BF2.戦士の鎧
東方全土を繋ぐ大規模な移動手段、それがトレイン・ターミナルだ。
電磁浮遊装置と言えば小難しいが、簡単に言えば磁石の同極による反発力で巨大な鉄の箱を動かしている。
巨大な鉄の箱――エアラインに乗って三十分ほどすると、畑や家屋などが疎らに点在する街並みが見えてくる。
乗ったトレイン・ターミナルに比べて、小さく古びたホームに下りる。そこから歩くと家屋が真っ直ぐに建ち並ぶ住宅街がある。
そろそろ昼食の時間にもなる頃、ウィンディは自分の住む家にたどり着いた。
外装はまだ新しく、築五年ぐらいの平屋建て。大きさにしてみれば、周囲の建物より見劣りしてしまうこじんまりとした家だった。普通に過ごせる間取りにしても、2LDKがやっとの大きさ。
生垣や花壇のような洒落たものもなく、あっても車庫と倉庫を兼ねたプレハブの小屋が建っているだけだろう。
軍事育成学校に通う生徒のほとんどが名門の出である。それに比べて、ウィンディの住む家は庶民と比べても下級のものである。
けれど、決してウィンディはその家が嫌いではなかった。
住み着いてからまだ五年。いや、過ごしてきた期間よりも、その家がウィンディの父が買った始めてのマイホームだからこそ、嫌いだとか好きだと言った感情にカテゴライズすることが出来ない。
強いて言うなら、目立たずひっそりと佇む家を気に入っている。
「ただいま。うん……?」
玄関を開けて帰宅の挨拶をするも、いつもと違う雰囲気に小首を傾げる。
いつもなら、父が挨拶を返してくれる。
今日は返事がない上に、家の中に人の気配がない。
どこかに出かけているのだろうか、とウィンディは車が置いてある車庫用の小屋へ向かう。
そこで、帰ってきたときには気づかなかったが、倉庫代わりにもしているために溜まってしまったガラクタが入り口で山のように積み上げられていた。
中からも、おもちゃ箱を引っかき回すような音が響いてくる。
「お父さん? 掃除でもしてるの?」
古びた外装のジープに阻まれた、細い隙間に体を埋めてなにやら遣っている父の背中に、ウィンディが問いかける。
普段からズボラな性格の父が、こんなときに態々倉庫の片付けをするとは思えない。
それに、父が掘り出し作業をしている目的は、ブルーシートの掛かった何かを運び出そうとしているかららしい。
「おう、ウィン。帰ってきたか。ちょうど、こいつが掘り出せたところだ」
そう言って、父が満面の笑みを浮かべて振り返る。
厚い口髭を蓄えた五十代ぐらいの男で、短く刈り上げた褐色の髪は埃に塗れながらも、深い海の底を彷彿させるブルーアイはまだ昔に比べて曇っていない。
ソルフ=セイプなるその男は、まさしくウィンディ=セイプの父――養父であった。ちなみに、ソルフはウィンディのことをウィンと愛称で呼ぶ。
「おっと、こいつを運び出すのを手伝ってくれ」
「あっ、うん」
ブルーシートに包まれたそれは、大きさにして一メートルほどのもの。形は長方形とも楕円ともつかぬ、突起の多い塊だ。
重量はソルフでも一人で持ち上げれるが、如何せんジープを置いた小屋は人一人通るのがやっとのスペースしかなく、担ぎ上げて通過するしか手段がない。
ソルフとウィンディがブルーシートの塊を運び出し、縛ってあったロープを外してゆく。
「じゃじゃぁ~んッ」
ブルーシートを剥がすと同時に、ソルフがどうだと言わんばかりに効果音を口に出す。
たぶん、目の前に現れたそれがなければ、思わず苦笑を浮かべていたに違いない。
「……これは、ソルジャー・アーマー? どうして、こんなものを?」
ソルジャー・アーマー。
かくして、開発時期は現在も続く西方との戦争が始まった初頭。
人的資源と銃火器のみで戦争をしていた人類は、いかにして死傷者を減らすべきかと悩んだ末、防弾チョッキよりも強度の高い合金で作られた鎧に身を包むことを考え付いた。
開発当初は重量に問題があり、フル装備で五十キロにも及ぶ防具だった。それでは身体に負担が掛かる上、銃火器を持って戦うには機動力が無いのは目に見えている。
そして、改良に改良を重ねて作られたのが、機械式の鎧にすることで機動力を保持したまま防御力を向上させたソルジャー・アーマーだった。
S.Aと略称される戦闘用機甲鎧は、頭部を覆うヘッドギアに組み込まれた装置によって、装着者の脳神経から発せられる微弱な電気信号が背部の箱――メインボックスへと伝達され、そこから四肢の防具をモーターや油圧式シリンダーで駆動させる。
まあ、細かいシステムは素人が語りきれるものではないが、軍事育成学校の機工科でもS.A工学として扱われている。
「どうしてって、クラス分け試験があるんだろ? そのためのS.Aが必要だと思ったから、俺のお古で申し訳ないが、こうして掘り出したわけだ」
ウィンディの疑問に答えるソルフ。
確かに、父の言うとおり一ヵ月後にクラス分け試験なるものが行われる。
詳しい内容は入学案内に書かれているが、ウィンディの知る限りでは学校側からS.Aを貸与してもらえる。
