90個目
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ゲイトが代表室を出て行って気配が完全になくなると、マルコは溜息を吐いた。
「ロロちゃん、耳に違和感はない?」
「あ、そっか。うん、気にならないくらい。マルコさん、ありがとう!ちょっと鏡見てくる」
「うん」
ロロは代表室を出て、二階のトイレにある鏡を見に行った。
ゲイトはどうやら、レイラに頼まれたようだ。疲れているのに申し訳ないと思う。
それにしても、S級とはいえ、代表室に簡単に侵入された自分の危機感のなさに呆れた。
「情けないな」
レイラが心配するほど、今の自分は信用されていないのだろうか。副代表という立場で、十五歳の少女をどうこうしようとは思わないのだが。
気持ちの不安定さが、ギルドの仲間にまで伝わってしまっているのだろう。
紺青の瞳が揺れる。
自分の感情がよくわからなくなったのは、ロロが前世を思い出した後だ。何かが変わった。
気になるのは、成長していったロロなのか、前世を思い出したロロなのか、前世の彼女なのか。
過保護、執着、依存、愛、‥‥‥恋?
まだ答えが出ないのだ。
「でも、さっきは無理なく自然だった。深く考えなかったからかな。楽しかったな」
一緒にいると、心が安らぐのは、本当だ。
「ピアスだ、ピアス。早くカイさんにも見せたい」
ロロはトイレの鏡を見て感動していた。
* * * * * * * * * * *
レイラから、二人きりの代表室でマルコがロロの耳にピアスホールを開ける話を聞いて、様子を見に行ってほしいと頼まれたゲイトは、困ったが仕方なく気配を消して代表室を覗いてみた。
マルコの柔らかい雰囲気はロロの前ではいつもの事で、『前世』という謎な言葉も出てきたが、だいたい普段通りだった。さて、どうしたものかと思っていたら、そこで自分の名前が出て二人が楽しそうに笑っていたから、近付いて驚かせたのだ。
浮かれて油断してたな、マルコは。
今頃ショックを受けているかもしれないが、ちょうどいい刺激にはなったはずだ。
腰に大判の手拭いを巻いてシャワー室を出ると、更衣室の長椅子に、ダンジョンで声をかけた若い冒険者がいた。ゲイトに気がつくと、跳ねるように立ち上がった。
「ジョン‥‥‥だったか?」
「は、はい!名前を覚えていただけて光栄です!」
「はは、ラクにしろよ。座ろう。そうか、さっきはジャックが案内人だったが、午前中はお前だったか。お疲れさん」
ゲイトが隣の長椅子に座ると、ジョンも「失礼します」と座った。ゲイトの筋肉が気になるようで、チラチラと視線を感じるが、こんなのはよくある事なので特に注意することはしない。ただ苦笑いするだけだ。ジョンはハッと気がついたようで、赤くなって下を向いた。まだまだ若いが、よく周りを見るタイプのようだ。成長が期待できた。
「ジョンは、マルコ‥‥‥副代表をどう思う?会話はしたか?」
ジョンはすぐに青くなった。これはもうすでに何かあったかと、ゲイトは小さく溜息を吐いた。
ジョンは、更衣室の一件を話した。誰かの悪戯で窓のカーテンが開いていて、ジャックが下穿き姿で開放的に冷茶を飲んでいたところ、副代表たちが窓の外を通ってジャックに気がついた。
「ジャックは冷茶を吹き出して、更に焦って、まずは謝ろうと窓を開けてしまって」
ゲイトもカーテンは気にしたことがなかった。見られて困ることなどないからだ。だが、そういう問題ではない。ギルドの恥になるからだ。マルコのことは言えないなと苦笑いした。
「でも、そこに、ロロさんもいたので‥‥‥」
「ああ、なるほど」
それは恐ろしかったろうに。特にロロに関わると、マルコは容赦ない。あの男はA級で副代表になったが、それから試験を受けていないだけで、S級に近いように思う。
「俺も気をつけよう」
「え?」
