1‐4
「私、何も覚えていないの。どうしてあの場所にいたのか、自分が何者なのかも。自分の名前さえ思い出せないわ。ごめんなさい。」
アルフが名乗った後、少女が発した言葉はそれだった。困ったアルフがどういったアプローチで質問をしても、少女には何も答えられなかった。出身、住所、職業、年齢、こんな格好で街道でなにをしていたのか。何もわからない。冷静になればなるほど不安になるだろう。言葉以外の何も覚えていないというのは。
ベッドが二つ備え付けられている、宿の二人用の部屋。少女の向かいに座っているアルフはおもむろに立ち上がると、少女に背を向けるように呟いた。
「大丈夫俺も似たようなもんだよ。」
「え?」
少女は聞き返す。
「俺もさ、昔の記憶がないんだ。」
「いつからなんです?」
「君と同じくらいの年だな。」
「年って、私年齢もわからないのよ?」
「見た所、成人を迎えてない顔だけれど?」
「失礼ね、成人しているかもしれないわよ。童顔なだけかも。」
少女は自分で言っていて恥ずかしくなったのか顔を赤くする。アルフも苦笑いである。
立ち上がったついでなのか、部屋に備え付けの水をとる。グラスを見せて飲むかと目で合図を送ると、少女は頷く。アルフは水の入ったグラスを二つ持ってベッドに戻った。
「これからどうする?」
水を一口飲んだアルフは言った。
「わからないわ。あなたの時はどうしたの?」
「俺か? 俺はとにかく生きるのに必死だったことしか覚えてねえよ。戦って、奪って。殺して。今でさえ街から街に渡り歩いて仕事をしながら生きてるが当時はなんでもしたよ。ま、こんな生き方おすすめしないがな。参考にならねえだろ。」
笑いながら言うが、少女は真剣に聞いていた。そのまなざしに思わずたじろぐ。
「ま、なんにせよ、お前の人生だ。お前自身が決める事だろ。」
アルフはもう一度立ち上がって荷物を持った。
「ど、どこか行くのですか?」
「街を見てくる。お前が目覚めるまでずっとここにいたからな。」
思ったよりも優しいなと、少女は思う。
「ねえ、私もついて行っていいかしら?」
「いいけど、楽しいことはないと思うぞ。」
「それでもいいの。何か思い出すかもしれないでしょ?」
「勝手にしろ。」
少女は笑顔を見せると、アルフについて宿を出た。
街に出てまず向かったところは服屋だ。今の少女の格好ではいろいろと問題だろうと思ったアルフは店で一番安い服で上下をそろえる。上は肩口がふわりと膨らんだ白いチュニック。それに茶色のよく鞣した牛革で作られたベルトコルセット。下は動きやすいズボンを選んだが、少女がスカートがいいと駄々をこねたため、なくなくスカートにする。花の刺繍が入った緑色のロングスカート。値段にしてはまとまったと思う。これで少女は街に出ても奇異の目にさらされることはないだろう。先ほどまでの寝巻のようなワンピース一枚では娼婦と間違えられる可能性だってある。そのようなリスクが減ったのだ。
店では服と一緒にコルセットと同じ革製のフラットシューズも買った。少し汚れた鏡の前で姿を確認するように回る様はとても可愛らしい。
「なあ。」
「なんですか?」
少女はアルフと一緒に屋台で買った肉を頬張りながら答える。二人ともお腹が空いていたのでちょうどいい腹ごしらえだ。肉を串に刺して味をつけて焼いただけのものだが風味もよく、美味しかった。ただ、牛でも豚でもないこの肉がなんの肉なのかと言うのは詮索しないお約束なのだ。
「ああ、まだ、何も思い出せないか?」
「はい……。」
「名前もか?」
「そう……ですね。残念ながら。」
「名前を決めないか?この先ないと困るものだろ。俺だってお前の事をお前とか嬢ちゃんとか呼ぶのはなんだか心苦しい。」
「名前……。アルフさんがつけてくださいよ。」
「アルフでいいよ。って、俺がか?」
「ええ。私には何も思いつかないもの。」
「あー。わかった。じゃあ考えておくよ。」
今この場で思いつくものでもないと思ったアルフは答えを保留し、また街を歩き出した。少女はその後をついてゆく。