83個目
ブクマ・評価・いいね、ありがとうございます。
「ユル、今日ねゲイトさんが来てくださったわ」
「‥‥‥!」
目を丸くして立ち上がって驚くユルに、落ち着いてとベルが笑った。ユルは少し頬を赤くして、失礼しましたと座る。
詳しくは明日話すことにして、今は家族四人で果実酒を飲んでいた。酒を飲むのは久し振りのユルのために、夫婦は午後の仕事の合間に、アルコールが弱いタイプの果実酒を買いに行ったのだった。
「ゲイトさんはね、お祖父様とユルにゆっくり休んで家族の時間を大事にしてくれって」
「ユルはギルドに欠かせない鑑定士で、忙しいからなかなか会えないぞ、とも言っていたよ」
「‥‥‥ふ、そうですか、ゲイトさんが」
ふわりと優しい笑みをするユルに、ハリーもベルも泣きたくなるほど嬉しかった。
「素敵な人だったわね、ハリー」
「私もベルも、すっかりファンになってしまったよ」
「おやおや、これはこれは」
ケルンがにこやかに果実酒を飲んでいる。
馬車の移動に疲れは多少あったが、やはりロロの香り袋の効果は癒やしもあるのか、もっとケルンが疲れて来ると思っていた娘夫婦も驚いたほどだ。
「‥‥‥ゲイトさんは、折れそうな心を支えてくれた方の一人です。私はあのギルドで、たくさんの方に助けて頂いています」
王都にいた時のユルは、苦しくても「助けて」と言えなかった。自分で溜め込んで、疲れて、壊れた。
大人になった。
今のユルは自信に満ちていて、上の二人の兄達に負けない鑑定士になった。いずれ、自分たちすら超えるかもしれない、そんな予感がした。
「コニーもロンも、今のユルに会えなくて残念だね」
「‥‥‥兄様たちには手紙を書きます。またいつか来れたら、その時は」
「そうね」
ユルが魔法鞄である四角いビジネスリュックから、菓子の包みを出した。カットしたものが八切れも入っていた。
「‥‥‥【紅玉】の一番人気のアップルパイです。料理人の方々が用意してくださいました」
「これはこれは、久し振りだね。ロロくんが大好きなアップルパイだね?」
「‥‥‥はい。ご存知でしたか」
「小さな頃はね、カフェで食べているのをよく見たからね」
「‥‥‥そうですか」
柔らかく笑うユルに、ハリーとベルはロロのことが知りたくなった。
「半分、頂きましょう!果実酒にも合うわね。もう半分は明日のお茶の時間にね」
久し振りの三男ユルと父ケルンと過ごす時間に、ベルは弾む気持ちでケーキ皿とフォークを取りに行った。
結婚した長男次男はなかなか帰って来れないし、夫のハリーと二人きりの毎日だった。
ゲイトが言ってくれた『家族の時間を大事に』との言葉は有り難かった。あの言葉がなければ、今日はもう早く休んで、明日は話し合いをして‥‥‥という流れになっていたかもしれないのだ。
アップルパイは本当に美味しくて、無理なく食べられた。アルコールの少ない果実酒はユルも喜んで、買って帰りたいから店を教えて欲しいと言ってきた。僅かな仕事の合間に買いに行って良かったと、夫婦は顔を見合わせて笑った。
三階には、元々兄弟それぞれの部屋があった。
ユルは自分の部屋を使おうと思ったが、長男コニーと次男ロンの部屋はゲストルームに改装されていて、それぞれの部屋にベッドが二つあった。
ユルは今日、ケルンと同じゲストルームで休ませてもらうことにした。
ケルンは既にベッドに横になっている。ユルは眼鏡を外してナイトテーブルに置き、ベッドに座ってケルンに話しかけた。
「‥‥‥少しだけ、お話しをさせてください」
「先程言っていた、アトウッドの家のことだね」
「‥‥‥はい。今日は、私が気になるところだけでも構いませんので」
「ふふ、眠ってしまわないうちに頼むよ」
「‥‥‥はい、お祖父様」
ユルもベッドに入り、体をケルンの方へ向けると、ケルンはすでにこちらを向いていた。ユルが好きな祖父の青い瞳が待ってくれていた。
「‥‥‥亡くなったアトウッドのご主人は、確か、セージ様でしたか」
「そうだよ。セージ・アトウッド。すぐにわかるだろうから言うが、彼は子供の頃に孤児院から引き取られて、アトウッド家の養子になったんだよ」
「‥‥‥そうでしたか。あの庭園を守るために、養子が必要だったのでしょうか?」
「そうだね。アトウッドの家は代々、長生き出来ないと云われていてね。私の友人夫婦は、自分たちの命がなくなるまでに、跡継ぎが欲しかった。あの庭園に、魔力を注いでいたんだよ」
