西の魔女に婚約者を奪われたフェリシー・ブランジェは、化け物侯爵の妻として生きていく
「フェリシー、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「――!!」
ディヴリー伯爵家が主催している夜会の最中。
そのディヴリー家の嫡男であり、私の婚約者でもあるオーギュスト様が、唐突にそう宣言した。
会場の空気が一瞬で静まり返る。
来賓者たちの視線が、私とオーギュスト様に集まる。
私との婚約を破棄……!?
その取って付けたような陳腐な台詞は、まるで三文芝居を観ているかのようで、私はめまいを覚えた。
「オーギュスト様、ご冗談はお控えください。ご来賓の皆様が困惑されているではありませんか」
「もちろん冗談などではないさ! 俺はやっと真実の愛を見付けたんだからな!」
「真実の愛……?」
これまた三文芝居でよく聞く台詞だ。
私の婚約者は、いつから売れない舞台役者になってしまったのだろう。
「今日から俺は、西の魔女、ノエル様に生涯を捧げることを、ここに誓う!」
「んふふ、イイ子ね、ぼーや」
「「「――!!」」」
その時だった。
まるで影が立体化したみたいに、オーギュスト様の隣に、どこからともなく一人の女性が現れた。
その女性は全身を漆黒のドレスで包んでおり、烏の濡れ羽色の髪に、血のように紅い瞳。
そしてその顔は、見ているだけで魂を吸い込まれそうになるほど、美しかった。
こ、このお方は、西の古城にお住まいの稀代の魔女――通称『西の魔女』、ノエル様――!
「あなたをノエルガイズの一員に加えてあげるわ。ありがたく思いなさい」
「ハハァ! 恐悦至極に存じます!」
オーギュスト様はノエル様に片膝をつき、手の甲にキスを落とした。
そんな……、オーギュスト様がノエルガイズに……。
ノエルガイズは国中からノエル様が集めたイケメン令息たちのことで、ノエル様に忠誠を誓い、ノエル様のためならその命すら投げ出すほどの、盲信的な男たちだとか。
「で、ですが、オーギュスト様はディヴリー家の一人息子。オーギュスト様がノエルガイズになったら、ディヴリー家の家督は誰が――」
「その心配はいらないよフェリシー嬢」
「――!」
オーギュスト様のお父様であるディヴリー伯爵が、朗らかな笑顔を浮かべながら、一歩前に出た。
「ディヴリー家は今この時から、ノエル様に従属することになった」
「――なっ!?」
「今後ディヴリー家の財産や領地諸々全ては、ノエル様の所有物の一つになる。だから家督の心配はしなくて大丈夫なんだよ、フェリシー嬢」
「そ、そんな……」
どこか焦点の定まっていない、ディヴリー伯爵の張り付いたような笑顔は、私に言いようのない恐怖を抱かせた。
「んふふ、そういうこと。お嬢さんには気の毒だけど、蛇に嚙まれたとでも思って、忘れてちょうだい」
「……っ!」
私を見つめるノエル様の瞳は、まるで道端に転がる虫の死骸でも見ているみたいに、温度のないものだった。
実際ノエル様にとって私は、虫の死骸以外の何者でもないのだろう。
それくらいノエル様と私では、権力・武力・美貌、全てにおいて圧倒的な差があり、生物としての次元が違うのだ……。
「それでも納得がいかないっていうなら、特別に私が身の程をわからせてあげてもいいけど?」
「っ!」
ノエル様が肘を曲げて右手を上げると、そこから漆黒の炎が燃え上がった。
余程の高温なのか、炎の周りの空間が歪んでいる。
……くっ!
「わ、私は――」
「いや、もういい。帰るぞ、フェリシー」
「っ!? ……お父様」
私の肩を、諦観の籠った表情のお父様が叩いた。
「大事な娘をここで失うわけにはいかん。悔しいが、ここは引き下がるんだ」
「……」
縋るような瞳でそう言われてしまっては、私はもう何も言えなかった。
「……はい、お父様」
私はお父様に肩を抱かれながら、無言で会場を後にした。
溢れ出る涙を抑えようと、必死で奥歯を噛む。
背中からノエル様の、「んふふ、今日はオーギュストのノエルガイズ就任記念パーティーよ」という、陽気な声が響いた。
「……ハァ」
悪夢のような婚約破棄劇から数ヶ月。
あれ以来私の目に映る景色は、いつもどこか色褪せており、現実感がなかった。
まるで長い夢を見ているみたいだ。
だが悲しいことに、これは紛れもない現実。
理不尽に婚約破棄され傷物になった私も、この残酷な現実を生きていかねばならないのだ。
とはいえ、よりにもよってあのノエル様に婚約者を奪われたという悪評は、思っていた以上に影響が大きかったらしく、あれからお父様が私の新しい婚約者探しに東奔西走してくださっているにもかかわらず、一向に見付かる気配すらなかった。
その上私は貴族であれば大抵使えているはずの、魔法が一切使えない体質だった。
こんな私のことを貰ってくれる家など、そうそう見付かるはずもない。
このまま一生独身で家に迷惑が掛かるくらいなら、家を出て修道院にでも行くしかないかと考えていた、その時だった――。
「フェ、フェリシー! やっとお前の嫁ぎ先が決まったぞ!」
「――!」
お父様が血相を変えて、私の部屋に入って来た。
そ、そんな!?
