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異世界町【油屋の看板狐】

作者: ダイバ

 恥ずかしがり屋の太陽と目立ちたがりの雨雲。今日はそんな空模様だ。

 屋根代わりのトタン板を叩く雨粒のパーカッションは、私の心を苛立たせる。

 八番女郎通りにある怪しい雰囲気の油屋でバイトを始めてから四半期経った。その経験から学んだことは、雨の日は客足が増える傾向にあるということだ。

 「油屋」と言っても、私の勤めているのは真っ当な店であって、決して隠語としての「油屋」ではない。そもそも私自身、そんな器量の良い女じゃないから、そっちの油屋は縁もゆかりもない存在だ。

 まあ、真っ当な店であったとしても、そこに用のある客が真っ当な客であるかどうかと言われれば返答には困るのだが。


「くーーーっん!」


 節々の固まっている身体で無理矢理に伸びをして、弛んだ精神と身体に喝を入れる。

 ポキポキという関節からの音と雨音が奏でた奇妙なセッションは沈んでいた気持ちを少しばかり明るくした。


 空腹感から察するに、おそらくは正午を少し過ぎたぐらいだろうか。けれども、小腹がすいているぐらいのほうが体が軽くて動きやすい。

 屋根から垂れ落ちる雨水で顔を洗い、私は油屋へ向かった。



.



 油屋へ向かう間も、雨の匂いは刻々と濃くなって行く。

 今日の夜が過ぎるまで降り止む気配はない。

 通りを歩く人を見かけないのは幸いなことだ。

 雨に濡れないように注意しながら道を行く私の様子は、おそらく贔屓目に見ても自然体とは言い難いものだろうから。



 突き出たトタン、木々、軒下を選んで歩いていくと、雨の匂いの中に別の匂いが混じってきた。

 柔らかな甘みに香ばしさ。焼けたゴムと干したての布団の匂いを匠のセンスでブレンドしたような、独特の匂いだ。

 何度嗅いでも、決して慣れない、けれども嫌気が差すような類ではない。油屋の匂いは、そんな匂いだ。


 木戸の前に立ち、ひと声鳴いてみて店主に戸を開けるよう促してみる。暇を持て余している店主であれば、雨音に交じるわずかな声であろうとも気づくだろう。なに、別に戸が開かなかったら客が来るまで待てばいいだけの話だ。

 もっとも、そんな考えは杞憂であったらしい。戸が開いた。


「お入り」


 戸を開いてすぐに私を見つけた店主がそう言ったので、私は答えるようにスルりと店の中に入る。

 横目に見た店主の顔は、いつも通り眠たそうな表情だった。



 店の中の様子はいつもと変わらない。

 店の左右にある戸棚には様々な色の油が瓶に詰められて所狭しと敷き詰められており、正面のカウンターの奥では魔火炉の上の大釜が、長年の間に染みついた油で黒いボディをギトギトにコーティングしては存在を主張している。

 それから、狭い店内に充満する匂い。様々な油の匂いが混ざり合ったそれは初めて嗅いだときは胸焼けを起こすかと危惧したものだ。


「お前さん、いつもうちに来るけれど、そんなに気に入ってくれたのかい」


 ぼやくでもなく、純粋な疑問を投げかけてきた店主を見て、私はどういう反応を返そうか悩んだ。

 おそらく、この店主は私がただの野良の妖狐だと思っているのだろう。

 大体はその目安で合っている。合ってはいるのだが、私の心のうちではそんな有象無象の存在と一緒にされるのは好ましくない。

 四半期も顔を合わせてきた仲だ。久しぶりに人と話すのもいいかもしれないなと私は思い始めた。

 なんてことはない。ただ、ほんのちょっと妖気を込めて人化の術をすれば、この冴えない店主と意思の疎通をとることなど容易なのだから。


 

.



 時を置かずしてやってくる客達に、店主は忙しそうに応対していた。

 私が店にやってから数刻が経ち、夕刻に差し掛かったであろう時刻。油屋は表も裏も書き入れ時の時刻だ。

 結局、私は人化をすることなく、今日も油屋に居ついていた。

 店の客達はいずれも常連ばかりで、誰もかれも雨の日にばかりこぞって顔を見せる連中だ。

 何度も見た顔を改めて見る必要はない。興味なさげに尻尾の手入れをしていると、一人の客が驚きの声を上げた。


「あれま、この子まだ居ついてるのかい。不思議なこともあるもんだね店主さん」


「ええ、どういうわけか、お眼鏡に適ったみたいでして。この子が来てからお店も繁盛してますし、ありがたいことです」


 店主が客にそんな返事をするものだから、私は可笑しくなって笑いをこらえるのに必死だった。

 参ったな。いや、実に参った。こんなに他人に良いように解釈されるのは私としても、いささか辛いものがある。

 私がこの油屋に居ついているのには、もちろんのこと理由がある。

 何て事はない。ただ、この油屋に来る客から少しずつ妖気を頂戴しているのだ。

 彼らが赤子をあやすような手つきで私に触れるときに、甘噛み程度の分量だけ妖気を頂く。

 何せこのご時世だ。人を化かすのも馬鹿馬鹿しい。妖気を得るために妖気を使い、さらにそれがバレたら検非違使に嬲り殺されるなんて、そんな危ない橋を渡る狐がどこにいるだろうか。

 結局、人の世も狐の世も同じなのだ。大きく稼ごうとせず、少しずつ稼ぐことが一番の近道。危ない橋を渡った成功なんてものは、落ちた奴らがいるから成り立つのさ。

 しかし、それに分類していくと、この油屋というのは随分と奇妙な存在だ。小銭を稼ぐだけでなく、大口の顧客用の商品もちゃんと置いてある。

 いやなに、こうして今も客に油を売っているわけだが、料理や灯りの日用油だけを販売しているわけではない。旋盤工みたいな技術屋たちがつかう油や、最近取り入れたアロマオイルなんてものもよく売れている。

 それで満足したらいいだろうに、蛇女の好きそうなガマ油、風狸の好きそうなドングリ油。そう言った特定の妖怪に向けた商品がいたるところに置いてある。

 時々、買い物客の中に私に目もくれない者たちがいるが、そういう奴らは大体が日用油の中に隠された目的の油を買い付けに来ているようだ。

 一体全体、この店主はどうしてそんな商品を取り扱っているのか。長らく生きているが、こういった疑問は尽きることがない。

 しかし、私も妙な性分で、気にはなっていてもそれを丸裸にする勢いで調べるということをしない性質だ。ただ、まあ気が向いたときに少しずつ知っていけば良いだろうと思う。

 何せ狐だ。空の天気と同じように、雨だが晴れだかわからないし、降っているのか降っていないのかすらわからない。そんな性質、そんな模様なのだ。


 

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