ニカッと笑うゲイトに、ジョンは肩の力を抜く。それから「あのカーテンです」と指さした。その向こうは別棟へ行く細い道だ。先程も別棟へ行ってた話をしていたが、何かがあるのだろうか。
「二人だったか?」
「いえ、三人です。もう一人は、最近ギルドに来た家具職人のランスさんです」
「‥‥‥ランス?」
どこかで聞いた名前だった。家具職人のランス。ランス‥‥‥。
「‥‥‥ところで、ロロはジャックの裸に悲鳴でもあげたか?」
「それが、ジャックに聞いたら、無反応すぎて逆にショックだったと」
「ぶはっ!」
ゲイトは吹き出した。あの子はちょっと変わってるなと言ったら、ジョンは複雑そうな顔をした。
「確かにちょっと不思議な人ですけど、でも、俺に素晴らしい言葉をくれました」
「へぇ‥‥‥良かったら教えてくれるか?」
ジョンは笑って「勿論です」と言った。
「俺もジャックも、最初に案内人を引き受けると決めたのは、ゲイトさんと同じ事がしてみたかったからなんです。でも今は、またダンジョンに行くとしても、話したこともない冒険者と交流もできるから、案内人を引き受けて良かったと思ってる。ロロさんに、そう言いました」
「そうか」
「はい。そうしたら‥‥‥」
『ジョンさん。若いうちにいろいろ経験するのは良いことだよ。ある時その経験が自分の強みになるかもしれない。冒険者だけじゃなく、街の人との交流も忘れないでね。ゲイトさんやベテランの冒険者の人たちは、こうやって会話をしながらも、耳を澄まして、周りを見ていたよ』
ゲイトはゾクッとした。変わってるなんて、そんなレベルではない。
ゲイトは確かに、街を見て、人を見て、話しをして、警戒をして、案内人として立っている。そうすることは決して無駄ではなく、研ぎ澄ます感覚の訓練にもなっている。ベテラン冒険者でも、それをこなせる人間はほんの僅かだ。
それを、F級冒険者で十五歳の少女が気がついていることに、鳥肌が立った。
ロロは、兄の名。本当はもう、名前のない少女。
彼女は一体、何者なんだろう。
『前世』‥‥‥ふと、先程の気配を消していた時に代表室で聞いた言葉を思い出した。
知りたい。
「あの、ゲイトさん?」
「‥‥‥いや、良い言葉をもらったな。ジョンは、このギルドが好きか?」
「ここに、【紅玉】に来て、本当に良かったです。俺は、これからもたくさん学んで、成長したい。とりあえず、副代表をいつか攻略出来たらと‥‥‥」
「ははは!それは俺にだって難しい。それなら、お前はS級を超えろ」
「え、こ、超え?‥‥‥はい、超えます!」
まずは、そろそろ服を着るかと、互いに笑った。
ゲイトが更衣室を出ると、カイが事務室から出てきたところだった。
「ゲイトさん!もう帰って来れたのか、お疲れ様」
「さっきな。シャワー室を借りて、これから遅い昼飯だ。後で代表室へ行く」
「わかった」
「なんだ、昇級試験は全滅か?」
大きな声では言い難いので、少し声のトーンを落とした。
「最近は殆どがそうだ。C級になれるレベルじゃない。まだダンジョン経験が足りないんだ。若いのを頼むよ、ゲイトさん」
「やる気がある奴なら付き合うが‥‥‥これだけはもう、時代だな」
少し寂しいが、命懸けの冒険者が少ないのだ。楽しむのが目的なら、無理にランクを上げる必要はない。
「王都でユルに会った。予定通りに今夜戻るだろう。詳しい話は明日以降だが、ユルに話した事は、後でお前たちにも伝える」
「そうか、わかった。それじゃ‥‥‥」
「待て待て」
魔法鞄からジルニールから預かった箱を渡した。
「これは定期便らしいな?」
「何だ、ゲイトさんにバラしたのか」
カイがにやにやしている。ロロには内緒で、ジルニールからのチョコレートをロロに食べさせている。
「未だに、隠している意味がわからない」
「『もう送らないで』とロロに言われるのが怖いのだろうと、サイラスが言っていた」
「ああ、そうか! ははっ。しっかり預かったよ。さっそく今日の紅茶に出してやるか」