「……お相手はどなたですか、お父様?」
私なんかを貰おうなんて家は、余程の物好きか、それとも――。
「……うむ、それがな――あの、ジャン・クストー侯爵閣下なんだ」
「――なっ」
ジャン・クストー侯爵閣下――。
それって……。
「あの、『化け物侯爵』の、ジャン・クストー侯爵閣下ですか」
「……ああ、そうだ」
お父様の顔には、「こんな縁談しか持ってこれなかった私を、どうか許してほしい」と書かれていた――。
「遠路はるばるようこそおいでくださりました、奥様。わたくしは家令のバスチアンと申します。どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそ。よろしくお願いいたします」
その翌月。
私は一人、クストー侯爵家へと嫁いで来た。
国内屈指の名門侯爵家、クストー家の屋敷は、慎ましやかな私の実家とは対照的に、おとぎ話に出てくるお城を彷彿とさせる、豪奢なものだった。
私を出迎えてくれた使用人の数も、優に百を超えている。
危うくお姫様にでもなったかと錯覚しそうになる。
「早速ではございますが、奥様のお部屋をご案内いたします。どうぞこちらへ」
「あ、はい」
家令のバスチアンさんは、皺一つない執事服に身を包んだ、総白髪の初老の男性だった。
背筋も線を引いたかのようにピンと伸びており、足音も一切していない。
良くも悪くも、あまり人間味を感じない人だった。
「旦那様から婚姻のお話があった際は、大層驚かれたことでしょうね」
「あ、それは、その、まあ」
果てしなく長い廊下を歩きながら、にこやかな笑顔でバスチアンさんが話し掛けてくる。
「婚約期間を一切設けず、お互い顔合わせすらしていない状態からの、唐突な入籍ですものね。しかも相手はあの『化け物侯爵』。驚かれるのも無理はございません」
「――!」
まさか家令であるバスチアンさんの口から、『化け物侯爵』というワードが出てくるなんて……。
いや、これはある意味牽制なのかもしれない。
「あなたは今日から『化け物侯爵』の妻になったのだから、いろいろ覚悟していてくださいね」という……。
「わ、私は、ジャン様がどんな方でも、妻としての役目は果たすつもりです!」
「――!」
あ、しまった!
思わず大声を出してしまった……。
「ふふ、これは失礼いたしました。奥様を試すような言い方をしてしまったことを、謹んでお詫び申し上げます」
バスチアンさんは折り目正しく、私に頭を下げた。
「そんな! 顔を上げてください。私は当然のことを言ったまでですから」
そう、相手が誰であろうと、私が今日からクストー侯爵家の嫁になったことは揺るぎのない事実。
であれば、その務めを全うすることこそが、貴族令嬢としての矜持よ。
「奥様でしたら、あるいは――」
「?」
頭を上げたバスチアンさんの瞳は、どこか遠くを見ているかのようだった。
バスチアンさん?
「んん~、これも美味し~」
その日の夜。
端の見えないくらい長大なテーブルに座らされた私は、十人以上はいる給仕たちに見守られながら、次々に出される絶品料理の数々に、舌鼓を打った。
「お口には合いましたか、奥様」
バスチアンさんが、慈愛の籠った笑顔で訊いてくる。
「はい! こんなに美味しい料理は、生まれて初めて食べました。これから毎日これが食べられるのかと思うと、夢みたいです」
「ふふ、そう言っていただけると、シェフも料理人冥利に尽きるというものでしょう」
「……あの、ところでバスチアンさん」
「? なんでございましょう」
「ジャン様は、どこか別の場所でお食事をされているのですか?」
「――!」
私がこの屋敷に着いてから、まだ一度もジャン様と顔を合わせてすらいない。
私の部屋を案内してもらった際に、バスチアンさんにジャン様に挨拶させてほしい旨を伝えたところ、「今しばらくお時間をいただきたく存じます」と、サラッと流されてしまった。
流石に夕食の席はご一緒できると思っていたら、デザートを食べ終わる段になっても、ジャン様は姿を現す気配すらなかった。
「……はい、旦那様は、いつもお部屋でお食事をなさっているのでございます」
「……そうなんですか」
それってやっぱり、ジャン様が『化け物侯爵』だから?
「奥様、近日中には、旦那様と正式に顔合わせをする場を、わたくしが責任を持ってご用意することをお約束いたします。ですからどうか今は、ご辛抱くださいませ」
バスチアンさんは例によって、折り目正しく私に頭を下げた。
「わ、わかりました! わかりましたから、どうかそんな申し訳なさそうにしないでください! バスチアンさんが悪いわけじゃないんですから」
「ふふ、奥様は本当にお優しいお方ですね」
「え?」
優しい?
私が?
……それは買い被りすぎですよバスチアンさん。
だって私の胸には未だに、私を捨てたオーギュスト様と、そのオーギュスト様を奪ったノエル様に対する、憎悪の炎が燻っているんですから――。
「……ふぅ」
海みたいに広いベッドで一人、眠れない夜を過ごす。
あまりの環境の変化に心身共に緊張しているのか、完全に目が冴えてしまっている。
「水でももらってこようかな」
のっそりベッドから起き、そっと部屋から出る。
先の見えない長い廊下はシンと静まり返っており、何とも不気味だった。
えーと、たしかキッチンはあっちだったわよね。
「――!」
その時だった。
廊下の闇の中から、ドチャリドチャリと、鈍重な大型獣の足音のようなものが響いてきた。
「だ、誰ッ!?」
思わず音のしたほうに顔を向けた瞬間、窓の外から雷鳴が轟き、その光が足音の主を照らし出した。
「――ヒッ」
そこにいたのは一人の男性だった。
だがその男性の顔の左半分は、腫瘍のようなもので異様に膨れ上がっていた。
更にその腫瘍は全身に広がっているようで、まるで水風船みたいなおぞましい風貌をしていた。
も、もしかして、この方が――!
