3 シュターゼン公爵夫人視点
何年ぶりだろう。妹に会うのは。確かこの前はローレイン王国王太子の葬儀だったはず。ならば4年たつことになる。
妹を乗せた馬車が着くとの知らせに迎えに出ながらあの時の姿を思い出していた。
荘厳な大聖堂の中で婚約者として、父より上位の席に座っている妹は気丈に頭をあげて凛とした佇まいで黒い喪服に身を包んでいた。
青白いどころか血の気がまったく無くなって真っ白になってしまった顔で噛み締めた唇をわずかに震えわせていた。
そんな妹の緊張の糸がいつ切れて倒れるかと私はハラハラしながら外国の来賓席に座っていた。
あの子に寄り添い、手を握ってやりたい。その思いは私だけでなく、妹の隣に座っている父と弟達も同じだったろう。いや、手を伸ばせば握ってやれる距離にいながらそれができない三人はもっとやるせなかったに違いない。
ローレイン王国王太子グレンハインツ殿下は英明で冷静沈着でありながら騎士団の下士官にまで気さくに声を掛ける一方で8歳も年下の婚約者を溺愛すると国民の下々にまで人気のある王子だった。留学から帰国した際には多くの人が押し寄せ、大変な騒ぎだったという。
グレンハインツ殿下ならば王宮内に燻る10年前の禍根も物ともしないだろう。きっとりっぱな名君になると期待する声が貴族たちの中に広まっていた。帰国の知らせとともにクラウディアとの結婚の日程も発表され、舞踏会に現れた二人は仲睦まじく、これほど似合いの二人はいないと祝福の声があちらこちらから聞こえていたそうだ。
その王太子が帰国後2ヶ月も経たず逝去されるとは。
この葬儀に参列できなかった、貴族だけなく多くの平民たちが大聖堂の外に集まりその死を悼んでいた。
国中の慟哭が集まっているようで大聖堂の中にいるのが息苦しく眩暈がした。
こんな哀しみを知るなんて。
最初、我が家の誰もがこの婚約を望んではいなかった。
この国特有の王族女系のみが紡ぐ国を守る結界。そしてその結界を守る為に国の最初の王弟直系の2大公爵家、エベルバッハとアイバーンがあった。
そのアイバーン家が何をとち狂ったのか、現王の王弟と共に王位簒奪を目論み、玉砕した。どちらがどちらを誘惑したのかそんな事はどうでもいい。問題はとち狂ったのは2人だけではなく、多くの貴族を巻き込んだことだ。全てに断罪を下さば国の脆弱化は計り知れず、最小限を余儀なくされ、陛下も宰相も断腸の思いで線引きをした。
おかげで我が家も思いもかけない余波を受けた。それが、クラウディアの婚約であり、ランベルトの王女キャロルアン姫との結婚、新公爵家設立である。王女降嫁の話は以前からで最初は上の弟が候補であったが、新侯爵家の話がでてきたので下の弟に決まった。
公爵家の男子ならば尚更婚姻は義務で政略でしかない。だが、王妃は公爵家の娘である必要はない。国の守りたる結界を紡ぐ王族女系の血脈なら他にも候補の姫はいる。しかし、一つになった公爵家、政治的にアンバランスな力関係。虎視眈々と狙っている大国カーグ。とうとう父上は押し切られてしまった。
ただ意外にも家族の心配は杞憂に過ぎず、父も愁眉を開くことになった。王太子が留学に行く頃にはクラウディアも恋する少女となっていたから。
私はローレインの子女が通う学院を卒業してすぐ、17歳でギムタレム公国のシュターゼン公爵に嫁いだので幼い妹が王太子の優しさのなかでゆっくりと仲を深めていったのをこの眼で見ることはなかった。しかしあれが2人とって紛れもない蜜月だったろう。
母が儚くなったときも王太子が傍にいらっしゃったからこそ妹は哀しみにくれることなく、生来の明朗さを失わず、笑顔を取り戻していった。
母を失った寂しさの中で妹と王太子の仲のよさが私達家族の慰めだった。愛する娘の花嫁姿を見ることかできないことが心残りであった母も二人の関係には幸せな未来があると信じて逝くことができただろう。
そして妹からの手紙は王太子が留学するころからぐっと大人びて初々しい硬い蕾がゆっくりとふくらんでゆくように、私を微笑ましてくれた。
王太子が留学を終えて帰国すること、妹が16歳で嫁ぐことが決まったと聞いたときは喜びとともに安堵したものだった。
あの初々しい蕾がゆっくりと花開いていく。
明朗で知的な妹は亡くなった母の良いところばかり受け継ぎ、きっと見事な外交手腕を見せることだろう。それは次期王妃としてなによりの資質といえる。ならば国王陛下は先見の明があったのだろう。さすがと言うべきか。あの頃はそんな生温かな思いでいたのに。
これがあのクラウディアなのだろうか。馬車から降り立てきた妹はあの葬儀の日からまるで変わっていなかった。哀しみの中にたっていた15歳だった少女は更に美しく、花開いていたが、今にも消えてしまいそうな線の細さは儚さと脆さを纏っている。
明るい華やかなあの子にふさわしいオーラは消えたままだった。
私の強ばった顔に浮かべた微笑みを苦笑に変えてゆっくりと口を開いた。
「お姉さま。お久しぶりです。」
そのかわいらしい声で我に帰った。そっと抱き寄せるとフワッと花の香りがする。この周辺の国にない香りは亡き婚約者からの贈り物だったはず。
王太子が留学中に一度私が帰国したときに妹が嬉しそうに付けていて教えてくれた。
「殿下が私そのものだとおっしゃって。あちらで殿下もこの香りを持ってくださってるって。」
ほんのりと頬をピンク色に染めてそれでも羞じらうのを隠すように明るくはしゃいでいた妹。まだ13の少女には早いような香りも華やかな妹は見事に相応しく纏っていた。
その香りをもう一度胸に吸い込み、妹に笑い掛ける。たとえ妹といえど、これ以上醜態を見せるわけにいかない。
「綺麗になったことクラウディア。 疲れていなければお茶をどうかしら?」
にっこり笑って是と答えた妹に頷いたあと、侍女に居間へお茶の支度を指示し、更に妹を部屋へ案内するよう伝える。侍女の後ろについて部屋へ行く妹を見送りながら。溜息がでた。
これはどういうことなのだろう。