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【短編小説】冷静

掲載日:2025/12/26

 町内スピーカーの緊急放送を聴いて、スマホの充電器を忘れたのに気付いた。

 しかし四ヶ月ぶりのゾンビパンデミック第四波は既にピークを迎えているらしく、外を出歩くのも難しい。

 今さらスマホの予備バッテリーを求めてコンビニに行くのもリスクが高い。

 まぁどうにかなるだろう、と考えて見知らぬ雑居ビルの外階段を昇る。



 陽はすでに沈みつつあり、夜の帷と言うものが降りてきているなぁなどとのんびりしている余裕が自分にある事に気づいて、すこし笑った。

 慣れと言うか順応と言うか、いちいち動じるエネルギーが無いと言えるのは日本人らしさなのかも知れない。

 大袈裟に慌てふためいたところで、どうにもならないのは前回までで既に大多数が学習している。

 それ故に悲鳴だとか暴動も少なく、逆に周囲の様子が把握し辛いなどと他責的な考えさえ浮かんだ。


 雑居ビルの外階段にある踊り場から真隣りに建つ低層マンションの屋上に飛び移り、さらにその横に建つマンションのベランダに侵入した。

 肉体的には手慣れたものだが、精神的にはまだドキドキする。

 まるで悪いことをしているようだ。

 緊急回避法様々である。

 夜中の操車場にフェンスを越えて入っていた青くさい春を思い出すが、いまはそんな牧歌的な状況では無いと頭を振った。


 ベランダ伝いに何部屋かの窓を動かしてみるが、当たり前に施錠されている。

 当然だ。泥棒稼業どんと来い!な世の中、そうそうセキュリティの緩い家は無い。

 雨樋を使って階下に降り、やはり何部屋か窓をガタガタやって諦めかけた頃に、ようやくひとつの窓が開いた。

「マジかよ」

 期待していなかっただけに声が出る。


「失礼します」

 馬鹿正直に挨拶をして入ると、夕暮れの薄明かりで見える部屋は何かの事務所だろうか、様々なものがあるものの生活感と言うものが乏しい部屋だった。

「誰かいませんか?」

 いたら謝るか逃げるかの二択。ここら辺も慣れたものだ。慣れるのはどうかしてるけれど。


 一般的にはオシャレと呼ぶに差し支えの無い空間は、天井から観葉植物がいくつかぶら下げられており、ボタニカルな印象を持った。

「充電器お借りしますね」

 リビングの隣にある部屋に入ると、むかしのアメ車ほどある巨大な木製デスクが鎮座している。

 そこに目星をつけて探したが、薄暗い部屋では充電器らしきものが見つからず、とりあえず高そうな椅子に座って休む事にした。


 慌てて充電器を探さずとも、しばらくは何とかなるだろう。

 二、三日もここで寝ていれば事態は落ち着くだろうし、たまには休みたい。

 そう思ってウトウトしていたら、デスクの下で着信音が鳴った。

 見ると、やけに短いケーブルに繋がれたスマートフォンが床に転がっており、ビデオ通話の要求が表情されている。

「そこにあったのかよ」

 震え続けるフル充電されたスマートフォンを引き抜き、自分のを挿した。


 さて、どうしたものか。

 ここに侵入ったのが家主にバレたか、室内に監視カメラなんて弊社の事務所みたいだななどと思うが、ひとまず充電問題は解決した。

 間もなく家主が来るかも知れないが、来たら来たで誠心誠意あやまる。ダメなら殴られるしか無いが仕方ない。


 そうだ、その前に用を足そう。

 家主が帰ってきてからでは駄目だ。貸してくれなかった上に殴られたら漏らしてしまうだろう。

 それに、人間はこんな時でもきちんとした場所で用を足したいものなのだ。

 ベランダからする訳にはいかない。



 タイル張りになったユニットバスは、トイレの蓋を開けると中は酷く汚れていた。

 仕方ない。

 ここは自分の家でも無ければ、友だちの家でもない。

 同じ程度には汚い浴槽に向かって放尿しようとした刹那、インターホンが鳴った。

 間が悪い。

 恐らく家主だろう。勝手に部屋を使っているだけならまだしも、便所までとなると殴られリスクは違ってくる……気がする。


 仕方ないので下ろしたチャックを上げて玄関を開けると、そこには中年の男が立っていた。

「すみません、勝手に入りました」

 俺は素直に謝ったが、中年はきょとんとした顔で「あぁ、そう言うことですか。私はこの部屋を貸しているだけなので……」

 と言うと、そそくさとユニットバスに入ってしまった。そして

「あぁ、汚い」

 と叫ぶ声が聞こえた。


 部屋のオーナーらしい。と言う事は借り手は他にいて、そうなると殴られリスクは少し下がるなと計算した。

 きっとこのオーナーはたまたまこの雑居ビルの近くにいて、俺と同じように避難してきたのだろう。



 オーナーの男がトイレを掃除する音が聞こえる。

 きっと大きい方をするのだろう。人間はいつだって綺麗なトイレを使いたいものなのだ。

 俺はベランダに立つとチャックを下ろした。

 ションベンが降り注ぐ暗くなった路上には、ひとりゾンビになった女がゆっくりと徘徊しているのが見えた。

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