「――!! う、あぁ……。見るな……、見るなあああああッ!!!!」
「っ!?」
男性は頭を掻きむしりながら絶叫すると、ドシンドシンと廊下を揺らせながら、闇の中に逃げて行った。
……今のが化け物侯爵、ジャン様。
今から二年ほど前、両親を早くに亡くし、若くして爵位を継いだ一人の侯爵閣下が、ノエル様からノエルガイズの一員になるよう誘いを受けた。
その侯爵閣下は、男女問わず誰もが見蕩れるほどの絶大な美貌を誇っており、ノエル様はどうしてもその男性を自分のものにしたかった。
だが、侯爵閣下はその誘いを断固として拒否。
ノエル様の逆鱗に触れた侯爵閣下は、魔法で世にも醜い化け物に姿を変えられてしまったという――。
そしてついた異名が『化け物侯爵』。
「……化け物侯爵、か」
ベッドに戻った私は、先程見たジャン様の風貌を思い出して、ギュッと胸を掴んだ。
確かにあれは、化け物と形容したくなるのも無理もないものだった。
私は魔法を受ける前のジャン様にはお会いしたことはないけれど、噂に聞く天使のような容姿から、あんな姿に変えられてしまったのだとしたら、その絶望は筆舌に尽くし難いものだったことだろう。
人前に姿を現さないのも、さもありなんといったところだ。
「可哀想なジャン様……」
奇しくも私とジャン様は、どちらもノエル様に人生を狂わされた者同士。
この屋敷の中でジャン様の苦悩を本当の意味で理解できるのは、私しかいないのかもしれない。
なんとかジャン様の心の傷を、私が癒せないかしら……。
――結局私はこの日、太陽が顔を出すまで一睡もできなかった。
「ふわぁ」
眠い目を擦りながら、寝間着のまま朝日に照らされた裏庭に出る。
昨日窓からここに大層立派な花壇があるのが見えたので、一度直に見てみたかったのだ。
「うわっ、寒ッ」
冬の足音が間近に迫っている昨今。
流石に寝間着では心もとなかった。
まあいい。
少しだけ花を愛でたら、すぐ戻ろう。
「よしよし、たっぷりと飲むんだぞ、お前たち」
「……あっ」
花壇の前まで行くと、一人の大柄な男性が、じょうろで花に水をあげながら、優しく語り掛けているところだった。
それは紛れもない、昨夜見たジャン様その人だった。
「――! き、君は……! クッ!」
「ジャン様ッ!?」
私に気付いた途端、じょうろをその場に投げ捨てて、またしてもジャン様は逃げるように走り去ってしまった。
……ジャン様。
「おはようございます、奥様。こちらにおいででしたか」
「っ! あ、おはようございます、バスチアンさん」
柔和な声がしたので振り返ると、そこには背筋をピンと伸ばしたバスチアンさんが、直立不動で立っていた。
「――! よもや、旦那様にお会いになりましたか?」
投げ捨てられているじょうろを見たバスチアンさんが、少しだけ眉間に皺を寄せながら、そう訊いてくる。
「……はい。実は昨日の夜も、偶然廊下でお会いしまして」
私は昨夜のジャン様との邂逅を、手短に説明した。
「なるほど、そういうことでしたか。……それで、奥様は旦那様に会われて、どう思われましたか?」
「……!」
バスチアンさんの顔色は、裁判で判決を待つ被告人のようだった。
この瞬間、私はバスチアンさんが私とジャン様を会わせたがらなかった理由が、ハッキリとわかった。
「ご安心くださいバスチアンさん、私の気持ちは昨日言ったことと変わりません。私はジャン様のことを、生涯妻として支えていく所存です。――むしろ実際にお会いして、より一層その気持ちは強くなりました」
私と同じ心の傷を負ったジャン様に、今や私は絆さえ感じ始めていた。
「……左様でございますか。やはりわたくしの目に、狂いはなかったようでございます」
「え?」
バスチアンさん?
「いえ、なんでもございません」
「はぁ」
随分思わせぶりだけれど、まあいいか。
「それではわたくしは朝食の準備をしてまいりますので、これで」
「あ、はい」
バスチアンさんは折り目正しく私に頭を下げると、足音も立てずに屋敷に戻って行った。
よし、なんにせよまずは、ジャン様と面と向かってちゃんと話をしなきゃね。
私たちは夫婦なのだから。
多分明日の朝もジャン様はここで花に水をあげるはずだから、早起きして話し掛けてみよう。
――だが、翌朝花壇でジャン様に声を掛けると、またそそくさと逃げられてしまった。
その翌朝も、またその翌朝も結果は同じ。
遂にその翌朝は、私が花壇に着くと、いつもより早起きしたらしいジャン様の手によって、既に水やりが終わっていた始末……。
完全に避けられている。
どうしたものかしら……。
「難航しているようですね、奥様」
「あ、バスチアンさん」
その時だった。
いつものように柔和な笑みを浮かべたバスチアンさんに声を掛けられた。
「……はい、なかなかジャン様が、私とお話ししてくれなくて。私はちゃんと話したいのに」
「それだけ避けられては、嫌になってしまいませんか?」
「全然! むしろ私、障害が多いほうが燃えるタイプなんです!」
子どもの頃も、なかなか懐かない野良猫に毎日根気よく餌をあげて、お友達になったこともあったし。
「ふふ、左様でございますか。そういうことでしたら、わたくしにいい考えがございます」
「いい考え?」
バスチアンさんは悪戯っ子のように、ニッコリと微笑んだ。
