どこいくの? ああ散歩だよ。
特にあてのない旅路へ。
そんな風来坊に憧れるのは普段の生活を窮屈に感じているからだろうか。
だが、私が求めているものは平穏。トラブルは勿論、イベントすら要らない。波風たたずに時間だけが過ぎてゆく事の幸せを贅沢に垂れ流す。 これに限る。
しかし、そう簡単に望みは叶わない。常に望みを叶えられたら、それはそれが日常だ。
非日常という醍醐味を堪能するには、やはり上手な抑圧が必要不可欠。
久しぶりの連休で仕事からは解放されてしまっている。時間を気にせず微睡みを漂っているようでは非日常を味わい尽くす為の抑圧が足りない。ではどうする。いや、慌てなくていい、私に、私の家に、解放など存在しないのだから。
「ちょっと、休みだからって、いつまで寝てるの?」
来た!最良の抑圧だ!
気持ち良く微睡むこのタイミングに、予定の無い休日に、乾燥注意報が出て当然の時期だというのに窓全開。表情硬め・愛情少なめ・嫌味濃いめ。ベッドに転がる私は足で掛布団を剥ぐと、外気に触れる自分を鼓舞しながら、温もりに別れを告げる。この一連の儀式を絶妙にグダグダさせていると、愚痴マシマシがトッピングされ、抑圧は深みを増す。但し、程々にしておかないと取り返しがつかないので注意が必要だ。
表情硬め・愛情少なめ・嫌味濃いめ・愚痴マシマシを、ノソノソと歩き出し背中越しに浴びる。洗面台で鏡越しにちらりと見える妻の姿が勇ましい。直接顔を合わせるのが怖いくらいだ。
嗚呼、逃げ出したい。
土踏まずから湧き上がり、つむじで渦巻く衝動。コレを待っていた。コレを抑圧すれば頭は爆発してしまう、コレが消えるのを待つとなると心が削れてゆく。コレに従うのが非日常を味わうコツなのだ。
「どこいくの?」
「ああ、散歩だよ。」
「あ、そ。」
脱出成功だ。この「あ、そ。」が大事なのだ。大概は、買い物に行きたいとか、風呂掃除、換気扇、網戸、など、何かしら頼まれる。家の用事は幾らでもあるのだから。
制限時間を決められずに「あ、そ。」で送り出される事は滅多に無い。言ってしまえば「どこいくの?」「ああ、散歩だよ。」までが日常なのだ。
過去、何かしら理由を見つけて脱出を試みたが、それらは怒りの対象にしか成り得なかった。だが【散歩】という用事のない用事が双方に都合がよく働く。かくして散歩は非日常への入り口と成り得た。
行き先も帰る時間も決まっていない。ただただ空を眺め、風の吹くまま気の向くまま。
私は風来坊。