第9話「最低だ。そうだよ。そりゃあ、マオに騙されるさ。こんな甘ちゃん、オヒキにしたって足を引っ張るさ。油断だらけだもの」
四五⑦⑧345678北北白 ツモ3
打3ツモ切り。
3索がいかにも関連牌、のような顔をしているが、ろくな手替わりがなくほぼ危険牌である。
これが
四五⑦⑧345567北北白 ツモ3
で一盃口目が出たとしてもツモ切りでよいほど微差である。ブクブクに構えたがる人がよく引っかかる形。
三五⑦⑧345678北北白 ツモ3
三五⑥⑧345678北北白 ツモ3
の形でも、3ツモ切りor安牌切りの打白でほぼ差が出ない。
(何度か試したけどやっぱりだ。俺とマオのコンビ打ちが機能していない……)
東2局まで進んで確信する。
マオとのコンタクトが上手く行かないのだ。
サインのやりとりを何度か試したものの、今度は返事がなくなってしまった。
ここから先はマオからのアシストもサポートも期待できなさそうである。
特に和了に関しては、マオは全く和了る気配がなかった。
背中に奇妙な汗を感じる。今までの目論見が崩れてしまった。
なぜマオがこんな行動に出ているのだろうか。
俺とマオが不利益になるだけなのに。
そもそも俺は、マオを信じて代打ちになんかなってよかったのだろうか。
もしかして俺は、マオに嵌められているのではないだろうか。
もしや、俺がホウラ家の血筋であることを利用されていて、この麻雀の結果がだめだった場合、実家に多大な迷惑がかかるのではないか。
猜疑心がぐるぐると脳裏を渦巻いて支配する。
恐怖で手が縮こまりそうになる。
マオの目は、相変わらず冷ややかなまま。
(……何ということだ。すぐ気付くべきだった。カモは俺だったんだ! なぜ、俺は負けない、なんて甘っちょろい考えを持っていたんだ!)
その時になって、俺はようやく気付いた。
なぜ、勝負の調整を自分でやらなかったのだろうか。
勝負を行う部屋の場所や、勝負に使う麻雀牌や、それらを自分に有利な条件に指定すればよかったのに、なんでそれらを放棄してしまったのか。
もっと薄暗い部屋であれば、ぶっこ抜きも簡単にできるのに。
もっと背中の模様が分かりやすい麻雀牌であれば、マオがやっている魔眼もどきも自分で使えたかもしれないのに。
なぜあれをしなかったのか。
なぜ勝負の場で甘えてしまったのか。
なぜ、自分で実現できる努力を放棄してしまったのか。
(最低だ。そうだよ。そりゃあ、マオに騙されるさ。こんな甘ちゃん、オヒキにしたって足を引っ張るさ。油断だらけだもの)
せめて、オヒキとして認められるように振る舞えばよかった。
何が、一端の代打ちだろうか。
勝手に舞い上がって、油断だらけで麻雀を打って、小手先だけの技術に満足して。
こんなの、カモでしかないではないか。
代打ちとしての覚悟が足りていないのだ。
すなわち、食うか食われるか、の危機感。
危機管理能力のないものは、どの道この世界でやっていけないのだ。
(……まだ、最後のチャンスが残っている)
勝たねばならない、と思った。
麻雀で、この勝負に。
そうしないと、俺はいよいよ全てを失うことになる。
◇◇◇
勝負の場において、俺は細心の注意を払った。
見切りをつけるのを早くしなくては失点のリスクは増えるし、逆に無意味なところで降りると期待値がマイナスになる。
要は、どこまで押せるか、の押し引きである。
例えば、序盤六巡の手出しとツモ切り。
普通、配牌直後は手がぐちゃぐちゃであるため、平均一回程度しかツモ切りがないはずなのに、ツモ切りを何度も入れている奴がいたらそいつはかなり手が早い。
よって安牌を持つべきは、何度もツモ切りが連続している他家の安牌である。
他にも、鳴き聴牌へのケア。
チーして聴牌は、手出しのソバテンを警戒せよとよく言われる。
45④⑤⑤から3索チーのとき、⑤筒が手から出てくることが多い。ここから、チー聴を警戒するときは鳴いたときの手出しを警戒せよと言われるのだ。
だが例えば、下記のように読みを更に進めることができる。
356からの4チーで打3索の相手がいたとき、高い確率で69索の筋が通る。
なぜならば、78が手に残っているとしたら、35678の牌姿であり、4でそもそもロンのはずなのである。
このように、“比較的安全な無筋”を見つけることで、苦しい展開になっても躱し手を入れることができるのだ。
他にも、後手を踏んだときに聴牌維持をするか降りるか。
常に先手を取れるわけではないのが麻雀である。そもそも先手を取れる確率は全員平等で25%、降りるか攻めるかは常に問題なのだ。
基本的には降りが正解である。
しかし、良形の聴牌維持(両面待ち)と愚形の聴牌維持、完全一向聴と良形一向聴(両面二つ)と片方愚形の一向聴と愚形確定の一向聴、それぞれで押し引きのしきい値が異なる。
放銃率何%までなら押せるか。