「「「チュチュンチュン、ピーチュチュチュン」」」
「ハハハ、大丈夫大丈夫、みんなの分あるから、ゆっくりとお食べ」
「……ジャン様」
「――!」
その日の夕方。
夕陽に紅く照らされた屋上で、小鳥たちに手ずから餌をあげているジャン様の前に、私は立った。
バスチアンさんが言っていた通り、毎日この時間、ジャン様はここで小鳥に餌をあげているらしい。
流石に餌を食べている最中の小鳥を無視して逃げることはできないようで、ジャン様は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、その場に立ち尽くしている。
「バスチアンから私がここにいることを聞いたのか?」
「はい、そうです」
「……まったく、余計なことを。君も災難だったな。バスチアンの策略で、私なんかの妻にされてしまって」
「……えっ」
それって、どういう……。
「なんだ、知らなかったのか? 私たちのこの結婚は、バスチアンが半ば無理矢理提案したものだ」
「そ、そうだったのですか!?」
先程のバスチアンさんの、「わたくしの目に、狂いはなかった」という言葉の意味がわかった。
どうりでクストー家から話をいただいた婚姻にもかかわらず、ジャン様がこんなに私を邪険にすると思った。
初めからジャン様にとっては、望んでいない結婚だったんだわ……。
「だが安心してくれ。ほとぼりが冷めたら、多額の慰謝料を添えたうえで、ちゃんと君とは離婚するつもりだ。そうすれば君も、『化け物侯爵の妻』なんてレッテルに苦しまずに済む」
「――!」
……ジャン様。
「いえ、私はジャン様と離婚するつもりはございません」
「なっ!? しょ、正気か君はッ!」
急にジャン様が声を荒げたので、小鳥たちは驚いて逃げてしまった。
そんな小鳥たちを、ジャン様は「あっ……」と悲しそうな顔で眺めている。
うふふ、毎朝の花への水やりといい、本当にお優しいお方。
「はい、私は至って正気です。既に私はクストー家に籍を入れ、ジャン様の正式な妻となりました。その私が、『化け物侯爵の妻』というレッテルに怯えて逃げ出したとあっては、貴族の沽券に関わります」
「……クッ、貴族の沽券にこだわっていては、不幸になるだけだぞ」
ジャン様は自らの腫瘍まみれの両手を、奥歯を噛みしめながら見つめる。
ええ、ジャン様も貴族の沽券にこだわった結果、ノエル様からその姿にされてしまったのですものね。
「私はそうは思いません。プライドすら守れないで、保身だけに終始している人生が、果たして幸福と言えるのでしょうか? ――真の幸福とは、厳しい現実から目を逸らさず、歯を食いしばって前に進んだ者だけが手にできるものだと、私は信じています」
「――! 君は……」
ジャン様は雲一つない晴天のように澄み渡った碧い瞳で、私を見た。
嗚呼、こうして改めて見ると、なんて綺麗な目をしている方なのかしら。
「それに、私は化け物侯爵の妻と呼ばれることにも抵抗はありません。だってジャン様が本当はお優しい方で、決して化け物などではないことを、私は知っていますから。世間の人間がジャン様のことをどう呼ぼうが、私にとってはジャン様はジャン様です」
見慣れてしまえば、今のジャン様の容姿も、大型獣みたいで可愛らしいし。
「うっ……、うぅっ……!」
感極まってしまったのか、ジャン様は右手で顔を押さえながら、嗚咽した。
うふふ、本当に可愛い。
「ジャン様、どうか私を、ジャン様の妻にしてください」
私はジャン様の両手を握り、ジャン様の碧い瞳を真っ直ぐに見つめながら、告白した。
「――ああ、ありがとう、フェリシー。君のことを一生大切にすることを、ここに誓うよ」
「はい、光栄です」
ジャン様の頬が紅く染まっていたのは、きっと夕陽のせいだけではないだろう。
「だ、旦那様……!」
私と一緒に食堂に現れたジャン様を見て、バスチアンさんが大きく目を見開いた。
「今まで心配を掛けたな、バスチアン。今日からは私も、ここでフェリシーと一緒に食事を取ろうと思う」
「はい……! はい……! 左様でございますか……! では今すぐご用意いたします……!」
駆け足で食堂を出て行くバスチアンさんの目元に透明な雫が光っていたのを、私は見逃さなかった。
嗚呼、本当によかったですね、バスチアンさん……!
「フェリシー、大事な話がある」
「? はい?」
私がクストー家に嫁いでから、約一ヶ月が過ぎた。
季節はすっかり冬。
いつ雪が降ってもおかしくないくらい、空気が肌を刺す厳しい気候が続いていた。
「私は――西の魔女、ノエルに会ってこようと思う」
「――!」
ジャン様の碧い瞳には、確かな覚悟の炎が宿っていた。
「そんな……! 何故今になって……」
ジャン様にとっても、ノエル様は二度と顔も見たくないような因縁の相手。
そのノエル様に自ら会いに行く理由など、私には思いつかない。
「私に掛けた、この魔法を解いてもらうためだよ」
「……あ」
そういうことか。
ジャン様は、私のために――。
「ジャン様、以前も申しました通り、私は化け物侯爵の妻と呼ばれることにも一切抵抗はございません。私のためにわざわざジャン様が危険を冒す必要は――」
「いや、違うんだ、フェリシー」
「え?」
ジャン様?
