愛菜ちゃんの涙
愛菜ちゃんの涙
その1
その2
その3
その4
その5
その1
俺の名は聡。その学園で高校三年生になったばかりだった。
だいぶ前、と言うか中学の頃からロックにはまっていた俺は、最近は少しずつではあるが自分の曲が書けるようになっていた。
自分は、是非女の子もいるバンドを結成して学園祭に花を咲かせてやりたいと思っていた。
ところで、高校一年に愛菜ちゃんという可愛い子がいた。
脚が細くてカワイイ子やった。
俺は、いつの間にか声を掛けていた。
「俺のバンドでドラムをやってくれないか?」
、、、もしかすると、彼女がその細い脚で一生懸命バスドラムを叩いてくれたらどんなに俺は萌えるんだろうか、と想像したことがキッカケだったのかも知れない。
意外にも、彼女はあっさりと了承してくれた。
それから、約三週間後に最初の練習をすることになった。ウチは部活ではないから部室など無い。市内の安い小汚いレンタルスタジオを借りて練習するのだ。
練習の直前に愛菜ちゃんから電話があった。
「センパイ、、、すいません、、今日、遅れます、、」
開始から三十分あまり経って、やっと愛菜ちゃんがスタジオに入って来た。とてもフラフラで息もゼイゼイしている。
愛菜ちゃんから話を聞いた。
「センパイ、、あたしは、ドラムなんて叩いたこと無かったんですぅ。、、それで、2日前にこのスタジオ借りて初めて叩いてみたんですけど、、、シンバルの音が、、あたし難聴になってしまって、それからずっと寝込んでしまっていたんです、、、」
ドラムセットの前に座っていた愛菜ちゃんは大粒の涙をボロボロこぼしながら言った、、、
「ごめんなさい。。。センパイ、、、あたし、、叩けません、、」
俺と隣のギターのケイジは突っ立ってそれを聞いていたが、はっきり言って俺の心はメロメロやった。
(ベースのタケシは練習をサボって来なかった)
「こいつのためだったら死んでもいい、、、」
俺は正直、そう思ったね。
しばらく、沈黙が続いたけれど、俺は卒なく言った。
「今日は帰っていいよ。愛菜ちゃん、また二週間後にスタジオ予約したからね。良かったら来てね!」
愛菜ちゃんは沈鬱な表情のままスタジオを去った。
俺は気になった。
「ちょっと様子を見て来るから!」
俺は、ギターのケイジにそう告げてスタジオを出ることにした。
、、、街路樹のある街並み。小雨がぱらついて来た。俺は傘を持っていない。
ふと、と或る喫茶店の横で佇んでいる愛菜ちゃんを見つけた。
俺は声を掛けた。
「よう、、何をしてるんだい? ちょっとそこに入ろうか、、、おごるよ」
彼女はソフトクリームやら、クリームソーダを頼んでいた。俺はナポリタンを頼んだ。
、、、暫く順調な時が経過しているように見えた。
突然、愛菜ちゃんがブチ切れ、モカとバニラのミックスのソフトクリームを俺に投げつけた。
「何よ! 帰れと言ったのはあんたじゃない! ここまで来て、何を引き止めてんのよ! もぉ〜〜 きぃ〜〜 」
、、、俺は何とか彼女をなだめようとしたんだが、もはや全てが無駄だった。
次の瞬間、彼女は自分らのテーブルを蹴り倒していた。
ナポリタンの皿が割れ、俺の飲んでたコーヒーカップが粉々になった。
俺のスーツ風のジャケットもソフトクリームでグチャグチャだった。
(後で振り返って見て、そのくらいのパワーがあるんだったら、やはりバンドに向いてるんではないか、と俺は思った。ドラマーが無理でもヴォーカルでイケる)
愛菜ちゃんは、泣きながら、だいぶ降って来た中を傘も差さずに走って出て行ってしまった。、、
もう、何もかも失敗したな。俺も傘を持ってないし、このまま土砂降りの中をトボトボと帰るしかないのかな、、、
と店を出ようとしたその時、後ろから声がした。
「そこのあなた、このまま帰るわけにはいかないわよ。分かっていますよね?」
俺を呼び止めたのはその喫茶店の女主人だった。
ふと、外を見ると街路樹のあるその通りの車道にパトカーが一台止まっていた。
まもなくして、警察官が二人店内に入って来た。
ちくしょう、、、一体、誰が警察を呼んだんだろう?
