第3話 回る時間
これは去年の夏、私が引っ越した直後の話だ。新居はワンルームのアパートで、洗濯機を置くスペースがなかった。そのため、家から徒歩5分ほどの場所にある24時間営業のコインランドリーを利用することにした。
そのコインランドリーは住宅街の中にあり、建物自体は古かったが、中の洗濯機や乾燥機は比較的新しいものだった。店内は白を基調とした明るい照明で、大きな窓があり、昼間は日光が差し込む。
引っ越して2週間ほど経った8月の終わり、深夜に仕事が終わり、溜まった洗濯物を持ってそのコインランドリーに向かった。時刻は夜の11時半を回っていた。
到着すると、店内には誰もいなかった。平日の深夜なので当然だろう。洗濯機は全部で8台あり、私は一番奥の8番を使うことにした。洗濯物を入れ、洗剤を投入し、コインを入れてスタートボタンを押した。洗濯が終わるまで40分ほどかかる。
待っている間、持参した本を読むために椅子に座った。店内はエアコンが効いていて快適だった。しかし10分ほど経ったとき、突然店内の照明が一瞬ちらついた。その後、入口のドアが開き、誰かが入ってきた。
中年の男性だった。黒いスーツを着ており、大きなボストンバッグを持っている。男性は私に会釈し、3番の洗濯機の前に立った。彼はボストンバッグから何かを取り出し洗濯機に入れたが、私の角度からは何を入れたのか見えなかった。
そのまま男性は洗濯機を起動させると、外に出て行った。少し不思議に思ったが、夜勤明けの人かもしれないと考え、再び本に集中した。
しばらくすると、また照明がちらついた。そして今度は若い女性が入ってきた。彼女は白いワンピースを着て、髪を後ろで結んでいた。私に気づくと軽く頭を下げ、2番の洗濯機を使い始めた。彼女も洗濯機を起動させると、すぐに出て行った。
私はこのコインランドリーが思ったより利用者が多いことに驚いた。しかし、不思議なことに彼らは洗濯物を入れるとすぐに出て行き、取りに戻ってこない。
私の洗濯が終わる頃、店内には3台の洗濯機が動いていた。私の8番、男性の3番、女性の2番だ。自分の洗濯物を取り出し、今度は乾燥機に移した。
乾燥機は30分のコースを選んだ。その間に他の洗濯機を見てみると、確かに動いているが、覗き窓からは中身が見えなかった。不透明な水で満たされているようだった。
再び座って待っていると、ドアが開き、先ほどの男性が戻ってきた。彼は3番の洗濯機に向かったが、その洗濯機はまだ回っていた。しかし彼はお構いなしに洗濯機のドアを開けた。
「あの、まだ終わってないんじゃ…」と声をかけようとした瞬間、男性は振り返った。その顔は…どこか焦点が合わないような、ぼやけた印象だった。彼は何も言わずに、洗濯機から何かを取り出し、ボストンバッグに入れると出て行った。
その後すぐに、先ほどの女性も戻ってきた。彼女も2番の洗濯機からまだ回っているにもかかわらず何かを取り出し、何も言わずに出て行った。
私の乾燥が終わり、洗濯物をバッグに詰め込んだ時、ふと気になって2番と3番の洗濯機を見てみた。両方とも空っぽになっていた。しかし、2番の洗濯機の覗き窓には、内側から手のひらが押し付けられたような曇りがあった。
不安になって急いで出ようとしたとき、カウンターに置かれた忘れ物ノートが目に入った。何となく開いてみると、そこには様々な落とし物の記録が書かれていた。最新の記録は昨日のもので「8月23日 黒いネクタイ 黒須様」と書かれていた。
店を出て家に帰る途中、どうしても気になって再びコインランドリーに引き返した。中を覗くと、さっきまで使っていた8番の洗濯機が動いていた。しかし店内には誰もいない。
次の日、昼間にそのコインランドリーの前を通りかかった。中を覗くと、店員らしき女性がいたので、思い切って中に入り、昨夜のことを聞いてみた。
「すみません、このお店は夜中も結構お客さんが来るんですね」
店員は少し不思議そうな顔をした。
「いいえ、深夜はほとんどお客さんはいないですよ。特に平日は」
「昨日の夜、11時半頃に来たんですが、他にも2人お客さんがいたんです」
店員は首を傾げた。
「昨日の夜ですか?それはないと思います。昨日は夕方から店内の清掃と機械のメンテナンスで、夜10時から朝6時まで臨時休業してたんですよ」
私は混乱した。「でも、確かに昨日使いましたよ。洗濯機の8番を…」
店員は困ったように言った。「8番の洗濯機ですか?うちには6台しか洗濯機がないんですが…」
その言葉を聞いて店内を見回すと、確かに洗濯機は6台しかなかった。しかも配置が昨夜と全く違う。
その後、私は別のコインランドリーを使うようになった。しかし、ときどき夜道を歩いていると、あのコインランドリーの前を通ることがある。深夜、店内の照明がちらつき、中で洗濯機が8台並んでいるのを見ることがある。そして窓越しに、黒いスーツの男性と白いワンピースの女性が、黙って洗濯機から何かを取り出している姿を。