4 クリストファー殿下
「いい加減にしろよ」
ヤツは低い地を這うような声を出す。
「そうだな。そろそろいくか。」
ヤツの言いたいことは百も承知の上で知らぬげに言うとギロリと睨んでくる。流石にこれ以上遅れる訳には行かないだろう。
ギムタレム公国円卓10人衆の中でもその外交手腕は飛び抜けていて外交家とまで言われるシュターゼン公爵家の夜会だ。行かぬわけにいかない。
公爵邸に着くとヤツは忽ち側近の顔になり、出迎えにきた公爵家の家令に応対して詫びている。
そんなやり取りを横目にさっさと大広間に入る。使用人が告げたのであろう。こちらを向いて待っている公爵夫妻が見える。
「遅れてすまないな。これは今宵もまた一段と艶やかだな。公爵夫人。」
言葉とは裏腹に少しも悪いと思っていない様子で声をかけると公爵夫人はさらに艶やかな笑みを浮かべて平然と返す。
「クリストファー殿下、ようこそお越しくださいました。殿下に誉めて頂きまして、何も問題ございませんわ」
そんな夫人をそっと傍らに引き寄せた公爵はどうとでもとれる微笑みを微かに浮かべながら
「殿下におかれましては我が家の夜会にお越しいただき、恐悦至極存じます。」と慇懃に言う。
「公爵、一曲夫人にお願いしても?」
嫌味を流して問いかけるといつもなら諾と答える彼が僅かに返事を濁す。瞬間、夫妻の間に意思の確認があったかと思っていると夫人が答えた。
「申し訳ありません。本日は仔細がありましてダンスはご容赦くださいませ。」
その言葉で気が付いた。夫人の後ろにひっそりと立つ令嬢がいることに。
「ローレイン王国の者ですの。ダンベルト男爵に縁がありまして」
更に眼で問えば違わず応える。
「ディアナと申します。少々体調をくずしており、思うところもありまして。しばらく預かることになっております。」
夫人の言葉に広間のあちこちで耳を傍立てているのがわかる。それが煩わしくて振り切るためについ言ってしまう。
「ではご令嬢。私と一曲お願いいたします。」
体調云々の言葉を無視して恭しく礼をとれば、リュクス国第1王子相手に公爵夫妻も止めるわけにいかず、そっと令嬢に頷く。
それを見てディアナと紹介された令嬢が手を差しのべ、喜んでと前に立つ。
ほっそりとした立ち姿は儚げで少し強く引けば、壊れてしまうのではないかと思うほどだ。だか向かい合ってポーズをとれば、優雅さが優ってくる。
白金の真っ直ぐな髪に薄い藍色の瞳は淵が紫色をしている。マーメイドラインのドレスもサイドを編んで髪飾りで止めただけの髪型も控え目で地味な装いだ。化粧も控え目なのは公爵夫人の思惑か。
あまり表に出したくないのだろう。だが、その顔立ちは控え目な化粧がかえって美しさを際立てている。
踊り始めると令嬢のそれは男爵などの下位貴族とは思えない上手さだ。もちろん、下位貴族であろうとダンスの得意な者はいるだろうが、この気品と余裕は違うだろう。少し悪戯な気持ちでステップの難度を上げても躊躇することなく、ついてくる。
「上手いな。」
思わず、母国語で呟くと
「ありがとうございます。殿下のおかげですわ。久しぶりに楽しめています。」
と同じ言語で返ってくる。
知らん顔してそのまま他愛ない会話を続けるが、綺麗な発音で応える。踊ったせいかうっすらと頬を染め、瞳をキラリと輝かせて微笑む顔にドキリとする。そんな自分にハッとした時、曲が終わりを告げた。私に付け入る隙を与えまいと素早く公爵が彼女を傍につけ礼を言う。
「殿下、ありがとうございました。ディアナ、エリザが呼んでいるよ」
淑女の令をして伯爵夫人の下に戻っていく。その後ろ姿を見送っていると後ろからヤツの声がする。
「どうなさいました?」
苦笑しながら首を横に振り、後は適度な時間を潰して夜会を後にした。
馬車に乗るやいなやヤツは身を乗り出す様にしてくる。
「それで?」
私はやや憮然としながら深く腰掛ける。
「アレン シーノルド。そう、がっつくな。」
「誰がだ! いや、そうでなく あれは誰だ?」
本当に遠慮のない。まぁヤツと国許に残してきた連中は皆、同様でそれだけ信頼のおける時間を過ごしてきている。それが彼等にとってよかったかは解らないが、これからは違う。
「誰なんだろうな?」
母国のことを頭に浮かべながらそんな言葉が口をでた。
冷たい視線に頭に浮かんだことを振り払い真面目な顔でヤツの顔みる。
「おまえのことだ、調べたんだろう?」
大きなため息を一つ吐いて首を横に振る。
「なにも。夫人が言った以上のことはまったく。聞けたのは少し前から滞在しているらしいこと。今日が初お目見えだったということ。と言っても紹介したのはおまえだけだ。それまでは誰が聞いてもはぐらかされていたみたいだぞ。目的はおまえか?」
いやあれは違う。 すぐに否定の意味で首を横に振る。
「あの場で誰ですか?なんて聞ける唐変木はいない以上、公爵夫妻に明らかにする気がなけりゃ何もわからんだろう。」
「おまえのほうは?踊ったろう?
