36.わたしらしく
とうとう今日は万国博覧会の最終日!
一ヵ月、経ったんだねぇ。いろんなことがあったけど、おおむね楽しかったし、色々と気がつくことができたし、いろんな物を知っていろんな人と知り合うことができて……。うん、ひとことで言えば有意義だったな。
万博が始まるまえは、そんな催し物があるってこと自体を知らなかったんだから、わたしってば成長したなぁ!
それもこれもアイリーンさまに会うことができたから。
アイリーンさまに会えて、やさしい人たちと知り合うことができて、本当に良かった。
ジェフリーとの恋を失って嫌な思いもしたけど、それ以上の成果があったと思うから、あの出会いも悪いことばかりじゃなかったんだなぁって、今なら思うよ。
こういうの、ことわざにあったよね。なんだっけ。
うん、これだ。「今日の喜びは明日の悲しみ。悲しみの朝のあとには、喜びの夕べが訪れる」ってやつ。
ジェフリーと別れて、わたしってなんてちっぽけでつまらない存在なんだろうって自覚して落ち込んで。でもいい出会いに助けられて楽しい毎日になって。
そういえば。
アルバートさんにむりやり連れてかれて、初めてアイリーンさまに会うはめになったときは、むっちゃくちゃ怯えてたんだよね。
お貴族さまのご夫人に会うなんて初めてだったから。すっごく怖かったもん。
普通のご夫人だったら鞭打ちとか刑罰を与えられていたかなぁって思うと、ジェフリーの奥さまがアイリーンさまで、本当に良かった。命拾いしたってこのことだよね。平民が貴族を怒らせたってだけで罰を受けるのが当たり前なんだもん。
わたしってば運が良かった!
そう思うと、人との出会いって不思議。
だからね、思うんだ。
アルバートさんと知り合えたことも、きっといい出会いだったって思える日が来るはずだって。今はまだ、ちょっとだけツライけどさ。
いつかはきっとね、良い思い出になるって。
時間はかかるかもだけど。たぶん、きっとね。
年の差のこととか、なにより身分違いだし、アルバートさん自身の気持ちだって分かんないんだし。
時間はかかるかもだけど、良い思い出になるよ。きっとね。
◇
「ほんとうに、それでいいの? メグ」
赤ん坊のアドニスくんを抱っこしてあやしながらシェリーさんがわたしに訊く。
なんで訊かれているのかっていうと、アルバートさんと恋人のフリをしているっていう話をして以来、恋愛相談はもっぱらシェリーさんにしていたから、かな。
しかも、わたしの周りできちんと恋愛して結婚した人たちって、実はシェリーさんとヴィーノさんのおふたりだけだってのも理由かも。
シェリーさんは産休中だけど商会本店のすぐ近くに住居があるから、会おうと思えばすぐ会いに来れるし。
そんな(わたしから見れば)恋愛上級者のシェリーさんに、決意表明? っていうのかな、“わたしは気持ちを整理しましたよ”って伝えたんだ。
シェリーさんの腕の中、つぶらな瞳でこちらを見ているアドニスくんを見つめる。
生まれてからもう一ヵ月かぁ。日に日にぷくぷくになって可愛くなるアドニスくん。“愛の結晶”か……。
そういえば、アイリーンさまに訊かれたことがあったなぁ。
『メグは今、そういう相手はいないの? この人の子どもなら生んでもいいっていう相手』
あのときは、アイリーンさまの子どもなら生みたいって答えたっけ。
今は……。
「私は、恋人のフリがそのまま本物になると思ってたんだけど」
シェリーさんがなんだか残念そうに言う。
「ふふ。もうわたしは賢くなったので、貴族の方と不毛な恋愛なんてしません」
わたしはきちんと笑って答える。表情の作り方もちゃんと習っているからバッチリだ。
「うーん、身分差、かぁ……」
「それにアルバートさんもロブさんやサミーさんと同じように、アイリーンさまを大切に思っているって知ってるから……。あの方に片思いしてる人に片思いって、不毛の極みじゃないですか」
「え」
赤ん坊をゆりかごに戻していた姿勢のまま固まったシェリーさんは、顔だけこっちに向ける。なんだか怪訝な顔してるよ? あれ? あの人たちがアイリーンさまに思いを残しているってこと知らないのかな。
「片思いを続けるのって、やっぱりそれなりにシンドイでしょ?」
わたしはそんなに辛抱強くないもん。ロブさんたちはスゴイっていうか辛抱強いっていうか、……ぶっちゃけシツコイよね。
「えー、あぁ、そうねぇ。副会長たちを見れば、そう思うわよねぇ……?」
「そうですよ」
やっと動きを再開したシェリーさんは、自分の首や肩を手でマッサージしながら言う。相変わらず怪訝そうな顔してる。
「んー。それは、そうかもしれないけど。なんか……メグらしくないっていうか」
「え?」
わたしらしく、ない?
