「と或る腑抜け者の話」
地を這いずり、自分を笑った奴を夜空に浮かぶ月の上から見下ろし、そうして、そいつ等を嘲笑いながら私は空へと飛び立つんだ。
なんて、今になってはただの戯言。熱を求めて彷徨った影法師を取り上げて微笑んだ温もりにほだされて。すっかり腑抜けになってしまった私に一体何が書けると言うのだろうか。否、何も書けやしないだろう。全ての原動力であった私の身体を突き刺していた鈍く光る憎しみや怒りの刃はすっかり抜け落ちて、後に残ったのは蕩けた夢見がちな脳味噌だけ。
こんな私がどうして他人に訴えかけるような物が書けるだろうか。そんな悪足掻きをして、駄作を次から次へと生み出し、彼女はすっかり変わってしまったよ。毒気が抜けてしまったよ。などと言われ、鼻で笑われ私の愛しい子供たちがライターの火に炙られ、端から少しずつ赤に染まり、灰に変わり、この汚れきった空気に乗り宛のない旅に出て行くのが私には耐えられない。
それならばいっそ筆を折ってしまおう。
そう思った。けれど、折ろう、折ろうとすればするほど私の中に言葉が溢れ出して口からどろりと這い出そうとした。
そういう性分なんだ。
子供たちを撫でながら私は書く。
もう憎しみに溢れたあの薄汚い溝鼠を描くことはできないだろう。
代わりに私は砂糖漬けされたとある馬鹿な女の話でも綴ることにしよう。
きぃ、きぃ、と鳴く我が愛しい言葉達の為にも。私はまだ筆を折る訳にはいかなようだから。変わってしまった私の文章はつまらないものばかりだろうけれど、確かに幸せだけはそこに或るはずだ。ならば、それで良いじゃないか。
つまらない在り来たりなハッピーエンドが私は大好きなのだから。