第5話 終わらない工事
これは2年前の秋、私が仕事の出張で地方都市を訪れた時の話だ。レンタカーを借りて移動していたのだが、その日はクライアントとの打ち合わせが長引き、ホテルに戻るのが夜の11時を過ぎてしまった。
GPSのナビに従って走っていると、途中で道路工事の看板が現れた。「前方500m先、夜間工事につき片側交互通行」とある。しばらく走ると、オレンジ色の点滅灯が見えてきた。工事現場だ。
工事区間の手前で一時停止すると、誘導員が赤い誘導灯を持って立っていた。黒いカッパのような作業着を着ており、ヘルメットとマスクで顔はほとんど見えない。彼が誘導灯を緑に変えると、私は車を進めた。
工事区間は予想より長く、200メートルほど続いていた。両側には工事用のパイロンとバリケードが置かれ、作業員たちが道路を掘り返している。不思議なことに、重機の音はほとんどせず、作業員たちも黙々と作業をしている。
工事区間を抜けると、また別の誘導員が立っていた。彼も同じような黒い作業着とヘルメット姿だ。その先の道は、山間部を通る細い道路になっていた。街灯もなく、ヘッドライトだけが頼りの暗闇だ。
GPSを確認すると、どうやらこの道は本来の目的地への近道ではないようだ。「リルート中…」と表示されている。しかし、もう引き返すのも面倒だと思い、そのまま進むことにした。
しばらく山道を走っていると、前方に何か光るものが見えた。近づくと、それは別の工事現場だった。ここでも誘導員が立っており、再び一時停止を求められた。
この工事区間はさらに長く、両側の景色もよく見えない。ただ、作業員たちが道路の中央部分を大きく掘り下げているのが見えた。まるで何かを埋めるような、あるいは掘り起こすような作業をしている。
その工事区間を抜け、さらに進むと、またも工事現場が現れた。「おかしいな」と思いながらも、私はその工事区間も通過した。
次第に私は不安になってきた。GPSは相変わらず「リルート中…」と表示したままで、目的地までの距離も時間も表示されない。窓の外は真っ暗で、周囲の風景もわからない。ただ次々と現れる工事区間を通過するだけだ。
工事区間の数は8つ目を数えた頃、私はガソリンの残量が気になり始めた。メーターを見ると、残りわずかだ。このままではガス欠になる可能性がある。
次の工事区間で一時停止したとき、勇気を出して誘導員に声をかけた。
「すみません、この先にガソリンスタンドはありますか?」
誘導員はゆっくりと私の方を向いた。ヘルメットのバイザー越しに、その顔を見ることはできなかった。
「あと少しです」と彼は答えた。「9つ目の工事区間を過ぎれば、終わります」
その声は、どこか金属的で、無機質な響きを持っていた。
不安を感じながらも先に進むと、やはり9つ目の工事区間に到着した。ここでの工事は他と異なり、道路全体が掘り返されていた。作業員たちは大きな穴の周りに集まり、何かを見下ろしていた。
一時停止すると、誘導員がやってきて、窓をノックした。私が窓を開けると、彼は「少々お待ちください」と言い、他の作業員に何か合図をした。
すると、穴の中から何かが引き上げられた。それは…車だった。かなり古い車で、泥と錆で覆われている。作業員たちがその車をトラックに積み込み始めた時、私は車のナンバープレートに目が留まった。「足立 8-23」と読める。
誘導員が再び私の車に近づいてきた。
「どうぞ、お通りください」と彼は言った。「でも、気をつけてください。この先の交差点は事故が多いです」
緊張しながら工事区間を抜けると、突然景色が開けた。見慣れた国道に出たのだ。GPSも正常に戻り、「目的地まであと10分」と表示している。安堵のため息をついた私は、近くのガソリンスタンドに立ち寄ることにした。
24時間営業のガソリンスタンドに入ると、店員が出迎えてくれた。給油を頼み、先ほどの道路工事について尋ねてみた。
「あの山道の工事ですが、あれは何の工事なんですか?」
店員は不思議そうな顔をした。
「山道の工事ですか?この辺りで夜間工事をしているのは高速道路のインターチェンジだけですが…」
「いえ、今通ってきた山道です。工事区間が9つもあって」
店員はますます困惑した様子で言った。
「すみません、この辺りの山道で工事しているところはないはずです。特に9か所も続けて工事があるなんて…」
戻ったホテルで、念のためインターネットでその地域の道路工事情報を調べてみたが、確かに私が通った山道での工事予定は見つからなかった。
翌朝、レンタカーを返却する際、受付の女性に昨夜の道のりを話すと、彼女は真剣な表情になった。
「もしかして、旧鷹ノ巣道を通られたんですか?あの道は10年以上前に廃道になっています。事故が多くて…」
「廃道?でも通れましたよ。工事をしていたし」
彼女は声を低くして言った。
「23年前の8月23日、あの道で大きな事故があったんです。若い家族を乗せた車が崖から転落して…両親は即死、息子さんだけが一時生き残ったんですが、救急車が来るまでに…」
「その家族の名前は?」と私は思わず尋ねた。
「確か、黒須さんという方でした。息子さんの名前は拓也くん。当時高校生だったと思います」
その話を聞いた後、私は気になって事故のことを調べてみた。地元の図書館で古い新聞記事を探すと、確かに23年前の記事が見つかった。「旧鷹ノ巣道で転落事故、3名死亡」という見出しだ。
記事によると、黒須家の車は深夜、道路工事の誘導に従って迂回路を通っていたところ、崖から転落したという。不可解なことに、事故当時、その道路では公式な工事は行われていなかった。誰かが不法に工事現場を装って車を誘導したのではないかという疑惑も報じられていた。
その記事の横には、事故現場の写真が掲載されていた。警察と救急隊員が崖の下の車を調査している様子だ。よく見ると、その背景に作業着姿の人々が何人か写っている。彼らは警察でも救急隊でもないようだ。全員が黒い作業着を着て、顔は写っていない。
それから数か月後、私は仕事で再びその地方を訪れることになった。今度は昼間のフライトで、明るいうちにホテルに着いた。レンタカーを借り、好奇心から、あの夜通った山道を探してみることにした。
地図アプリで旧鷹ノ巣道を検索すると、確かに廃道として表示されていた。案内に従って車を走らせると、やがて「通行止め」の看板が立つ道路に到着した。バリケードが設置されており、明らかに長年使われていない様子だ。
車を停め、少し歩いてみることにした。バリケードを超えると、荒れた道路が見えた。アスファルトは所々ひび割れ、雑草が生えている。とても車が通れる状態ではない。
数百メートル歩いたところで、道路脇に小さな祠があるのに気がついた。近づいてみると、それは事故の慰霊碑だった。碑には「平成12年8月23日 黒須家御一行様」と刻まれている。
碑の前には新しい花が供えられており、線香の香りがかすかに残っていた。誰かが最近参ったようだ。
帰り道、再び来た道を引き返していると、道路脇に黒い作業着を着た男性が立っているのが見えた。彼は私を見ると、軽く頭を下げた。その手には赤い誘導灯が握られていた。