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『拾って下さい』

作者: 茶熊みさお

「……『拾って下さい』ねえ」

 目の前にあるのは段ボール箱。

 所々錆の浮いた街灯の下にぽつんと置かれ、妙に存在感のあるその姿がスポットライトのように照らされている。

 そして、箱の前面に斜めに少し傾げるように貼られた紙には、太めの黒マジックで大きく殴り書かれた下手くそな『拾って下さい』の6文字が書かれていた。

 ……立体コピー機が実用化されたこのご時世に、こんな最近では漫画やアニメなどでもめっきり見られなくなってしまった、例の『拾って下さい』と書かれた段ボール箱をお目にかかることになるとは、驚きだ。

 こんな『拾って下さい』なんて、ベタな台詞の貼られた段ボール箱の存在は近所の電話ボックスなんかと一緒に、とっくの昔に絶滅したものだと思っていたよ。……まあ、電話ボックスだって別に絶滅したわけじゃないんだから、こんな古風な段ボール箱が最近まで残っていたとしても別におかしなことはないということなのだろうか。

 ……とてつもなく珍しくはあるけれど。

「……それにしても大きな箱だな」

 しかし、こうして目の前にある段ボール箱は、自分の中でイメージしていた『拾って下さい』の段ボール箱よりも少しばかり大きいような気がした。

いや、少しじゃなくてかなり大きい。

 イメージしていたその箱のサイズは、せいぜいミカン箱くらいなものだ。しかし、この目の前にある箱は業務用というか、洗濯機か冷蔵庫でも入っていたかのようなかなり大型の段ボール箱……そう、あれだ。

 幼稚園くらいの小さな子どもが中に入って遊ぶ、小さな小屋を作る時なんかに使うような、特大サイズの箱だった。

「そうだな。子猫や子犬達なんかと一緒にこの中に入っていれば、誰か心優しい人が拾ってくれたりして……」

 日はもう西に大きく傾き始めている。

特に今日は、日中曇っていて空気が温まっていなかったので、きっと冷え込むことだろう。冬はもうとっくに過ぎているとは言え、ここ最近の夜はまだまだ寒い。こうして吐く息もまだ少し白いような気がする。

『……ニャー』

 よく耳を澄ませて聞いてみれば、箱の中から子猫らしき小さな鳴き声が聞こえてくる。

「……猫の準備は大丈夫そうだな」

『ニャー』

 ……声しか聞こえないけど、この子猫ちゃんと一緒ならこの厳しい寒空の下でもなんとか乗り切れそうな気がする。……あれ? 何だろう。マッチを擦ったわけでもないのに、ぼんやりと暖かい暖炉の幻覚が見えてきたよ……。

「………………って、何を考えてるんだ」

 厳しい寒さと物憂げな感じの雰囲気につられて、ついに頭がおかしくなってしまったんじゃないだろうな。

 いくらほかほかとした温もりに現在進行形で飢えているとはいえ、この会ったばかりの捨て猫にまでその温もりを求めることになるとはかなりの重傷だ。

 心が弱ってしまっている。

 あと普段から煙草も何も吸いはしないんだから、そんな危ない幻覚を見せるマッチの一本どころか火の気のある物なんて普段から持ち歩いていないだろう。それから、今はそんな幻覚じゃなくて、今現在直面している厳しい現実をしっかりと見つめなくちゃいけなかった。

「はあ……、なんだかんだと独り暮らしを始めて早五日か。もういい加減色々と後回しにしてないで、何かしらの手を考えなくちゃいけないよな……」

 家を出たのは自分の意志だった。

 適当に入った平凡な中流の大学を何とか無事に卒業して、念願のニート生活を存分に満喫していたところに家族から無言の冷たい視線が突き刺さるようになり、居心地が悪くなっていたからなどでは決してない。

 そんな理由では断じてない。

 ……ないからね?