広い芝生の中のガゼボで、祖父と一緒にあの家族とお茶を飲んだことがある。ガゼボから見る庭園は、薬草と香草が美しく、緑豊かだった。
「‥‥‥では、ご主人があの若さで亡くなったのは、魔力を注いだためでしょうか。私がお会いした時は、すでに痩せていらっしゃいましたね?」
「本当に、不憫でならない‥‥‥」
ケルンの声が、少し震えた。
「‥‥‥お祖父様」
「知っていて、止められなかった。友人たちが亡くなった後に、彼は庭園を見る見る変えていった。妻と息子のために、無理をして命を削っていたよ」
妻と息子のため。ロロが薬草採取に行った庭園は、亡くなったセージが家族のために残した庭園。
「‥‥‥お祖父様。気を悪くなさらないでください。私は、ロロさんが心配です。持ち主が居なくなったあの庭園で、魔力を奪われることはないのですか?」
「ユル」
ケルンは、優しい孫の青碧の瞳を見つめた。短命のアトウッド家の話を聞いて、ロロの心配をしているのだ。
「ユル、絶対に大丈夫だとは私には言えない。ただ、アトウッドの名を継がないと、今まで庭園を維持していられなかった。他人から奪うことはないと思うがね」
「‥‥‥そうですか。失礼、しました」
今回王都に来た理由は、ユル自身のけじめと、ギルドと、ロロのため。ユルにとってロロの存在はとても大きなものなのだろう。ケルンはガルネルに戻ったらロロと話をしたくなった。
「‥‥‥セージ・アトウッド様の眼鏡はお祖父様が作った魔法道具で間違いないですか?」
「ああ、そうだよ。友人たちに、彼が気の毒だから、自分と同じ瞳の色にして欲しいと頼まれた」
気の毒。他人が見たら良く思われない色なのだろう。彼は、祖父や自分と同じ髪色、黒だった。
「‥‥‥では、本当は黒い瞳でしたか?」
「‥‥‥‥‥‥」
黒い瞳は黒の魔力が強く、桁外れの威圧と魅了で人間や魔物を支配する、と云われている。実際、そういった人間が過去にいたのかもしれないが、皆がそうだとはユルは思えない。セージ・アトウッドは、土魔法が素晴らしかったから養子になった。威圧や魅了があれば、とうに噂になっているはずだ。
先日、ギルドの皆との食事会の中で、リリィが前世のロロの姿を聞いていた。ロロがいた国の人は、黒髪黒目、もしくはそれに近い茶色や焦茶色が多かったそうだ。それでいて、魔力が全くない世界。信じられないような不思議な世界だと思った。
その話を聞けば、黒髪黒目など珍しくもなく、いくらでもいると思ってしまえそうだ。
「ロロくんが聞いたら、怖がってしまわないかね?」
ケルンは少し悲しそうだった。本当は、誰にも言わないはずだったのだろう。それでも、アトウッドの妻や息子は、外に助けを求めたのだ。
「‥‥‥お祖父様、ロロさんは黒い瞳の方に会っても、普通に話せる人です」
寧ろ、懐かしんで彼女から近付きそうだ。
「‥‥‥もしかしたら、亡くなったセージ・アトウッド様に会いたかったと思っているかもしれませんよ」
「‥‥‥!」
微笑んで答えたユルに、ケルンは目を瞠った。
「ユルよ。ロロくんに、遊びに来てはもらえないかね?」
「‥‥‥伝えます。美味しいお菓子でもあれば、きっと、もっと楽しい時間になるでしょう」
「ふふ、そうかそうか。わかったよ」
「‥‥‥お祖父様、そろそろ寝ましょうか。話してくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。ユル、おやすみ」
「‥‥‥おやすみなさい、お祖父様」
ユルが手元灯を消した。しばらくしたら、ケルンの寝息が聞こえたので、ユルも目を閉じるとすぐに眠りについた。
* * * * * * * * * * *
そろそろ解散しようと、シューターはフレディが酔って寝ている二階の部屋に戻って行った。
明日は予定がなければゆっくりするように、ゲイトが言った。部屋は明日も好きに使っていいと。朝食は宿の主人に頼めば部屋に持ってきてもらえると言えば、嬉しそうな顔をした。
シューターは、右に長くした前髪を耳に掛けた。顔は整っているのに騒がれないのは、目立たないように生きてきたからなのだろう。そんなところも同じで、兄妹なのだなと思う。
シューターが居なくなった部屋で、ゲイトとジルニールの気分は少しずつ下降していった。嬉しい気持ちは先程までで、あの少女のことを考えるとやはり気持ちが沈んだ。
「『ロロ』は、ロロ・シュテルンの名前だが、ロロは『ロロ』でいられるのか?」
「ジル」
