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十年前の出来事 二





 覚えているのはあの日の数日前、夜に恐ろしい夢を見たことからだ。その内容まで事細かに覚えているわけではないが、父と母が俺の目の前で死ぬそれは強烈な夢だった。泣きながら目を覚ましてから数日間、いつまで経っても二人のもとを離れようとしなかった俺に、あの日の夕方、父と母が外食に連れて行ってくれた。当時の外食というのは(俺の家族だけかもしれないが)何かお祝いごとがある時しか連れて行ってもらえないものだった。小さなファミレスでも来るのは稀だった。そんな簡単にあたしたちが死ぬわけがないじゃないと母が笑いながらも、絶対死なないと指切りげんまんまでして約束してくれ、俺はやっと安心しハンバーグを頬張った。俺のためにこうやって目の前で父さんと母さんが笑ってくれていることが何より嬉しかった。大声でところ構わず歌い始めるほど俺の機嫌がすっかり治ったところで、すで陽が落ちた夕焼け空を背負いながら三人で歩いて帰った。


 家の近くにある大きな公園を通り過ぎようとした時、最初に気付いたのは母だった。握る手がぴくりと動いたので不思議に思い右手の先の母を見上げると、いつもは優しいその瞳が全く色を変えじっと先方を見つめて揺れ動き、僅かに開いた口からあ、あ、と掠れた声を出していた。「車が、人に……」額から玉の汗が流れているのを見つけた瞬間、母は握っていた手を解いて駆け出した。冷気を感じる右手。公園を突っ切り、遠くへ走り出す母。

 それから左手を握っていた父が立ち止まりまた母のように掌が一度痙攣したとき、足先から一気に不安が押し寄せてきた。「母さん! よせ!」とするどく叫んで父が走り出す。さっきまであった温もりが俺の両手から逃げていく。父と母が走るその先には、公園の向う側に面した大きな道路があった。もう夕暮れだったので、その時は人気がほとんど無かった(いや、俺が大声で歌っていたから誰がいても気付いていなかっただけかも知れない)。無かったはずなのに、聞こえてくるのはエンジン音と目に入るのは紛れもなく車のライト。どんどんどんどん離れていく父母。恐怖に押されるように転がりながら駆けだした。父さん、母さん、行かないで、行かないで、と叫んでも不安が喉につまって上手く言えない。足が震えて公園の遊歩道で転ぶ。てのひらと膝小僧が擦れてじんじんと痛む。耳を覆いたくなるようなブレーキ音が聞こえたのは、痛みに耐えて立ち上がろうとしたときだった。砂の地面を見つめたままの格好で、全身の毛穴から何かが噴き出る。嫌な予感がした。咄嗟に顔を上げて地面を蹴った。心臓が喉から飛び出そうだった。やっと公園の向う側に辿り着いて辺りを見まわしたが、可笑しなことにそこにはライトも見当たらないしエンジン音も聞こえない。

 俺はそこで確かに見た。息切れする俺と対面するように一人、だんだんと暗くなる辺りに溶け込んだ黒いマントと帽子を被って、しかし異常な存在感を放ちながらそこに立っていた。右手に背丈ほどの箒を持っている。本で読んだことはあるし映画で見たこともあったが、それが本当にこの世にいるなんて考えもしなかった。


 魔女だ。


 見間違いかと何度も目を擦ったが、その帽子の下にある黒い瞳がじっと俺を射抜いているのは変わらなかった。そいつの瞳が人間とは思えないほど身の凍るように鋭かったのを俺は覚えている。

 それから、こいつが、こいつが、と声にならない言葉を言おうと口をぱくぱくさせ、また恐怖で足がすくみだす俺から初めて目を離すと、魔女は箒を持っていない方の手で、身を隠すようにその大きな黒いマントをひるがえさせた。そうして俺がもう一度まばたきをした時には、すっかり消えていた。







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