「もちろんフェリシーが言ったことも理由の一つではある。――だが、私が魔法を解きたい一番の理由は――フェリシー、今のままじゃ、私が君を抱けないからなんだよ」
「――!」
頬を染めながら真剣な瞳でそう言われ、思わず顔がカッと熱くなる。
た、確かに、あれ以来私たちは一緒のベッドで並んで寝るようにはなったものの、未だに夫婦としての夜の営みはない。
どうやら腫瘍はジャン様の下半身にまで及んでいるらしく、現状はとても男性として機能する状態ではなくなっているらしいのだ。
ひょっとすると、ノエル様がジャン様に魔法を掛けた一番の理由はそれなのかもしれない。
ジャン様が、自分以外の女性を抱く可能性があることが、どうしても許せなかったのだ。
……つくづく独占欲にまみれた方だと、改めて思う。
「で、でも、そのためにジャン様にもしものことがあったら、私は――」
もう既に、私の人生にとってジャン様はかけがえのない存在なのです――。
「大丈夫、身の危険を感じた際は、すぐ引き返すことを約束する。どうか私のことを信じてくれ、フェリシー」
「ジャン様……」
嗚呼、そんな風に言われてしまっては、私にはもう、何も言えません。
――ですが。
「……わかりました。ただし、一つだけ条件があります」
「うん、何でも言ってくれ」
「――私も一緒に連れて行ってください」
「なっ!? そ、それは……」
唇を震わせるジャン様。
動揺した時の、ジャン様の癖だ。
「き、危険だ! 私はまだしも、君が一緒に行ったら、西の魔女は君に何をするか……」
確かにノエル様からしたら、私は想い人を寝取った泥棒猫のようなもの。
目が合った瞬間八つ裂きにされる可能性もゼロではないだろう。
でも――。
「同じ女だからわかるのです。少なくともノエル様は、何の話も聞かずに、いきなり私を殺すような真似はしないはずです。――それでは、女として負けを認めたことになってしまいますから。山よりプライドの高いノエル様のこと、むしろ私が誠心誠意頭を下げれば、溜飲が下がってジャン様の魔法を解いてくれる確率は上がると存じます」
何より私が一緒にいさえすれば、もしもノエル様が魔法でジャン様を誘惑するような事態になった時に、対処できるかもしれない。
「……わかった。その代わり、決して無茶はしないことを約束してくれ。――君は私の生きる希望だ。君を失ったら、私は生きていけないんだからな」
「ジャ、ジャン様……!」
愛の籠った視線を向けられながら両手をギュッと握られ、心臓がトクンと大きく跳ねる。
嗚呼、ジャン様、私、幸せです……。
「ふふ、これはこれは、お安くないですなぁ」
「「――!」」
その時だった。
いつものようにバスチアンさんが、音もなくいつの間にか私たちのすぐ側に立っていた。
相変わらず人間味の薄い方だわ……。
「冷やかしはよせバスチアン。聞いていたなら話は早い。私たちは早速今から、西の魔女のところへ向かう。しばらくこの家のことは任せたぞ」
「いえ、わたくしも是非同行させていただきたく存じます」
「何!?」
バ、バスチアンさん!?
「こう見えてわたくしも、若い頃はそこそこ名の通った魔法使いだったのです。いざという時は、わたくしの魔法でお二人を守れるかもしれません。――どうかこの老いぼれに、人生最後の見せ場をくださいませ」
バスチアンさんは例によって、折り目正しく私たちに頭を下げた。
「……わかった、同行を許可する。どうか私たちに力を貸してくれ、バスチアン」
「仰せの通りに」
――こうして私たち三人は数人の護衛を従え、ノエル様の住む、西の最果ての古城へと向かったのである。
「こ、ここが……」
「ああ、西の魔女の住む城だ」
そして馬車を走らせること実に二週間ほど。
雪に覆われた切り立った山脈の一角に、その不気味な城は建っていた。
それこそおとぎ話に出てくる、魔女の住む城そのものだ。
空気がどこか淀んでいて、若干息苦しい。
『んふふ、ようこそ私の可愛いぼーや。やっとノエルガイズに加わる気になったのね』
「「「――!!」」」
その時だった。
私たちの頭に直接、ノエル様の声が響いてきた。
どこからか、魔法で私たちのことを見ているのだろう。
「いや、二年前に言った通り、私はあなたのものになるつもりはない。――だが、どうしてもこの魔法を解いてもらう理由ができた。代償として私から払えるものなら、何でも払うことを約束する。だからどうか、私に掛けたこの魔法を解いてくれ。お願いだ」
『んふふ、その理由というのは、そこにいるお嬢さんのことよね?』
「――!」
途端、今この場にノエル様はいないはずなのに、押し潰されそうなほどのプレッシャーを感じた。
蛇に睨まれた蛙というのは、まさにこのことなのだろう。
「お久しぶりでございますノエル様。ジャン・クストーの妻、フェリシー・クストーでございます」
『んふふ、あらあら、ついこの間まで私のオーギュストの婚約者だったのに、もう別の男に尻を振ってるとは、なんて軽いお尻をお持ちなのかしら』
「なっ……!」
あ、あなたにだけは言われたくないですッ!
「西の魔女! 私の妻を侮辱することだけは、いくらあなたでも許さない」
「ジャ、ジャン様……!」
ジャン様が私の肩を抱き寄せながら、城をキッと睨みつける。
『んふふ、んふふふふふ、これは妬けちゃうわね。――いいわ、私と直接話をしましょう。ぼーやとお嬢さんの二人だけで、城の中に入ってらっしゃい』
豪奢な城門がひとりでに、ゆらりと開いた。
「――行こう、フェリシー」
「――はい、ジャン様」
私とジャン様は、手を繋いで城門をくぐった。
「な、なりませんお二人とも! 行くなら我々も! ――ぐあっ!?」
「「「っ!」」」
護衛の一人が城門をくぐろうとしたところ、見えない壁のようなものに弾き返された。
『んふふ、私が入城を許可したのは、ぼーやとお嬢さんだけよ。それ以外のモブは、大人しくそこで待ってなさいな』
「旦那様……、奥様……」
バスチアンさんが少しだけ眉間に皺を寄せながら、私たちを見つめる。
「大丈夫、私たちは絶対無事に帰って来る。どうかそこで、私たちの帰りを待っていてくれ」
「すぐ戻って来ますから!」
「……承知いたしました。どうかご無事で」
バスチアンさんは例によって、折り目正しく私たちに頭を下げた。
「んふふ、ようこそ我が城へ。大したおもてなしもできなくて悪いわね」
「「――!!」」
煌びやかな玉座にふんぞり返るノエル様。
だがそれ以上に私たちを啞然とさせたのは、ノエル様の周りに直立不動で立っている、バニーガール姿の無数の男性たちだった。
その中には私の婚約者だった、オーギュスト様も誇らしげな顔で交じっている。
こ、これは……!!
