第2話 女神との邂逅
「おめでとうございまーす、皆野京太郎様! あなたには異世界転生のチャンスが与えられましたー!」
能天気な声がふりそそぐ。
詩織ちゃんの笑顔が消えた。
物理的に。
トラックも、横断歩道も、車道も、道路沿いの建物も、そして空も地面も、すべてが消えた。
代わりに現れたのは、白。
真っ白な、何もない空間。
地面も無いようなのに、僕はたたらを踏んで立ち止まれた。
伸ばした僕の手は、真っ白な空中を泳いだ。
「わたしは京太郎様の異世界転生をサポートする担当女神、ポプラです! よろしくお願いしまーす!」
能天気な声は続く。
声の主は見えない。
声はクリアなのに、出どころもわからない。
「通常では死んじゃったらノンストップであの世行きのところ、京太郎さんは命がけで幼馴染を助けるというわっかりやすくエモいムーブが神々に評価されまして、異世界に転生して人生をやり直す特別待遇を受けられることになりました!」
ぱちぱちぱちぱち、と拍手が聞こえる。
「じゃ、ちゃっちゃと転生の手続きに入りますねー。京太郎さんにご用意した異世界はこちら! じゃじゃーん、剣と魔法とハーレムの世界、『コットンランド』」!
「こっとん……らんど?」
呆然と、のどかな響きの言葉を繰り返す。
「はいそうでーす! 大人気異世界『コットンランド』では、鉄板のチートスキルや文字通り桁違いのパラメーターを標準装備! コミュニケーションに不安がある非モテ男子でも転生5分でハーレムが作れちゃうチョロイン全256種族をご用意し、どんなにこじらせた性癖にも対応可能! 今なら事前登録でハーレムガチャ300連ボーナス贈呈! さあ今すぐここをクリック!」
「待って早いです。一回アクセルから足を離して高速から降りてください」
「はいじゃあ全部説明しましたので、以上の項目に同意して異世界転生しましょうったらそうしましょう」
さらにアクセルを踏み込まれた。
異世界? 転生?
「異世界転生って……小説とかアニメとかでよくある設定の、あの異世界転生ですか?」
「そうでーす。その転生でーす」
ノリが軽い。
「別にそんなに警戒しなくていいですよー。昨今増えている、いやに現実的で俺ツエーできない悪徳ブラック異世界転生じゃありませんから。ストレスフリーのピュアホワイト異世界転生です。しかもわたし、女神ポプラが24時間体制でマンツーマンフォローいたします! 実績は三年連続トップの安心優良異世界転生! だからとにかくさっさと異世界転生しちゃいましょうったらそうしましょう!」
「元のところに戻してください」
「それはできません」
即答で拒否られた。
そこはノリが悪い。
「ていうか、あなたは幼馴染の詩織ちゃんを助けて、トラックに轢かれて死んだんです。理論上は戻れますけど、戻っても食事時のお茶の間には絶対流せないビジュアルの死体ですから、そのままあの世行きですよ」
「助けてないんです。死んでないんです。確認してください」
「いや、助けましたし、死んだんですって」
手のひらを見る。
そこに残された記憶を辿る。
これまで、何一つ価値あるものをつかんでこれなかった、僕みたいな人間にふさわしい無能な手。
人生の最期のどん詰まりに至って、やっと価値あるものを救うという大役を果たした……という記憶は、そこにはなかった。
ただただ、空しく虚空を空振った無念だけが、手のしわの一本ずつに深く刻みつけられている。
「確認してください!」
こちらがかたくなに粘ると、女神ポプラと名乗る者の、隠そうともしない大きなため息が聞こえてきた。
「はぁ……分かりましたよ……ちぇっ。普通、こんな好条件を提示されて戻りたがる人なんていませんよ……ほら、事故現場の映像です。存分にご覧ください。一緒に確認しましょう」
真っ白な空間に、四角い窓のようなものが現れた。
現場検証用の映像を映し出すディスプレイみたいなもののようだ。
そこに映し出されたのは、横断歩道を渡っている詩織ちゃんと僕だった。
映像は横から写されている。
ビートルズのアルバムジャケットと同じアングル。
このアングルだと、カメラは車が行き交う四車線道路のど真ん中に設置されていることになるが、深く考えないことにした。
音はない。
「ほら、ここですね。大型トラックが来てますね。心臓の弱い方はグロ注意ですよ。ハイ次の瞬間、詩織ちゃんを突き飛ばして助けた京太郎様は、入れ替わりにどばーんっと……」
女神の言葉が途切れた。
トラックが詩織ちゃんにぶつかりそうになる瞬間、横っ飛びで突っ込んだ僕の手が詩織ちゃんに触れる寸前で、僕の姿が忽然と消えた。
直後、すべてが停止する。
映像はそこで終わりのようだった。
取り残された詩織ちゃんのすぐ向こう側、今にも触れんばかりの距離に、巨大な鬼の顔のようなトラックのフロントが迫っているところで、映像は止まっていた。
「……もう一度見てみましょうか」
女神ポプラがそう言うと、画面が巻き戻って、再びくだんの状況を再生する。
何も変わらない。
「……もう一度、念のため、ちゃんとしっかり、目をかっぽじって見てみましょう」
結局、映像の再生回数は十回を越えた。
女神ポプラが往生際悪く、何度も再生を繰り返すが、手が触れる前に僕の姿が消えるという一連の流れに変わりはない。
「あれー……ちょっとフライングしちゃったかなぁ……? 時間が押してるから、あせっちゃったかなぁ……? 昨日は三時間しか寝てなくて、なんだか目もしょぼしょぼしてたしぃ……」
