91個目
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「ちょいと、そこのお兄さん」
「‥‥‥‥‥‥俺のこと?」
魔石式のコンロで湯を沸かすマルコが、しゃがみ込んでいた。彼にとっての給湯室は、紅茶以外は反省する場所なのだろうか。
「‥‥‥俺、最近、ダメなんだ」
「私のせい?迷惑かけてる?」
「違うよ、俺の問題」
「そう‥‥‥」
ロロも隣にしゃがんだ。冷えるな。
「ランスさんに、ここ専用の椅子を作ってもらわない?」
「ぷっ」
膝を抱えるように、丸くなってマルコが震えて笑った。
「ゲイトさん、最短を通って帰ってきてくれたのは、きっと嬉しい報告があるからだと私は思うんだよね」
「‥‥‥うん」
「だけどね、それだけじゃない。ゲイトさんが弱気っていうか、揺らいでいた気がする」
「それ、さっき会った時に、そう思ったの?」
マルコは気がつかなかった。ロロは、ランスに負けないほど、人の感情に敏感なのだろうか。
「うん。あの人が纏うものは銀灰色と黒だけど、笑顔は、雲一つないカラッと晴れた青空のよう。でも、今日はポツンポツンと雲があったな」
マルコはロロの横顔を見つめた。澄んだ露草色の瞳は、真っ直ぐ前を見ている。
「不安な事があるんだと思う。私や、カイさん、マルコさんに言い難い話とか、ね?」
「‥‥‥うん」
ロロの兄の可能性がある、シューターのことだろうか。
「冒険者のジョンさんが言ってたんだけどね。ダンジョンでゲイトさんが、どうして案内人を引き受けるのか話してくれたんだって」
「‥‥‥?」
急に話が変わったが、マルコは黙って話を聞いた。
「案内人を受けるのは、初心を忘れないため、冒険者ギルド【紅玉】にはS級がいるとガルネルの街の人を安心させるため、それから先代に恩があるから、だって」
「先代に?」
カイの父で、先代の代表ディラン・ルビィ。カイが二十四歳の時に亡くなった。
たくさんの冒険者やガルネルの街の人々から惜しまれた彼は、まだ四十八歳だった。
冒険者になったばかりの自分たち兄妹と、カイを引き合わせたのは彼だった。「俺の息子だ。仲良くしてやってくれな」と、深紅の優しい瞳が印象的だった。
ゲイトも、そんな先代に世話になっていた一人なのだろう。早く亡くなった先代への恩を、カイやギルドに返そうとしているのか。
ダンジョンもそうだ。冒険者が増えれば、ギルドも盛り上がる。守りたいと頑張ってくれている、常に、誰かのために。
「今回のことで、俺たちが受けるであろう傷を、ゲイトさんは心配していると、ロロちゃんはそう思うんだね?」
耳のファーストピアスに触れながら、少女は頷いた。ゲイトの色のピアス。
「今まで外側から【紅玉】を守ってくれていたあの人を、あの人の曇りのない笑顔を、『俺たちのゲイト』を守るためにも、強くなろう、マルコさん。私は、また自分の何かを失っても、生きていく」
マルコは目を瞠った。
なんて眩しく、強く、美しい。
涙が、もう隠せない感情が、溢れ出た。
彼女を愛している。
そうか、俺はもう、愛していたのか。
それならば、一生の愛を、この女性に捧げると決めた。
たとえ、この気持ちが彼女の心に届かなくても。
彼女がこの先、他の誰かを愛しても。
記憶を失くして、俺を忘れても。
ロロがポケットからハンカチを出してマルコの涙を拭うと、マルコはその手を掬うように取って一緒に立ち上がった。するとすぐにマルコが跪き、ロロの指先にキスをした。
「ひゃあ」
ロロが真っ赤になった。その反応に少しだけ満足して、マルコは微笑んだ。
「感謝を。俺の女神。強くなります。貴女がいる限り、俺は強くなれる」
まるで騎士のようだとロロは思った。
立ち上がったマルコの紺青の瞳には輝きが戻っていた。
「紅茶を入れましょう。ご希望はありますか?」
「アップルティーをお願いします」
「仰せのままに」
カイはデスクで今日の分の書類のサインを速やかに終わらせていた。
給湯室から林檎の香りとともに戻った二人は晴れ晴れとしていて、カイはロロに感謝した。ガッテン何とか?に任せて良かった。
マルコが改めて謝罪した。気を抜いたこともそうだが、ここ最近の精神状態がギルド員や若い冒険者に不安や恐れを抱かせていた事も。
もう迷いは晴れたと言った。カイは、それがどう晴れたのか気になるところだが、今は何も言わなかった。
心にゆとりを持とう。
ロロがそう言うと、カイがジルニールのチョコレートを出して、三人でしばしゆったりとアップルティーを飲んでいたら、ノックがして、ゲイトの気配にマルコが扉を開けた。
マルコは注意深くゲイトを見た。確かに、少しだけ違和感があった。代表室へ入る大きな背中がいつもより小さく見えた。
「‥‥‥ん、いい香りだな」