「確かにあれから野良猫か何かのように、その日暮らしの生活をしてきたわけだけど。まさかそんな素っ頓狂なことを考えるまで、おかしくなってしまっていたとはね……」

『ニャー……』

 箱越しに子猫の慰めるような鳴き声が聞こえた。

「……ふっ、いやいやまさか。中学生の時、天才(笑)と周囲から呼ばれ続けていたこの私が、そんな馬鹿げたことをするわけがないじゃないか」

『ニャ』

「いいか? 立派な大人ってのはどんな現実であっても、しっかりとそれを受け入れて真摯に向き合うものなのだよ。そこんとこ、甘く見てもらっては困るね」

『ニャー』

「…………はぁ」

 いやはや、何をやっているんだろうか。

つい先程出会ったばかりの捨て猫を相手にして、そんなあってないような見栄を張ってどうするというのだろうか。……いい加減もう末期だな。

――ヒュー……

 そして首筋を掠める冷たい風。

「…………寒っ」

『…………』

「あー、いや。……でもこの箱もけっこう大きいんだし、一人くらいなら入っても大丈夫だよね?」

『…………ニャー』

 舌の根も乾かぬうちに、とはまさにこのことだろうか。この冷たい風に吹かれ、作りたての木綿豆腐のように硬い決心はもうガタガタ、ふらふらと揺らされるがまま見事にあっさりと軽く揺らいでしまった。

 ……おっと、なぜだろうか。

 どうも目にある前の段ボール箱の中から、家にいた頃によく感じた、胸にぐさりと深く突き刺さるような冷やかな視線をどことなく感じるような気がする。

「ぐ、……や、やめてくれ。ほら、風が寒くてつい口からぽろっと弱音が出ちゃっただけなんだよ!」

――ぐぐぅ……

 と、通りすがりの大人が道端の捨て猫に対して惨めにもそんな言い訳をしていたところで、腹の虫がとても元気に鳴きだしてしまった。

「……ああ、腹減った。そういえばあれから引っ越しやらなんやらで忙しくて、結局何も食べてなかったからなぁ」

――くぅ……

 今の音につられたように、隣の箱の中からも可愛らしい小さな腹の虫の鳴き声が微かに聞こえてくる。

『……ニャー』

「そうか、お前も空腹なのか」

 重なる空腹の二重奏。今日も宿主の気力と反比例して、腹の虫達は元気に演奏会を開いておられますよ……。

「はぁ……、いつもなら空腹になんてならないのにな」

 思わず思い浮かべる温かい食事。

 茶わんによそられた湯気のただようほかほかのご飯と、お皿の上のこんがりと焼かれたお肉。……ああ、空腹感が余計にひどくなっていく……。

「…………あれ? そう言えば――」

 ぼうと、飢えた目つきで隣の箱をじっくりと眺める。

 ……えっと、目の前にある段ボール箱の中には、そのかわいらしい鳴き声からしておそらく猫が一匹いる。

 猫? ……猫といえば。

「……猫って、食べられるんだっけ?」

『…………』

 何というか、ふと頭に浮かんだだけだった。

「某ファーストフード店では猫肉で作られたハンバーグが料理に使われている、という下らない都市伝説が生まれるくらいなんだし、喰って喰えないわけじゃないよな……」

 そんな、根拠のない理論武装。

 そして頭の中では、得体の知れない何かの血が付着したサバイバルナイフを片手に赤黒いモザイクのかかったよくわからない謎の物体を解体する、筋肉モリモリマッチョのおっさんが暑苦しい素敵な笑顔で語りかけてきていた。

『若人よ、何も恐れることはない。……戦後の赤犬然り。犬のようにペットとして家で飼われている動物だとしても、それだけで食べられないと勝手に決めつけちゃいけない。そうだ、その凝り固まった固定概念なんて捨ててしまおう。決まりきった常識などに囚われていちゃいけない。ほら、可愛い兎だって外国では美味しく食べられているだろう。そんな偏見だけで食わず嫌いなんかしちゃいけない。……この自然にあるモノはみんな大切で貴重な食料だよネ☆』

「うん、その通りだネ☆」

 ……思わず空想上のおっさんの素敵な笑顔に、こちらもいい笑顔で笑い返してしまった。

『……ニ、ニャー?』

 目の前の段ボール箱の中からは『おいおい、正気か?』という感じの焦ったような鳴き声が小さく聞こえてくる。

「ははは、大丈夫。……何も心配することはないさ」

 答えるまでもなく正気ではなかった。

たぶん、この厳しい寒さと極度の空腹状態が変な具合に化学変化を起こしてしまったせいで、こんな突拍子もない考えに行きついてしまったのだろう。

 すでに空腹感とかは関係なくなっている。

たぶん脳内麻薬的なエンドルフィンとかで、テンションが斜め四十五度でおかしくなってしまっていたんだろう。動物を解体するための知識が全くないこととか、その解体や調理などに必要な道具が手元にないとか、そもそも猫を食べるとか食べないとか考えるまでもなく、あともう少し歩けばすぐ近くに二十四時間体制のコンビニがあるということなど、綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

 何というか、手遅れだった。

「うん、あまり成長してたら肉とか筋張っていそうな気がするけど。子猫ならたぶん、まだ柔らかいよなぁ……」

 ゆらりゆらりと、もし近くにお巡りさんがいたら確実に署までのご同行をお願いされるくらい怪しげに体を大きく揺らしながら、段ボール箱へと近寄っていく。

ものすごい怪しさだった。

 言い訳するつもりはないんだけど、一人でいる時のこういった夜とかのテンションって確実におかしくなるよね?

