82個目
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ジルニールがフレディを担ごうとしたら、ゲイトはそれだと吐くぞと言った。この宿で酔っ払いを引き摺るのはみっともないので、仕方なく横抱きにしたら、ゲイトとシューターが吹き出した。
「ははっ、お前優しいな」
「怪我人でもない若い男を横抱きするなんて、初めてだ」
「ご、ごめんなさい。後で反省させます」
ダイニング・バーの客たちの忍び笑いの中、ゲイトたちは二階の部屋へ移動した。二人部屋の前で、登録したシューターのギルドカードで扉を開けると、ベッドにフレディを寝かせて、メモを残し、再び扉を閉めた。離れるとロックされ、中にいるフレディと、登録したギルドカードでなければ開けられない。
「粗相をしないことを祈るしかないな」
「‥‥‥!」
ジルニールの言葉にシューターが少し青くなったが、ゲイトが頭をポンポンとした。ハッとして、一応洗浄魔法が使えます、と言った。随分表情が豊かになった。
ゲイトの部屋は三階で一人部屋だが、四人ほど座れるソファーとローテーブルがあった。シューターがポカンとしている。
「おい、ゲイト。良い部屋に泊まってるな」
「まあ、座れ」
「‥‥‥し、失礼します!」
シューターは今度はジルニールの隣に座った。ゲイトは魔法鞄から食品専用魔法袋を出して、そこからアップルパイと紅茶を出した。
「【紅玉】の名物だな」
「これはギルドの料理人が作ったものだ。シューターは甘い物は?」
「‥‥‥実は、大好きです」
「そうか」
ゲイトとジルニールは、自然と優しい目で微笑んでいた。
「え、なんですか?」
「いや」
「食べよう。俺もこのアップルパイは好きだ」
ジルニールがそのまま食べようとしたので、ゲイトはシューターに手掴みでもいいか?と聞くと、頷いて、サクッと良い音をたてて食べ始めた。
「んんん!うんまい!」
『うんまい!』
シューターが、ロロと同じことを言ったので、ゲイトは手で額を押さえるようにして、嬉しさを堪えた。
「ん?ゲイト、泣いてるのか?」
「いや‥‥‥ジル、お前、口の周りにいっぱい付いてるぞ、子供か」
「うるさい。これはこうして食べるのが美味いんだ」
「まだあるが、食べるか?シューター」
「いただきます!」
美味しそうにアップルパイを食べるシューターを見ながら、まずはどう話を切り出すかゲイトは考えていた。
もう完全にこの青年に情が湧いてしまった。ロロだけでなく、シューターの幸せも考えたい。だから、嫌がるなら無理に連れて行きたくない。彼の意志を尊重したい。
たとえ、ロロとシューターの道が別々になっても、許されるだろうか。
食べ終わって満足した青年が、ふうっと息を吐くと、ジルニールとゲイトが目を合わせて頷いた。
「シューター、話をする前に、これだけは言わせて欲しい」
「‥‥‥はい、ゲイトさん」
最初に感じた怯えはないが、やはり不安はあるようだ。仕方がない。
「俺たちが何を言ったとしても、選ぶのはお前で、俺たちはお前が人の道を外れない限り、尊重する。いいか、シューター。嫌なことは嫌だと言っていいんだ。お前の人生だ」
シューターの枯茶色の瞳が大きく見開かれると、直ぐに潤みだし、ポロポロと涙が溢れた。
「これからお前が知らないことを話すが、出来れば、俺たちが知らないお前のことも教えて欲しい。たくさん辛い思いもしたのだろう」
「‥‥‥はい‥‥‥はい」
止まらない涙を膝に落とすシューターに、ジルニールがハンカチを渡すと、ありがとうございますと受け取って涙を拭いた。シワのない白いハンカチが出てきたので、冒険者っぽくないですね、キレイ好きですか?と言われて、ジルニールがアタフタしていた。そこまで気を付けていなかったようで、ゲイトはお前もまだまだだなと、強面の友人に苦笑いした。
「【記憶失くしの森】は知っているか?」
「いえ、知りません」
ジルニールはそうかと頷いた。そうそう皆が知っていても困る。冒険者の間で広がっているわけではないことに、少し安心した。
「お前の怪我は斬られたらしいが、それはどうして負ったのかは?」