「同じのでいいですか?」
「ああ」
マルコがゲイトのアップルティーを用意すると、ソファーに座った。
「ゲイトさん、先に私の話を聞いてくれますか?」
ロロが切り出した。アップルティーを一口飲んだゲイトが、頷いた。
「知りたい。ロロ、教えてくれるか」
ゲイトの瞳に宿る熱が何なのか、マルコは気になったが、もう焦りはしない。自分の気持ちは、何も変わらない。
「私は、前世の記憶がある異世界転生者です。前の魔法鞄が使えなくなったその日に、思い出したんです。私は、別の世界の日本という国に生まれ、結婚し、子を産み、孫がいて、お婆ちゃんになるまで生きて、死んで、この世界に生まれ変わりました」
今までこんなゲイトの顔を見たことがなかった。大きく目を見開き、驚きで固まっていた。
「思い出したことにより、魔力も変化しました。今の私と前世の私が混ざり合ったような、そんな感じです。ギルドカードを更新して、魔法鞄も新しく作ってもらいました」
ロロは、ゲイトに自分のギルドカードを渡した。受け取ったゲイトが見ると、魔力の色は、青・黄・赤・白、四色だった。
魔力の色は、自分の姿に近いものだ。ゲイトは、殆どが黒だし、それ以外は微かな白だ。白はギルドカードに表示されず、鑑定士に視てもらってわかった。
ロロの色は殆どが青だろう。四色は多いが、あり得ないわけではない。
「ん?E級になったのか?」
「あ、それは、今日、えへへ」
また、いつものロロに戻った。ゲイトはホッとしている自分に気がついた。
「ゲイトさん、ユルさんの鑑定では、そのギルドカードに出ていない、黒と緑も微かな魔力が出たんです」
「おい、それじゃあ」
「ロロは、全属性だ。まだギルドの一部の者しか知らない」
カイが代わりに言った。まだ知られていないから、言わないでくれ、と。
「別にずっと隠すつもりはないですが‥‥‥そうですね、成人までは‥‥‥えっと、十六歳になれば大人として認められるんだっけ?」
マルコに聞くと頷いた。酒が飲める年齢が成人扱いになるのは同じらしい。
「十六歳になったら、バレてもいいから自由に魔法を使いまくろうと思います」
「は?」
「「ぶはっ」」
カイとマルコが吹き出した。ゲイトはそれを呆れて見ていた。確かに、成人前に全属性の子供がいたら、何処に連れて行かれるかわからない。記憶がなく家族がいないとわかれば尚更だ。
「ここにいるのと、ユルと、他に知っているのは誰だ?」
「爺‥‥‥メリー・バッガーは魔法鞄の関係で最初から知ってる。後は、ドット・ジン・テン・レイラ・リリィ・メイナ、それから、ランス」
「ランスか。聞いたことがある気がするんだが、どこでだったか思い出せない」
「元冒険者だが、たぶん知ってるのは親父が死んだ時の‥‥‥」
「そうか、棺職人のランスか!‥‥‥ん?それが家具職人?何故このギルドに?」
「俺から話します」
マルコは、使っていない大会議室をリフォームして、自分がギルドに住むことにしたと言った。
今はディーノがいるため、カイと交代でここに泊まっているのだが、妹と姪がカイとなかなか会えないのは気の毒だし、自分は独り身だから決断したと。
ランスはフリーの家具職人で、たまたまカフェにエールを飲みに来たので、カイがリフォームを頼んだ。
「俺がゲイトさんに会いにダンジョンに行った日ですよ。以前、うちのカフェをリフォームしたのは、ランスなんです。家具職人なのに、カイさんが無茶言って」
「え?そうか?でも大丈夫だったろ?」
「‥‥‥はぁ、なるほどな。しかし、俺がいない間に、こんなに状況が変わっているとは思わなかったぞ。それで、別棟に行き来してるのは何故だ?」
「地下をランスの部屋と工房にしました。住み込みで別棟の管理も彼に任せようと、ロロちゃんの提案です」
「理に適ってるな。レイラとリリィの負担も減る」
ゲイトがロロを見た。アップルティーを美味しそうに飲んでいる目の前の彼女が、ギルドを良い方向へ導いているようだ。
ドットが働き手は欲しいが信用できないのはギルドに入れられないと言ったのは、ロロの事があるからだったのか。
「ふぅ、情報が多くて疲れたな。まだ体を動かしていたほうが楽だ」
「ゲイトさん、チョコレートでも食べたらどうだ?」
カイが、にやりとして勧めた。さっそく出したのか、ジルニールのチョコレートを。
「本当にいつどこで仕入れてるのか謎だよね」
ロロの一言にジルニールの困った顔が浮かび、吹き出しそうになった。カイが震えて笑いを堪えている。ゲイトが一粒食べると、ロロも食べた。
「うんまい」
そうだ、シューターの話をしなければならない。
「今度は俺からの話だ。いいか?」
ソワソワして姿勢を正す三人にゲイトは苦笑して、思い返しながら話し始めた。
シューターとフレディという、二人の若い冒険者との出会いから。