「ふふっ…………。よし、そうと決まればさっそく品定めをしなきゃね。鳴き声からして、箱の中にいるのは子猫が一匹だと思うけど。……さてと、どうかなぁ?」

 そして、このままでは近隣の住民から確実に通報されるくらいに怪しく、はあはあと呼吸を荒く乱しながら、軽く閉じていた段ボール箱の蓋にその手を掛ける。

『ニ、ニャー!』

「おりゃー…………あ?」

「…………ハズレです」

 勢いよく蓋を開けると、予想していた通り中には可愛い子猫が一匹。……――と、その子猫一匹を胸元に抱えて、体操座りをしている女が一人いた。

「…………あ、ども」


     ◆     ◆


 一度状況を整理しよう。

 目の前には時代錯誤にも『拾って下さい』と下手くそな字の書かれた紙が貼られた大きな段ボール箱。これが街灯の下で異様な存在感を主張しながらぽつんと置かれていた。

 そして、その大きな段ボール箱の中からはとても可愛い子猫が、こちらをじっと愛くるしい瞳で見つめている。

 ……だが、拾わないぞ。

 いくらこの状況が、パンを口にくわえた女の子と曲がり角でぶつかるくらいに珍しい場面だとしても、これを拾うというのはちょっと無理だ。

 そりゃ、友人が飼っている犬や猫なんかを頻繁に見せてもらうこともあるし、よく撮った写真を見せてもらうこともあるし、子猫の写真集なんかも目にしたら思わず買ってしまうこともあるから、それなりに可愛いとは思っている。あと、たまに道端で野良の奴らを見掛けたら餌をやったり、じゃらしたりもしている。だから嫌いなわけじゃない。

 むしろ好きだ。

 いいや、大好きだ。

 愛していると言ってもいい。

 だから、問題はそこではなかった。

「……君はこんなところで何をやっているんだね?」

「……拾ってください」

 段ボール箱の中には可愛らしい小さな子猫と、体操座りで入っている謎の女。箱の側面に足を掛けてつぶらな瞳でこちらを見る子猫には何の問題もない。

 一緒にいるこの小娘が問題というか、大問題なのだ。

 ……だが、この無愛想な女は何だ?

「……ところでそれは、あんたを拾えっていうことなのか。それとも、この子猫を拾えっていうことなのか?」

「……それは、私がわざわざ言わなくても普通は何となく察してわかるようなものだと思います」

「ほおほお、そうか。ならばこの子を暖かい部屋へと招待することにしよう。……さあ、さっそく一緒に帰ろうか」

 段ボールから子猫を抱えあげる。

 不愛想な謎の女の衝撃でほんの少し迷ってしまったが、やっぱりこの子を新しい家族として家に迎え入れることにしよう。いやいや、迷っていたことが恥ずかしい。

 やっぱり可愛いっていうのは正義だよね。

「ちょっと待ってくださいよ」

「ぐえ」

 服の裾を掴まれ、少し息が詰まる。

「…………何さ?」

「違います」

「……違わないと思うけど?」

 はじめから用があるのはこの子猫だけだ。

「ですから、その子を連れて行くのなら私も一緒に連れて行ってください……ということです。そこんとこ、言わずともなんとなく察してください」

「そうか成程、わからん」

 道端の段ボール箱に子猫と一緒に入っていた怪しい女の下らない戯言など、これまで何の変哲もない凡庸な生活を送ってきた私に察せられるわけもない。

 というか、この生意気な小娘は何なんだ?