「それも、知りません。気が付いたら手当てをされていて、魔法での治療は受けていなかったので、傷痕はまだ残っています」
ジルニールが顔を顰めた。もし、ロロの様に騎士団に保護されていたら、傷は残らなかったかもしれない。完全には消えないが、白魔法で少しなら薄くなる筈だ。もし、後で見せてもらえたら、それが出来ることを話すことにした。
「【記憶失くしの森】で、七年前に血痕が見つかっている。そこは北の辺境伯領との間だ」
シューターが「辺境伯領‥‥‥」と呟いた。本当に覚えがないようだ。
「そこで見つかったのは、その血痕の近くに『ロロ』と砂地に書かれた文字と、八歳くらいの少女だ」
「‥‥‥!」
「シューター」
ゲイトが呼んだが、目を見開いたまま固まってしまった。今のどちらに反応したのか。
「シューター。お前の名前『シューター』は本名か?」
ゲイトの質問に、シューターは首を横に振った。
「俺の『シューター』は、俺が魔力の弓を射る『射手』である事と、忘れられてもう名乗れない『シュテルン』から‥‥‥考えました」
「シュテルン?」
どこかで聞いたことがある家名だが、ゲイトもジルニールも思い出せないでいた。
「俺の本当の名は、ロロ・シュテルンです」
「‥‥‥!」
「なんだって!」
ジルニールがローテーブルに膝を打ちながら立ち上がった。シューターがその反応に驚いた。ゲイトはショックを受けて固まっていた。
なんてことだ。ロロは、彼の名前。
「あの、どうしてそんなに驚くんですか?‥‥‥それと、少女って誰ですか?」
ジルニールは「すまない」と言って座り直した。動揺は隠せなかった。
「その少女は、記憶喪失だ。【記憶失くしの森】に自ら入った者は自分の記憶がなくなり、入れられた者は、存在を忘れられる」
「存在を忘れられるって‥‥‥じゃあ俺は、そこで斬られて、森に入れられた?」
ボスンとソファーに背中を預け、ショックを受けているシューター、ロロ・シュテルンに、ゲイトもジルニールも何も言えなかった。今はいっぱいいっぱいの筈だ。気の毒な話だ。
ただ、こちらは『ロロ』ですらなくなった少女を想ってしまった。七年間、『ロロ』として愛されて生きてきた彼女に、どう伝えたらいいのだろう。
「なぜ、俺は、いや、もっと深い話がきっとあるのでしょうね?」
「シュー‥‥‥」
なんて呼べばいい。
「今はシューターと、呼んでください。格好良いでしょう?気に入ってるんです」
無理して笑う青年に、隣のジルニールが頭をガシガシと撫でた。
「シューター!お前、イイ男だな!」
「ぅわ」
「首、折るなよ?ジル」
「折っ?ちょっ、やめてもらえます?」
ジルニールにぐるぐる撫で回されながらも、右目を押さえている。そんなに見られたくない傷なのだろうか。撫で終わってホッとするシューターが、ゲイトの視線に気が付いた。
「あ、これ、隠すのが癖になってしまって。別にもう大丈夫なんですが、今更なんだか顔を出すのも、タイミングが‥‥‥その」
髪をスッと上げた。斬り傷の痕が右の額から頬にかけてあったが、他人が見ても不快なものではない。それよりも。
「シューター、お前、その瞳‥‥‥」
「俺は、この通り、オッドアイなんです」
右の瞳の色は露草色、少女ロロと同じ瞳の色だった。
「なぁ、シューター。その記憶喪失の少女は、お前と同じ枯茶色の癖のある髪に、露草色の瞳だ」
「‥‥‥え?」
「お前は十年分の記憶がないんだな?」
「そうです」
「当時八歳くらいの少女だ。お前の記憶から完全になくなってしまったんだろう。シューター、お前の妹である可能性が高いんだ」
「俺に、妹?‥‥‥え?妹?‥‥‥でも俺は、一人息子で、両親はもう死んでいて。冒険者になってから探したけど、家はもうないし、両親も死んでいると。お前は一体誰だと、隣の家のおじさんに恐い顔で言われて。もう、それっきりです」
「そうか」
不審者扱いされるともっと厄介になる。諦めて正解だったかもしれない。
「傷があってもオッドアイを気に入ったのか、手当てしてくれた貴族の家で少し働いていました。俺はその時は八歳くらいまでの記憶しかなかったから、最初は役に立たなくて」
嫌な予感しかしないが、その貴族は。
「まさか、カートン子爵か?」
「そうです、知ってるんですか?」