確かに、愛菜ちゃんが暴れていた時、あまり広くない店内にはまばらに客が居たようだけど、客の一人があまりの騒ぎに慌てて警察を呼んでしまったようだ。
、、、俺は生まれて初めて警察の取り調べというものを受けた。
愛菜ちゃんと店に入ってからの事など、、、細かいことを一部始終聞かれた。俺は正直に喋った。
大体話し終わって、俺がカウンター席に座って頭を抱えてうなだれていると、若い方の三十過ぎくらいの警官がやって来て、非常にモジモジとしながらこう言った。
「あの〜、、、今回の件はですね〜、、、ウチが取り扱うほどの事ではないんでして、、、あの〜、、、すいませんが、お店の人とお話ししてそれで終わりにしちゃって下さい、、、」
それから、二人の警官は店の外で女主人としばらく何かを話していたが、10分ほどするとパトカーに乗ってそそくさと帰ってしまった。
俺はやや妙な気分だったが、店の人と示談することにした。
店のバイトの子は今日は休みで、他に客も無く、女主人とゆっくり話すことが出来た。
女主人は、割れた皿やソーダグラスやらコーヒーカップの分は勘弁してやるから弁償しなくていい。その代わり自分が食べた分と彼女の分をちゃんと払うこと。そして、今後あなたも彼女も二度とこの店に入って来てはならない、ということを俺にきっぱりと言った。
さて、自分、財布の中味を見てみたが、ほとんど手持ちが無かった。
俺は少し考えたが、取ったばかりの原付の運転免許証を女主人に預け、「ちょっと下ろして来ます。必ず戻って来ますから」と言って店を出て近所のコンビニに行って三千円程下ろした。
そして、店に戻って、「もう二度と来ませんから、、、」と言って代金を払い、免許証を返してもらって無事店を出ることが出来た。
もう、雨は降っていなかった。
「よかった、、思ったよりもラッキーだったな、、、」と俺は思った。
それから、しばらくは平和な学園生活が続いているかのように見えた。
高校三年生になったばかり、と言っても俺自身が仲間を集めてバンドを結成するのに時間が掛かったので、あの最初のスタジオ事件はもう期末テストの直前だった。
実は俺、二年生の二学期から急に成績が下がり出し、やっと三年生になれたのであった。しかも、中間テストでは赤点の連発で、再試験もダメで、実はもう卒業出来ないというか、留年が確定していた。
親父とは、毎朝顔を合わせるけど会話をしなくなっていた。
さて、そんなある夜の事、携帯が鳴った。
出てみると愛菜ちゃんだった。あの事件から五日も経っていない。
「あのー、センパイ、、。今日はアタシ、門限を守れなかったんですぅ、、。だから、親と上手く行かなくて、、、今から、センパイと逢う事って出来ませんか?」
「おっ? お久しぶり、、、大丈夫か? よし、〇〇線の××駅の改札前で落ち合おう」
とっさに、言葉が出て来た。
当然、俺のハートは高鳴ったさ。心臓が飛び出るかと思ったね。
もう、親父からすれば、俺などは死んだも同然だ。
俺は家を出てすぐに原付に飛び乗った。
とっさに出た言葉ではあったが、××駅と言ったのは俺の計画だった。
地理的に見て、彼女の家の最寄り駅と俺の最寄り駅から××駅は中間地点にある。だから、イケない事をしてもバレにくいと思ったんだな。
(しかし、後々になって振り返ってみると、もう少し考えて計画を練れば良かった)
時は夜の遅い時間であり、少しだけ雨が降っていて路面が濡れていた。
(それに、夏が近い割には妙に涼しい夜だった)
俺が原付で交差点を右折しようかという時に右前方の対向車線に直進しようとしている黒い軽自動車が見えた。
止まってくれるんだよね? 止まってくれるよな? よし、行っちゃおう。、、
バン !!!!!!