「もしかしなくてもホームレスなの?」

「いえ、違います」

 意外なことに即答だった。

「ニャー……」

「しかし、家はないだろ」

「ここが我が家です」

「……世間一般では、そういうどうみても不安定な生活をしている人のことをホームレスと呼ぶらしいんだけど」

 定まった家がないからホームレス。

 狭義には、何らかの理由で定まった住居を持たず、路上生活をする人々や野宿者のことをそんな風に言うらしい。

「ちなみにこれは三軒目」

「……すでに二回も壊れてるのか」

「新築住宅、築6時間ですよ」

「いや、建ててはないだろ」

「ニャ」

 まあ、組み立ててはいるんだろうけど。

はあ……、どうにも誤魔化されているような気がする。けど、その言動から凡庸に察してみるに、どうやら彼女はホームレスと言うよりは、家出ってことなんだろうな。

「…………」

「ニャー」

 けど、どうして彼女は子猫なんかと一緒に段ボール箱の中になどいるんだろう。……そんなことは聞くだけ野暮だと思うけど。まあ、これも乗り掛かった舟なわけですし、野暮用っていうことでいいか。

「おい、そこの君。見たところ家出っぽいけど、どうしてわざわざ道端の段ボール箱の中なんにいるんだ? 捨て猫じゃないんだから、他にもっとやり方もあっただろ」

「はい、そうです。私はそこら辺にいる野良のホームレスなんかではなく、れっきとした家出少女なんです。勝手にホームレスと決めつけないでください」

 おい、質問にちゃんと答えろ。

 野良のホームレスも、れっきとした家出もいねえぞ

「……でもねえ、家出少女だかなんだかは知らないけど。少女ってのは少しばかり無理があるんじゃないか?」

「ンニャ?」

 これはただの個人的な意見。

 普通、何歳くらいまでを少女と呼ぶのかはわからないが。少なくとも彼女の見た目は少女というには、あまり適してないような気がする。より的確に言うなら、ランドセルがあまり似合わない外見だ。

「違いました。家出美少女です」

「いや、そこに『美』とかは必要ない」

 って、思わず突っ込んだがそうじゃない。

 冷静に考えてみれば、こんな時間のこんな所に少女ではないにせよ女の子が一人でこんな場所にいるのはおかしい。

 ……いや、時間とか場所とか関係なく段ボール箱の中に人間が入っているということがそもそも何かおかしいわけだけど、ひとまずそれは置いておくことにしよう。

「ニャー」

「…………」

 しばしの間、じーっと見つめ合うふたり。

 彼女の顔は人形のように綺麗に整っていた。言動は色々とアレな感じだが、こう見えて実はいいところのお嬢さんだったりするのかもしれない。

 まさに箱入り娘だ。

「……何ですか、じっと見つめて」

……しかしながら、その顔に浮かぶ表情もまた同じようにどこか無機質な人形のようにとても無愛想であった。

「……いや、別に」

「ニャー……」

 段ボール箱の中に広がる長い黒髪と、猫のように切れ長の目と三白眼の黒い瞳。こちらを見るその彼女の瞳は、家にいた時に感じていた冷たい視線と少し似ているがどこか違う、どこか諦めている冷めた目だった。

 ……嫌な目だな。

「こんな所で何やってんの?」

 これも聞くのは野暮な話だろうと思うが、ここまで来ておいて何も訊かないと言うのも、またつれない話だろう。どうせ赤の他人だ。野暮なことでもさらりと訊こう。

「見てわかりませんか?」

「えっと……」

 問い返されてしまった。

 ここで『家出はしてみたものの、寒空の下で行く場所もないから、近くにいたその子猫と一緒に段ボール箱の中で暖を取っているんじゃない?』なんて、正直に言えるはずないよな。……彼女も図星を指されたくはないだろうし。

 さて、何て言うべきだろうか? なんてことをつらつら考えていると、腕の中にいる子猫とふと目が合った。

「…………」

「ニャー?」

 ……そうするか。

「えっと、寒空の下捨てられた子猫の気持ちを、その身をもって体感してみている。……とか、かな?」

 何となく適当に言ってみただけだけれど、どんな気持ちなのだろうか、捨てられる猫の気持ちって……。

 生憎、凡庸な日常を過ごしてきた私はそんな捨てられたする悲惨な経験はないので、想像することもできないな。

「……ちょっと、惜しい。正確には百五十日もの長い間、狭い方舟の中でろくに身動きすることもできずに閉じ込められていた動物たちの閉塞感は一体どんなものだったのか、そのストレスを少し味わってみていたのです」

