27.初日の朝は不安感でいっぱい
なんとも衝撃的な話を聞いた気がする。
レイさんがアルバートさんの妹で貴族なのは聞いていたから知ってる。でもそのレイさんとアルバートさんのお母さんが、アイリーンさまの乳母で。要するに乳兄弟(乳姉妹?)の関係だなんて知らなかった。
あぁ、だからレイさんはアイリーンさまを前にすると、なんとなく気心が知れたような雰囲気になってたんだね。納得した。
当然、アルバートさんも小さい頃からアイリーンさまとの交流があったということかな。本人はそれほど関わってこなかったって言ってたけど。でも。
「なぜ、今その話をわたしにするんですか?」
こんな万博の設営中で。周りには人がわさわさと溢れているような場所で、そんなプライベートなお話をするなんて。
迂闊じゃありませんか?
「ローズロイズ商会の人間は、ほぼほぼ知っている情報だから」
……なるほど?
たとえばレイさんの本当の名前がレイラっていうのだとか?
「メグだけ知らないっていうのも、なんか……へんだと思ったから」
……なるほど?
わたしが仲間外れになってないか、気になったってことですか?
「必要な情報なら、レイさんが教えてくださったと思います」
「いや……当たり前の基本情報すぎて、伝え忘れた。……のだと思う」
……なるほど?
「いや……なぜ俺はそんなことをわざわざお前に言ったのかな」
……知らんがな。
アルバートさんはしきりに首を傾げている。
視線が右斜め上に行ったかと思うと、左斜め上にも移動している。
ご自分の考えに耽っているようなら邪魔しちゃ悪いなぁと思ったから、そっとその場を離れようとした。
そうしたら。
ガッとわたしの右手首を掴まれた。まるでここにいろと言わんばかりに。
えっと……拘束ですか?
アルバートさんの左手はわたしの右手首を掴んだまま。
アルバートさんは、しきりに自分の顎を右手で撫でている。撫でながら首を傾げつつ、視線が上に行ったり下を向いたり。
「たしかにアイリーンたちの過去はここにいる人間は知っている……だからといって部外者にしていい話ではない……だが話したいと思った……なぜ俺は……なぜ俺が……?」
……えーとぉ。
考えごとなら、自室に帰ってからおひとりでごゆっくりお願いしたいのですが。
なんならこの場でしても構いませんが、わたしの拘束は解いてからお願いしたいのですが。
一応、わたし、ポスター製作の班長で、この場ではポスター貼りの責任者なんですけどね。いえ、総責任者は副会長ですけどね。
このままだとわたし、なんにもできなくてただの役立たずなんですけどね。
「アルバートさん? この手、放してもらえませんかね?」
「却下」
なんだかブツブツ言いながらも、わたしの声は届いているらしい。却下の一言だったけど。
さっきからブツブツと聞こえる独り言の中に“なぜ俺が”という単語が聞こえるのだけど。
わたしが聞きたい。
なんでわたしを解放しないの?
「だれか、アルバートからメグを解放させられねーか?」
「無理でしょう。恋人同士って聞いてますから。……いいですねぇ、昨今は“リア充”っていうらしいですよ。そんなリア充へ向ける呪いの言葉もあるそうですが……ロブもそろそろ、不毛な片思いから脱却すべきでは?」
「うるせー!」
わたしたちの背後でロブ副会長とサミーさんがなんだか騒がしい。
利き手である右手をがっつり拘束されたわたしは、考えごとに没頭しているアルバートさんの横顔を見上げるしか、できることがなかった。
「っていうか。年の差いくつだよ、あの狼は犯罪者かって思ってたんだが……18ならギリセーフ?」
「こんなとこで言っても無粋なだけですよ」
「サミー。呪いの言葉とやらを教えろ」
「“仕事しろ徹夜になってもいいのか”」
「……それ、ぜってー違うだろ?」
◇
わたしがその場からなんとかやっと解放されたのは、最終確認と称してアイリーンさまの名代でレイさんが来てくれたから。
(アイリーンさまの等身大パネル(艶やかな紅いドレス姿だよ!)を持って来て貰ったの! まさしく名代!)
