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林檎のロロさん  作者: Tada
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86個目

ブクマ・評価・いいね、ありがとうございます。


※ここまでが王都編です。



 すっかり暗くなった王都の南地区は、街灯よりも多い橙色の店の灯りと、香の煙や酒と匂いがする街だった。

 ゲイトに言われて久々に前髪を下ろしたユルは、ゲイトではないもう一人と向かいの店の陰に隠れていた。


「ユルくんの前髪が長くて良かった」


 前が見えにくいが、隠せと言うのだから仕方がない。ユルの顔は目立つので、虫除けと、カーティス家の息子が色街にいると噂にならないようにするためだ。


「ゲイトから聞いた時は、耳を疑ったが‥‥‥」

「‥‥‥仕事を増やしてしまって申し訳ありません、ダニエルさん」


 ユルとケルンの護衛で来ていたB級冒険者のダニエルとジェシカの夫婦は、ゲイトと同じ宿の二階に宿泊していた。夫婦は早めの夕食を終えて部屋に戻ろうとしたところ、ゲイトとともに階段を下りてきたユルにギョッとした。

 シューターとロロのことで泣いて目が赤かったユルに、何事かと夫婦はゲイトを睨みつけた。誤解されているようで、ゲイトは苦笑いだった。

 ユルを連れて色街に行くとわかったら、また困った誤解をされそうなので、どうしたものかと思っていたら、ユルがゲイトにこの二人が王都まで連れてきてくれたことを説明した。六年前にユルをガルネルに連れて行ってくれたのも彼らだと。それから、双子のリッツとルッツの両親だと言った。ゲイトは「そうか、あの二人の」と喜んだ。

 ゲイトは、過去にユルを苦しめた貴族の娘の今を確認に行くと話した。夫婦は驚き戸惑いながらも、誤解して申し訳ないと言って、ダニエルが協力を申し出た。


「いや、役に立てるなら嬉しいよ。前は何も出来なかった。それに、昨夜から十分にゆっくりさせてもらった」

「‥‥‥ありがとうございます」


 視線の先のゲイトが、【(あか)(こう)】の裏口で下男に話しかけていた。痩せた男が頷くと中に消えて、暫くするとまた戻ってきた。ゲイトに何かを話している。

 もう一度下男が裏口に入って行った。ユルとダニエルに向けて、ゲイトがそのまま待つように手で合図した。 

 十五分程して、裏口から下男に支えられるようにして、白髪混じりの女が現れた。ゲイトは手で女の顎を持ち上げ顔を上げさせると、女は焦点が合わない茶色の目をギョロギョロとさせていた。


 メイジー・カートンの変わり果てた姿を、ユルは目を離さず見ていた。艶のあった金茶の髪は、毛量も少なく縮れて殆ど白髪になっていた。

 貴族に生まれても、記憶を失くし、色街に売られ、薬漬けになる事など、あの(ひと)はあの頃には想像もしていなかっただろう。




「旦那、この女で間違いないのか?」  

「いや、人違いだった。悪かったな仕事の邪魔をして」


 ゲイトは下男に金貨一枚を渡した。


「わ、いや、いいんだ。そうか、人違いか」

「ああ、それにしても、若い女だろうに酷いもんだな」


 下男に寄りかかるように力なく立っている女を、下男は仕方ないように横抱きにした。痩せ細っているように見えて、それくらいの力はあるようだ。


「質の悪い媚薬を使いすぎるとこうなるんだ。最初はキレイな娘が来たなと思ったが、記憶はねぇくせに生まれ持った性格が悪いようで言うこと聞かねぇからよ、店の主人が使ったのが最初だ」


 年齢は違っても、記憶のないロロが保護された時は、皆に可愛がられていた。過保護な気もしたが、彼女は皆の優しさに感謝して、真っ直ぐに育った。シューターは、八歳くらいまでの記憶しかないのに体が大人で、精神が追いつくのに苦労しただろうが、彼も真っ直ぐに生きてきた。 