「知らねえよ」

 無駄に凄いこと考えてたな。

 そんな素っ頓狂こと考えてるなんて、誰にもわかるわけねえよ。……それに、たかだか築6時間の段ボール箱の中に入っていたくらいで何がわかるんだよ。

「ノアの方舟の話。……旧約聖書、創世記第六章五節から第九章一七節に記されている内容です」

「それは知ってる」

「知っているのですか?」

「いや、ゴメン。知らなかった」

 そもそも、聖書なんてまともに読んだことないんだから、何頁に書かれているかなんて知ってるはずがないだろ。

 ……いや、だからそうじゃなくて。

 彼女は今の質問も誤魔化そうとしている。

「見たところ君は成人はしてるように見えないけど。……まさかここでずっと暮らしているわけじゃないよな?」

 見たところ服も所々汚れてしまっている。

 女の子がこんな風に路上生活をしていれば、色々と問題にならないわけがない。無論、成人してさえいればこんな場所でホームレス紛いの生活をしていても構わないというわけではないが。……一日や二日の家出であってほしい。

「勿論です」

「さすがにそうか」

 ほっとして少し胸を撫で下ろす。

「我が家は持ち運びに便利です」

「……って、おい待て」

「ニャー」

 おい、ちょっと待て。

 いや、その即席段ボールハウスを移動させてどうする。まさかそうやって転々と移動しているから、補導員とかにまだ見つかってないってことなのか?

「……冗談、だよな?」

「四割冗談です」

「……六割も本気なのか」

「実は意外と持ち運び難いのです」

「しかも冗談はそこなのかよ」

 いやいや、そんな突っ込みをしている場合じゃなくて。

「じゃあ、食事なんかはどうしてるんだよ。……育ち盛りなんだから、ちゃんと食べてるんだろうな?」

 この自称、家出美少女(笑)はその食事内容まで近所のホームレスの方々と同じ生活水準なんじゃないだろうな。……むしろホームレスの人の方が結構グルメで、変な食事はしていないっていう話はひとまず脇に置いておいて。

「…………」

「……ん、どうした?」

「……この子猫は、元々二匹いたのですよ」

「ニャー……」

 少しうつむき気味に話し始めた。

 何だろう、この重苦しい流れは。どうも嫌な予感がする。……いや、まさかね。

「それで……。もう一匹は、どうした?」

「今日の食事に変わりました」

「まさか食ったのか、この外道!」

 ……いや、外道は言いすぎた。

 しかし、この子が猫を食べただと……?

 まさか、この寒い中お腹を空かしていたとはいえそんな野生の獣のような蛮行をしてしまったというのか。ああ、なんてことだ。どう考えても見た目的に無理して、自分のことを美少女(笑)とか言っちゃっている痛い女の子に、その手で生きるために同じ血の流れた生き物の命を奪うという辛い所業をさせてしまうだなんて。どうしてこの世界はこんなにも、残酷にできているんだっ……!

「……おお、さっきまでおかしなテンションで笑いながらこの子猫を食べようとしていた外道な人間の言葉だとは、とても思えませんよ」

「ニャー」

 何か言われた気がするが、空耳だろう。

「そうではなくですね。偶々通りすがりの親切な人が子猫を拾って、その代わりに食料を置いていったのですよ」

 そう言うと、彼女はなにやら随分と呆れたようにこちらを見て、小さく白い溜息を吐いた。

「猫など食べたらお腹を壊しますよ」

「……そ、そうだったんだ。いやぁ、こんな冷めた世の中でも親切な人はまだいるもんだなぁ、はははは……はぁ」

 ……うん。まあ、そりゃそうだよね。

「……その通りすがりの親切な人は、二匹は飼えないからと近くにあるコンビニまで行き、私のために銀のスプーンを買ってきてくれました。……とても親切な方でした」

「いやいや。買ってきたのが銀のスプーンなら、君のためじゃなくて、その子猫のために買ってきたんだろ」

「ニャーン」

 それって、有名な猫用ペットフードだろ?

「その時の様子は物陰からしっかりと見ていました」

「その時はさすがに箱には入ってなかったか……」

 箱の中に子猫二匹と女の子が入ってたりなんかしたら、さすがに悠長に子猫なんか拾ってる場合じゃないよな。

「でも物陰ってどこのことだ? 周りを見たところ、この辺りに人が隠れられそうなところってあまりないぞ」

 この辺りはブロック塀に囲まれた真っ直ぐな一本道で、隠れられそうな場所もこの近くにはない。まさか壁を乗り越えて隠れていたんじゃないだろうな……。

「そこの街灯の陰」

「すぐ近くじゃねえか!」

 目と鼻の先どころか隣じゃないか!

 それに、この街灯の細い支柱じゃ人が隠れられるほどの物陰はできないだろ。明らかに隠れられてないから、絶対にバレバレだからな。その親切な人、この子が隣でじっと見てたことに絶対気付いてただろうからな!

