7.働くのは楽しいのに、不穏な情報が入りました
翌日、日が出る前に起きたわたしは、自分のカバンに詰め込んでいた質素なワンピースに着替えた。
厨房を手伝うのにお借りしているドレスでってわけにはいかないもんね!
髪をまとめて厨房へ行けば、数人の若い使用人が作業をしていた。声をかけて食材の下拵えを請け負う。
芋の皮むき……楽し過ぎるっっっ そのほか、各種野菜の下拵えと小麦粉を捏ねてパン生地を作って。
お肉には触らせてもらえなかったけど、お皿の用意をしたりお鍋を洗ったりしていたら、レイさんやメイドさんに呆れられた。
「本当に働いてる……」だって。
「あなたは客人扱いなんですよ?」
レイさんがあきれ顔で言うけど、客人扱いとやらもう無理です。ごめんなさい、居た堪れないです!
「どうか働かせてくださいっっ」
お祈りするときみたいに両手を組んでレイさんに向けて懇願する。昨日働いていいって言ったのレイさんじゃないですかぁ!
レイさんは呆れたのか諦めたのか知らないけど、大きくため息をついた。
「では、私の見習いをしなさい」
はい、喜んで! 家令のレイさんの補助ですね! 任せて下さい!
わたしはレイさんの指示の元、お屋敷の中を助っ人としてあちこち走り回るようになった。
お洗濯もできるし、お掃除もできます!
ここは最新式の魔導具がたくさんあって凄く楽! 時短になるね! さすがっ! わたしみたいに魔法が使えなくても魔導具って使えるんだよ。誰もが微量でも魔力を持っているから使えるんだって。そういう設計で作ってくれた魔導具師さんっありがとう!
お庭の樹木の剪定はやっぱり専門の庭師さんにお任せした方がよかったみたいだ。うん、センスって必要なんだね。
でも、レイさんが算出した予算工程表の計算間違いに気がつくこともできたし、「読み書き計算もできるとは。メグは重宝しますねぇ」というお褒めの言葉もいただいちゃったよ!
……お褒めの言葉、だよねぇ?
嫌みだったのかなぁ。
でも定食屋でも計算ができるって重宝されたから、珍しい部類かもしれないね。
ぜんぶ、わたしの死んだお母さんが教えてくれたこと。
お母さんはもしかしたら早死にすることを予見していたのかもしれない。自分の知っていることや知識をできるだけ教えたいって言ってたし。もしものときに役立つからってね。
◇ ◇ ◇(数日戻る)
ジェフリー・ロイドは愕然とした。
昨夜、愛するメグを怒らせてしまった。どうやら彼がうっかりして自分が既婚者であるという重大な情報を伝え忘れていたらしい。貴族であるということにも戸惑っていたメグだ。ジェフリーの妻の存在を知り、動揺してしまったのだろう。
メグという平民の女性に家を買い与えたが、彼女は慎み深く、質素倹約を旨としジェフリーが彼女と共にあることを強く望んだ。
彼女が真っ先に心配したのは、自身の身を飾る宝飾品やドレスよりジェフリーの体調だった。
一緒にいられて嬉しいという気持ちを隠そうともしないメグ。
甲斐甲斐しく彼の世話をしながらも、笑顔でくるくると働くその姿はどれだけ見ていても飽きなかった。
自分の愛情を向ける相手はここにいたのかと感動すらしていたのに。
一晩経って落ち着いただろうと帰宅してみれば、自宅に愛するメグの姿はなかった。それどころか、部屋は火の気が消え、荒らされめちゃくちゃになっていた。
「メグ? どこだ、どこにいるんだ、メグ!」
あの綺麗好きで働き者のメグが、部屋をこんな状態のままにしておけるはずがない。
これはもしや、誰かに無理矢理連れていかれた痕跡なのでは?
金目当ての強盗?
それともメグを狙った不届きな輩?
夜にも関わらず、ジェフリーは憲兵に届け出ることにした。愛する妻が攫われたのだから!
◇ ◇ ◇
わたしがレイさんの指導のもと、ロイド家で働き始めた2日目の朝、ロイド邸を憲兵が訪問した。
「突然で申し訳ないが、奥方様はご在宅か?」
髭を生やした体格のいい憲兵さんが、そう言って玄関前にいた。
わたしは慌ててレイさんを呼んで対応して貰った。奥さまのご予定なんて知らないもん。たまたま玄関前のポーチを掃除してただけだからさ。
わたしはそのまま自分の仕事に戻ったんだけど、なんだったんだろうね?
◇
わたしからしたらロイド家は立派な貴族のお屋敷で、すっごく広いって思うんだけど世の中にはもっともーーーっと大きなお屋敷があるんだって! 貴族にも格の違い? とやらがあるんだって。
このロイド家の毎日は女性の使用人が5名、男性の使用人6名が支えている。少数精鋭で色々兼任しつつやってるんだって。最新式魔導具を導入しているお陰ってのもあるのかも。
奥さまの秘書が身の回りの世話をする侍女を兼任していたり、庭師が馬丁を兼任してたりね。コック長は用心棒的なことも出来るんだって! みんな凄いね!
でももっと大きな貴族のお屋敷にお勤めだと、例えばコックはコックの仕事しかしないんだって。しかもパンだけを焼く職人とメイン料理をつくるだけの職人(それも肉料理専門と魚料理専門がそれぞれいるんだって!)とデザート専門の職人と別々に存在するっていうんだから、驚いた!
わたしが働いていた下町の定食屋でデザートは出なかったけど、おじさんはメイン料理が専門ってわけじゃあなかったよね? パンも焼いてたもん。その余ったパンをわたし用にって、甘く調理し直してくれたなぁ。おじさんの作るパンプティング、食べたくなっちゃったな。
「あぁ、そのことですがメグ。あなたはしばらくあの定食屋に顔を出さない方がいいでしょう」
懐かしい食堂の話をしながら使用人のみなさんと一緒にお昼のまかないを食べているとき、レイさんにそう言われたわたしは首を傾げた。
なんで? こんどの休日に遊びにいこうかと思ってたんですけど。
あの騎士さま経由でおばさんたちには事情説明されてるって聞いてはいるけど、顔を見せた方が安心するでしょ? 元気にロイド家で働いてますって言いに行こうとしてたんだけど。
「ジェフリーさまがメグを探してあの定食屋にも訪問しているそうです」
「え゛」
思わず低い声で疑問の声をあげちゃった。あのバカヤローに探されてるの? なんで?
「なになに? どういうこと?」
「ジェフリーさまってば、未練タラタラなんじゃない?」
使用人のみんなはわたしの事情を把握しているんだよね。なんせ最初にこのお屋敷に滞在した理由が「ロイド家の跡取りの母体かも」だったからね。大事にもてなされたし。
……妊娠、してないといいなぁ。あのバカヤローの子どもなんて生みたくないもん。奥さまの子どもなら生みたいけど。
「今日の午前中に憲兵が尋ねてきましたが、『ジェフリー・ロイドが“妻が誘拐された”と訴えている』とのことで、奥さまの安否確認に来た模様」
「「「はあ?」」」