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BF1.入学式の日

「――であるからに。くどいようだが繰り返す。ここはエリートを育てるところだ。役立たずは必要ない! それを肝に銘じ、心して精進したまえ。以上!」

 初老の男が、演壇の上で演説とも叫ぶともつかぬ口調でマイクに向かって言い終える。

 禿頭に僅かに残った白髪、皺一つ見当たらない焦げ茶色のスーツに身を包んだ男は、見た目と年相応の地位を持つ人なのだろう。

 果たして男が何を喋っていたのか思い出せぬまま、直立不動の姿勢で佇んでいた少年は体の力を抜く。

 濁りのない灰色の頭髪を項に掛かるかぐらいに伸ばしている。左右は耳を少し隠し、前髪は額を覆うぐらいにした少年。もし炎天下の中ならば、直ぐにでも倒れてしまいかねない弱々しい顔立ちをしている。少し大きめの鳶色の瞳も、どこか小動物を彷彿させる。

 二時間ぐらいは立ち続けていただろうか。少年の周囲を取り囲むように整列する三百は下らぬ同年代の少年達も、一息とばかりに姿勢を崩した。皆、少年と同様に濃緑の制服に身を包む。

 椅子の一つでも用意してくれればいいのだが、残念ながら彼らに着席する権限はない。なにせここは、東方軍事国連合所属軍事育成学校なる教育機関の訓練館だ。学校と言えど、正式なる軍人を目指す彼らは、目上もしくは上官の許可なく着席することを許されない。

 そんな態度を教訓するかのように、演壇の壁に達筆で『誠意』『忍耐』『技巧』と書かれた大仰な額縁が飾られている。

 たぶん、ここでの生活の内の僅か数時間でありながら、額縁の言葉は大げさなものではないのだろう。訓練館の中を見渡せば、それは重々に身に染みて分かることだ。

 四百人近くを収容できる巨大な建物は、ほとんど人に埋め尽くされながら微かな寒さが漂っていた。

 初春のこの時期、多くの人々が新たな門出を迎える。少年もまた、そうした門出の一時を迎えた初々しい人間だった。少年達の顔には、きっと皆これからの学校生活に対する期待と不安、荒波に揉まれる覚悟を携えているだろう。

「それでは、これにて入学式を終了する。各自、回れー右ッ!」

 訓練館内に響く声で、館内の生徒達が一斉に踵を返す。

 一糸の乱れもない息の揃った足並みで百八十度向きを換え、

「進めー、前ッ」

 次の号令で両端の列から順に訓練館の外へ出てゆく。

 訓練館を退出する新入生達の行列に混じり、少年は己の夢へと向かって歩む。

 少年――ウィンディ=セイプが希望するのは、銃火器を持って戦う兵士とは異なり、負傷した仲間を治療し助ける衛生兵だ。

 軍事育成学校には三つの学科があり、一つがウィンディが専攻する衛生科。二つ目が、戦闘兵を主体に育成する戦武科。三つ目が、銃器などの修理を専門とする機工科。

 西方ならずとも、東方には多くの軍事育成機関があるが、その中でこの学校は同時に三種の軍人を育成するエリート校である。十六から十八に掛けて三年間の育成期間で、軍人として必要なカリキュラムを叩き込まれる。

 生徒数九六〇人。教員数五十人弱。

 それほどの巨大な育成機関で、果たして何がウィンディを待ち受けるのか。

「では、ここで入学式を終了する。だが、安心するのはまだ早い。お前らのようなヒヨっ子が、一ヵ月後のクラス分け試験を受けて本当の戦士か役立たずか、を確認する。以上で解散ッ」

 訓練館を出たところで伝えられたのは、労いとも呼べぬ厳しい言葉だった。

 夢を叶えるまでの道は、程遠いようだ。不安を胸に抱き、ウィンディはゆっくりと訓練館を後にする。

 軍事育成学校が所有する敷地は広大だった。

 訓練館さえ四百人以上を収容でき、他にも勉学に励むための本館、校庭に教員達の詰め所、そして遠方から遣って来る生徒のために用意された学生寮。それだけでも街一つの区画分があり、その上に模擬戦闘用のフィールドが数種類用意されている。

 新入生にしてみれば、地図がなければ道に迷ってもおかしくは無かった。

 訓練館から校門までの道のりさえ、徒歩で五分は掛かる距離がある。

「……最初も驚いたけど、普通の道路と変わらないよ」

 校門までの道のりを繋げるアスファルトを踏みしめながら、ウィンディは呆れ混じりに呟く。

 歩行者も居れば、人力や電動などの二輪車で移動する生徒も居る。

 ウィンディの言うとおり、通常の公道を歩いているのと差異はない。

 自分の住む街でさえ全て見て回ったことがないのに、三年間で校内の全てを見て回れるか定かではなかった。

「僕も乗り物の一つでも置いておこうかな?」

 移動用の足について独り言など呟きながら、ウィンディは校門を目指す。

 ウィンディの住む家は学校からそれほど遠くなく、学校から徒歩で五分ほどのトレイン・ターミナルから六つ駅を過ぎ、また十分程度の道のりを歩けば到着する。所要時間は合計で三十分ぐらいだろう。

 学校への通学に二輪車など必要ないが、流石に街一つ分を移動するのに徒歩では辛い。故に、許可証(ライセンス)さえあれば校内での移動は、駆動形式を問わず二輪車を利用できることなど喜ばしいことである。