「ジェフリー・ロイドにあれだけポンポン言えたメグが、アルバート卿に好きって言わないまま思いを封印しようだなんて、らしくないなぁって」
シェリーさんが首を傾げながらことばを続ける。
「好きだからこそ、かもしれないけど。でもジェフリー・ロイドも好きだった人でしょ。なにが違うんだろう。自分でわかる?」
なにが違う?
つまり、それは……ジェフリーは好きだったけど、もう関係ない人だから。もう会わないって、関わらないって決めた人だから。
だからこそ、言いたいことを言った。……のかな?
うん、そんな感じ。
じゃあ、アルバートさんは?
時間が経てば辛くなくなるって思うなら。
もうこの気持ちは忘れるって決めたのなら。
それはつまり、もう関係ない人になるってことだよね? ジェフリーと同じってこと? 過去の男になる?
それなら……、最後に言いたいことを好き勝手言ってもいいんじゃない?
身分差とか、年の差とか。
アルバートさんから見たわたしって、保護者みたいな気持ちで心配してるんだろうなぁっていう諦めの思いとか。
いろいろ気になってたことをぜんぶ、取っ払って。
そこに残った単純なわたしの気持ちを。
好きっていう思いを。
その一言だけ、言っちゃっていいんじゃないのかな。むしろ、言わないなんてわたしらしくない。
そう思ったら、なんだか心がフッと軽くなった。
アルバートさんへの気持ちを忘れなくちゃって思ってたけど、無理して忘れることもないよね。
だれにも言わないで失くしちゃおうなんて、人見知りで深窓のご令嬢みたいじゃん。そんなの『わたし』じゃない。
うん。
言おう。言っちゃおう。その方がわたしらしい。
どうせ応えてはもらえないだろうけど、それでもいいじゃん。
アルバートさんはやさしいから、わたしが好きって言ったら……きっとちょっと困ってしまうんだろうなって思うけど。
でもちょっとくらい困らせちゃえ。
それくらい、許してもらおう。いいじゃん、いいじゃん。
信じられないくらい気持ちがラクになった。曇り空から急に光り射す晴天になったような。
水たまりを見つけて飛び込んだときみたいな、ちょっとワクワクした気持ち。
「シェリーさん、ありがとう! 自分が本当はどうしたいのか、分かった気がする」
わたしがそう言うと、シェリーさんは心配そうだった顔をいつもの笑顔に戻してくれた。
「やっぱりシェリーさんに聞いてもらって良かった。アルバートさんに自分の気持ちをはっきり言ってみるね」
「私か旦那が立ち会う?」
第三者立ち会いの元、告白するの? それって、まるでジェフリーに言ってやったあのときみたいだ。
そういえばあのときは、ヴィーノさんに奴を取り押さえてもらってたからこそ、言いたいこと言えたんだった。
シェリーさんの顔を窺えば、冗談で言ってるんだって分かる。
だからわたしは笑って答える。
「だいじょうぶだよ。アルバートさんは激昂して掴みかかるなんてことしないもん」
わたしの答えに、シェリーさんは目に見えて肩の力を抜いた。
「じゃあ、アルバート卿に振られたら、うちの子の未来の嫁になる権利をあげるからね!」
「あははは! ツバメくん候補が増えた!」
「あぁ。なんだっけ。メグが拾ったっていう迷子……ラウール・ブランカくん、っていったかな。隣国のブランカ商会の御曹司。うちのアドニスの強力なライバルだね!」
「うふふ。モテモテで困っちゃうな~」
「ブランカ商会も今日帰国するんでしょ? また泣かれちゃうんじゃない?」
「うん。今晩の閉会式の後でいっしょに花火を見ようねって約束してるの」
「あらまぁ! もうデートの約束してるの? すごいわね、昨今の7歳児は!」
万博最後のスケジュールは閉会式。出展ブースを片付けたら、閉会式後にあがる花火をみんなで観ようって約束してるんだ。もちろん、アイリーンさまやロブさんたちともね。
そうだ。
花火のあとにでも、アルバートさんに言おうかな。
好きです、って。
◇ ◇ ◇(シェリー視点)
シェリーは自宅玄関で、これから万博へ向かうというメグを見送った。
メグがこの家を訪れたときには、だいぶ暗い顔をしていたので心配したが、それも払拭されたようでほっとした。
「……それにしても……アルバート卿がアイリーンさまに片思い……?」
かの人の顔を思い浮かべながら、さてあの御仁にそんな事実はありえるのだろうかと首を傾げたシェリーであった。