なにやら言い訳めいたことを女神ポプラはぽそぽそと一人つぶやいている。
「戻してください」
「いやいやいやいや、これ確かにわたしのミスなんで、何とかしなくちゃなーって思わなくもないんですけど、なんでそこでシンキングタイムゼロで戻してくださいとか言えるんですか? 戻したら絶対死ぬんですけど! 普通に死にますよ! しかもマジで死ぬほど痛いですよ! なんで戻りたいとか言えちゃうんですか!?」
「僕が戻れば詩織ちゃんが助かります」
「それはそうですけど……ちなみに、誤解があるといけないんでちゃんと説明しておきますけど、もしあの場に戻って死んだら、もうそれっきりなんです。またここに戻ってきて、異世界転生出来るわけではないんです。わたしのミスなんでどうにかしてあげたいんですけど、同一人物の多重転生は厳禁なんです。それでも……戻りたいんですか?」
「はい」
「どうして、そんな……」
女神ポプラは心底理解できないといった様子で聞き返してきた。
「うーん……気持ち悪くないですか? 詩織ちゃんが死ぬのに、僕が生きているなんて」
「いや、そんな『気持ち悪くないですか? リモコンがいつもの場所にないと』ぐらいのテンションでオリジナリティあふれる価値観に共感を求められても……」
「いいから戻してください。転生もなしで、それきり死んじゃっていいですから。さっき言いましたよね? 『理論上は戻れます』って。その理論上でいいですから戻してください」
「えええええ、あの、それ、わたし実はアルバイトなんで、ちょっとやり方に詳しくないっていうか。うまくサポートできないかもしれないんですけど……」
さっきまで異世界転生についてよどみなく説明していた女神ポプラの饒舌が嘘のように影を潜め、しどろもどろになった。
というか、アルバイトってちょっと聞き捨てならない単語が登場したんですけど。
異世界転生って、何かの企業の業務なのか。
業務だとしても、文字通り人の生死に関わる一大事を、アルバイトに任せちゃう企業倫理ってどうなの。
「サポートなんていいです。どうすれば詩織ちゃんを助けられるんですか?」
「そうなりますと……ええっと、とりあえず、異世界転生はしてもらわないといけません……それと、今該当する候補を探してますけど、転生先の異世界を変更しなくちゃいけません。それも少し……いえ、かなりきっっっっっっつい難易度のところに。でもわたし、コットンランド以外の異世界は全然わからなくて……コットンランドなら、サポートマニュアルもペライチだし、トラブルの99%はチャットAIで済んじゃうから楽……じゃなくて、京太郎様も安心なんですけど……」
「それで?」
「うわ、今のを聞いて全然めげないしブレない……うぅ、それでですね、そのコットンランドじゃない異世界で、なんというか、とにかくたくさん頑張ってください」
「とにかく……たくさん頑張る?」
いきなり抽象的になった。
「説明している時間が無いんです。細かいところは転生してからで」
「さっきから何をそんなに慌てているんですか? 僕の異世界転生のタイミングをとちったのも、なんか慌ててやっちゃった的なこと言ってましたけど」
冒頭の異世界についての説明からして、開始早々巻きが入る生放送並みに慌ただしいスピード感には、違和感があった。
「もう別件の転生候補者と担当の先輩神様がそこに来ちゃってるんです! うちには転生者の待機部屋が一個しかないから、激混みなんですよ! この業界、競争相手が多くって、サービスがインフレしちゃってるんです! ノルマ達成のために某大手通販サイトの倉庫品出し係並みの厳しさで使用時間を管理してて、一秒でも遅れると容赦なく減給されるんです! 下手したらクビですよクビ! そしたら家賃も学費も払えなくなって……うわ、ドアの窓のところから先輩がすっごいこっち見てる! だからもう転生します! しますからね! 本当にいいんですか!? 今ならまだ『コットンランド』行けますよ! チートもハーレムも、本当にいらないんですか!?」
「いりません。転生をお願いします」
「うぅ……じゃあ行きますよ! てか行け!」
安心した。
こんなわけのわからない状況に放り込まれてどうしようかと思ったが、まだ僕の道は断たれてはいないらしい。
虹は死なない。
そんな不条理はあっちゃいけない。
そんな不条理は、たとえ神の計画だろうと悪魔の策略だろうと、絶対に許さない。
女神ポプラの号令一下、白い空間がさらに白さを増していく。
体を見下ろすと、陰影がどんどん薄まっていき、さらに輪郭が白い光に飲み込まれ見えなくなっていく。
やがて意識にも白い光が侵入してきて、何も感じなくなる。
意識がホワイトアウトする寸前、女神ポプラの声が聞こえてきた……
「京太郎様の転生先は……SER1000以上1000以上っと……えっと、これでいこう、『落日の星船、ヴィルンボルグ』……うげ、荒廃指数144!? うげげ、しかもマニュアルが現地語表記のみの上に鈍器並みの分厚さ!? あ、うそうそ、転生プロセスキャンセルキャンセル……できない!? これわたしがやんの!? バイトなのに!? ああっ、すいませんすいませんすぐ出ます今出ますから! 怖いんでドアドンドンしないでください!」
女神ポプラの戦々恐々とした悲鳴を最後に、すべてが白へ塗り潰された。
その白の向こうに、詩織ちゃんの虹色の笑顔が見えた気がした。