


 落ち着いて答える。


 しばし沈黙が続いた。


 アークセルフという、血にまみれた黄金色に輝くクズゴミクソと見つめあう。


「ふふっ」


 どれぐらいの時間が過ぎただろうか。


 アークセルフの肩から見るからに力が抜け、かくりと糸の切れた人形のように首がうなだれた。


 そして立ち上がると、こちらに近寄ってきて、僕の肩に手を置くと、ポンポンと、親し気に肩を叩いた。


「女、女か。ふふ、失礼。気を悪くしないでもらいたいんだが、キョウタロウ君らしいなって、合点がいってね。君はそういう方面には縁がなさそうな感じだからね。いや、別に君が特別なわけじゃない。他にも君みたいな感じの子はたくさんいたよ。そんな子たちの誰もが、ここでは、女性との交流を飽き飽きするほど楽しんでいるよ。君も遠からずそうなるだろう。私が保証する。ふふ、ほんと、安心したよ」


 なんだか僕の認識とのずれがあるような気がしたが、わざわざ機嫌良さそうな地雷原に踏み込む勇気はなかったので、そのまま曖昧に笑ってやり過ごす。


「パンドラボックスが求めるのはね、平和なんだ。ほとんど例外なく強大な力を持つ異世界人は、歩く災害みたいなものなんだ。節度さえ守ってくれるのなら、うるさいことは何も言わない。まあ、平和維持のため、多少の資金援助やボランティアという形でパンドラボックスに協力してくれるのなら申し分ないが、おとなしくしてくれているだけでも十分な貢献に値する」


 そう言ってアークセルフは背筋を伸ばし、改まった態度で右手を差し出した。


「ヴェルンボルグにようこそ、ミナノ・キョウタロウ君。パンドラボックスは、君を歓迎する」


 差し出された手を握り返そうとして、ふととどまる。


「……ちなみに、パンドラボックスに加入しなかったら、どうなるんですか?」


「殺すよ、もちろん」


 友好的な笑みを崩さないまま、当たり前のようにアークセルフは言い切った。


 なんの気負いも殺意も無い、事務的な態度だった。


「その血は」


「ああ、これかい? 『節度』を守れず、『おとなしく』してくれなかった子を処理してきたところなんだ。思ったより手こずってね。本当に、待たせてしまって悪かったよ」


「いえ、全然気にしていません。よろしくお願いします」


 僕は、アークセルフの手をしっかりと握った。


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