「あなたたちに紹介するわね。これが私の自慢のノエルガイズよ」
ノエル様が隣に立っているオーギュスト様のふとももの網タイツを引っ張ってパチンと放すと、オーギュスト様は「うっ……!」と呻き声を上げながら恍惚とした表情を浮かべた。
へ、変態だわ……。
ジャン様がノエル様の誘いを断らなかったら、ジャン様もこの変態の輪に加えられていたのかと思うと、吐き気がする。
「……個人の趣味にとやかく言うつもりはない。さあ、お願いだ。どうか私のこの魔法を解いてくれ!」
ジャン様はその場に土下座し、額を床に擦りつけた。
ジャン様……!
「私からもお願い申し上げます! どうか、お慈悲を!」
私もジャン様の隣で同じく土下座する。
「んふふ、そうねぇ。そこまでされちゃ、半分は優しさで出来ている私としては、無下にはできないわねぇ」
「そ、それじゃ!」
「ではこうしましょう。私と一つ、勝負をしましょう」
「――!」
勝負、ですって……!
「ぼーやと私のノエルガイズで決闘をして、ぼーやが勝てば魔法を解いてあげるわ。その代わり、ぼーやが負けたらノエルガイズに入る。どうかしら?」
「なっ……!」
五十人近くはいるノエルガイズがニヤニヤしながら、私たちの前に立ちはだかる。
「そ、そんな……! いくら何でも卑怯です! これだけの大人数を一人で相手するなんて!」
「いや、私はそれでも構わない」
「っ!?」
ジャン様!?
「フェリシー、私を信じてくれ。君が見守っていてくれる限り、私は絶対に負けない」
「ジャン様……」
嗚呼、そんな風に言われてしまっては、私にはもう、何も言えません。
「……怪我はしないでくださいね」
「ああ、善処するよ」
「んふふ、なんならお嬢さんと二人がかりでもこちらは構わないわよ?」
「いや、それには及ばない。私一人で十分だ」
ジャン様……。
何のお力にもなれない私を、どうかお許しください……。
せめてあなた様に神のご加護がありますように、精一杯祈らせていただきます。
「んふふ、そう、ではレッツショータイムよ! あなたたちの力を存分に見せてあげなさい、私のノエルガイズ!」
ノエル様が指をパチンと鳴らすと、ノエルガイズの全身が黒いオーラのようなもので包まれた。
こ、これは――!?
「「「うおおおおおおおおおおお!!!!!」」」
見る見るうちにノエルガイズの筋肉が肥大化し、ゴリラのような風貌になった。
あ、ああ……。
「「「があああああああああああ!!!!!」」」
ゴリラ化したノエルガイズが、一斉にジャン様に襲い掛かる。
「ジャン様ッ!!」
「下がっていろ、フェリシー。――顕現せよ、【光の剣】!」
「――!」
ジャン様の右手から眩いばかりの光が伸び、それが剣の形になった。
「ハアアァッ!!」
「「「ごがあああッ!?!?」」」
ジャン様が光の剣を振るうと、一瞬で五人のノエルガイズが壁際まで吹き飛ばされた。
す、凄い……。
「これが私の魔法、【光の剣】だ」
「ジャン様!」
これなら本当に、ノエルガイズにも勝てるかも!
「んふふ、なかなかやるわね。でもまだまだノエルガイズは残ってるわよ。その魔力、いつまでもつかしらね?」
「いくらでももたせるさ! ハアァッ!!」
「「「がはあああッ!?!?」」」
ジャン様が【光の剣】を振るうたび、次々にノエルガイズが薙ぎ倒されていく。
ジャン様、頑張って――!!
「ハァ……、ハァ……、ハァ……」
「あ、あぁ……」
が、残りあと十人といったところまできた途端、【光の剣】が果物ナイフ並みに萎んでしまった。
嗚呼、魔力切れだわ……。
「んふふ、どうやらここまでのようね。ではオーギュスト、とどめはあなたが刺してあげなさい」
「ハッ、ノエル様」
「ぐあっ……!」
オーギュスト様は嗜虐的な顔でジャン様の首を右手で掴むと、そのまま天高く掲げた。
「ジャン様ッ!!」
「ぐ……! が……!」
ジャン様がもがくも、丸太みたいなオーギュスト様の腕はビクともしない。
嗚呼、そんな……、このままではジャン様が……!
「んふふ、さあどうするの? 素直に負けを認めてあなたもノエルガイズになれば、命までは取らないわよ?」
「くっ……! ぜ、絶対に……、負けは……、認め……、ない……」
ジャン様……!!
「は、放して! 放してくださいッ!」
「フェリシー……!?」
渾身の力でオーギュスト様の身体を叩くも、オーギュスト様は私のことを見向きすらせず、ジャン様を締め上げ続けている。
くっ……、私に……、私に力がないばかりに……!
今日ほど魔法が使えないことが悔しいと思ったことはない。
誰か……!
どうかお願い……!
私に――。
「私に力を貸してえええええ!!!!」
「――承知いたしました、奥様」
「「「――!!!」」」
この声は――!!
「……バスチアンさん」
そこにはバスチアンさんが、いつもの柔和な笑みを浮かべながら立っていた。
「な、なんで、ここに……」
私とジャン様以外の人間は、ノエル様の結界で入れないはず。
「いやはや、久しぶりに魔法を使ったもので、結界の解除に思ったよりも手間取ってしまいました。寄る年波には勝てませぬな。ハハハ」
「――!」
ひょっとしてバスチアンさんて、凄い魔法使いなのでは!?
「久しぶりですねノエルさん。――およそ三十年ぶりくらいですか」
バスチアンさんは玉座にふんぞり返るノエル様を、じっと見据える。
三十年ぶり……!?
お二人はお知り合いなの……?
