1‐6
「ねえ、私の名前、決めてくれました?」
少女は歩くアルフの前に出てひらりと回って言う。
「まだだよ。」
それをアルフは素通りして街を歩き続けた。
考えながら街を歩く。木や石で造られた建物の多いこの街。露店が多く、気になるものがあれば少女は近づいていき、それが何かとアルフに問う。交易所の時と同じようにアルフは答えるが、こんなにも頭を働かせたことはないに等しいのでだんだん頭が痛くなる。何も知らない子供に物を教えるのは案外骨が折れる事をアルフは学んだ。
でもそれも苦になることばかりではない。普段の自分なら気にも留めないようなものでも、無垢な心の少女は関心を持つので、自分の世界も広がっていくような気がする。名前を考えることにこれよりもひらめきをえることはないだろう。
「アルフは、どうやって名前を決めたの?」
「俺か? 俺は気がついた時に持っていた荷物の中にアルフって名前が書いた木札がはいっていたんだ。」
「それって、もしかして。」
「そう、もしかしたら俺の名前じゃないかもしれないな。でもそれしか判断するものはなかったし、俺もそれでいいと思った。使っているうちにいつの間にか定着したんだな。」
アルフは笑って見せた。がすぐに真顔になって続けた。
「ああ、でも、ある国に行った時、その国の言葉で愚者、バカな人って意味でつかわれているって知った時は変えようと思ったな。」
「そう、なの。」
どう返したらいいかわからない少女は、ただ、アルフの横を歩くしかなかった。
歩き、たくさんの物を目にすることで、頭の中に言葉が巡る。名前と言うものは大事だ。物でも人でもそれを表す言葉になるので、簡単にはつけられない。アルフは覚えている限り、子を持ったことはないけれど、子を持ち、名前を付ける時はこんな感覚になるのだろうかと思った。
「嬢ちゃんは、何が好きなんだ?」
アルフの問いに困り顔で答える。
「わからないわ。記憶がないのだもの。でもお花はかわいいと思ったわ。」
道端に咲いた花を一輪摘むとアルフに差し出す。白い小さな花だ。
「花……か。」
受け取ったアルフは呟いた。
何かを思いついたようでアルフは強い歩調で足を進める。
「どこに行くの?」
少女はついていくので精一杯だった。体力の差があるだろうし、何より身長差がある。身長差があるということは足の長さにも差があるということで、足の長さに差があると歩幅に影響する。一歩が違うのだ。
アルフが足を止める頃には少女の息は上がっていた。
ついたのは花を売っている店だ。開かれた店先には色とりどりの花が陳列されていて、どれも手入れが行き届いているようで新鮮に見える。
「ちょっと待ってろ。」
言って少女を店先に待たせ店内へと足を運ぶアルフ。こんな店に入るのは初めてなようで多少は緊張の色が顔にうかがえる。
「すまない」
声をかけると、緑色のエプロンをつけた黒髪の女性が振り向いた。
「あの子に似合う花を見繕ってほしいのだが。」
少女を指差しながらアルフが言う。その少女は、店先の花の一つを興味深そうに見ていた。
「お任せください。どういうのとか要望はあります?」
アルフは少女を見ながら考える。
「髪と同じ、白い花がいいな。それにいい香りがするものならなおいいのだが。」
女性は花を見繕う。その間にアルフも花を見た。と言うよりも嗅いだ。少女の髪から香るのと同じような匂いがないかを探しているのだ。店内を一周回ってもその匂いの花は見つからなかったが、アルフのもとに数種類の花が見せられる。
「こんなのはどうですか?」
花はすべて要望通り白い花だ。白い小さな花弁があるものや、花が鈴のような形になって茎から垂れ下がっているもの。花弁の一枚が大きく三枚から四枚の花弁で形作られている花などがある。どれも少女に似合いそうな者ばかりだった。しかし、似合うだけではいけない。名前を決めるのだ。少女に合いそうな名前がいい。
アルフは花の名前を聞く。それは人の名前としてふさわしくない物だったり、少女につけるにはごつい名前だったりした。でもその中にもいいのもがあり、一束もらうことにする。この花の名前にしよう。気に入るかな。気に入らなければ他のものをまた考えよう。
アルフは少し楽しくなっていた。いままでずっと一人で生きてきたものだから、まだ一日と経っていないとはいえ、誰かと一緒に過ごすことに楽しみを覚えていた。こんな事ならもっと早く誰か顔の知った人間をつくっておくべきだったと後悔もした。街から街へと旅をするアルフにとって親しい人間などいないのだ。これまでも男女問わず人を助けたことは何度もあったが、こんなに親しくしようと思えることがなかった事を考えると、記憶がないという共通点を除いても、この少女にはアルフを惹きつける何かがあるのかもしれない。
五枚から六枚の花弁で構成された花。大きさは少女の手のひらほどで白く、そして香りもいい。花の中央には花弁を支えるように伸びた黄色のおしべとめしべがある。決して可愛らしいふわふわした花ではないけれど、この花を選んだ。花束の中にアルフの髪と同じ色の花が一輪入れられているのはあの女性の気遣いだろう。
会計を済ませたアルフが花の束を手に持って店を出ると、そこに少女の姿はなかった。待っていろと言ったのにいない。辺りを見回すが、銀色の髪をした少女は見当たらない。
「なあ、ここで銀色の髪の女の子を見なかったか? 背丈はこのくらいで。」
胸の辺りに手を置きながら店先にいた白髪の老人に聞いた。
「さっきの女の子はアンタの連れかい。どうもおかしいと思ったんじゃよ。」
話を聞く限り、少女は数人の男に抱えられて連れ去られたという。目を離した一瞬の出来事だった。こう一日に何度も危険な目に合うのはそうそうないだろう。それにしてもこの街の治安はどうなっているんだとアルフは思う。
老人にどっちに行ったと聞けば、あっちの方と街の出口を指を指した。外に出たらしい。
「くそ。どうして叫ぶとかしねえんだよ。ともかく、ありがとなじいさん。」
そう言うとアルフは老人が差した方向へと走って行った。なるべく早く。何か嫌な予感がした気がして。
アルフが見えなくなると、老人は呟いた。
「口を押えられていたんだから叫べんじゃろうて。」