8.家令のレイさんは……逆らっちゃダメな人です
レイさんは顔色を変えないまま説明を続けてくれる。
「ジェフリーさまは憲兵に“妻の捜索願い”を出したそうです」
わたしをはじめとする使用人のみんなは驚きが止まらない。
「どういうこと?」
「ジェフリーさまの妻って、アイリーンさまじゃん……」
「アイリーンさまが誘拐なんかされた日にゃあ、俺ら呑気にメシ食ってる場合じゃねぇぞ?」
使用人たちの“ざわざわ”が止まらないよ!
「ジェフリーさまは王宮の官吏としてお勤めなさっていますが、普段は宮殿内の官吏宿舎に寝泊りしているのは皆も承知していますね?」
レイさんの説明にみんなは頷いているけど、わたしは『へー、そうだったんだ』っていう感想しかない。
「その官吏宿舎に探りを入れたところ、ジェフリーさまが探している妻とやらの特徴が、どうもメグのことのようで」
みんなの視線が一斉にわたしに刺さったよ! 視線のくせに痛いよ!
「ヘイゼルの背中を覆う長さの癖毛。濃げ茶の丸い大きな瞳。高くも低くもない鼻に小さめの唇。全体的に可愛らしい雰囲気の中肉中背で胸の大きめな18歳女性。……と言われてアイリーンさまを連想しますか?」
「しませんね」
「しねーな」
「メグなら、する」
「メグだな」
「メグしか思いつきません」
みんなの意見は一致してるね!
アイリーンさまは金髪碧眼で、すらりとお背が高い美人さんだもんね。わたしと同じところは性別と胸の大きさくらいかなぁ。
「ですよねぇ」
レイさんは大きなため息をついて言葉を繋ぐ。
「でも貴族であるジェフリーさまが“妻が誘拐された”と訴えたら、憲兵としたら捜査しないわけにはいきませんよね。一応、ジェフリーさまの貴族戸籍を確認して彼の妻の安否確認に来るのは当然ですね。ですが、彼が訴えている妻の人物像と、ロイド女男爵との人物像が噛み合わないと警備隊の内部で大問題になっているそうで」
うわぁ……。なに? それ。
「しかも、ジェフリーさまは“俺のメグが”と妻の名を呼んでいるそうで」
ええぇぇ?
「貴族台帳に記載されているそれを照会したところで、どう頑張って愛称をつけても“メグ”にならないぞ? と王宮内でもちょっとした話題提供……ぶっちゃけ噂の的になっているそうで」
う゛えぇぇぇぇぇぇ???
警備隊の内部だけじゃなくて、王宮内でも噂になってるの?
「“ジェフリー・ロイドは愛人を囲っていたが逃げられた”と嘲笑の的になっているとかで」
ここに至って、わたし、気がついたよ!
レイさんってば、面白がってる! それもとびっきり!
「もちろん愛人を囲っている貴族はいます。ですがそれを大々的に喧伝して回るような強者はなかなかいません。しかも逃げられたとあっては……ねぇ。彼の今後の立場はどうなってしまうのか、楽しみでなりませんね」
その言葉どおり実に実に楽しそうに笑う(嗤う?)レイさん。
彼女の横顔を見ながら、わたしはひとつの疑問を思いついてしまった。
「それは……アイリーン奥さまも物笑いの種になってしまうってことになりませんか?」
貴族社会のことはなにも分からないけど、そういう見栄とか名誉とかを重んじる世界だと聞いた。夫であるあのバカヤローが笑われているなら、妻であるアイリーンさまのお立場はどうなってしまうのだろう。わたしのせいで、アイリーンさまが笑われるなんて嫌だ。
「奥さまは子どもができないまま三年経ったら離婚すると仰っていました。今年でちょうど三年になりました。そして今現在離婚に向けて準備に入ってます。あなたが心配することはなにもありませんよ」
レイさんがわたしの頭をぽんっと撫でてくれた。その目がちょっとやさしい気がする。
「もともとあちらから契約違反を犯していますからね。多少の金銭は必要でしょうが、協議離婚が叶いそうです」
契約違反っていうのは、あのバカヤローが月に一度のする日を無視し続けていることとか、奥さまが社交にでるときのパートナー役を直前でキャンセルすることとか、小さなことが何度も続けられていたんだって。
でも奥さまから離婚を言い出すから相手から違約金とか慰謝料とかを取れるかは未知数なんだとか。むしろ「和解金」という名目で奥さま側から出す必要があるかもしれないんだって。よく分からないけど理不尽な気がする。
「おふたりの離婚が成立したら、あなたとジェフリーさまの仲は不倫ではなくなりますが、どうします?」
少し心配そうな顔をしながらレイさんがわたしに訊くけど。
「どうもしません。いやですよ、あんな妻に隠れて浮気するような男。どうせまた繰り返しますから」
わたしがそう返事をすると、周りのみんなも「違いない!」「メグの判断は正しい!」とか大騒ぎになった。
レイさんは黙ってわたしの髪を撫でてくれた。
◇
「今日もいい天気ですねぇ」
わたしは今もロイド家にいる。
あれから二週間。めでたく月のモノが来たよ!
