30.万国博覧会、開催(三人称)
この30話は三人称でお届けします。
◇ ◇ ◇
10時ちょうど。高らかにファンファーレが鳴り響き、この国初の催しが開催された。
その名も『万国博覧会』。周辺諸国からも参加者が押し寄せる、技術、芸術の粋を集めた展示会。
「楽しみだね」
この国の王太子が隣に立つ己の妃にこっそりと囁いた。開催式典で開催宣言をし、彼は妃の隣に戻ってきたばかりだ。
「えぇ」
うつくしい金髪の王太子妃はにこやかに微笑んだ。
「ひさしぶりにアイリーンに会えると思うと、楽しみも倍増いたしますわ」
彼女の従妹姫が年若くして興したという商会は、主に女性向けの商品を多く取り扱っている。親戚だという理由だけで王家御用達にするわけにはいかないが、こんなときにまっさきに会う権利くらい、与えてもいいだろう。妃も喜んでいるし。
式典が終われば、すぐにその商会へ訪れる手筈になっている。そのあと出展が許されたいくつかの国のブースや、最新魔導具ばかりを取り揃えた会場を巡り万博の雰囲気を楽しめたらいい。
王太子は微笑む妃を横目に、そんなことを考えていた。
◇
開催式典を終え、万博開催委員の委員長に案内されながら、護衛を大勢引き連れた王太子夫妻がまっさきに訪れたのは、新興ではあるがこの国一番と噂されるローズロイズ商会の出展ブースである。
ここのブースは、ある種、異様な雰囲気を醸し出していた。
他の出展ブースは、色とりどりのポスターなどで飾られ賑やかであるのにくらべ、ここには色味というものがなかった。
壁一面、隙間も見せずに貼られた絵には一人のうつくしい女性がモチーフになっているのが解るのだが……。
「あら? アイリーンは?」
立ち止まった王太子妃が見渡しても、そこには同じ濃い色の制服を着た女性従業員が4名ほど、壁際に並んでいるだけ。
そして黒い制服に金ボタンの護衛役が2名。
王太子妃は『ここは壁紙も従業員もモノクロームなのね』とこっそり考えた。ブース中央に置かれているガラスケースの中にある化粧品が逆に目立つわ、とも。
優雅な曲線を描き黄金色の装丁が施された化粧水の瓶などを見れば、まるで従妹本人を連想させる出来上がりだ。
「こちらを」
脇に控えていた黒服の護衛が、王太子へと紐を提示した。
そういえば、なにかの除幕を頼まれていたなと思い出した王太子は、護衛が差しだした紐を引っ張った。
果たしてそこには。
ガラスケースの向こう側にこんもりとあった布がサッと取り払われ。
「まぁ! アイリーン!」
王太子妃の従妹姫、ロイド女男爵であるアイリーン・アレクサンドラ・カレイジャス侯爵息女が嫣然と微笑み佇んでいたのだ。
彼女の登場に、その場は騒然となった。なぜなら彼女は女神と見紛うばかりの金髪をもつ美貌の主であったから。
しかも。
「どうしたの、その恰好」
うつくしい金髪を高く結い上げ黒い燕尾服を着ていた。
まるで執事のようなストイックな姿であるが、身体の線をくっきりと描くその服は彼女の豊かな胸や細い腰が逆に強調され、妖艶な雰囲気さえ醸し出している。
「あなた、男装していても色っぽさを隠せないのねぇ」
クスクスと笑いながら気安い空気で話しかける王太子妃にとっては、見慣れた、懐かしい従妹姫に過ぎない。
ロイド女男爵アイリーンは優雅に一礼(淑女のカーテシーではなく、紳士のそれであった)すると、
「王太子殿下。ならびに妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。ますますの仲睦まじさに、臣下を代表しお慶び申し上げます」
と、挨拶の口上を述べた。彼女の優雅な立ち居振る舞いに、そこここから感嘆の溜息が漏れ聞こえた。
「アイリーン卿。本日は新しいタイプの商品があると聞いていたが」
王太子の問いに、ロイド女男爵は優雅に微笑んだ。
「はい。こちらをご覧くださいませ」