「……んふふ、これはこれは、随分懐かしい顔が見れたものね。大分老けてたから気付かなかったわ。――『東の大魔導士』、バスチアン」
ひ、東の大魔導士ッ!?
それって伝説にもなっている、かつてノエル様と東西を二分して激戦を繰り広げたという、偉大なる魔法使いの異名――!
まさかそれがバスチアンさんだったなんて……!
「バ、バスチアン……! いや、バスチアン様……! あなた様が、東の大魔導士様でしたとは……!」
ジャン様もこのことはご存知なかったのですね……。
「いえいえ旦那様。今のわたくしはあくまでクストー家の家令でございます。どうか今まで通り、バスチアンとお呼びくださいませ」
いったいバスチアンさんとクストー家に、どんなドラマがあったのかしら……。
「んふふ、で? そのクストー家の家令さんが、この場に何の御用かしら? 三十年前のあの日、私とあなたが不戦の契約を交わしたのを忘れたとは言わせないわよ。私があなたに危害を加えられない代わりに、あなたも私を攻撃することはできない。そういう絶対的なルールで、お互いを契約魔法で縛ったのだものね」
そうなんですか!?
じゃあ、バスチアンさんを頼ることはできないってことですね……。
「もちろんでございますとも。わたくしはほんの少し、奥様のお手伝いをさせていただくだけでございます」
「え?」
わ、私の、お手伝い??
「奥様、奥様は魔法が使えないわけではございません。魔力を全身に供給する神経が、生まれつき詰まっているだけなのでございます」
神経が??
そんな話、聞いたこともありませんが……。
「失礼いたします」
「――!」
バスチアンさんが私の手を握ると、そこからバスチアンさんの濃密な魔力が私の身体に流れ込んでくるのがわかった。
その魔力の流れは氾濫した川の水がダムを破壊するかの如く、私の魔力神経の詰まりを融解させたようで、私は生まれて初めて、全身に魔力が巡る感覚に酔いそうになった。
そしてこの瞬間、私は自分の魔法の力を完全に理解した。
こ、これが――私の魔法――!
「さあ、後は奥様の愛の力で、悪しき魔女の野望を打ち砕くだけでございます」
バスチアンさんはニヒルにウィンクを投げた。
嗚呼、バスチアンさん――。
本当に、ありがとうございます――。
「ジャン様ッ!」
「フェ、フェリシー!?」
私はジャン様の左手をギュッと掴み、私の魔力を全力で注ぎ込む。
「【癒しの木の王】!」
「なっ……!?」
途端、ジャン様の全身が光に包まれる。
「こ、これは――! 力が……、力が溢れてくる……!!」
私の【癒しの木の王】は、触れている相手に無限のエネルギーを与える魔法。
ジャン様の【光の剣】と合わせれば、まさに無敵よ――!
「【光の剣】!!」
「なにィ!? がはああッ!!!」
復活した【光の剣】で、オーギュスト様を弾き飛ばした。
「ふぅ、これで形勢逆転だな、西の魔女」
【癒しの木の王】は触れている間しかエネルギーを与えられないので、私は右手でジャン様の左手を握ったまま、二人並んでノエル様を睨みつける。
「んふふ、これを見てもまだそんな調子に乗った台詞が吐けるかしら?」
「「――!!」」
ノエル様が指をパチンと鳴らすと、オーギュスト様を含めて倒れていたノエルガイズ全員からドス黒いオーラが立ち上った。
「「「う……、う……、うがああああああああッッ!!!!」」」
ノエルガイズの筋肉が更に限界まで肥大化した。
ところどころ血管が切れており、血が噴き出している。
ひ、酷い……。
「こんな惨たらしいことをして、心が痛まないのか、西の魔女ッ!!」
「んふふ、ノエルガイズは私の所有物なんですもの。どう使おうと私の勝手でしょ?」
「……なっ!」
やはりこの人だけは、絶対に許せない……!
「さあ、全員で一斉に掛かるのよ、ノエルガイズ!」
「「「がああああああああッッ!!!!」」」
最早我を忘れたノエルガイズが、亡者の群れのように私たちに襲い掛かってくる。
「ジャン様!」
私は【癒しの木の王】で、最大までエネルギーを注ぐ。
「ありがとう、フェリシー。――せめてもの慈悲だ。一撃で決める――」
ジャン様が右手を天高く掲げると、【光の剣】がジャン様の体長の三倍はあろうかという長さにまで伸びた。
「ハアァァッッ!!!!」
「「「ぎゃあああああああッッッ!!!!!!」」」
【光の剣】の一振りで、ノエルガイズは一人残らず弾き飛ばされ、壁のオブジェとなった。
す、凄い……!
凄いです、ジャン様ッ!!
「お見事でございます、旦那様、奥様」
バスチアンさんが満面の笑みで、パチパチと拍手を贈ってくれる。
「さあ、これで勝負はこちらの勝ちだ。約束通り、私の魔法を解いてもらおうか」
ジャン様は【光の剣】の切っ先を、ノエル様に向ける。
「んふふ、本当にせっかちねえ。私は言ったはずよ、ノエルガイズにぼーやが勝ったら、魔法を解いてあげるって」
「? だからそのノエルガイズは、こうして一人残らず倒しただろう」
「いいえ、まだ一人残ってるわ」
「「――!!」」」
なんですって!?