「あの子には、兄が出来た。家族が見つかった。嬉しいことだ。なのに、一つ手に入れたら一つ消えるのか?あんな文字を見つけなければ、ロロなんて名前にしなければ‥‥‥」
「ジルニール」
「‥‥‥っ、すまない」
砂地の文字を見つけたのは、マルコ・プラムで、彼女に名前を付けたのは、カイ・ルビィだ。
彼らがこれを知った時、今のジルニールの言葉が、彼らの言葉になってしまうかもしれない。
「『ロロ』の文字がなければ、シューターがあの場にいた証明もなく、彼は信じなかったはずだ」
「そうだ、そうだった、すまないゲイト」
「俺に謝ってどうする。ジル、明日は仕事だろう?もう帰って休んだらどうだ」
「だが‥‥‥」
ジルニールの大きな体が、今は少し小さく見える。項垂れて、前を向けない程に。
「ジルよ。今は喜ぼう。名前のことは二の次だ。生きて兄妹が会えるんだ。俺は、妹に興味がないと言われた方が、きっとショックは大きかったと思うぞ」
ジルニールがゆっくり顔を上げる。
「お前の言う通りだ。それを考えたら‥‥‥」
明日、ゲイトは一日この宿に居ることにした。もう少しシューターと話ができたらと思っているし、ユルが訪ねてくるかもしれないからだ。
「ジル、シューターとフレディにはお前の正体を言わないのか?いずれバレるぞ。お前は目立つからな」
「‥‥‥そうだな。別にもう隠すつもりはないが、俺はもし出来るなら、ガルネルに行く時にシューターと一緒に行けたらと思うんだが、彼にはもっと時間が必要だろうか?」
ジルニールが一緒なら、彼も心強いかもしれない。
「明日にでも聞いておこう。シューターがもし一緒に行くと言ったら、お前と繋ぐ誰かを間に入れてやってくれ」
「一番合いそうなのは、やはりジョセフか。あいつを明日ここに寄越す」
「わかった」
ジルニールが立ち上がって、ゲイトが扉まで見送る。
「では、ゲイト。お前と次に会うのは、ガルネルになるな」
「あの子はきっと笑顔で迎えてくれる。だから、しっかり仕事をして、楽しみにして来るといい。貢ぎ物の菓子も忘れるなよ?」
友への気遣いを忘れない銀灰色の偉丈夫に、敵わないなとジルニールは苦笑した。
「おやすみ、色男」
「おやすみ、騎士団長」
ジルニールは顔を引き締めて帰って行った。
* * * * * * * * * * *
「なぁ、俺を殴ってくれ」
「フレディ、もういいから」
翌朝、フレディがクローゼットをトイレと間違えて小便をしたことに気がついたシューターが、彼の代わりに洗浄魔法をかけていた。ちょうど、フレディが起きた時だった。
「シューター、ごめん」
「キレイになったから大丈夫だ、気にするな」
笑って慰めるシューターに目を瞠った。随分と雰囲気が柔らかい。そういえば、隠していた右目の前髪が耳に掛けられている。
「隠すのはもうやめたのか?その右目」
「やっぱり、知っていたんだな。言わないでいてくれてたのか」
フレディはハッとして、それから申し訳ない顔をした。
「一度、お前が洗面台で鏡を見ていた時に、隠れていて脅かそうと思った事があったんだ。もう四年くらい前になる。報酬が多かったから、初めて二人で少しだけいい宿に泊まったことがあったろ?」
「うん、あったな。浮かれていたな」
「キレイな色だと思ったんだ。だけど、隠しているのには理由があって、もし俺が知ったとわかったら、お前は困って、何処かへ行ってしまう気がしたんだ。だから言わなかった」
酒に弱く雰囲気で飲み過ぎては酔って迷惑をかけるくせに、性格は良くて素直。だからこの男とは友人でいたいと思っている。
「ありがとう、フレディ。それから、ジルさんのこと覚えてるか?」
「大きくて逞しくて格好良い人だろ?ちゃんと覚えてるって!ゲイトさんとはまた違う魅力があるよな」
「お前、席で寝ちゃって、この部屋まで横抱きで運んでもらったんだぞ?そこは反省しろよ」
「え」
フレディは固まった。しばらく動かなかったので、シューターは一階の受付に行って、朝食を部屋にお願いしますと頼んだ。奥から宿の主人が出てきた。
「昼食はゲイト様がぜひご一緒にとおっしゃっていますが、どうされますか?」
自分もフレディも、特に予定はないので「嬉しいです。よろしくお願いします!と伝えてくれますか?」と笑顔で言うと、宿の主人が微笑んで「かしこまりました」と言った。
部屋に戻るとフレディがまた「頼むから、俺を殴ってくれ」と言ってきたので、こいつちょっと面倒くさいなと思った。
読んでいただきありがとうございます。