凄い衝撃音がして、次の瞬間、俺は倒れた原付の側に転がっていた。
「おぇ! どこ見とるんや! お兄さん、阿呆か! 気ぃ付けぇや!」
運転席から顔を出した四十くらいの小太りの男は俺に向かってそれだけ言うと、何とそのまま行ってしまった。
あーー、いてててて、、、
やっとの事で起き上がった俺は、何とか原付を歩道まで押し、そのまま歩道にしばらく寝ていた。
そこは、人淋しい所で俺のことを注目してくれる人もいなかった。
さて、起き上がって原付を見るとフロントのプラスチックがバリバリに割れていた。何度もキックしてエンジンを掛けようとしたが掛からなかった。
、、、最悪やなぁ。いつも、絶好調だと思っている時に俺はこういう事が起こるんだ。
しかし、痛みは残っているものの、自分がほとんど無傷であることは不幸中の幸いというか殆んど奇跡のように思えた。
俺は気を取り直して、原付をその場に棄て、ヨロヨロと歩き出した。
その時、携帯が鳴った。
「センパイ。まだなんですか? あたし、改札の、もう駅の外に出て一時間も待っているんですけど、雨が降っているしさぶいんですぅ」
俺は途端に元気になったさ。考えてみれば携帯が無傷だったというのも奇跡やったなぁ。
さて、約一時間後、俺たちは××駅の前で落ち合うことが出来たよ。
俺たちは入場券を買って中に入った。
終電間際のやや田舎のその駅のプラットフォームは誰もいなかったし、ベンチに二人で座っているとまことに快適だったよ。
俺は愛菜に言った。
「俺は留年が決まってしまったし、近頃何も上手く行かない。俺はもうお前と一緒に死んでしまいたい、、、」
「さとしくん、、、」
愛菜が俺の胸の中に顔を埋めて来た。、、
それから、俺と愛菜ちゃんは郊外のホテルで幾日かを過ごした。
何日目かの朝方のことだった。
愛菜ちゃんは俺の横に居たんだが、様子が少しおかしい。
「センパイ、、、」
と言いながら、彼女は目を閉じたままで、、、何と自慰行為をしていた。
まあ、もし彼女が別の男の名前を口にしていたら、話はもう少しややこしくなっていたんだが、、、
当然のことながら、俺の中には複雑な感情が残った。俺が横にいるのだから、素直に俺に語ればいいのに、
まあ、それがプラトニックと言うヤツなんだな。
「センパイ、、、」
そうなんだ。明け方、愛菜ちゃんはうわ言をいっていた。
しかし、俺はそれを責める訳には行かなかった。
彼女の姿があまりに美しかったせいか、その場を離れ、トイレに行ったついでに余計なことまでしてしまっていた。
だが、俺は愛菜ちゃんを全面的に許していた。
その2
俺が、自分の家に帰ったのはそれから一週間後の朝だった。
玄関先で、親父とばったりと出会った。
親父は暫く厳しい顔で俺を睨んでいたが、何も言わず黙って自分の部屋に入って行ってしまった。
夏休みだった。期末テストは最悪だったが、俺は時々愛菜ちゃんに出会った。それは楽しかったさ、、。
ところが、二学期になって学校に行こうとすると、自分が半年間の停学処分を食らっている事を知らされ、愕然となった。
改めて、ウチの親(特に親父)のパワー(権力)を思い知らされたような形だった。一体何処から話が割れたんだろう? 俺は何も話していない。
まあ、多分、愛菜ちゃんの方が親から問い詰められて白状しちゃったような感じなんだろうな。
しかし、愛菜ちゃんの身には何も起こらず無事だった。
俺も心から愛菜ちゃんを許していた。
俺は停学が決まってから、暫く悶々とした日々が続いていた。
停学になった理由は、幾ら考えても分からなかった。
俺は愛菜ちゃんに電話を掛けた。
「センパイ、ごめんなさい、、。色々あって、来年の2月くらいまで会えないんですぅ、、、ごめんなさい、、、あたしだって、、、うう、、」
愛菜ちゃんは電話口で泣いていた。
俺も泣いた。
さて、ウチにはピアノがあった。
ある日、ピアノを弾いていると、メロディーが浮かんだ。
自分は、小学生の時分、少しだけピアノのレッスンを受けたことがあった。でも、そんなに弾ける訳じゃない。
停学の時期に、俺はバイトをしてエレキベースを買った。
エレキベースは簡単で、すぐにある程度弾けるようになった。