ここで働くのが快適で楽しくて、ずっとここで働きたいなぁって思ってたから“月のモノが来ました! だからこのまま働かせてください!” ってお願いした。奥さまはちょっとだけびっくりしたけど、すぐに笑顔をみせて快く了承してくださった。
だからお部屋も住み込み使用人用の一室に移して貰ったの。
お借りしていた客間に比べたら断然狭い。
そもそもあれは『お貴族さま』をもてなすためのお部屋。個人のために二部屋も三部屋も必要とするお立場の人用。
こっちは普通のお部屋でほっとしたよぉ。一人一室のお部屋だよ! それだってわたしにしたら凄いことだと思うよ。
ベッドも幅が狭いものになったけど、それはむしろ今までの生活だったら贅沢と言える部類。マットレスがもう格別にいいもん! この家のマットレスは客間のものはもちろん、使用人用のものも最上級だね。両方寝たわたしが言うんだから確かだよ!
物書き机と一人用のクローゼット(わたしの髪色なら似合うんじゃないの? 新品じゃない? と疑ったドレスが入っていてやっぱり~と思った)がこぢんまりと並べられた狭い部屋。落ち着くわ~。
人間、分というものがあるもんね。死んだおかあさんも身の丈にあった生活をしなくちゃねってよく言ってたもん。
◇
銀器を磨くのは家令の大切なお仕事なんだとか。
毎日きちんと磨かないと曇っちゃうんだって。
つねに白手袋を着けているレイさんと並んで、わたしも白手袋をはめて銀のスプーンを磨く。作業しながらお喋りって楽しいですよね。
でも、余分な湿気というか唾が飛ぶといけないからってマスクしながらの作業です。面白いよね。
ちなみに、レイさんが燕尾服姿なのはそれが動きやすいからなんだって。
うん、中性的な美貌の主であるレイさんにはお似合いだよね。わたしはメイドのお仕着せで足首まである長いスカートに白いエプロン姿。ちょっと憧れていたメイド服を着られて嬉しいんだ。
「令嬢待遇を受けていたのにそれを蹴り、使用人扱いされた方が喜ぶ人間を初めて見ましたよ」
レイさんがわたしとの他愛ないお喋りに付き合ってくれる。
「誉め言葉ですよね⁈」
今までスプーンの曇りを見過ごすまいと一心不乱に銀器に向けていた目を隣のレイさんに向けてみれば。
「……メグに限っては、たぶんそうでしょう」
なんて言いながら拭き拭きして視線も寄越してくれないの。レイさんってば冷たーい。
でもまじめにナイフの先を見つめる瞳がちょっと怖い気がするから、多くは望むまい。
「人間、分相応に生きなければいけないんですよ!」
そんな風にわたしが言えば、隣の気配がちょっとだけ緩んだ。
「まさか、年下の人間に教わることになるとは思ってもいませんでした」
カチャリと音をたててテーブルにナイフを置くレイさん。次のナイフを手にとると白いクロスで磨き上げる。
「あぁ、人生ってのは坂道ばかりだって、昔聞いたことありますよ。上り坂、下り坂、そして“まさか”だって」
わたしがそう言うと隣からくすりと笑う気配。
「定番ですが、メグの口から聞くとは思いませんでした」
「まさか! ですね」
ふだんは無表情に近いレイさんが微かに笑ってくれたから嬉しかった。
そういえば、いつのまにか『メグ』って呼んでくれてる。これもちょっと嬉しい。