それじゃあ、また後で。カイが先に動き、代表室へ向かった。ゲイトは、やっと忙しいランチタイムが終わったカフェに入り、カウンターテーブルに座った。他のテーブル席には誰もいなかった。
「エールと、何かくれるか? 腹が減ってる」
「ゲイト、帰ったのか」
テンとジンに任せて、ドットが厨房奥からカウンターに顔を出した。
「今、賄いを作ってるからそれでいいか?」
「それでいい、頼む」
座ると、魔法鞄から畳まれた食品専用魔法袋を出した。全ては食べ切れなかったが、器はゲイトが用意していた物なので、そのまま魔法鞄に入れてある。
「美味かったよ、さすがにずっと屋台飯が続くのはキツイからな。他の冒険者にも分けたら、美味さに感動していたぞ。客が増えたんじゃないか?」
「増えた。お前のせいか。ランチタイムもだが、夜も閉店ギリギリまで残ってる奴が多くなった。嬉しい悲鳴だな」
「働き手を増やせないか?」
「検討中だ。信用できないのはギルドに入れられない」
ジンがエールと賄いを持ってきた。野菜も混ぜ込まれたハンバーグ丼だ。半熟たまごが乗っている。これを考えたのがロロだと言った。スプーンで食べられて、シンプルな塩とブラックペッパーが効いていて美味い。
「ドット。ロロは、何者だろう?」
「‥‥‥」
ドットが自分の分の冷茶と賄いを持って、厨房から出てきた。ゲイトから一つ席を空けたカウンターテーブルに座って食べ始める。
「本人に聞いたらどうだ?お前になら全てを話してくれるだろう」
「明日、ロロは‥‥‥俺の話にショックを受けるかもしれない」
「‥‥‥」
「だが、良い報告もある。先にそれを話すつもりなんだが、ああ、まだ迷うな‥‥‥。そうだ、ジルニールが来る。もう一人連れてな。ジンにアップルパイを頼みたい」
「そうか、その日はここを貸し切るか」
「出来るか?」
「ギルドの掲示板と入り口に書いておく」
金髪の青年が目覚めるあたりに合わせて来ると言った。ゲイトは、あれ以来青年の顔を見ていない。あの防音室の扉の向こうに眠っていると聞いている。
「これからまた代表室に行く」
「ゲイト、お前が暗い顔でいたら、皆が不安になる」
「‥‥‥!」
ドットの丼は小さい。もう食べ終えた。こんなに少食だったか?年齢はもう五十代半ばくらいか。
「ん?足りないように見えるか?俺は、何食かに分けて食う。若い時と同じようだと、胃に負担がな。今はこの食べ方が合ってるんだ」
「そうか、なら、いい」
ゲイトはまだ若い頃と変わらない食欲がある。自分でも不思議なくらいだ。
今度はテンが、白身魚のフライを挟んだバゲットサンドを持って来た。これも美味そうで、あっという間に平らげた。ドットが満足そうにしている。
「よく食べる客を見るのが、俺たちの幸せだ」
その中に、あの少女の姿が欠かせないのだろう。
「ギルマスたちに明日全てを報告した後、お前たちにも話したいと思ってる。もう少し待ってくれ」
「わかった。お前だけが背負うものではない事を忘れるなよ?」
「ああ、ありがとう。少し、楽になった」
賄いとエールはサービスしてくれた。魔法鞄から、ここに帰る途中で手に入れた食材を出して渡した。キノコの群生地を見つけたので、様々な種類のキノコと、そこでレアな黃鶏を見つけた。それが、キノコの群生地を好むのを知っている冒険者は少ない。乱獲されないために、昔から情報は流さないのが暗黙のルールだ。二羽、血抜きをして、防腐布に包んである。
「ゲイト、この黃鶏、一つ精肉店に分けてもいいか?」
「好きにしていい。お前たちに渡した物は、いつでもそうしてくれ」
「感謝する」
ゲイトは、厨房の二人に「美味かった」と手を上げてカフェを出た。
「た‥‥‥料理長、早くその黃鶏を届けてやったらどうッスか?ついでに手伝ってやるといいッスよ」
「片付けは、俺たちがやるから」