「おいでなさい、ノエルガイズ会員ナンバー1番、私の可愛い可愛い【石の巨人】!」
「ガオオオオオオオオオン」
「「っ!!?」」
その時だった。
ノエル様の座っている玉座がボコボコとせり上がり、その下から小高い丘ほどもある、石で出来た巨人が出現したのである。
しかもよく見ると巨人の全身には夥しい数のイケメンの顔が浮き出ており、「ノエル様万歳……。ノエル様万歳……」と、うわ言のように繰り返している――。
「んふふ、どう、圧巻でしょ? これこそが私の最高傑作、【石の巨人】よ!」
巨人の頭頂部で玉座に鎮座するノエル様は、オモチャを自慢する子どもみたいに誇らしげな顔をしていた。
イケメンをバニーガールにすることといい、ノエル様の趣味趣向は一般人には理解し難いわ……。
「……悪趣味な」
「んふふ、真の芸術というものは、凡人には理解できないものよ! さあ【石の巨人】、やーっておしまい!」
「ガオオオオオオオオオン」
「「――!!」」
【石の巨人】の口から、極太の光線が射出された。
「危ない、フェリシーッ!!」
「きゃッ!?」
咄嗟にジャン様に左腕だけで横抱きにされ、間一髪のところで光線を躱した。
光線が直撃した場所は床が蒸発し、大穴が空いていた。
こ、こんなの、当たったら即死だわ……。
「んふふ、よく避けたわね。――でも、いつまで続くかしらねッ!」
「ガオオオオオオオオオン」
再度【石の巨人】の光線が私たちを襲う。
「くううぅっ!」
「ジャン様ッ!」
だが今度もギリギリのところでジャン様は光線を躱し、そのまま直進して【光の剣】で【石の巨人】の足元を斬った。
――が、
「そ、そんな!?」
【石の巨人】には傷一つ付いていなかった。
「んふふ、無駄よ。私の【石の巨人】は完全無敵。そんなナマクラじゃ、毛ほどのダメージも与えられはしないわよ」
「くっ……!」
あ、ああ……、もうダメ……。
こんな相手に、どう勝てば……。
「奥様、諦めてはなりません! 愛の力です! 奥様の愛の力さえあれば、こんなザコ、ちょちょいのちょいですよ!」
バスチアンさん!?
……ふふ、そうですね。
ちょっとだけ恥ずかしいですけど、私の本気の愛を示せば、きっと――。
「ジャン様!」
「ん?」
「失礼します!」
「――!!」
私はジャン様の唇に、全力の愛を込めたキスをした――。
「受け取ってくださいジャン様。これが――私の愛です」
「フェリシー……」
「ぐっ! よくも私の前でそんな真似をしてくれたわねこの泥棒猫がああああああ!!! あなただけは、内臓を引きずり出して、城の門にオブジェとしてぶら下げてやるわああああああ!!!」
あらあら、いつもの余裕はどこにいったんですかノエルさん。
「ああ、確かに受け取ったよ、君の愛を。――そして、力を」
「なっ!?」
ジャン様が右手を天高く掲げると、【光の剣】が樹齢千年の大杉並みの太さになった。
そしてそれはどこまでも伸び、天井を突き破った。
「初めての共同作業だな、フェリシー」
「うふふ、そうですね、ジャン様」
私も【光の剣】に、そっと手を添えた。
さながら結婚式のケーキ入刀ですね。
「な、舐めるんじゃないわよ、この虫けらどもがああああああ!!!! 【石の巨人】、こいつらを消し炭にしなさいッッッ!!!!」
「ガオオオオオオオオオン」
【石の巨人】の口から、先程とは比べ物にならないくらいの質量の光線が射出された。
でも私の心は、穏やかな海みたいに凪いでいた。
「病める時も、健やかなる時も」
「富める時も、貧しき時も」
「私はフェリシーを」
「私はジャン様を」
「「愛し続けることを、ここに誓います」」
私とジャン様は【光の剣】を、一直線に振り下ろした。
「そ、そんな……、そんなバカなああああああああああああああああああ」
【光の剣】は光線を一刀両断し、そのまま【石の巨人】を一撃で粉砕したのであった――。
「コングラチュレイショオオオオンズ。本当にお疲れ様でございました、旦那様、奥様」
バスチアンさんが割れんばかりの拍手で祝福してくれた。
ありがとうございます、バスチアンさん。
勝てたのは、あなたのお陰です。
「あ……、あふぁふぁふぁふぁ……、あふぁ……」
「「――!!」」
【石の巨人】の瓦礫の中から、総白髪のヨボヨボの老婆が現れた。
も、もしかしてこの人は――!?
「おやおや、魔力を使い果たして、本来の姿に戻ってしまったようですね。どうですかノエルさん、久しぶりにメイクを落とした感想は?」
バスチアンさんが手鏡をノエルに向ける。
「あふぁ!? あ、あふぁあああああああ!!!」
ノエルは泡を吹きながら、白目を剥いて気を失った。
ドンマイ!
「あっ! ジャン様、お身体が!」
「なっ!?」
ジャン様の全身の腫瘍が、見る見るうちに光の粒になって消えていった。
「わ、わぁ……!」
後に残ったのは、天使と形容することすら生温いほどの、絶世の美貌を備えた男性だった。
煌めくような金糸の髪に、陶器のように透き通った肌。
でも、雲一つない晴天のように澄み渡った碧い瞳だけは、化け物侯爵の時と一緒だった。
「ど、どうかなフェリシー? 私の顔、変じゃないかな?」
「っ!?」
はにかむような笑顔で訊かれ、危うく鼻血が出そうになるのを必死に堪えた。
あ、あわわわ……!?
これから私、毎日こんな顔を見ながら生活しなきゃいけないの……?
た、耐えられるかしら、私……。
「はっはっは、お安くないですなぁ」
もう、バスチアンさん!
からかわないでくださいッ!
拙作、『塩対応の結婚相手の本音らしきものを、従者さんがスケッチブックで暴露してきます』が、一迅社アイリス編集部様主催の「アイリスIF2大賞」で審査員特別賞を受賞いたしました。
2023年10月3日にアイリスNEO様より発売した、『ノベルアンソロジー◆訳あり婚編 訳あり婚なのに愛されモードに突入しました』に収録されております。
よろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)