9.ローズロイズ商会で再会
◇ ◇ ◇(ロイド邸執務室)
深夜。この邸の主人であるアイリーンは書き物をするときだけ着ける眼鏡を外すと、自分の家令にちらりと視線を送った。
「ねぇレイ。あれ以来、この邸の金目の物が紛失した?」
「なんですかアイリーンさま。藪から棒に」
書類の片付けをする男装の家令は、主人を見ようともしない。
「あらいやだ。察しの悪いフリなんて、あなたにそんなマネができたのね」
アイリーンは自身の首を撫でながら立ち上がった。今日の仕事は終わった。珍しくまとまった睡眠時間が取れる。
執務室から寝室へ向かうため部屋のドアを開けかけたアイリーンは、ピタリと動きを止めると振り返って家令を見た。
「やっぱりレイは正しいわね。……あなた以前言っていたじゃない。“アイリーンさまの周りには不思議といい人材が集まる”って」
家令は肩を竦め苦笑した。
「メグはそうでしたね」
しれっと肯定する家令に対し、アイリーンは眉をあげるだけでそれ以上の追求はしなかった。
「うふふ。思わぬ拾いモノだったわね。
あぁそうそう。もうちょっとメグのことを詳しく調べて。……とくにお母さまにあたる人物のこと。興味深い結果が出そうな気がするわ」
「……いつもの、勘、ですか」
アイリーンは、ただ笑顔で家令を見返した。
「即急に」
家令の返事は簡潔だった。アイリーンはそれを聞くとすぐに部屋を退出した。眠気がなによりも勝ったのだ。
その場に残された家令は、静かな部屋の中でポツリと呟いた。
「金目の物の紛失なんて、過去の私は場違いな疑いをしましたねぇ……」
邸内で自由に動かれ、自分の目の届かない場所でなにをしでかすかわからない。そんな不安ゆえに自分の補佐として傍に置いたメグは、拍子抜けするほど底抜けに“善良”な人間であった。
あれを警戒するなんてバカげている。『裏表のない、いまどき貴重な存在』と評した主人は正しいと言わざるを得ない。
『アイリーン奥さまも物笑いの種になってしまうってことになりませんか?』
不安げに揺れながら自分を見上げた焦げ茶色の丸い瞳を思い出す。
彼女は心配だという感情を隠しもしなかった。
「空気の読める忠実でかしこい小型犬、という感じですかね」
たった数日で、邸内の人間の心を開き信用された。
警戒心を解いた人物の中に、自分も含まれているのかと思うと少々複雑な気分になった家令は、その日最後の溜息をついた。
◇ ◇ ◇
お屋敷の皆とも仲良くなって数日が経って。
わたしはお仕事の合間に礼儀作法とやらを教わるようになった。
いや、必要ないですよって言ったんだけどね。もしかしたらこの先、奥さまの侍女として付き従うかもしれないって言われちゃったんだよ!
もしそうなったら貴族である奥さまの傍に控える人間が無様で下品な態度をとるわけにはいかないでしょ? 奥さまに恥をかかせちゃうでしょ? 少なくとも最低限の礼儀作法は必要だよねって言われてね。納得しちゃったんだよね。
うつくしい所作、うつくしい姿勢、うつくしい態度って、一朝一夕でできるものではないからまぁ頑張れと、皆に励まされながら頑張っているよ!
そんなある日。
わたしはお使いを頼まれた。アイリーン奥さまが会長を務めるローズロイズ商会へ書類のお届けをしなくちゃならない。
レイさんから『奥さまに手渡しするように』と託された書類ケースを胸に出発だ!
とはいえ、場所が分からないから小さめの馬車を出して貰った。
レイさんはわたしにお金を数枚握らせて『帰りに買い物でも楽しみなさい』って言ってくれた。でも『買い食いはみっともないので自重するように』だって。
レイさんってば、お母さんみたいだね!
馬車の中でレイさんに渡されたコインを見てびっくりしちゃった。まさか銀貨を渡されるとは! ぜったい銅貨だと思ってた。慌てて手作りの巾着袋に仕舞う。このお金は大切にとっておこう。
◇
馬丁係の使用人にお礼を言って、ローズロイズ商会の裏手で馬車から降りた。お客さまなら正面玄関から出入りできるけど、今日のわたしは使用人だからね。裏口から出入りするんだ。
裏口のドアを開けて入ると、すぐに守衛室があって誰何された。訪問目的を告げるとわたしの来訪を知っていたらしい守衛さんが部屋から出てきて、すぐに会長室へ案内して貰えた。
わたしの態度、可笑しくなかったよね?