「でも硬くて食べられませんでした」

「……おいおい。それってまさかの『商品名だと思ったら本当に食器のスプーンでした』とかいう笑えないオチじゃないよな? そんな下手なオチはいらないぞ」

 その猫を拾ってくれた親切な人を、そんなしょうもないオチなんかに使うなよな。さっきも言ったけど今時そんな親切な人めったにいないぞ。コンビニに行った時にこの子の食事も一緒に買ってきていれば完璧だったんだろうけど。そこまで求めちゃいけないか。

「せめて赤いスプーンならよかったんだけど」

「…………ん、赤いスプーン?」

 聞き慣れない単語に少し反応が遅れる。

 えっと、赤いスプーンだって? なんだそりゃ、そんな商品名のペットフードなんてあったか……?

「でもあれは、赤より白ってイメージがあるかな」

 赤より白のイメージがあるスプーン?

 ああ、何となくなんのことなのか見当が付いた。

「それってもしかして、……スプーン印の上白糖?」

「そう、それです。……バケツ一杯分の砂糖水があれば、たぶん一週間は生きていけるはずです」

「いや、砂糖十四キロとか飲んだらたぶん、普通の人間は高血糖で逆に死ねるんじゃないかと思うぞ?」

 どんな斬新な自殺方法だよ。女の子はというか、普通の人間はバケツを食器代わりに使ったりはしないからな。

「ないものは仕方ないから猫とその猫缶を食べた」

「あ、やっぱり猫缶の方だったのか」

 ほっと胸を撫で下ろす。

 そりゃ、お腹を空かせた子猫に銀の食器なんかを渡してどうするって感じだよな。売って金にしろって話なのか?……そもそも猫缶って人が食えるようなものなのか?

「解体は大変だったが、久しぶりの肉で美味しかった」

「へぇ……って。あれっ、肉?」

 説明文なんて、じっくりと読んだことないから詳しくは覚えてないけど。確かあの猫缶に、肉は入っていなかったような気がする。……というか、解体?

「……違うとは思うけど。その『猫と』の猫って、猫肉を一緒に食べたっていう意味じゃないよね?」

「…………」

「その沈黙は何だ」

「想像にお任せします」

「……おい、違うなら違うとはっきり言ってくれ」

「黙秘権を行使します」

「そんなところで黙秘権を使うな」

「すべては秘書が行いました」

「お前に秘書はいないだろ!」

 まあ、猫と一緒にってことなんだろうけど。

……なんていうか、この子ならその平然とした澄まし顔で猫の解体くらいは軽々とやってのけそうな気がしてきた。まさかこの子猫も、いざっていう時の非常食だったりとかするんじゃないだろうな。

「ニャー……」

「…………」

 ふと目を向けると、猫は腕の中からするりと抜け出し、箱の中で窮屈そうに体操座りをする彼女にすり寄っていた。彼女は子猫の方へとスッと手を伸ばし、その小さな背中をそっと優しく撫でていた。

「なんだか懐いてるみたいだけど、君が飼ってるの?」

「飼ってるというか、飼われています」

 彼女は撫でる手を止めず、さらりと言った。

「へぇ……。え? 飼われてるって、この猫に?」

 ……日本語が少しおかしくないか?

 視線を少し下げ、彼女の撫でる猫をじっと見つめる。

「…………」

「ニャ?」

 箱の中でこちらを見つめる子猫の顔を見返してみても、やはり見た感じはどこにでもいる可愛らしい小さな子猫だ。特に変わったところがあるわけじゃない。

 うん、何度見ても普通の可愛い子猫だな。

 後ろ脚に変わった長靴を履いているってわけでもないし、口元に三日月のような不気味な笑みを浮かべてもいない。とても人を化かすような化け猫には見えない。……って、それは当たり前か。

「…………何?」

「その子猫を飼っているじゃなくて子猫に飼われてるって、……つまりどういうこと? 日本語で説明してくれ」

 どうにも混乱してしまっている。

「説明するも何も、そのままの意味ですよ。……この子猫がいるから私は、今日もお腹を空かさずにすんでいます」

「ニャー……」

 彼女は子猫の背中を撫でる手を止めて、箱の蓋を開けた時に見た姿のように胸元にそっと子猫を抱き上げた。

「私はこの子猫に養ってもらっているようなものです」

「なるほど、だから飼われてるなのか」

 ……って、それでいいのか?

「この子は命の恩人ならぬ恩猫です」

「まあ、本人がそれでいいって言うんなら、こちらからは特にそのことに対して否定も反対もしないけどさ……」

 そういった価値観は人それぞれなわけだし。

「違います。人じゃなくて猫ですよ」

「いや、本人っていうのは猫じゃなくて君のことだっての。……それに本猫っていったい何のことだよ」

 読み方は何だ、『ほんびょう』とでも読むのか?