 記憶を失くしても性格が悪いとは、染み付いたものなのかもしれない。自分を忘れても、メイジーはメイジーだということだ。


「ああ、そろそろ戻らねぇとよ、旦那」

「感謝するよ、ありがとう」


 下男は少し顔を赤くした。感謝されたことなどないのだろう。また裏口から店に戻って行った。


「ねぇあの人、あたしの客じゃないの?」

「違うよ、格好良い旦那だけどな」

「そう」


 そんな会話が小さく聞こえてきた。ゲイトには、哀れな女がもう長くないことに気がついていた。香で誤魔化していても、体の内側から漏れ出る腐臭がしていた。




「ユル‥‥‥間違いないか」

「‥‥‥はい。随分と変わりましたが‥‥‥メイジー・カートンに間違いありません」


 前髪で隠れたユルの顔から、地面に何かが落ちた。


「雨が降ってきたようだな、家まで送る。ダニエルさんも宿に戻るといい。今日は助かった」

「ダニエルでいい。ゲイト、ユルくんを頼む。ユルくん、明日の朝は予定通りに迎えに行くから、今日はゆっくり休みなさい」

「‥‥‥ありがとうございました。ジェシカさんにも宜しくお伝え下さい。また明日、お願いします」



 ダニエルが帰ると、ゲイトとユルは南地区から中央区の外れを通り、北地区に向かって歩きだした。


「‥‥‥スッキリはしませんが、どこかでホッとしています」

「そうか」

「‥‥‥ゲイトさんは、いつ王都を発つのですか?」

「宿に戻って食事と睡眠、準備ができ次第だ。お前と俺のどちらが早く着くかな」


 すぐに発つようだ。一緒にと言いたいところだが、あの馬車にゲイトは狭すぎるだろうし、彼なら最短距離で素材を集めながら険しい山道を進みそうな気がした。

 ユルは下ろしていた前髪をかき上げた。ゲイトのようにラフな感じも似合うだろうか?ガルネルにいる少女には残念な顔をされるかもしれない。

 

