BF20.力を求める者
風が吹き抜ける。
濃緑のセミロングと、赤褐色のボブカットが揺れる。
戦いが始まってから数分を数えたと言うのに、二人の少女は睨み合ったまま動こうとしない。さながら、西部劇のワンシーンのように、一瞬で片をつけようとしているのか。どちらもが、相手の出方を窺うようにして佇む。
隙がない、と言えばそうなのだろうが、フィルティア=レイにとってもやり難い相手であることは確かだった。
赤褐色のボブカットに、透き通ったアメジストの瞳に眼鏡を覆った少女。名前をヒェルス=T・フロレンス(Hlyels=T.Flolens)という。
武門の名門でも名前を聞かない家名で、たぶん、今や権力を剥奪された貴族の出身なのだろう。貴族と軍人の家系を比べれば、実力の上ではフィルティアに分があるものの、ヒェルスには風変わりな呼び名がある。
オスカルが言うには、最もデータが取れなかった相手らしい。単純に、入学試験トップの成績の優等生。気の弱い、どこか空想に更ける癖を持った何処にでもいる少女とのこと。
果たして、目の前に佇む『模倣者』の異名を持つ少女が、どれほどの実力を持つものか。
「こんなことをしてても埒が明かないでしょ。そろそろ、始めましょう」
「はい。よろしくお願いします、レイさん」
貴族の出の所為か、軍人の名門の出よりも礼儀正しい。
この謙虚な態度が、リジムよりも癇に障るのはどうしてだろうか。こんな、お高く留まった甘ちゃんが、軍事学校に通っていることが認められないのかもしれない。
だから、ここで叩き潰す。
迷いを捨て、腰に下げたナイフを抜き放ちながら肉迫する。
クラウチングスタートにも近い低姿勢の走法。スタートダッシュの速さで敵の目を惑わし、瞬間的に懐に駆け込んだように見せる。敵の視界が自分を追っているため、そこから跳躍して頭上を飛び越える。身を翻しながら敵の背後に着地し、後は首にナイフを突きつければ勝てる――。
――はずだった。
「えッ……?」
跳躍まではイメージ通りに進んだ。
しかし、空中で身を翻したところで、ヒェルスの姿が眼下に無かった。忽然と視界から姿を消したことに、フィルティアは戸惑いを隠せない。
着地して、慌てて周囲を確認する。が、やはり何処にもいないのだ。あの一瞬で、どこかに隠れられるほどの脚力を持っているとでもいうのか。それとも、これが『模倣者』と呼ばれる所以か。
「凄いですね。本当に、消えたように見えてしまいました」
声は、背後から聞こえてきた。
フィルティアは振り向くよりも先にその場から距離を取る。
なぜ、こちらが背後を取ろうとしたはずなのに、相手が背後にいる。わけがわからず、フィルティアはこれまでに無いほどの混乱に陥った。正直、殺気や敵意というものは感じられない。それでも、言い知れぬ不安が胸中を掻き乱す。
まるで、
「私の動き方が分かってる……?」
ようだ。
確信が持てぬまま、再びスタートダッシュでヒェルスに肉迫する。
今度は、懐に飛び込まず寸前でバックステップで意表を突き、ナイフを投擲してみた。が、またしてもそれを見越したかの如く、横にステップを踏んで難なく回避するのである。
「どういう、こと……? まさか、貴女も暗殺に従事しているの?」
「いえ、私はあまりそういうことは好みません。ただ、レイさんのことを色々と観察させていただいただけです。本当ですよ?」
フィルティアの問いに答えるヒェルス。
意味が分からず、益々表情を強張らせているフィルティア。
観察した、と言っても、フィルティアが暗殺の技術を使ったのは『S.A実践』の授業で少しだけだ。それだけの間に、暗殺の仕事に関して素人なヒェルスが、こちらの技を見切れるとは思えない。
そう確信していながら、その僅かな迷いの隙を突かれてヒェルスを間合いに入れてしまう。
「チッ!」
足元に滑り込むように近づいたヒェルスの、鋭いナイフの横薙ぎを軍用戦闘術の要領で受け流そうとする。
しかし、それも読まれていたのか、ヒェルスの手を掴もうとしたところでその手からナイフが離れ、もう片方の手で受け止めながら鋭い刺突を繰り出してくる。
完全に意表を突かれる形となり、回避に間に合わず手甲で受け止める形となってしまう。電磁ナイフがS.Aに仕込まれたセンサーと反応し、痺れるような衝撃と同時に手首から上の動きが鈍くなる。
「……くッ」
これまでに、一度も傷をつけられたことのない装甲。ただ、それよりも傷をつけられたのは、プライドそのものだった。手を襲う衝撃よりも、悔しさに苦悶が漏れる。
「素敵です」
唐突に、ヒェルスがポツリと口を開く。
何が素敵なのか、と問おうとしても、静かに顔を上げたヒェルスの表情がそうさせなかった。
間近で見て、初めて分かるヒェルスの異常な目付き。
先刻まで透き通るようだった薄紫の瞳は濁り、マネキンか西方童話に出てくる顔のない妖怪のような、何も感情を映さぬ顔。
そこで、ようやく『模倣者』の本当の意味を理解する。
成績トップを取れるのは、完全な知能ではなく完全な記憶力。そして、その記憶から人の行動パターンを想像する頭の回転速度。最後に、それらを身体能力へ変換する自己暗示。
完璧に別の人間に成り切れるある種、天性の才能。
もし、ヒェルスに勝とうと思うなら、今の自分を更に昇華させなければならない。
「なるほど、最大の敵は自分、ってことね……。分かったは、小細工はなしで行きましょう」
自分を越えるために、フィルティアは力を求めて拳を握り締める。
姿勢を低くして、瞬時に回避できない状態のヒェルスに、顔面を狙ってのサイドブロー。それは、更に身を屈めたヒェルスの頭上を掠める。腕を振った勢いに乗せてローキックを繰り出すが、それも鉄棒の逆上がりの要領で回避される。
どんな攻撃を仕掛けても、右へ左へと通り過ぎて行く。これまでに無いほどの屈辱に、フィルティアの攻撃は焦りを孕んで荒くなる。
「どうしてですか? レイさんの戦う姿は、今まで見てきた何よりも美しかったのに。そんな男みたいな戦い方、レイさんの戦い方ではないでしょ?」
飄々と回避し続けていたヒェルスが、表情を変えないまま言い放つ。
それが、フィルティアの心中にあった何かを瓦解させる。
目の前の少女に、自分の何が分かるというのか。今まで築き上げてきた、自分の血と汗の努力が、ホンの数秒で盗まれた。その悔しさが、この少女に理解できるのか。
「知った、風な、口を、利くなァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――ッ」
暗殺に従事する者にあってはならない絶叫。
怒り任せの、大振りのストレート。なんでもない、腕を突き出しただけの刺突。
乾いた風が、静かに二人の間を吹き抜け、舞い上がった砂埃に二人の姿は隠れてしまう。
次の風が砂埃を吹き払ったところに、静止した世界が残留する。
文字通り、紙一重の差でナイフがフィルティアの首筋を突いていた。
フィルティア=レイVSヒェルス=T・フロレンス ヒェルスWINNER
ヒェリスのアニメ声優(仮)は、藤村 知可さんです。
ラジオコーナーをしようと思ったけど、寝不足と時間の都合で断念しました。