それと、ウチには兄貴が使っていたんだけど、カセットテープで簡単に多重録音が出来るものがあった。
、、2月と言うと、雪が降る頃だな。よし、タイトルは、「雪が降る頃に、君と、、」だ。
ドラムを重ねないと、と思って、近所の小さいリハーサルスタジオを借りて練習した。
あまり、上手くならなかったが、テープレコーダーを持って行って、気合いで一発録りで録音した。
あとは、エレキギターだけだな。
俺はギターのケイジに連絡を取り相談することにした。
俺はケイジに電話した。しかし、快い返事を得ることが出来なかった。
仕方なく、もう一度そのリハーサルスタジオに行って、そこのギターを借りて録音することにした。
俺は、本来ギターが弾ける人ではなかったが、何回か録音し直して、なんとかそれなりの形に録音することが出来た。
嗚呼、早く愛菜ちゃんに逢いたいなぁ。
それは、ともかくとして、停学中で暇ではあったが、家に居ても当然ながら相当居づらかったね。しかも金に困っていた俺は少し離れた工場で夜勤のバイトを始めた。
そして、朝、家に帰ると部屋に差し込む朝日が眩しい為、酒を喰らって寝てしまっていた。そんな状態だった。
(普通だったら、この時点で俺は勘当されるような息子だったのかも知れない。しかし、ウチの場合、それは無かった)
当然ながら、学園祭のバンド計画もパー。しかし、自分にとってはそれはあまり問題が無かった。
さて、年が明けて三月になり、俺のかつてのバンド仲間も進路が決まってしまっていた。
ギターのケイジは浪人が決まってしまっていた。俺の友達としてはただ一度も練習に来なかったベースのタケシだけが優秀で国立の大学への進学が決まった。
「、、、ヤツは俺にとってだいぶ遠い存在になっちまったなぁ、、、」
俺は心の中で呟かざるを得なかった。
それぞれが、それぞれの進路を決め、歩み出している。その中で、俺一人だけが取り残されたような感じがして淋しく思わずには居られなかった。
さて、俺は一留して二回目の高三の日々を割りと穏便に暮らす事が出来た。
ホテルの件があってから、俺は愛菜ちゃんと少し距離を置くようにしていたのだが、、、
それにしても、彼女はやはり少し変わっていた。夢見がちであって、女友達とは普通に付き合ってはいるのだが、いつもフワフワと何かを夢想しているような感じがあった。(学年が離れていたから、常に観察していた訳ではない)
俺にとってはスタイルが抜群で気になる存在だった。
しかし、その後、ある日廊下で彼女とバッタリあったんだが、彼女は、
「ハッ、、、」
と言った切り、自分の弁当を落としていた。
俺は、見ない振りをして目を逸らしたが、もう一度その場所を見ると、彼女はもう居なくなっていた。
彼女からは、俺の携帯に一週間に一度くらいの頻度でメールが来ていたんだが、気になっていたのは、段々とその内容がおかしくなって行くことである。
彼女自身の写メもついていて嬉しかったが、しかし段々と細くなっているような気がした。俺自身もドロドロだった。
「こんばんは、
センパイ、アタシは今日、センパイにそっくりな人を見たんです。
アタシは声を掛けようとしたんですが、違う人でした。
でも、その人を見ているうちに、
アタシは泣いていてしまったんです。
よく分からないけど、、、悔しくて、アタシは涙が出て、涙が出てどうしようもなかったんです。、、」
当然のことながら、俺には返信不能だった。
そういう日々を送っているうちに、俺も何だか次第にアタマがおかしくなるようで、
夕方になると意味もなく繁華街をウロウロしたり、(しかし、金が無かったので悪い遊びをしなかった)
意味も無く山手線に乗って座り何時間もグルグルと回ったりしているのであった。
そうこうする内に年が明け、テストの点はあまり良くなかったけど、高校も鬼ではなく何とか卒業する事が出来た。
しかし、俺のような劣等生はとりあえず受験に失敗し、浪人が決まった。
卒業式は殆ど俺の印象に残らなかった。そして、その翌日から俺は解放された気分になり体調まで良くなった。
それと、停学の時期にバイトの味を覚えたので、留年の時期も結構バイトしていた。
俺はパソコンや機材を揃えてPCとシンセサイザーを使って電子音楽を作るようになった。