いつの間にか日が傾いて、柱時計を見たら午後四時半を過ぎていた。
ロロは、シューターがジルニールと一緒に会いに来てくれると知って、嬉しさで心が震えた。
記憶がないのだから、こちらに無関心で会いに来なくても、生きていてくれればそれでいいと思っていたのに、いざ『会いたい』と言ってくれたと知ったら、とても嬉しかったのだ。
「オッドアイか、考えもしなかったね。半分ロロちゃんと同じ瞳の方が隠れていたんだね」
「いろいろと苦労をしたろうな」
ロロと同じ言葉『うんまい』には笑えたし、カイもマルコも嬉しくて涙が出そうになった。甘い物が好きな真っ直ぐな青年だと聞いて、やはりロロの兄だなと、会うのが楽しみになった。
だが、これが全てでない事もわかっていた。明日ユルが来て揃ったら、仕事終わりに集まることにした。
「マルコさん、ジンさんのチーズケーキ、明日食べよう」
「そうだね、皆が揃ったらって言ってたね」
明日あたりに王都からの荷が届きそうだ。ロロの待望の珈琲を出せるかもしれない。マルコは美味しい珈琲を入れるために、紅茶とともに、これからも努力を惜しまないつもりだ。マルコは燃えていた。
ゲイトは、明日の話の内容で、そのチーズケーキとやらが無事に皆の喉を通るのか、それが心配だった。
モヤモヤしたものを吐き出したい気持ちと、閉じ込めてしまいたい気持ちが、己の中にある。
ワイバーンでも倒しに行って、スッキリしたい。そんな物騒な事を考えていた。
「ロロ、明日は仕事だろ?暗くなる前に早く帰ってしっかり休め」
「はい。カイさん、明日またここに泊まっていい?それから、明々後日にお家に泊まりに行きたい」
「いいぞ。そうだな、明日は遅くなるし。メイナには今日伝えておくからな」
「うん。それじゃあ、お先に失礼します。あ、帰る前に、マルコさん、トイレの洗浄魔法を見てもらいたいんだけど、ダメ?」
「喜んで、カイさんすぐ戻る」
「ああ」
マルコとロロが代表室を出ると、ゲイトがトイレの洗浄魔法?とカイに聞いた。
「ギルドの掃除の仕事をくれと言ったんだ。ギルドの二階から一階へ、問題なく出来たら、それを仕事にしていい事になってる。アイツは、冒険者で掃除屋さんになるそうだ」
「そうか、本当に変わったな」
「自由になっただけだ」
確か、小さい頃に盛大に洗浄魔法を使ってから、目立ちたくなくて怯えて泣いて、控えめにしか魔法を使わなくなっていたはずだ。
前世の記憶を、もっと聞きたい。知らない世界を。
「彼女の前世の話を聞いたいんだが、今度デートに誘っていいか?」
「は?ダメに決まってるだろ」
「なんだ、まだ過保護は続いてるのか?」
「それとこれとは別だ。ゲイトさん、カフェでのランチなら許可するが?」
「‥‥‥‥‥‥いいだろう。それで頼む」
「その時は、レイラから静音効果の魔法道具を借りてくれ」
「防音テントならあるぞ?」
「エロい!却下!」
ゲイトは、酷い偏見だと、顔を顰めた。
「マルコさん、いい?」
「いいよ。前回と同じ失敗はしないように」
「はい」
トイレの入り口に立ち、イメージした。トイレの見える範囲をキレイにする。そのイメージ。
「キレイになあれー」
少しの風と清浄な魔力が、トイレ全体を満たした。心地よくて、キラキラとキレイだ。マルコはロロの顔色と魔法を見ていた。これなら大丈夫だろう。
「どうですか?」
「個室もチェックしないとね」
「も、勿論ですとも」
緊張したロロに笑いそうになりながらも、個室を順に見ていった。新品のようだ。洗面も鏡もピカピカで、床もサラリとして、敷石の色が少し明るくなった気がする。
「ん、合格」
「やった!明日もどこか出来る?」
「人間が側で寝ている状態で大丈夫か見たいな。ディーノくんに実験台になってもらおう。防音室の中をやってみようか?」
「え?それ大丈夫?腐っても王子だよ?」
「腐っても王子の発言のほうが問題だよね」
「ま、いいか」
「さぁ、下まで送ろうね」
「大丈夫です。マルコさんは、代表室にお戻りください」
「‥‥‥仰せのままに」
また明日ね、気をつけてね? と、少し口を尖らせて、渋々マルコが代表室に戻って行った。やれやれだ。
「戻りました‥‥‥ゲイトさん、どうしたんです?」
「マルコはどうだ。ロロに前世の話を聞きたいからデートに誘いたいんだが‥‥‥」
「カフェでのランチなら許可しますが、あの防音テントは却下ですよ。エロいので」
「お前まで同じこと言うか」
また顔を顰めたので、部屋に戻った時の顔は、カイにもそう言われたからだったらしい。ゲイトは悪くない。滲み出る色気が悪いのだ。
「防音テントより、これから防音室の美男子に会いに行くのでしょう?」
ゲイトはマルコに苦笑いし、「そうだな」と言った。
読んでいただきありがとうございます。