「本猫? 本の猫……かわいいですね」

「……ニャー」

「勝手にしてくれ」

「猫の体がバラバラとめくられる」

「怖っ! 何やってんだよ」

「そして、小さな子どもに落書きをされて、頁を面白半分に破られて啼き叫ぶ本猫。更に辺りは大変なことに……」

「いやいや、止めて。止めてあげて! それは可愛くない、全然可愛くないよ! それはただのホラーだよ!」

「ホラーとラブは紙一重」

「んなわけあるか!」

 そんなこんなで、突っ込み終了。


     ◆     ◆


 段ボール箱の中、寄り添う一人と一匹。

この一人と一匹の間に何があったのかわからないけど、彼女はこの子猫にそれだけの恩を感じているってことなんだろう。……それにやっぱり人でも捨て猫でも、他の誰かと一緒にいるだけで救われるってことはあるよな。

「…………」

 だけどやっぱり。どんな事情があるかは知らないけれど、いつまでもそんな行き当たりばったりな路上生活をさせるわけにはいかないよな。

「ともかく、一人でこんな所にいたら危ないぞ」

「……一人じゃありません。この子猫もいます」

「でも女の子は一人だ」

「女の子じゃないです、家出美少女です」

「美少女ならなおさら危ないだろ」

 一度は否定したけれど。

 残念なことにこの小娘の容姿は抜群に整っている。彼女のことを『美少女』とは、とても言う気にはなれないが、少なくとも擦れ違えば振り返ってしまうくらいの『美女』ではあると素直に思う。

 ……だからとても危険なのだ。

「まだ夜遅くってわけじゃないけど、日はとっくに落ちているんだから。こんな遅くに人気のない道に一人でいたら、知らない変質者に襲われるかもしれないぞ」

 どこぞにある無法地帯ではないにせよ、残念ながらこの近辺もあまり治安がいいとは言いきれない。

「知り合いに変質者はいません」

 変質者の知り合いがいてたまるか。

「茶化すな。……どんな事情があって家出をしてるのか、私にはよくわからないけど。それでも帰る家があるってんなら、いいから早く帰ってあげな」

「…………」

 俯いたまま、私の言葉を聞き流していた。

 ……そちらがそういう頑なな態度をとるというのなら、いいだろう。それならこちらにも考えがある。

「おーい。そこの家出美少女(笑)」

「…………」

「聞こえてるか、年齢不詳の段ボール姫」

「…………」

「何か返事しろよ。現在進行形の箱入り娘」

「…………」

「……ニャー」

 予想通りのだんまりか……。

 箱入り娘、もとい家出娘はこちらからの呼び掛けを当然のように無視し、膝の間に顔をうずめてじっとしている。額に少し青筋が出ているような気がするが、こんな暗い中なのできっと見間違いだろう。