EDM(エレクトロニック ダンス ミュージック)と言うダンス系の音楽だった。
Love Meteor Smack (無理に訳せば"隕石の愛のキス" みたいなところか) と言う奇妙な名前のユニットを作り、自分は英語だけは出来たのでアメリカのインディーズバンドが集まるサイトに投稿するようになった。
勿論、愛菜ちゃんにも時々会って歌ってもらっていた。
そして、"Jack, My Little Darling" と言う曲を歌ってもらって投稿したところ、僅か2日ばかりでEDMチャートの十位以内に上昇した。
歌詞は簡単に日本語にするとこんな感じである。
わたしの愛しいジャック
わたしの愚かなジャック
あなたは何てだらしないんでしょう
わたしの霊(スピリット:生霊)は時折あなたの脳まで遊びに行っては
あなたの為に嘆き悲しむのです
しかし、楽曲を制作することはかなり体力を要する作業だったし時間も掛かった。一か月もすると順位が下がり出し、その後も投稿したがヒットに恵まれなかった。
レコード会社から契約の話を持ち込まれる事も一回も無かった。
それと、そのサイトの掲示板と言うかチャットみたいな物にも参加していたけど、得てして英語を話す人々はとても攻撃的だった。
時々は自分の曲を礼賛してくれる人がいたけれども、自分の楽曲の欠点などについて全く"歯に衣着せぬ"物言いをするような人がほとんどで、半年もすると俺はだいぶ疲れてそのサイトをほとんど覗かなくなってしまっていた。
俺は浪人生だったけれども、そんな事ばかりしていて進学に興味が無かった。
そして、例の工場の夜勤も再開し、事実上その工場に就職しているも同然だった。
そして、稼いだ金で自動車学校に通った。少し時間が掛かったけれども何とか俺は普通自動車免許を取ることが出来たのである。、、
俺はレンタカーの会員になった。
そして、デートには勿論、愛菜ちゃんを誘った。
俺は、その日はだいぶ有頂天だったかも知れない。
俺は、愛菜ちゃんの待ち合わせの場所までクルマで行って彼女を乗せた。
行き先は、分からない。気の向くまま、郊外の方にでも行こう、と、、、
めでたく出かけた後、携帯に親父からメールが入っているのに気付いた。
例によって、まどろっこしい文章だったが、要約するとこんな感じだった。
さとしへ
最近のお前に関しては安心もし、また感心もしているが、同時に非常に心配もしている。
なるべく貯金をするように
もう少し行動が安定して貯金も出来たら家から出ていくように
うん、親父、悪い。家を出て行くことは俺の希望でもあるんだ。しかし、一番の問題として自分に貯金能力が無いことは俺自身が一番理解していた。
だいぶ、都会を離れて山あいに来ていた。
カーブが多い。
ふと、右カーブに差し掛かった時である。右側は山となっており、左側は谷となっている。
対向車線を走って来たダンプが中央線をはみ出しこちらに向かって突進して来た。、、
その3
愛菜です。
私たちが経験した、四十三年前のあの恐ろしい自動車事故を私は片時も忘れた事がありません。
ええ、忘れるものですか。
私の夫はあの時から意識を失い、生命維持装置に繋がれています。
あの時、彼のとっさの判断で左にハンドルを切ったので大型ダンプとの衝突は避けられました。しかし、私たちのクルマはガードレールを突き破り転落しました。
実は谷側の少し下が畑だったので、4〜5メートルほど落ちただけで済みました。
しかし、私たちが借りたクルマが少し古かったのか、助手席の私の方のエアバッグはすぐに作動したけれども、夫の方のエアバッグは作動するのが遅れたのです。
(ちょっと意外だったんですが、ダンプの運転手が気付いてくれて救急隊などを呼んで私たちを助けてくれました)
結果として、私は殆んど無傷だったけれども、夫はフロントガラスの右側の柱のような部分に頭を強打しました。右側頭葉辺りの頭蓋骨が陥没し、頚椎、および脊椎が損傷してしまいました。
事故後、彼の親御さんと会い、彼の物品を整理していました。
そして、彼自身が十八歳の時に「水と霊」の全き救い(新約聖書「ヨハネによる福音書」第三章五節)を受けた人である事を知ることが出来ました。