 纏わりついていた見えない蜘蛛の糸。粘ついた最後の糸が取り払われた。カートン子爵家とユルの繋がりは、切れた。


「‥‥‥ああ、帰ったらたくさん仕事が待っています」

「忙しいのは幸せなことだ。お前が、【紅玉(ルビー)】に必要だということだ」

「‥‥‥はい、幸せです、本当に」


 ケルンの一番街灯の前のカーティスの事務所は閉まっていて暗く、裏口の前までユルを送ると、ゲイトは言った。


「シューターのことについて、まだ話は残っている。良いことばかりではないと、お前にもわかるな?」

「‥‥‥勿論、そうだろうとは思っています」


 先程、宿でゲイトが話したのは、ユルに力を与えるための嬉しい部分だけだった。これからギルドに戻り、皆の前で話すことが全てなのだろう。


「ジルニールから、懐中時計を預かっている」

「‥‥‥っ、そうですか」

「こちらに託された。お前に渡してくれと言われているが、どうする?今ここで渡すか?」

「‥‥‥いえ、ギルドで。皆さんの前で鑑定しますから、もう少し預かっていただけますか?持っていたら、たぶん気になって眠れません」

「ふっ、わかった」


 ユルの瞳は、もう弱々しいものではなかった。


「‥‥‥お前はちゃんと王都に来て、過去を乗り越えた。出来ることはしたんだ。ロロのことは、お前は見守ればいい。後は、そうだな‥‥‥強くなれ」


 少女の前では泣くなと。


「‥‥‥はい」


 ゲイトがユルのかき上げた髪を撫でた。


「それから、七三分けのほうが、お前らしい」

「‥‥‥やっぱり、そうですか」


 ちょっと残念そうに答えるユルに、ゲイトは声を上げて笑った。


「ギルドでまた会おう」



 ゲイトの背中を見送り、家族が待つ家に帰ろうと裏口の扉を開けようとしたら、少しだけ開いた扉に隠れていた両親に驚いた。


「‥‥‥っ、驚かさないでください!」

「「格好良い‥‥‥」」


 すっかりゲイトのファンになってしまった両親に、溜息を吐いた。ハリーがユルの背をポンポンと叩いた。


「お帰り、ユル」

「お帰りなさい」

「‥‥‥ただいま」




 宿に着いたゲイトは、受付に主人がいたので、準備ができ次第、ここを発つ旨を伝えた。


「かしこまりました。すぐにお食事の用意が出来ますが、あちらのご夫婦がお待ちのようです。ご一緒されますか?」  


 ダイニングで手を振る冒険者の夫婦に、ゲイトも手を上げて「そうする」と言った。


「ゲイトって呼んでいいのよね?お疲れ様!」

「ああ、ジェシカと呼んでいいか?‥‥‥ダニエル」

「嫉妬しそうだ」

「馬鹿、ダニエル、もう」

「ははっ」


 エールが来たので乾杯した。夫婦は夕食は済んでいるので、エールで軽くつまみを食べていたようだ。


「S級冒険者と飲めるなんて、思ってもなかったわね。ねぇ、ユルくんは、もう大丈夫?」


 苦しめられた、最悪な時のユルの姿を見ていた夫婦は、本当に心配していたようだった。


「ああ、もう大丈夫だ」


 夫婦はホッとした。明日の帰りの馬車は、六年前とは違う、楽しいものになりそうだ。

 それから、リッツとルッツは最近ますます頼もしくなったなとゲイトが言うと、夫婦はお互いを叩き合って喜んでいた。面白くて仲の良い夫婦だ。

 お互いに早く休む必要があるので、程々で解散した。


 再び受付の宿の主人にの所へ行った。


「少し寝たら明るくなる前に出る。全ての精算を頼む」


 大きい宿では、ギルドカードで支払いが出来る。ゲイトがギルドカードを出すと、魔石付きの精算機に通された。ギルドにある測定機能を応用して作られた魔法道具だ。


「金貨十枚分、受け取ってくれ」


 宿泊客が申し出れば、宿にその金額が宿泊代と別の報酬として入る。


「感謝申し上げます。‥‥‥ゲイト様、この者ですが、私の息子です」

「ゲイト様、この度は当宿をご利用くださいまして、ありがとうございます」


 料理を運んだり、下げたりしていたウェイターだ。主人の息子だったか。しっかり教育されていると、前から思っていたが。


「彼が跡継ぎか?」

「はい、任せられるようになりましたので、私もそろそろ引退を考えております」 

「この先も、この宿を利用するつもりだ。そうか、少し寂しいな‥‥‥」


 宿の主人が、ゲイトに眩しそうな目をして微笑んだ。ゲイトが若い頃からの付き合いだった。


 安い宿が流行った時代があった。

 宿の泊まり客が減り、一時期経営が厳しい状況だったが、ゲイトに「ここは変わらないでくれ」と言われ、耐えることにした。質もサービスも従業員の教育も、手を抜かなかった。ゲイトは王都に来ると必ず泊まってくれた。

 暫くすると、客が徐々に戻ってきた。少し贅沢したい時に泊まる宿として、一泊や二泊が多かったが、満足して、次も泊まりに来てくれるようになった。

 冒険者ゲイトが得意客になっていると噂の宿はここか?と聞かれることも多くなった。ゲイトはS級冒険者になっていて、冒険者だけではなく、一部の貴族や商人まで、皆の憧れの存在になっていた。

 彼の言葉を信じて良かったと、心から思った。


 宿の主人は、どんな金持ちの貴族や商人より、ゲイトが泊まり、彼に求められた仕事をすることで「ありがとう」や「世話になった」と言ってもらえることが悦びだった。

 息子は、苦しい頃も全てを見せて育ててきたので、一番の理解者だった。私もそう言っていただけるよう励みますと、そう言ってくれた。


「おい、俺は主人の名前を知らない。教えてくれなかったな。そろそろいいだろう?」


 宿の主人、それを通してきた。


「引退したら、お教えしましょう」

「‥‥‥頑固だな」

「ほっほっほ」


 こんなに声に出して笑う宿の主人は初めてなので、ゲイトはそれで満足することにした。


「それなら、ガルネルに俺を訪ねて来てくれ。一緒にエールを飲むのが俺の願いだ。叶えてくれよ?主人」

「‥‥‥かしこまりました、ゲイト様」

「では、休ませてもらう」

「「おやすみなさいませ」」


 語先後礼をした宿の主人の丸眼鏡の奥、白群(びゃくぐん)の瞳に光るものがあった。


 

 部屋に戻ったゲイトはシャワーの後すぐにベッドに入った。五時間ほどしっかり寝たら、午前三時だった。顔を洗い、髭を剃り、着替えをしたら、食品収納庫を開けた。

 一口サイズに食べやすくカットされたサンドイッチと、微温(ぬる)めの茶が入っていた。ゲイトが王都を発つ日の朝にいつも食べるものだ。すでに用意してくれていた。食べ終わったら、部屋を出た。

 まだ寝静まっている時間、三階から階段で一階へ、静かに下りた。すでに支払いは済んでいるので、そのまま出るだけで良かった。

 宿の入口の扉に二つの気配を感じた。宿の主人と息子が、並んで立っていた。ゲイトは苦笑いで「相変わらずだな」と言った。遅くまで忙しかっただろうに。


「サンドイッチ、美味かった。ありがとう」

「恐れ入ります」

「世話になった」

「「いってらっしゃいませ」」


 街灯がまだ灯る中、ゲイトの姿が見えなくなるまで、宿の主人とその息子が見送った。


 宿の名前は【グレイソンの幸運】。


 実は、このグレイソンが宿の主人の名前なのだが、ゲイトがそれを知るのはもう少し先になる。




 馬車の迎えが来たのは、午前五時だった。

 すでに中で挨拶を済ませた家族だが、馬車に乗る前にケルンが振り返る。


「ハリーくん、ベルを頼んだよ。世話になったね。いつでも二人でガルネルに遊びに来なさい」

「はい、お義父様、ありがとうございます」

「ユル」


 ベルがユルの両手を握った。


「長い休みが取れたら、また来て頂戴」

「‥‥‥はい、母さん。父さんも、お元気で」


 ユルとケルンはハリーとベルが見守る中、馬車に乗った。「あ、ゲイトさんに宜しく」と後ろから聞こえて、苦笑いした。最後に乗るジェシカが震えながら笑いを堪えていた。


「それでは、出発します」


 ダニエルの声で、馬車は静かに進んだ。

 北の検問所を通ったら、徐々に速くなった。行き同様に街道を行く。空が白み始めた。商人の馬車も見え始め、一時間もすれば街道は賑やかになっていくだろう。



 ガルネルに戻る。


 自分がいるべき場所に。


読んでいただきありがとうございます。

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