今のわたしはただのメグじゃない。ロイド女男爵さまのお使いとして来ている。バロネスさまのお使いが粗相をすれば、それはバロネスさまの、アイリーンさまの瑕疵になってしまう。だから問題なくお役目を果たさなければ!
「マーガレット・メイフィールド。ロイド邸で元気にしてたか?」
わたしの案内をしてくれてる守衛さんが振り返ってそんな風に話しかけてきた。
え。あんた誰?
……ん? どこかで会ったことある人、なのかな?
まじまじと見詰めちゃったけど、わたしローズロイズ商会の本社建物に、今日、初めて入ったんだけど。知り合いなんていないはずなんだけど。
あぁ、『ハジメテ』は従業員としてね。お客としてなら販売エリアに入ったことあるよ、もちろん。
商会の正面玄関にも立ってる守衛さんの黒い制服はちょっとカッコイイよね。金色のモールと金色のボタン。黒い帽子。
……誰? 知り合いなんていないよ?
「あれ。酷いな、忘れたのか?」
そう言って守衛さんが帽子を取った、その顔。
んん? どこかで見たような気がする。どこで?
黒い髪に黒い瞳。ハンサムさん。
……あれ?
「もしかして、騎士さま⁈」
わたしを無理矢理ロイド邸に連れて行ったあの青の騎士さまだ!
「あぁ、よかった。覚えていてくれて」
そう言って、あの日より幾分親しみやすい笑顔を向けてくれた。……笑顔、だよね? 唇の端をもにょって動かしたのは。
「そんなに俺、特徴ないかねぇ」
そういいながら自分の顎を触って撫でた。
「いやいや、お衣装が違えば分かりませんよ!」
帽子被っている人の顔なんて、いちいち覗き込まないもん。制服着てるから守衛さんだなぁって思うし。
「きみは観察眼がないな。服装が違うだけで分からなくなったら犯罪者はやりたい放題だぞ?」
帽子を被り直しながらそう言うけど。
「えぇー? そうですかあ? じゃあ、わたしがどんな格好をしていても騎士さまはわたしが分かるって言うんですかあ?」
ついつい反論してしまうわたし。だって、なんか悔しいじゃない?
「解かるぞ。……っていうか、俺は『騎士さま』じゃない。……もしかして、俺の名前も覚えてない?」
黒い瞳が呆れたような色を孕んでわたしを見下ろした。なによ、ちょっと背が高いと思って!
「一度聞いたくらいで覚えられたら苦労はしていないんです!」
ふーんだ!
「威張るな」
「でもわたしバカだから」
うん、バカなんだよねわたし。だからこそ、あのバカヤローに騙されたんだし。人を見る目がないってことだよね。
「そんなことないだろ? レイからもアイリーンからも聞いてるぞ。マーガレット・メイフィールドは物覚えがいいって。根っからの働き者で、一度注意された失敗は二度と繰り返さないって」
あら。おふたりがそんなことを仰ってるの?
「……それって、普通のことじゃないですか?」
たしかに、レイさんに言われたことある。失敗は誰でもするって。その失敗を教訓にするかどうかはその人次第だって。
「優秀だと、俺は思うね」
そうかな。あのおふたりが褒めてくれるなら嬉しいな……あれ?
んん? なんか気になる……。
「えーっと、騎士さま、でないなら、その……名前を伺ってもいいですか?」
「俺はアルバート。アルバート・エゼルウルフだ。こんどは忘れるなよ? これからたびたび会うことになるだろうし」
騎士さま改め、エゼルウルフさまが笑顔を見せてくれる。
……笑顔、だよね? 目が笑ってるもんね。
でも口元がもにゃって変な動きしてる……笑顔、だよね?
「え? たびたび会う?」
「お前、アイリーンの秘書をやるんだろ? 俺は今この商会の護衛の任についてるから」
んん? ちょっと待って!
聞き捨てならない単語があったよ!
わたし、アイリーン奥さまの秘書になるの? 聞いてないよ?
それにエゼルウルフさまは、奥さまを呼び捨てにするような仲なの? そういえばレイさんのことも「レイ」って呼び捨てにしてたね。もしかして、仲良し?
アルバート・エゼルウルフさま。
今は護衛の任についてるって言ってた。じゃあ、まえは? 以前はなにをしていた人なの?
まえは青い騎士服を着ていた。腰に下げた重そうな剣が怖かった。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せいていた。
わたしを軽々と扱った。
今は?
少なくとも、眉間に皺は寄っていない。さっきは笑顔だったし。ローズロイズ商会の黒い守衛さん専用の服。腰にやっぱり重そうな剣。
いったい、この人はどんな人なんだろう。
あのバカヤロー以来、わたしがはじめて興味を持った男の人がエゼルウルフさまだった。