世の中には色々な宗教の方がおられるので、その教会の名前はここでは言えませんけど、伝統的なキリスト教とは少し違い、新宗教の流れに分類されるみたいですけど、自分たちは使徒たちの時代の信仰が復活した真の教会だと言っています。
彼はとても感じやすい人だったから彼なりに悩みも多く、真実を求めていたのだと思います。
話が、脱線しました。
ともあれ、私たちは結婚すると決めていたものですから、私もその教会に行き、信徒となりました。
そして、牧師さんに、「彼は生命維持装置に繋がれているけど生きているのだから、何とか結婚式を挙げられないか」と相談しました。
無理だと思ったんですけど、意外にも牧師さんは承諾して下さいました。
後は、院長先生の了解を得るだけです。
それから、私は院長先生と、何度か、対話をし、病院のそばのホールを借りてサトシさんを生命維持装置や無停電電源装置などと共に、ええ、少しお金も掛かりましたけれども、一時的に移動する形で私たちは挙式を実現するに至りました。
そして、遂に挙式の日がやって来ました。
牧師先生が言葉を唱えている時、アタシは泣けて泣けて仕方がありませんでした。
そこには、親類の者など僅かな人が集まっていただけでしたけれども、アタシは何時間も泣いていた、と言います。
だって、アタシは悔しかったんです。
彼は、やや行動がワイルド過ぎるところがありましたが、アタシにとっては希望の的だったんです。
私は人よりも少し遅れたけれども、看護専門学校を卒業してナースになりました。それから、ヴァイオリンも習いました。
他の患者さんには迷惑だったかも知れないけど、勤務が終わると、時間を見つけては彼の病室に来て、(勿論許可も取って、、、)彼の好きだった曲や「筝よ琴よ歌え」などの讃美を演奏しました。
今は、少し余裕が出来ましたので、彼を自宅に引き取り、日々ヴァイオリンを弾いております。
彼の脳が少しでも回復して、目覚めてくれる日を祈りつつ、夢見て、、、
その4
俺の脳の中に光が、見えた。
それから、音が、聞こえた。
何という、暖かくて優しい音なのだろう。
それから、顔が見えた。
愛菜、、、もしかして、愛菜なのか?
それから、ぽたぽたと液体が、落ちて来た。涙かな? 暖かい。
しばらく状況が分からなかったものの、少しおかしい事に気付いた。
愛菜にしては、髪が真っ白であまりにシワだらけではないか?
しばらくして、その顔は満面の笑みを見せ、
「お帰りなさい、、、あなた、お帰りなさい!」
と言った。
俺は、何が起こったのか、全く理解出来なかった。、、
そこは、日当たりの良い大きな家の一階のリビングだった。
自分はしばらく、年老いたその女性の話を聞いていた。
やがて、俺はその人が愛菜ちゃん本人である事に気付く。
、、、俺は、起き上がろうとした、、しかし、起き上がれない。
そればかりか、左腕も動かなくなっていた。
まあ、それは、ともかくとして、こんないい家で愛菜ちゃんと再会出来るなんて、、。
それから、俺はだいぶ長い間、愛菜ちゃんの話を聞いたよ。
俺が44年間も事故で意識を失っていたこと。愛菜ちゃんが長い間、看護師として頑張って働いて来たこと。愛菜ちゃんが俺の為にヴァイオリンを弾いてくれたこと、など色々知ったよ。
愛菜は、ヴァイオリンを弾いていると、ある時に俺が大量の涙を流し、そして目が覚めたと言う。
音楽の力、そして、愛菜ちゃんの愛。
一つ、気になったことと言えば、愛菜ちゃんが時々タバコをふかしていたことである。
タバコか、、、タバコだったら俺の方が先に十六の時から吸っていたぞ。、、まあ、彼女も仕事とかで色々ストレスを感じていただろうからな、、。しかし、今の俺は例え吸いたくても左腕が動かないからそれは難儀だし、流石に四十四年間も寝ていると俺の身体から完全にニコチンが抜け過ぎていて流石にそんな気持ちにはなれなかった。
しかし、俺は幸せだった。
「こんな生活がずっと続けばいいなあ〜、、、」
だが、間も無くして俺は、彼女に関する驚愕の真実を知らされることになる。
ウチの家には、昼間から、医師やら看護師やら色々な医療関係者がしょっちゅう出入りしていた。
その一部は、俺の為だった。しかし、大半は、愛菜ちゃんの為だった。
、、彼女は、何と肺癌が全身に転移し、後六か月の命だったのだ!