テンとジンが、ドットに精肉店に行くように言った。そうだな、とエプロンを外して、キレイに血抜きをされた黃鶏のうち一羽をテンに渡して、一羽を魔法鞄に入れた。
「では、後を頼む」
「「了解であります!」」
* * * * * * * * * * *
「E級に?」
「ロロちゃん、おめでとう」
カイにピアスを見せて満足したロロは、マルコが入れた紅茶を飲みながら報告した。
カイの手には、小瓶が二つ。ロロのピアスだ。ルビーを選んでくれた喜びと、ロロに似合う雫型のフックピアスに感動していたところだった。小瓶をロロに返して、今度はギルドカードを受け取った。確かにE級になっていた。
「レイラさんに聞いて、D級目指せそうだから頑張ることにした。ランスさんみたいに、棺職人で家具職人って格好良いから、私も冒険者で掃除屋さんもアリかなって」
「また面白そうな人生を選んだな」
カイは、ロロの髪を耳にかけた。『俺たちのゲイト』の話は腹を抱えて笑ったし、マルコはピアスホールを開けた後も通常通りで、代表室に帰ってきて安心した。まあ、気配を消したゲイトに侵入を許したことはいただけないが、それは後で言うことにした。
最近、情緒不安定な副代表は、まだ悩みの中に身を置いているようだが、カイにはどうにも出来ない。
「じゃあ、ロロちゃんは、ゴブリンと大鼠が無理なら、レア魔物を捕縛するんだね?」
「そう、そうする」
「お前なら、上手くやれそうな気がするな」
「へへっ。あ、カイさん、あのね、さっきゲイトさんが気配消してここに来た時に、たぶん『前世』と言ったのが聞こえたはず」
「「‥‥‥!」」
ロロはゲイトには話したいと言っていたから良かったが、そうじゃなかったらとんだ失態だ。
「マルコ‥‥‥」
「カイさん、気を抜いた。申し訳ない‥‥‥」
「あ、違うの!」
ロロはマルコを責めるつもりで言ったのではなかったから、慌てた。
「ちょうどいいから、今日話したいと思っただけ。私が勝手に『前世』と言ったのだから、私の責任なの。それより、紅茶のおかわりくださいな」
「‥‥‥かしこまりました。優しいお嬢様」
マルコが微笑んで、給湯室へ行った。カイは溜息を吐いた。そうは言っても、あの男は向こうで一人後悔するのだろう。顔色が悪い。
レイラにも責任の一端はある。いくらロロを心配するとは言っても、代表不在の部屋で副代表に隠れてS級に頼み、侵入をさせたのだ。優しさ故だろうが、やはり注意はしないといけない。カイは頭を掻いた。
ああ、嫌な役割だ。
「ん、ロロ、不安そうな顔をするな。大人もいろんな失敗をする。俺だってきっと、これからも大きな失敗をするだろう」
「うん」
「だが、失敗したところで立ち止まることのないように、周りが背中を押すことも大事だ。だから仲間がいる。ギルドとは、家族とは、そんな存在だと俺は思う」
「私もそう思う」
「マルコを頼む。アイツには‥‥‥お前が必要だ」
「うん、任せて、カイさん」
少し寂しそうなカイの笑顔をロロは見つめて、額にチュッとキスをした。目を見開いて驚くカイに、ロロは笑った。
「ギルマスは、言いたくないことも言わなきゃいけないから、大変なお仕事だね。とくに、カイさんのように優しい人には‥‥‥」
「‥‥‥」
「【紅玉】はこの建物ではないの。カイさんが【紅玉】なの」
ああ、お前は、また。
「『俺たちのルビー』、笑って?」
お前は‥‥‥全く、どれだけ俺を‥‥‥。
泣かすんだ。
ロロをギュッと抱きしめて、溢れそうな涙を何とか我慢した。そして、ロロの背中を押した。
「ありがとう、俺の娘。大事な俺の右腕を頼むよ」
「合点承知の助!」
「は?」
泣き虫のルビーは、また、娘からの知らない言葉に翻弄された。
読んでいただきありがとうございます。
『古書店の猫は本を読むらしい。』も、スローペースで連載中です。こちらもどうぞよろしくお願い致します。
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