BF15.狼の咆哮
『スピリッツ』のチームリーダー、クレイモンド(Culaimond)は思った。
空気が変わった――と。
戦場なんてものに出たのが、模擬であっても今回が初めてとなるクレイモンドにさえ、素人目にその変化が見て取れた。先ほどまで囀っていた小鳥の鳴き声は消え、湿っぽい空気が砂漠のように乾き切る。数メートル離れれば分からない人の匂いも、嫌と思うほど近く感じてしまう。
だが、それらの理由を目で捉えることができなかった。
ゆっくりと近づいてくる気配。殺意と敵意が入り混じった負の感情。
どこから襲撃されても大丈夫なように、チームメンバーに四方へ展開するよう手先の合図だけで伝える。中指だけを折り曲げて、左右に揺らす動作はそのためだ。
しかし、慎重な性格ゆえに彼らの弱点は曝け出されていたのである。
唐突に、メンバーの一人――アルカ(Alka)が声を荒げて叫ぶ。
「誰だッ!」
そんな問いさえ愚問。
目の前の茂みを走り抜けて行く人影に、四人の視線が釘付けになる。
そして、直ぐにそれが陽動なのだと気付く。
「ヒッ……」
背後から聞こえてくる掠れた悲鳴。巨躯揃いの中で一番小柄な少年、アベルソン(Abelson)の声だ。続けて、ピーという電子音が耳朶を撫で、振り向いたのはそれからだった。
人か魔か、闇に姿を溶かした『黒』がアベルソンを羽交い絞めにして首筋にナイフを突き立てている。本物ではなく鋼の潰してあるナイフだが、深く食い込んだ切っ先は今にも少年の首筋を貫かんとしていた。
音も無く忍び寄り、接敵から数秒で一人脱落。
クレイモンドは、馬鹿な、と叫びたくなった。
「クソッ!」
代わりに暴言を吐き捨てたアルカが拳銃を構えるも、フィルティア=レイの体はアベルソンの小さな体に隠れてしまっている。それほどまでに小さいが故に、フィルティアは軽い跳躍で宙を翻って森の闇に吸い込まれてゆく。
その時の置き土産――投擲したナイフが、まるで磁石を近づけたようにアルカの額にぶつかり、また小さな電子音が密林に響いた。
「二人、目……?」
喉が張り付いたように、上手く声が出せない。
しかし、僥倖というには出来過ぎた敵の動きに、クレイモンドは恐怖どころか不条理さえ感じる。正直、ソルフ=セイプの紛い物であるウィンディ=セイプが率いる『Wolf』というチームをなめていた。それは認める。が、それを今更認めたところで、戦況が変わるわけも無い。
「落ち着いて、クレイモンド。腕が立つのはレイの小娘だけよ。一旦、ここは逃げて立て直しましょう。小娘から距離を取れば、他の三人は――」
狼狽しているところを叱咤して宥める大柄の女は、チームの中でも一番精神的にタフなノリヤだ。その恰幅の良い容姿と心意気は、どこかチームの母親とも言うべきところがある。今までも、挫けかけたメンバーを引っ張ってきたのは彼女だった。
「――どうする?」
その彼女の背後の茂みから、落ち零れのオスカル=ゴードンがほくそ笑んで顔を出す。そしてもう一人、機工科のローナ=エルセントという少女が、拳銃を構えて姿を現した。
そこで、ようやく『Wolf』の作戦に気付く。
最初の人影はウィンディで、完全な陽動。フィルティアでさえ、オスカルとローナがこの距離まで近づくための囮だったのだ。敵の背後を突く、ただそれだけの作戦が見事に『スピリッツ』の精神を瓦解させた。
「当るかな?」
「この距離だ、撃ちゃぁ当るよ」
ゲームセンターのクレーンゲームで、景品を取れるか取れないかを相談する学生のような、軽い会話。
引き金が引かれる。
クレイモンドとノリヤが避けようと思うより早く、放たれた数発の内一発がノリヤのS.Aのメインボックスに着弾する。銃弾の先端に仕込まれた装置がメインボックスから放たれる特有の波を感知し、S.Aの機構を切断する。