、、それを知った時、俺もしばらくボーゼンとなったさ。
だが、今は俺もリハビリを頑張り、電動車椅子ではあったが、何とか普通の生活が出来るようになって来た。
ウチに診察に来る医師に彼女のタバコのことを尋ねてみた。
しかし、医師は、
「限りある命ですから、彼女の意思を尊重してやって下さい。私共としては手は尽くしました。あなたのご迷惑にならない程度ならいいと思います」
と言うのみであった。
まあ、俺も吸っていたしな。
それはともかくとして、当初は彼女はほとんど痛みの発作に襲われることは無かったんだけど、時が経つにつれ、次第にその頻度が高くなって来た。
愛菜ちゃんが痛みの発作に襲われると、俺は居ても立ってもいられなかった。、、
ウチにはあるボタンがあった。
愛菜ちゃんがとても痛がる時、俺はそのボタンを押す。
そうすると、看護師と通話が出来る。
そして、看護師の許可が貰えれば、俺は愛菜ちゃんの側にある小さな機器のボタンを押して彼女に塩酸モルヒネを注入出来るのだ。そうすれば、愛菜ちゃんの痛みが少し和らぐ。
また、彼女が熱を出したり、その他の症状に襲われた時はそのボタンを押して話をし、医師に来て貰う時があった。
しかし、一回で使えるモルヒネ塩酸塩の量ももう最大限で、しかも一定時間置かなければならなかった。
ある日の昼過ぎの事だった。
愛菜ちゃんが前の日から高熱を出し、正午過ぎてからまたとても痛がりだした。
俺はもうボタンを押さなかった。
俺には分かっていた、これが彼女の最期の時である事を。
俺は、右手だけでしかできなかったけど、彼女の手を握っていた。
しかし、愛菜ちゃんは突然、目を開けてこう言ったんだ。
「あなた、、、センパイ、、あたし、、、怖いんです!」
俺は涙が出て来てどうしょうも無かった。
神さま、いや、イエス様、もし、あなたがいるなら、私たちを助けてください、、!
俺は、必死に祈らざるを得なかった。、、そう言えば、若い時に少し教会には行った事もあるけど、あれから全然行かなかったなぁ、、、
だいぶ、祈ったんだかどうだか分からないけど、そのあとの事だった。どういう訳か俺の中にとてつもなく大きな平安がやって来た。
愛菜ちゃんを見ると非常に安らかな顔つきをしている。
さっき、センパイと言っていたのは意識が朦朧としていたのかなぁ、、。
愛菜ちゃんはしばらくすると、また目を開けて、
「センパイ、、、」
と言った。
俺は必死で右手で彼女の手を握りしめた。
すると、愛菜ちゃんはもう一度、目を開けて、、、
「ありがとう」
と言った。
彼女は、そのまま永世の国に旅立った。
その5
彼女は俺の為にだいぶ財産を遺してくれていた。
しかし、それだけでは生活して行くのに不十分だった。
だが、四十年以上も経ってこの世界に戻ってくると、世の中ITなどの技術が相当進歩していた。俺は電動車椅子に乗っているけど、これだって俺の手で操作しているのではない。俺の首から上の動き、眼球の動き、そして俺の脳波をマシンが読み取って行きたい方向に動かしてくれるのだ。
パソコンなどのデバイスに関しては、、、パソコン、パソコンなのかな? とにかくパソコンと言うべき風体をしておらずキーボードなどはとうの昔に無くなっていたようだ。そして障害者向けのインターフェイスが充実しており、あの車椅子のように首や眼を動かしたり、また場合によっては強く念じるだけで大抵の操作が可能なのだ。
また、ウェアラブルデバイスと言って身に着けるだけで色々便利な事をしてくれる物が幾つかあり、少しバカではあったが、俺の言うことを聞いて掃除や宅配の手配など色々小間使いをしてくれるロボットまでいた。
流石に、新しいOSや色々な仕組みを覚えるのに一年半くらいかかってしまったがね。、、
さて、相変わらず存在していたインターネットで派遣社員として登録した所、しばらくしてパソコンでの事務及びそれに付随する仕事を紹介してくれた。