アイリーンの白い手袋をはめた手が動き、ガラスケースの上に翳された。そしてゆっくりとケースの中に手を入れる。その手はガラスに隔たれることなく中に入ると、指の長さの小さな筒をひとつ、取り出した。
「ほう。このガラスは……」
「おそれながら殿下。我が兄の開発した新ガラスでございます。魔導具館へおみ足を運ばれましたら、同じものが展示されているかと」
王太子はアイリーンが取り出した商品より、ガラスケースの方に興味を惹かれたらしい。アイリーンはそれ以上彼には話しかけず、王太子妃に向かってプレゼンを始めた。
「こちら、新型の口紅ですの。論より証拠ですわ。ほら」
かちゃりと音を立てて筒のケースが外されると、下部をぐるりと回した。と同時に内部からぐるっと回転しながら紅の塊が顔を出した。
「まぁ!」
その画期的な形態に驚きの声をあげる王太子妃。少し嬉しそうである。
「これは、そんなに画期的なのか?」
「殿方であらせられる王太子殿下には、ピンとこないのかもしれませんね。でも妃殿下ならばお判りでしょう?」
アイリーンは自分で自分の唇に向け、その口紅を塗る動作を見せた。
紅の塊はうつくしく斜めにカッティングされ、それ自体が紅筆のようだ。これは、自分の手で口紅の塗り直しが容易にできるだろうと推測できた。
「なるほど、たしかに画期的ですわ!」
妃がこれほど喜ぶのならそういうものなのだろうと思った王太子は、アイリーンの次の動きに目が釘付けになった。
彼女はにこやかな微笑みを見せると、くるりと背中を向けた。
向かった先は壁。一面に描かれているのは、荒い線ではあるがアイリーンの姿であると解った。
そのちょうど同じ目線のところにあった一枚のアイリーンの絵。
それは目を瞑って上を見上げている彼女を正面から見た絵だったのだが。
アイリーンは自分の絵の唇部分に、持っていた新型の口紅で色を落とした。
モノクロームの絵の中、そこだけ色が乗ってぽつんと紅い唇が出現した。
艶やかに光り、ぽってりとした唇が今にも動き出しそうな臨場感が加わり――。
振り返ったアイリーン本人が妖艶に微笑んだ。
「ね? 紅筆が不要ですもの。殿方が奥さまにお色を付け直すことも、できましてよ?」
その後、王太子妃は自分に似合う色の口紅を従妹姫から献上され大層機嫌よく次の訪問先へ足を向けた。
王太子は、妃の唇にあれを塗るのにロイド女男爵のような妖艶な雰囲気を醸し出すにはどうしたらいいのだろうと、益体もないことを考えていた。
◇
万国博覧会が開催され、開催記念式典が始まったのとほぼ同じ時間。
男は、とある商会の前に立っていた。
男はここ最近には珍しく、とても気分が良かった。
彼の不幸の源であった憎い相手に一矢報いてやったのだ。
夜間に忍び込んだ万博会場、出入り口そばの一角。
専用ブースの中央にあった、布をかけられた等身大のあの看板。めちゃくちゃに壊してやったから、とてもすっとした。
壁に飾られていた大振りのポスターにもペンキを投げつけたあと切り刻んだ。特殊な紙らしく、壁から剥がすことはできなかったが、その分ナイフで切り刻み痛めつけてやった感が倍増した。
ガラスケースにも汚泥をぶちまけてやったし、ざまあみろだ。
惜しむらくは、苦悩するあいつの顔を直接拝むことができないことくらいだと男は思った。
諸外国から来賓が訪れる万博会場の警備は厳重。
開催前の深夜に、夜陰に乗じ忍び込むことは可能でも、昼日中に紛れ込むことはできなかった。
なによりも。
(今日なら従業員どもは万博に駆り出されているだろう)
思ったとおり、ローズロイズ商会本店は『本日休業』の札がかけられていた。
大通りの正面玄関ではなく、裏通りに面した使用人専用出入り口に回れば、やはり人影はない。
(金目の物、いただくぜっ!)
男はレンガブロックを振り上げ、扉のドアノブを破壊した。
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