あの世の事情
病室に設置されたバイタルサインモニターが呼吸数と心拍数を表示していた。次第に弱まっている気がしたので、ナースステーションに行って異常を告げた。
「こちらでも見ていますので大丈夫ですよ」
看護士はやさしくそう言ってくれたが、特に何かしてくれる訳ではなかった。彼女たちにはもう助からないことがわかっているようだった。そして私は何の成果もなくすごすごと病室に戻り、目を閉じたままベッドに横たわる父の姿を見ているしかなかった。やがてモニターの波形は上下に変動するのを止めた。減り続けていた呼吸数と心拍数はゼロになってしまった。すぐに慌ただしい様子で医者がやって来た。医者は父の胸に聴診器を当てた。数秒後、携帯型のライトを取り出し、父の眼に当てた。医者が何を確認しているのかは私にもわかった。
「ご臨終です」
医者は厳かに告げた。
「お父さん!」
隣にいた妹が声を上げて泣いていた。母は覚悟していたようだが、失望と何かしら感謝の入り混じった表情をしていた。私は少し混乱していた。どうしてこんなに急に父が亡くなってしまったのか、その事実がうまく飲み込めないでいた。
もっと生きたいと思っていたが、こうしてあの世にやって来てみると、案外居心地が良いということがわかって来た。この世がいいと思って、生きることにずっとしがみついていたが、死んでみると意外と良いものだ。一度きりの人生を有意義に過ごしたいとか、そうしたギラギラしたものがなくて、誰もが悠々と構えている。肉体という重苦しいものを脱ぎ捨てて、こうして魂だけになってしまうと何もないことに満足感を得るミニマリストを遥かに超越した身軽さの中で過ごすことができる。飲んだり、食べたりしないから、そのためにあくせく働く必要がない。暑さも寒さも感じないから、冷暖房費とか光熱費もかからない。年中快適な常春の島で暮らしているようだ。
「昔はもっと良かったですよ」
ここの先住民、ようするにずっと前に死んでしまった人に聞いた。その頃は今よりもずっと人が少なくて、今よりずっと快適だったようだ。確かに亡者は一方的に増えて行くだけだから、ここの人口は増え続けて行くだけなのだろう。そう考えると何か改善が必要なのかもしれない。
「第二次世界大戦後の人口増加には著しいものがありますからね。それに伴って死者の数も飛躍的に増えました。このままでは過密化が進んで行く一方なので、あの世のスペースを拡張してくださいと、今、神様と閻魔様にかけあっているのです」
なるほど、あの世もこの世もいろいろな事情があるものだ。
「それで新規の方には申し訳ないのですが、拡張工事が済むまでいったんこの世にお引き取りいただくことに先ほど決まりました」
そんなことを言われた。それってどういうことなのだ?
止まっていたバイタルサインモニターの波形が突然、脈打ち出した。呼吸数と心拍数の値が目まぐるしく上昇して正常値に落ち着いた。少し前に臨終を告げられた父の目が大きく見開き、病室の様子を伺っていた。医者が腰を抜かして、その場にくず折れた。
「お父さんが生き返った~」
さっきまで泣きじゃくっていた妹が大きな声で叫んでいた。