 もし懸念することがあるなら、往来を行き交う人々との接触等、事故に注意しなければならないと言う点だろう。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ」

 噂をすればどこからか、女性のものと思しき悲鳴が聞こえてくる。

 行き来する生徒達のざわめきが聞こえる方向に目を向ければ、背後の雑踏が綺麗に二分されていた。

「誰か、止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ」

 フッと気づくと、女性の悲鳴が徐々に近く大きくなっている。

 たぶん音量としては一定なのだろうが、声の主がウィンディと距離を詰めているのだと理解できる。

 そして、声の主を視認するのも差して難しくはない。

 二つに分かれた雑踏の向こうから、二輪車に乗った女性――正しくは少女――が救助を喚くように求めている。

 しかし、時速三十キロは出ているであろう二輪車の前に立ちはだかり、少女を助けられる人物がこの雑踏の中に何人居るだろう。答えは否。

 ただ一人を除いては。

 ウィンディも、流石に危ういと二輪車を避けようと思ったが、人とは時として本能的に不可解な行動をとるものだ。

 ウィンディもまた、直感的に身体を動かした人間の一人であった。

 不思議なことだが、ウィンディは正面から二輪車に向かって跳躍する。

 車体の高さはおよそ一メートル。助走をつければ十五歳でも飛び越えられる。それが二輪車のハンドルまでの高さなら、という前提が付く。

 運転手の少女を含めれば、ウィンディとあまり変わらない一メートル半。

 常人ならば、助走をつけずに飛び越えられる高さではない。その不可能を、ウィンディは立ち止まった位置からの跳躍で可能にした。

 跳躍から少女を抱きかかえるまで、僅か一秒足らず。

 二輪車がバランスを崩す間に、ウィンディは少女を肩に担いだままハンドルを蹴る。一秒間で二度目の跳躍を見せ、見事に着地を決めた。

「…………」

 意識することもなく神業じみた動きを遣って退けて、自分でも呆然と先刻の出来事を思い返す。

 不思議なぐらい、無意識に体が勝手に動いた。

 呼吸をするのと同様に、当然として出来ることだ。そう、頭よりも体が理解している。

 決して筋肉に無駄な力をかけては居ないが、疲労にも似た何かが全身に圧し掛かる。肌寒い外気に晒されながらも、頬を汗が伝い落ちる。

 体が熱い。

 心臓が早鐘を打つ。

 苦しいのに、どんなに息を吸って吐いても酸素供給が追いつかない。

「……あ、ありがとうございます。本当に助かりました。あの、そろそろ降ろしてもらえませんか?」

 ウィンディが我を取り戻すのにそれほど時間は掛からなかった。

 ピタリと体の熱が引き、心臓は正常な鼓動を繰り返し、酸素も当たり前のように全身を循環する。

 少女を救ってから、自分の行動に我を忘れていた所為か、どれほどの間か抱きかかえた状態になっている。

 少しの戸惑いこそ含んでいるが、少女の発する言葉は至って平坦なものだ。

 ウィンディが慌てて少女を降ろすと、彼女は真っ先に倒れた二輪車へ向かってしまう。

「あぁ、折角改造したのに、壊しちゃったよ……。直るかな? 外装に少しヒビが入ってるけど、どうにかなりそうね。後は電気系統が断線しちゃってるなぁ」

 何故か、先ほどの不思議な感覚が馬鹿馬鹿しく思える。

 それくらいに、少女は二輪車の現状確認で忙しい。話しかけるのも野暮ったく思えたウィンディは、薄く苦笑を浮かべてその場を後にした。

 トレイン・ターミナルまでの道のりで、カバンから入学式に貰った校内案内を取り出して開く。入学式では余所見をする暇が無かったため、校内案内に目を通すことができなかった。

 余裕ができた帰路の間に読んでしまおうと、暇つぶしも兼ねて表紙をめくる。

 ただ、どうしてか案内の文字が頭に入ってこない。

 決して珍しくもない、初春の風に揺れる、艶やかな黒のロングヘアー。円らで、愛らしくもどこか裏腹な光を孕んだ漆黒の双眸。仄かに香るのは、身体に染み込んだ工業用油の匂いを誤魔化すための香水の香り。

 僅か一分足らずの邂逅で、あの少女の印象が脳裏に深く刻み込まれていた。

 忘れようにも忘れられず、それでいて儚く消えてしまうような気さえする。まだ、少女を抱いて担いだ重みが腕や肩に残っている。

「同じ、新入生なのかな……?」

 少女が何年であるかも、所属する学科どころか名前さえ聞いていない。それなのに、根拠もなく彼女と再び出会える気がした。

 ホゥ、と一人、思わず感慨に更けてため息を吐く。

「どうしました? 乗らないのでしょうか?」

 すると、いつの間にトレイン・ターミナルのホームまで着いたのか、エアラインの運転手がウィンディに問いかけてくる。

 乗ります、と答えてウィンディは慌ててエアラインに乗り込んだ。

 ついつい物思いに更けてしまった自分が恥ずかしく、エアラインを降りてターミナルを出るまで案内の用紙で顔を隠しながら家に帰る羽目となった。

遅れながら、二話目の投稿です。遅くなってしまって誠に申し訳ありません。今後はもう少し早く更新していくので、平にご容赦ください。

ちなみに、ルビが反映されないのは使い方を間違えているからでしょうかね?

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