よって、俺は現在、事務関係の仕事をしている。
この俺も、もうすぐ六十六歳になってしまう。だが、俺の働きがいいからか、もうしばらく雇ってくれる、と言う。
振り返って見れば、はっきり言って、俺の人生なんて大した事なかったさ。若い時に暴れ過ぎて、大半をフイにしてしまった。
だが、俺にはとても誇りに思っていることがある。
ただ、一つだけ惜しいと思っていることはある。分かっているでしょうが、俺は極めて真面目な男だった。他の女とも遊ばなかったし、愛菜ちゃんともちゃんと"子供を作る"やり方をしていたら、自分の遺伝子を残す事が出来た。老齢になってから一人でいることは実は結構辛いことだ。
それでも、俺は誇りに思っているんだな。
愛菜ちゃん、と言う一人の女性を命を懸けて愛することが出来たことを、
また、彼女から命懸けで愛してもらうことが出来たことを。
俺には時間があったので、パソコンを駆使して記憶の中の愛菜の画像を再現することにした。
流石に時代が進んでいて、ある程度時間が掛かったものの、ものすごく苦労をするということは無かった。
俺は、サイバーヴィジョンで愛菜の画像を見るようになった。
「センパイ、、、」
明け方、愛菜ちゃんはうわ言をいっていた。
しかし、俺はそれを責める訳には行かなかった。
彼女の姿があまりに美しかったせいか、その場を離れ、トイレに行ったついでに余計なことまでしてしまっていた。
その後、俺は停学になってしまったが、色々なことに疲れていたので、ちょうど良かったかも知らない、、。
あれは、一日限りのナンパのつもりだった。
だから、上手く行かなかった部分もある。
しかし、愛菜ちゃんに、特別な想いを抱き始めてたのもこの頃辺りからだったかも知れない、、、
停学になったのも、もしかしたら彼女のせいだったかも知れなかった。
しかし、俺は愛菜ちゃんを全面的に許していた。
何故、俺はそんなに寛容になれるのか疑問に思うこともある。
しかし、彼女の美しさは、俺にとって絶対的な存在だったのだ。
など、と、六十過ぎた俺が書いていた、その時だった。
大きな揺れが走って目の前の画像が吹っ飛んだ。しかも、揺れはかなり長く続いた。
揺れが収まったが、気がつくと自宅が半壊していた。
俺は、愛菜ちゃんのデータをロードしようとした。しかし、ホストコンピューターに接続することが出来なかった。
幸いに、電動車椅子だけは、壊れずに動かすことが出来た。
それから、俺は毎日、救援物資が届くのを朝から長い列に加わって車椅子の状態で待たなければならなかった。
だいぶ、途方にくれていたが、そうするしかなかった。
しかし、世の中そんなに悪い人はいないもので、近所の人たちがだいぶ手伝ってくれた。
その中に、四十過ぎではあったが、実香という女性がいた。
実香と言う女性は、俺に色々親切にしてくれた。
ウチの介助用ロボットは震災で故障して動かなくなっていた。そういった状況で、俺の移動や身体周辺のことを手伝ってくれた。
勿論、俺も彼女に対して好意を抱かなかった訳ではない。
しかし、恋をするにも、俺のそういう機能は当の昔に既に衰えていてしまっていた。
さて、俺が自分の為に作っておいた愛菜ちゃんの記憶の集大成的な画像であったが、俺のサイバーヴィジョンにどうしてもロードする事が出来ず、再現することができなかった。
実は、業者さんを呼んでウチに来てもらったんだが、愛菜ちゃんのデータを保存しているメモリが物理的に損壊していて、復旧は不可能とのことであった。
そのことを実香に話すと、彼女は言った。
「愛菜さんは、あなたの中にずっと生きておられるんですよ」
そうなんだ、そうだったんだよなぁ。
そう、俺は俺のアタマが耄碌しないうちは、愛菜のことをいつだって思い出して脳裏のヴィジョンに再現して見ることが出来るんだ。
俺を命懸けで愛してくれた女。
素晴らしい人に出会わせて下さって、神様、イエス様、ありがとうごさいます。
そして、ありがとう。
愛菜。
完