「お前を気に入ったのは、娘か?」
「そうです!何でも知ってるんですね!」
「何か‥‥‥されたか?」
気分が悪くなる。どこまでも絡みつく、カートン子爵家に。ゲイトもジルニールも恐ろしい顔になったので、シューターは慌てた。
「あの、まだ心が子供だったので、ご令嬢をお姉ちゃんと言ったら、残念な顔をされました。しばらくは私の護衛でもしてちょうだい!って」
「「良かったな」」
「‥‥‥はい」
悪い女に喰われるところを、記憶が抜けた事で助かった。
しかし、護衛か。
「子爵の馬車が事故に遭った時はどうしていた?」
「途中で、子爵の護衛の人に突然馬車を降りろと言われて、降ろされたんです。どうしたらいいかわからなかったけど、子爵もご令嬢も眠っていたまま何も言わずに。それが子爵を見た最後でした」
何故か、金貨・銀貨・銅貨がいくらか入った袋をその護衛に渡された。これからどうしたらいいかと歩いていたら、冒険者ギルド【蒼玉】に着いた。
「冒険者登録するお金は袋の分で足りていたので、F級冒険者から始めたんです。ギルマスには、十年分の記憶喪失で家族はいないことを正直に言いました。優しい先輩たちに最低限の冒険者の生き方を教えられて、フレディとも仲良くなって、今に至ります」
その護衛が何者かはわからないが、その後に子爵を事故に見せかけて殺したのかもしれない。娘は記憶喪失にして、色街に売った。シューターは、冒険者ギルドへ行くように馬車から降ろして逃がされた。彼の心がまだ子供だとわかっていたからだろうか?
何にせよ、一緒に消されなくて良かった。
彼は二十五歳だが、やはりまだ年相応とは言えない。十代を相手にしている気分だ。シューターもロロも、年齢より若い兄妹だ。
「あの‥‥‥妹って?」
シューターがゲイトに緊張した顔で聞いた。
「彼女は、自分の名前もわからないまま保護された。今はガルネルの、冒険者ギルド【紅玉】にいる冒険者だ。手掛かりが『ロロ』しかなかったから、ロロと名乗っている」
「‥‥‥そうですか!ああ、だから驚いたんですね」
「ロロが二人になってしまって、困っている」
「はは!そうですか!ロロ!俺の名前を」
ジルニールが、部屋の食品収納庫で飲み物を探すと言って立ち上がった。
「一息入れよう、シューター」
「はい、頭が情報でいっぱいです。あ、甘い物はないですか?」
「妹も、甘い物をよく食べるが、お前もか」
ゲイトが笑ってそう言うと、シューターは少し嬉しそうにした。
「俺の、妹。‥‥‥可愛いですか?」
「可愛い!可愛いぞ!まあ、俺も随分会ってないがな。今度会えるのが楽しみなんだ」
ジルニールがそう言いながら、エールと果実酒を持って戻ってきた。それから自分の魔法鞄から、メル・ジュエルのミルクチョコレートを出した。
「メル・ジュエルって、高価なチョコレートのお店ですよね!食べたことないです!」
「全部食べていい、俺の休憩用に買ったが、また行くから気にするな」
「ほ、本当に?」
「遠慮なく食べろ。このジルはな、時々ここのチョコレートをガルネルのロロにこっそり送って貢いでる」
「貢いで‥‥‥ってお前、ゲイト、酷いぞ」
「ふふ、モテるんですか?妹は」
「年上キラーと呼ばれているな。さっきのアップルパイが大好物だ。食べた顔が、本当に可愛いぞ?」
シューターはミルクチョコレートを一粒食べた。ナニコレ、うんまい!
ゲイトが言うのだから、良い娘に育ったのだろう。独りだと思っていたのに、妹がいたなんて。
妹も、俺を忘れている。最初は、どんな顔をするだろう?この傷は怖がるだろうか?なぜ、今まで探してくれなかったと、怒るだろうか?
「会いに行ったら、喜んでくれますかね?」
「会いたいか?」
「少し、いろんな覚悟と準備をしてから、会いに行きます。会いたい」
「‥‥‥そうか。今から飲み直そうシューター。お前が聞きたいことなら話すぞ?何が知りたい?」
「妹のことを、もっと、ぜひ!」
シューターが果実酒とチョコレートを食べて、話を聞いて笑っている。
ゲイトもジルニールも、もう十分だった。ロロを拒否されるどころか、会いたいと言ってくれたシューターの言葉で、酒のせいだけではなく、胸が熱かった。
読んでいただきありがとうございます。