「で、も……大切なものなんじゃ? 昔、お父さんが使っていたS.Aでしょ?」
「いやぁ、本当のことを言うと、元からウィンのために貰ってきたんだ。五年間も整備せずに放っといたから、ちゃんと動くかどうかは分からんけどな」
ウィンディの躊躇いがちな問いに、ソルフが作り笑いを浮かべて答える。
まるでウィンディが軍人を目指すことを、予期していたような物言いだ。いや、こうして整備していなかったのは、使うかどうか分からなかったのだろう。
「さて、ちょいと動かしてみるか」
誤魔化すように、ソルフがS.Aを装着し始める。
現役だったのが五年前とは言え、それ以上に使い続けていたS.Aはソルフの体の一部であるかのように、五分足らず身に着けてしまう。
既にあの頃より老いたソルフには、少しばかり大仰な鎧だった。まだ成長期のウィンディが装着するにしても、今はまだ大きさや重量に問題がありそうだ。
「ふむ……。やっぱり新調した方が良いかねぇ。よし、昼飯を食ったら買い物にでも行くかッ!」
「えぇッ?」
ソルフが言い出した言葉に、ウィンディは目を丸くして驚いた。
詳しい値段は知らないが、S.A一式の相場が幾らすると思っているのか。安く見積もっても、最新の機種で五百万ダール――缶入りの飲料が百ダールとして――ぐらいだろう。
それを日用品でも買いに行くかのような気軽さで言い出すのだ。大体、旧式でも一機のS.Aを引退する人間に与える軍部もどうかと思う。
「学校の方でも貸し出してもらえるから、別に買う必要はないよ……」
家計の負担にもなるため、ウィンディは断ろうとした。
「何を言う。S.Aは、文字通り鎧だ。ウィンの身を守る、衣服よりも重要な鎧なんだ。それをレンタルして、本当に己に合ったものを言えるか? 自分に合わないS.Aを装備すると、動き辛いだけじゃなくて、皮膚を傷つけたり、最悪なら腱を痛めることだってあるんだ」
しかし、珍しくあの温和なソルフが頑として引かない。
溺愛するウィンディのことを心配しているのだろうが、そうした愛情が重く圧し掛かってくる。いや、そもそもソルフがウィンディに何かを強いたことが少なく、自身が思いのほか戸惑っているだけなのだろう。
しかし、学校へ通う教育費だけでも馬鹿にならないのだ。ウィンディも食い下がろうとするも、S.Aを身に着けたソルフはいつもに増して威厳を醸し出している。
「いや、買いに行くと言ったら行くんだ。衛生兵とは言え、戦場に出れば危険なところでの任務も多くなる。身を守る術ぐらい持っていないと、一瞬で命を落とすこともあるんだ」
「…………」
S.Aを装着したソルフに説得され、否応なしにウィンディは買い物に行くことになった。
こんな時に、将来の話を持ち出してくるのはずるいと思う。
けれど、ソルフの言うとおり、銃弾の飛び交う戦場で仲間を救出するというのは、一般の兵士よりも困難な任務でもある。
反論できなくなったウィンディを横目に、ソルフは嬉々として昼食の準備に家の中へ入ってゆく。
「はぁ。S.Aぐらい脱いでから行こうよ。それに、この片付けは誰がするの……?」
やはりいつもと変わらないソルフに、ウィンディは溜息混じりのぼやきを口にする。
ちなみに、今日の昼食はミートスパゲッティだ。それにコーンポタージュスープとジャーマンポテト。苦節五年。ウィンディを引き取って以来、ソルフは自炊するようになった。今ではすっかり主夫業が板につき、日々、家事に追われる毎日を過ごしている。
それ以外に仕事のようなものはしておらず、果たしてどこにS.Aを新調するお金があるのか謎に包まれている。
「ほれ、どうした? もしかして不味かったか? はてはて、いつもと変わらない味付けなんだが……」
考え事をしていた所為か、いつの間にか昼食を食べる手が止まっていたらしい。
自分の分を租借しながら味付けを確認するソルフ。
ウィンディは、ちょっと考え事を、と答えてから再び箸を進める。もちろん、味付けはいつもと変わらない少し甘い目のミートソースだ。態々、クルトンまで取り置きのパンの耳――正式名称はあるのか知らないが――を油で揚げたものである。ジャーマンポテトさえ、絶妙な塩加減にするこだわり。
抜けた性格のソルフだが、実は遣ればできる子なのではなかろうか。しかも、孤児だったウィンディを引き取ってくれるほどのお人よしだ。
「ありがとう……」
引き取ってもらったこと、育ててもらったこと、学校に行かせてもらいあわよくばS.Aまで買い与えてくれる。そんな色々なことに、どう感謝すれば良いのか分からないまま、ウィンディはポツリとお礼を口に出す。
「うん? 何か言ったか?」
聞こえていなかったのならばそれで良い。
首を横に振って、またスパゲッティをフォークに巻いて口にいれる。
いつかきっと、今までの恩を返せる日がくるだろうか。もしかしたら、ソルフは恩などとは思っていないのかもしれない。こうしてお飯事と分かりながら、家族ごっこを続けていることが父は幸せなのだろう。
そんなことを考えながら、昼食を終えたウィンディは買い物に出かけた。