まぁだから余計に噂になるんだろ…あぁおまえにくっつけときゃへんな虫は寄って来ないな。」
ヤツの当て擦りは無視してさらりと告げる。
「綺麗なリュクス語だった。」
ヤツが眼を見開いて確認するように見てくる。それに是と頷いて考える。彼女はローレインから来たといい、下位貴族を匂わせた。だが、我が国の言葉をあれほど流暢に話せるのは何故だ?ローレインとリュクスは隣り合わせではない。さほど頻繁に交流してるわけでもない。貴族の嗜みにしては下位貴族に必要とは思えない。それにあのダンス。立ち姿、振舞い。すべてが完璧だった。
まるで公爵夫人のように。
公爵夫人?
「公爵夫人の身内は…」
そう声をかけるとすぐに返事が返ってくる。
「ローレイン王国、エベルバッハ公爵 いまや唯一の公爵家だな。
夫人は既に他界しているが外交官として抜群だったらしい。もともとは宰相家ともいえるが、今の当主はそんな気はないようだ。今の宰相もなかなかやり手だからな。
シュターゼン夫人は第一子だ。下に弟二人、妹が一人。妹はあのグレンハインツ王太子の婚約者でこの間までアランフォード王太子の婚約者だった。
えげつねぇよな。政略結婚は貴族の義務といえどグレンハインツ王子が亡くなってアランフォード王子の婚約まで一月ほどだったらしいからな。同じ兄弟でなんてな。」
その頃はこちらもまだ16かそこらで、一つ向こうの国の内情なのどわずかなものしか伝わらない。第一その頃はこちらも災害に飢饉にと問題が山積みだった。足元をみた大国カーグはやたらと絡んでくるし。
あれから続く今に至るまでの色々が頭に浮かんで思わずため息がでる。
「まさかあの令嬢が妹 なわけないか。」
そんなヤツの独り言を聞きながら、得た情報から即決で決断をする。
「美しい容姿、完璧な淑女、語学に堪能。ギムタレム公国の10人衆の一人を後ろ楯にもつ、さらにローレイン王国の高位貴族。徹底的に調べる価値があるだろう?」
そう言って笑顔を見せる。
「その笑顔、怖いんだけど。いや、確かに優雅な令嬢だったけど。語学堪能とかローレイン王国の高位貴族とかわかるんだ?」
「勘?」
惚けた私に冷たい視線を投げたあとアレンは真面目な顔をしてローレインの王族、高位貴族の令嬢は他国に出ないの知っているだろうと確認してくる。
もちろんと頷いて指示をだす。
「だから。それも含めて徹底的調べろ」
「いくら暇だからといって… 」
今はじっと相手の動くのを待つだけだ。することがある間は隠れ蓑に放蕩を繰り返すのも情報を分析して罠を仕掛けるのも時間が足りないほどだった。それに引き換え、こうして待つだけなのは焦りから悪いほうに思考が引き摺られ、精神を削られる。
「どうせすることが無いなら楽しまないとな」
そう嘯くと頭を掻きながら
「まあ妃候補には上出来だ。」
とこちらの意図を正解に理解している。
馬車が止まりドアが開けられる。あとはヤツに任せるだけ。