「……ったく、強情だな」

 まあ、言えば言うだけ意固地になるのは当たり前か。

 さて、本当は自分の家に大人しく帰らせるのが一番なんだろうけど。どうしたものだろうかな。……こんな凡人に思いつく手なんてそう多くはないぞ。

「……君、名前は?」

「…………クロ」

 お、反応が返ってきた。

「それって本名?」

「……クロは貰われていったもう一匹の名前ですよ」

「ああ、本名は教えないってことね」

 家に連絡されるわけにはいかないし、できるだけ身元を明かさないようにするのは、家出の鉄則ではあるな。……家出なんてしたことないし、よくは知らんけど。

「まあいいか。……じゃあ行くぞ、クロ」

 私は家出少女に、文字通りその手を差し伸べた。

「…………はい?」

 間の抜けた声を出し、膝の間から顔を上げた。

 きょとんとした彼女の顔は、……なるほど。これなら、美少女と言い張ってもいいだろう。とても幼い顔だった。

「……えっと。今、何て?」

「だから、箱に『拾って下さい』って書いてあっただろ。これから君らを拾ってやるって言ってんだよ」

「……怪しいですね」

 胡乱げな目でこちらを見詰めてくる。

当然ではあるが、どうも警戒しているらしい。

「その言葉をそっくりそのまま返すぞ。……段ボール箱の中に入っているような奴にそんなことは言われたくない」

「それもお互い様です」

「ま、それもそうなんだけどさ」

 ……そんなこと言っても仕方ないだろ。この私みたいな凡人にはもう、こんな手くらいしか思いつかないんだよ。

「……私も一緒に拾うの?」

「そういうこと。一度は拾うのを止めたけど、話すうちに考えが変わったんだよ。まあ、悪いようにはしないよ」

「ますます怪しいですね」

 怪訝な表情は相変わらず変わっていない。……けれど、どうやらほんの少しだけ、警戒は解いてくれたようだ。

「……生活待遇は?」

「三食、それから一応は昼寝付き。きちんと拾うからには衣食住について君に不自由はさせないようにするよ」

「それは中々な好条件ですね」

「ただし条件付きで」

「……エッチなのはいけないと思います」

「ニャー」

「……だから君は何歳なんだ?」

 お前はどこのハウスメイドだ。

「いいや、ないものねだりはしない主義でね」

「……結構ありますよ」

「胸を寄せるな見苦しい」

「み、見苦しいですと……」

 どうやら割とショックを受けたらしく、少し落ち込んでいるようだ。……しかし、こいつは何もわかっていない。

「……いいか、母性のない胸などはただの脂肪の塊なんだ。そんな駄肉はあっても所詮は贅肉と同じものなんだよ」

「へ、へえ……そうなんですか?」

 おお、退いてる退いてる。予想通りだ。

「とまあ、話が外れたがこちらの出す条件は一つだ。……君には家にいる猫の世話をお願いしたいんだ」

「……猫の世話、ですか?」

「職業戦士を目指す身として、一日中猫達に掛りっ放しというわけにいかないのだよ。だから、代わりに猫の世話をする専属のお手伝いが欲しいというわけだ」

 もしくは代わりに働いてくれる職業戦士が欲しい。

「その活躍次第ではお小遣いも出してやろう」

「……成程、それならいいでしょう。引き受けます」

「よっしゃ、ありがとう。……よろしくな、クロ」

 箱の中の彼女に向かって再び手を伸ばす。

 すると彼女は箱の中でこちらの手をしっかりと強く掴み、すっと立ち上がって軽く微笑み返してきた。

「ええ、こちらこそよろしく」

「ニャー」

 こうして家出娘と捨て猫を拾うことになったとさ。

     ◆     ◆

「ところで、貰われてった方の名前はさっき聞いたけど、……その子猫には名前は付けてないの?」

 家へと向かう道すがら、子猫を胸に抱えて歩く家出娘に話題探しも兼ねてなんとなしにそんなことを訊いてみた。

「……シロ」

「ニャー」

「おお、なんだか芸で綿飴とかできそうな名前だな。……でもその子猫ってあきらかに黒猫、だよな?」

 名前があべこべじゃないか?

「二匹まとめてクロとシロって呼んでたら、何でか名前を逆に覚えてしまったみたいなんですよ。困ったことに」

 そんな馬鹿な。

「……っていうことは、貰われていったのは白猫のクロで、ここにいるのは黒猫のシロってことなのか。……なんだかややこしい呼び名だな」

「その親切な方はタマって呼んでましたね」

 ……それはそれで、あの国民的に有名な某海産物一家に飼われていそうな名前だけどな。

「まあ、それも定番だけどな」

「でも今は私がクロでしょ」

「そうだったな」

「ニャ」

 なぜか得意げにその名を名乗るクロ。

 ……この気まぐれなところもまるで猫だな。

「……さてと、この元気がいつまで続くかな?」

 隣を歩く彼女に聞こえないようにそっと呟く。

 この家出娘には言っていないが、家にはあと二十一匹の猫たちがいたりする。……黙っていたわけではない、ただ言っていないというだけだ。

 まあ、いわゆる猫屋敷というやつだ。

 この度、猫アレルギーの両親がいる実家から離れたのをいいことに、日ごろからこっそり餌付けをしていた猫たちをまとめて飼ってみたはいいのだが、その大変さに本来の就職活動ができなくなってしまっていたのだ。

「…………なんです?」

 そんなところに猫の手がやってきてくれた。

「これからよろしく頼むよ、クロ」

 多少は驚くことになるとは思うが、同じ猫好き同士だ。彼女もすぐに馴染んで、気に入ってくれることだろう。

「…………うん?」

 そういえば今更なのだが。

 これはもしかして。もしかしなくても、このへんてこな家出娘と二人暮らしをするということなのだろうか?

「ニャー……?」

 ……まあ、深く考えないことにしよう。

 猫はいつでもその日暮らしだ。




Fin


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。オチにやられました! そういう理由だったのか、悔しい!!
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