3.おばさんたちに報告したよ
「あのバカヤロー、既婚者だった。結婚して奥さまがちゃんといるんだって」
「「はぁ?」」
ふたりが声も顔の調子も合わせてきた。息ぴったりだね。さすが、夫婦! 連れ添って30年とか言ってたもんね。
「それが昨夜になって『離婚しようと思っている』なんてフザケタこと言い出したからカッとなってさ、叩きだしてやったの」
思い出したらまた腹が立ってきた。ほんと、糞ほどムカつくっ!
「え? バカヤローって、あのロイドさまのことかい? 既婚者、だったのかい?」
悲壮な顔をするおばさん。
「そうなの、おばさん。すっかり騙されちゃった」
わたしは肩を竦める。
「だってここ一年、あの人ほぼ毎日この店に通って、休日は必ずあんたとデートして……所帯を持つって出てったの、ほんの10日ほど前だったじゃないか……」
「正確には2週間だったよ、おばさん」
おばさんの顔色がみるみるうちに悪くなった。
あぁ、やっぱり心配かけちゃったな。
「誠実そうな人に見えたから……あんたを守るってあたしらにも言うから、送り出したってのに……」
おばさんが泣きそうな顔になってる。あぁ、そんな辛そうな顔、させるつもりはなかったのになぁ。ごめんなさい……。
「ごめんね、わたしすっかり騙されちゃった……」
「メグっ! あたしゃあ、エイダに……あんたのお母さんになんて言って謝ればいいのか……っ」
おばさんはわたしを抱き締める。おばさんの温かい肩に凭れてちょっとホッとした。背中を撫でる手が温かかったから。
「おい……ロイドの野郎はどこにいる?」
おじさんが大きな出刃包丁をもったまま、食堂のフロアに出て来た。うん、なんだかひんやりとした殺気を感じるよ?
「知らない。昨夜部屋から叩き出したし、わたしも今朝早くこっちに来ちゃったし」
わたしはもうあの家に帰る気ないし。
「俺が今からミンチにしてやる」
あぁ、怒ってくれるんだ。やっぱりおじさんってば顔は怖いけど心は優しい。っていうか、敵には容赦しないけど身内には甘いっていうのかな。
「お前さん、もしかしたら厚かましくも今日の昼にこの店に来るかもしれないよ。あたしも棍棒を用意しとくよ!」
おばさんがなんだかウキウキしてるように見える……。そういえば、おばさんも若い頃は冒険者でぶいぶい言わせてたって聞いたことあるぅ。おじさんとふたりで組んで、えーと、なんて言ったっけ。なんとかっていう物騒なコンビ名で活躍してたって、常連さんに聞いたなぁ……。ほんと、あたしバカだからちっとも覚えらんないんだよね。
「あー。盛り上がっているところ悪いのだが……話を続けても?」
騎士さまが困惑した表情で話に加わってきた。
「あ、すいません。えっとぉ……わたしを訪ねて来たんですよね? いったいぜんたい、どういった風の吹き回しで?」
わたしがそう尋ねると、騎士さまはなんとも苦々しいものを口に含んだような微妙な顔をして。
「あー。端的に言えば……とある方の使いで来た」
「お使い?」
騎士さまに呼ばれる理由なんて、ないなぁ。
「とある方がマーガレット・メイフィールドに会いたいと。その女性を連れていく任を、俺が請け負った」
騎士さまはそこでひとつ大きなため息をついた。
「好奇心は猫をも殺すって本当だな……引き受けなきゃよかった」
騎士さま騎士さま。ぼそぼそ言ってるけど、聞こえてますよ?
騎士さまは大きな手でばりばりとその黒髪を掻いたあと、顔を上げてはっきりと声に出した。
「俺に依頼したのはロイド女男爵アイリーン。きみたちが先程からバカヤロー呼ばわりしてミンチにしたがっていた人物の奥方さまだ」
――定食屋の中で時が止まった気がしたわ。
◇
わたし、一応、言い訳をしようとしたの。
あのバカヤローと付き合っていたのは本当だし、所帯を持とうと思ったのも本当。だけど、奥さまの存在を知ったのはつい最近、まさに昨夜の出来事で、知った瞬間にはバカヤローに対する愛情は一切合切無くなったんだって。
でも騎士さまは、わたしの口の前に人差し指を一本立てて
「その言い訳を聞くのは俺の仕事ではない」
と言った。そう言われちゃったら、もう話題なんてないじゃない?
「すまないが、同行してくれ」
そう言われちゃったら、頷くしかないじゃない?
だって相手はお貴族さまよ?
不敬があったらバッサリ切られてしまう相手なのよ?
怖い。
騎士さまが動くたびに、彼の腰にある剣がカチャカチャと音を立てる。まるでその存在を主張するみたいに。
「騎士さま! この子だって騙されたんですよ! どうか、お慈悲をっ!」
おばさんはそう言ってわたしを抱き締めた。
おじさんはなにも言わないで、わたしとおばさんの前に立った。まるで盾になるみたいに。どうでもいいけど、その右手に持ってる出刃包丁、置こうよおじさん。おじさんまで不敬だって言われるよ?
「あー。端的に言えば」
騎士さまが穏やかな声でわたしに告げた。
「事情は理解したし、不敬に問われることはない」
「え?」
「……本当に?」
「……」
わたしとおばさんはかろうじて声を出したけど、おじさんは騎士さまを睨んだまま。
「あぁ、保証する。このアルバート・エゼルウルフの名にかけて」
騎士さまが右手を胸に当てて、穏やかないい声でそう宣言すると、おじさんはやっと右手の出刃包丁を下げてゆっくりと(横目で騎士さまを睨みつつ)厨房に引っ込んだ。
やれやれ。なんとなく緊迫した雰囲気が薄れた。そのお陰でため息ついちゃった。
「マーガレット・メイフィールド。これがお前の荷物、全部か?」
騎士さまはそう言うと、部屋の隅に置いておいたわたしのカバンをひょいと軽い動作で背負った。そしてわたしを見ることなく、スタスタと扉から出ようとしている!
「ま、待って! それわたしのカバンっ!」
「馬車を用意している。ついて来い」
「わ た し の ~~っ」
騎士さまは長い脚でスタスタ歩いていっちゃう。
わたしは置いていかれないように速足で後を追う。
定食屋の裏の通りに、黒塗りの小さな箱馬車があった。騎士さまはその馬車の扉を開けると、わたしのカバンをひょいっと中に入れた。そして振り返ると、大きな手の平を上にして差し出してきた。なに? この手。どうしろと?
「カバン……」
わたしは騎士さまの手と顔を交互に見ながらカバンを返してもらおうとしたんだけど。
「乗れ」
問答無用って、あれのことだね。
しばらく睨み合ったあと、騎士さまはわたしの手をむんずと掴むと同時にぐいっと引っ張ってわたしを馬車の中に入れた。
……わたし、カバンより軽く扱われなかった?
文句を言うまえに馬車の扉が閉じられて。騎士さまが小窓から覗き込むと「座れ。出発する」と言った途端、馬車が動き出した。
馬車の中ではカバンがガタガタと不安定に揺れている。
わたしは、この先どうなっちゃうんだろうと不安な気持ちで揺れていた。