クレイモンドは前に立っていたノリヤのお陰か、ほとんど銃弾を浴びずに済んだ。が、残るは自分ひとりだけだと分かり、瞬間的に思考を巡らせる。
『Wolf』のメンバー四人を前に戦っても、ここからの形勢逆転は不可能。だが、降参するなどというのは不名誉極まりない。ならば、一人でも倒して散っていった仲間達に一矢を報いる。
そう決定付けると、クレイモンドは一番手近にいたローナに向かって襲い掛かった。ローナは銃弾を全て撃ちつくしたのか、慌てた様子で弾倉を交換しようとする。が、間に合わない。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!」
弾倉を取り落として、恐怖に身を強張らせたローナは悲鳴だけを上げる。
隣に居たはずのオスカルは、最初からそうした手はずだったのか、既に茂みの中に身を隠して弾倉の交換を始めていた。その為に、ローナを助ける機を逃している。他の二人も、距離にしてみれば十数メートルは離れている。
クレイモンドにすれば、勝機と言えばそうだったのかもしれない。
ただ一人、まったく戦闘能力を測っていない彼が残っていたことを除けば。
ローナに手が触れようかという瞬間、クレイモンドは顔の右側面部に激しい痛みを感じる。一瞬、何が起こったのか理解しないままクレイモンドは横に吹き飛ばされ、数メートル先にあった樹木に体をぶつけた。揺さぶられる頭は視界を完全に閉ざし、肉体への命令系統を断絶してしまう。
吹き飛ばされる中で見たのは、走っても追いつけるはずのない距離を一度の跳躍で詰めた白い影だ。それは現実か幻か、跳躍して蹴繰りを繰り出すウィンディと、蹴り飛ばされる瞬間の自身の像がそこに残っている。
高速で動く物体に残像ができることは知っていたが、吹き飛ばされる瞬間の残像などというものは始めてみる。
これで敗北を確信したクレイモンドの腹部に、何かが重圧がかかる。ぼやける視界に映ったのは――。
「け、もの……?」
――そう形容するしかない。
白毛の狼が、クレイモンドの体を押さえつけ、今にも喰いかからんとばかりに舌なめずりした。恐怖に自然と目が閉じて、頭の中で否定の言葉が飛び回る。
こんなところに、狼が居るはずない。これは、脳震盪を起こした所為で見た幻だ。
否定を繰り返すことで、混線した思考回路は正常さを取り戻し、目を開いたところに馬乗りになったウィンディの姿を確認できた。
「こ、こうさ……」
両腕を広げて、敗北の言葉を紡ごうとする刹那。どちらが早かったか、顔面をウィンディの拳が襲う。手甲を付けた拳打は、メリケンサックを付けた一撃にも近い。
殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打ッ――。
一撃で終わるかと思った拳打は、その後も無数に続けられる。
「お、おい、やめろッ。ウィンディ、どうしたんだ?」
「止めてください、ウィンディ君!」
「何をやっているのッ? 最初の蹴りで動けなくなっているわ。気でも触れたの?」
オスカル、ローナ、フィルティアが止めに入るまで、クレイモンドは殴られ続ける。
無論、十発ぐらいを数えたところで意識はなかったが。
今回の更新における、終盤での複数にわたる『殴打』の表記ですが。褒められた書き方ではないとわかりつつも、拳を振るう激しさを書き表すためにこの様な表記をさせていただいたこと、切にお詫び申し上げます。
そして、更新が遅れて申し訳ないです。
もう少し早く出すべきだったのでしょうが、押絵を書くのに戸惑っていたためにこう相成りました。
で、押絵ってどうやって入れるんでしょうかね?