身動きの取れなくなったわたしを見たレイさんが、なにを思ったのか華麗な回し蹴りを披露。
それはアルバートさんの後頭部にみごと決まり、わたしはやっと解放されました。
背の高いアルバートさんの後頭部に回し蹴りを入れるって、凄くないですかね?
しかもS級の冒険者相手に決まるって、もの凄くないですかね? たしかに背後からの攻撃だから死角ではあるんだけど。
レイさんって、もしかして護衛の仕事もできるんじゃないですかね? 燕尾服の男装姿なのは動きやすいからって聞いた日を思い出しちゃったよ。なんとなく、『こういうことをするためなのかぁ』って理解したもん。
「殺気を込めたら当たらなかったと思います」
レイさんがいつもの無表情でなんてことないみたいに言う。そのレイさんの足元でダウンしてたアルバートさんが“不覚……”と呟きながら立ち上がった。回復早いな。
それにしても、この兄妹には会話というものはないのかな。肉体言語での会話? エゼルウルフ家の家訓? 怖いから確認できないや。
レイさんの登場で、その場がキリっとした。(恐れ戦いたともいえる)
ポスターは白い布を上からかけて(まるでカーテンをかけているみたい)見えないようにして。展示ケースは固定されているのを確認して。
レイさんが持って来てくれた等身大のアイリーンさまお姿パネルを設置したら、すべきことは全部終わり!(これにも白い布をかけて見えないようにしたよ)
レイさんがあちこちいろいろ点検して。
ブース全体を覆っている天幕はそのままにして、わたしたちは会場をあとにしたのでした。
明日の万博開会式は10時から。王太子ご夫妻の来訪は10時30分の予定。
不測の事態に備えて早めに会場入りしましょうと確認しあって解散になったのでした。
◇
万国博覧会、当日!
なんだかウキウキわくわくが止まらなくて早く目が覚めてしまった! 子どもかな、わたし。
だけど。
なんだろう、なにか胸のドキドキが止まらない。
早く会場入りしたくて堪らない。不思議なくらいソワソワしている。期待というより……不安? 焦り? こういうのって『嫌な予感』っていうやつなのかな。
なにが不安なのか、自分でもよく解らない。説明できない。
いけないいけない。こんなときに繊細なアイリーンさまのお肌に触れてうっかり粗相! なんてことならないように気をつけないと! 通常業務だって大切なんだからね!
「どうしたのメグ。あなた、いつも以上に緊張してるわね」
人を見る目をお持ちのアイリーンさまにはすぐバレてしまうのね……。
「なぜか……んー、上手く説明できないんですが、不安でしかたなくて……申し訳ありません」
謝る必要はないと言われて、気を取り直してお化粧を施して。慎重にしたから大丈夫。いつものとおり、最後は紅筆を使って紅を乗せる。……よし!
「メグの不安って、万博会場にある?」
お化粧が終わった途端、アイリーンさまが問う。どうして解ったんですか? って聞くまでもないか。アイリーンさまだもんね。
「先に行く?」
会場入りするにはとても早い時間なのに、そんなふうに仰っていただいて申し訳ないと思った。
と、そのとき。
突然ドアを開けてアルバートさんが現れた。
「メグはここにいるかっ⁈」
なんて言いながら。慌てて走ってきたって感じで息を切らしている。アルバートさんがどうしてここに? と聞いたら
「メグが着けている魔導具のペンダント。あれが緊急信号を出した――今も」
という答え。びっくりした。頂いたペンダントはいつも服の下、肌に直接触れるように着けていたのだけど。わたしの心臓、そこまで派手に不安がっていたの⁈
これにはアイリーンさまもレイさんも驚いたみたい。
だってこの魔導具、わたしが暴漢に襲われたりなにか窮地に陥った場合、アルバートさんが駆け付ける手筈になっているんだもん。おふたりはそれをご存じだから。
「そこまで不安を感じていたのですか?」
心配そうな顔でわたしの肩に手をおくレイさん。
「行きなさいメグ。その不安を確認してきなさい」
アイリーンさまの一声で決心がついた。
わたしはアルバートさんに馬を出して貰って万博会場へ乗り込んだ。
慌ててローズロイズ商会のブースに駆け込んだわたしが見たものは――。




