BF21.未だ出ぬ答え
「ねぇ、ウィンディ」
ポツリと、誰かが声を掛けてくる。
暗闇の中、声の主が何処にいるのか分からない。
「ウィンディ、貴方は何処へ行くつもりなの?」
問いかけてくる声。
そんなことを聞かれても、ウィンディに歩いているという感覚はない。ただ立ち止まって、この闇が晴れるのを待っている。
「あなたは誰ですか? ここはどこなんですか?」
逆に問いかけてみる。
「分からない。それは、ウィンディ本人が見つけるべきこと。誰かを頼っても何も変わらない」
返答は四方八方から淡々と聞こえてくる。
誰かの返答を聞いて、ようやくこれが夢なのだと気付く。もしかしたら、いつも見ている夢の続きなのかもしれない。
「もしかして、お母さん? お母さんなんでしょ、ねぇッ」
「そう思うのなら思えば良い。ウィンディが決めたことならば、それが間違えでも構わない。留まることに意味があるなら、留まれば良い。進まなければいけないと思うならば、歩きなさい」
そう言って、闇がウィンディを背後から抱きしめる。
温かいようで冷たい、気持ち良いようで不愉快な、どの感情にも属さない感触。
「どう感じても、それがウィンディの感じたこと。私を振り払いたいなら振り払いなさい。このままで良いと思うなら、このままでも良いの。選ばないよりも、時間を掛けてでも選らんだ方が良いわ」
少しずつ、声が女性のものへ変わってゆく。
夢とは本来、思考の片隅に追いやられた深層心理の体現である。不安であったり、歓びであったり、起きているときには気にも留めない感情が寝ている間に映像として映る。
「怖いのでしょ? 自分の進む道が分からなくなることが。怖いのでしょ? 選んだ道を否定されることが」
「うん……。僕は、どうすれば良いの?」
「馬鹿ねぇ。そんなこと悩む必要はないのよ。誰が、今までウィンディの進んできた道を否定したことがあった? 時間は沢山あるのだから、どの道を進むのか悩みなさい」
抱きしめる闇は、自分自身で作り出した存在。
自己完結と言ってしまえばそれまでだが、なぜ進みもせずに否定されることを恐れていたのか。馬鹿馬鹿しくて、笑ってしまう。
「良かった。ウィンディが笑ってくれると、私も嬉しいわ」
いつの間にか、抱きしめていた闇は遠くに離れ、囁く声も遠のいていく。
そして、少しずつ足元を無数の光の道が照らし始める。
どの道を進むのかを決めるのは、まだもう少し先でも良い。だから、去って行く闇に手を振った。見えなくなるまで、手を振り続けた。
――唐突に光が飛び込んでくる。
「……?」
夢から目覚めたことにさえ意識が認識しない。
ただ、どうして空を仰いでいるのかだけ、理由を思い出し始めている。
「起きろ。この程度で気絶とは、打たれることに慣れていないみたいだな」
白銀の鎧を着たリジムが、呆れたような、怒ったような声で言う。
少しずつ意識が覚醒していく中で、下顎にリジムの鋭いフックを喰らったことを思い出す。
どれぐらいの間、気絶していたのかはしらない。まだ体を動かせるということは、敗北を認識されていない程度の間なのだろう。
「もう、諦めたらどうだ? 銃も弾切れ、ナイフも放り捨てて、後は拳で殴りあうだけだ。お前が人並み外れた身体能力を持っていても、素人が俺に勝てるわけないだろ」
言葉を続けるリジム。
リジムに見下ろされ、自分の実力を再認識する。
戦闘開始から、銃撃戦を繰り広げていたが弾が切れて、ナイフで切りかかっても刃はリジムに届かなかった。それどころか、軍用戦闘術で軽く受け流され、奪い取られた後にフックを喰らった。
足の速さや、拳を繰り出す膂力は上回っている。しかし、愚直なまでに裏のない攻撃は全て見切られ、攻撃が届く前に反撃を喰らってしまう。
「そうか、僕には無理なのかな……。だって、衛生科なのに、正面から殴り合って勝てるわけがないよね」
「負けを認めるんだな? 叩きのめして屈服させねば、あの雪辱を果たすことは出来ないと思っていた。だが、その姿を見ていると可哀そうに思えるよ」
唾を吐き捨てるように嘲笑うリジム。
貶されていながら、何故か苛立ちを覚えないのはどうしてか。
「諦めるのなら、いつまでも無駄話をしていないでさっさと降参し――」
「――嫌だ」
降参を進められたが、ウィンディはそれを一言で一蹴する。
「叩きのめしたいのなら、やれば良い。そっちのほうが、まだ納得して負けられるからね」
囁きにもにた小さな声ではあるものの、ウィンディははっきりと言い切る。立ち上がったウィンディの顔には、勝負を諦めた者の暗い陰はない。
リジムを正面に見据え、薄っすらと笑みさえ浮かべているのだ。
「……そうか。分かった。なら、思う存分掛かって来い!」
その時、初めてリジムの顔から嫌味な表情が消える。
男として引けない勝負であることを認め、ウィンディに全力で勝利することを決意したのだ。
「――ッ」
だからこそ、ウィンディも揺れる足に鞭を打って地面を蹴った。
フックを下顎に喰らい、やはり思うように体を動かせない。それでも、リジムに肉迫して大振りのストレートを繰り出す。
「そんなパンチじゃ、直ぐに反撃を食らうぞ。小回りに牽制していけ」
ストレートはリジムに受け流され、腹部にアッパーを喰らう。
「ぐッ……ご、ゴホッ、うぅぅ……クソォッ」
一瞬、呼吸を出来ずに動きが止まるが、再び腕の伸びが短いパンチを打ち込む。一発ごとの膂力では押し勝つため、それを繰り返しながらリジムの動きを封じて行く。
しかし、パンチだけではジリ貧になり、続けて中段の回し蹴り。
「馬鹿がッ。パンチでボディーを狙いながら中段蹴りなんざ愚かだ。フェイントを掛けるか、ローキックで相手の足を刈れ」
中段の蹴りを受け止められ、片足が浮いた状態から軸足を払われて倒される。
顔面を地面に強く打ちつけながらも、諦めずにウィンディは立ち上がった。
「起き上がったら直ぐに距離を取れ。隙が大きすぎる」
起き上がり様にリジムのジャブを連続で喰らい、またしても地面に倒れるウィンディ。
「ハァ、ハァ……まだ、まだぁッ」
飛び起きて、バックステップを踏んでからリジムの行動を観察する。
そんな、打てば回避され、回避されたら反撃を喰らい倒れる、を何度も何度も繰り返す。果たして、それがどれほどの間、繰り返されただろう。
気付けば、ウィンディの顔は蒼痣を幾つも作り、晴れ上がり、もとの見る影もなくなっていた。ついに体力の限界に達して、立ち上がることもできなくなった。
「……ふん。ずいぶんと間抜けな面になったな。もう、満足か?」
リジムも、ダメージこそ受けていないが肩で息をしている。
「…………」
リジムの揶揄に言い返すこともできず、少しずつ意識が薄れていくのがわかる。
もう自力で目を開けるのも億劫になって、ついにウィンディな自ら意識の綱を手放した。それからウィンディが目を覚ましたのは、閉会式が終了した後のこと。
ウィンディ=セイプVSリジム=コルセン リジムWINNER
何も言うまい……。