放銃率の簡易計算は以下の通りである。
(全18本の筋のうち、今まで通った筋の数で計算する)
一枚切れ字牌 → 13本で10%
外側28牌 → 13本で10%
生牌の役牌 → 11本で10%、13本で15%、14本で20%
無筋19牌 → 10本で10%、13本で15%
片筋456 → 10本で10%、13本で15%
無筋28牌 → 9本で10%、12本で15%、14本で20%
無筋37牌 → 8本で10%、11本で15%
無筋456牌 → 5本で10%、8本で15%、11本で20%
子のリーチの平均打点は6000点。
(※巡目と場に見えているドラ枚数によって変化する。七巡目で6600点〜十二巡目で7000点、見えているドラ一枚につき400点減らす)
親のリーチの平均打点は8700点。
(※同上。七巡目で9000点〜十二巡目で10500点、見えているドラ一枚につき550点減らす)
これをもとに、放銃率と局収支(ノーテン時は平均-1500)を計算し、押し引き基準を簡易化すると、聴牌時の押し引き基準値は以下となる。
放銃率が10%の牌を押してよいときは。
8巡目 両面1000 愚形2700(対親の時:両面1800 愚形4000)
11巡目 両面1000 愚形2000(対親の時:両面1500 愚形3400)
14巡目 両面500 愚形1000(対親の時:両面700 愚形2000)
放銃率が15%の牌を押してよいときは。
8巡目 両面1600 愚形3500(対親の時:両面2600 愚形5100)
11巡目 両面1600 愚形2700(対親の時:両面2300 愚形4700)
14巡目 両面1000 愚形2300(対親の時:両面1800 愚形3700)
放銃率が20%の牌を押してよいときは。
8巡目 両面2300 愚形4300(対親の時:両面3300 愚形6400)
11巡目 両面2300 愚形3500(対親の時:両面3300 愚形6000)
14巡目 両面2200 愚形3600(対親の時:両面3300 愚形5400)
(※和了価値指標は乗算していない。
ラス回避麻雀の時は下記の通り:
自分が35000持ちの場合は、和了価値は素点0.68倍~0.45倍程度で、南一局で0.51倍。
自分が15000持ちの場合は、和了価値は素点の0.96倍~1.57倍で、南一局で1.31倍)
上記は聴牌時の計算であり、イーシャンテンの時は計算が煩雑になる。
ざっくり計算すれば、両面確定の満貫の時、子vs子で終盤、無筋2378を押す、無筋456で手を引く、ぐらいの基準になる。
(※自分が親のときは、両面+愚形の満貫で、終盤、無筋2378を押す、無筋456で手を引く、ぐらいの基準になる)
これが不思議に映ることはあるだろう。
無筋を一枚勝負したくせに、同じく無筋をつかんで降りる。
かと思えば、終盤になってチーテンを取り、無筋を勝負する。
しかし、この絶妙なラインの押し引きこそが、俺の麻雀なのである。
ドラポンで満貫はありそうな他家に、残り筋5本の無筋を押して、形式聴牌を取ることもある。
なぜなら満貫に放銃率20%程度を乗算しても、形式聴牌取る取らないの差分2500点程度を超えないからである。
五回に一回満貫に振って、残りの半荘を不利にすることはよくあること。
しかし、あくまで俺はこの麻雀を続けて、期待値のプラスで浮きを目指すのだ。
◇◇◇
ハヤブサのセンリが走ってスタートした麻雀だったが、展開は意外な方向に進んだ。
つまり、この謎の少年、ロンの猛追がここから始まったのである。
(……こいつ、国士無双しか狙ってねえのか!?)
三回に一回は国士無双。
失敗しても無理やりの染め手。
脂っこい中張牌をずたずたにツモ切りしていく少年の麻雀に、センリもヨロクも打ち方に迷いが出た。
どうにも両面ターツの育ちが悪い。
中張牌をなかなかツモらないのである。
(けっ、そりゃあそうだぜ。そんなに中張牌をなます切りに場に並べられちゃあ、こっちも残り受け入れ枚数が少ない両面ターツを見切るとも。そうなりゃ必然、裏目も出てくるし、トイツ場っぽくならあ)
カンチャンでもペンチャンでもいい。あの少年を足止めできるなら先制リーチである。
そう思ってリーチを放つも、鳴きタンヤオのノミ手で蹴られる。
読まれているのか。
それとも、運がいいのか。
必要な牌を受け止め切って上がっている……とまでは言わなくとも、こちらの和了率は異様に悪くなった。
(おかしい……なぜあのガキは、こっちの当たり牌をつかまないんだ)
無筋をガンガン放り投げて勝負する癖に。
十回に一回当たればいい程度の放銃率。それも、裏ドラを無視すれば大体2000点~3900点程度の手。
しかも、信じられないことに、国士無双をきちんと和了っているのである。
南3局時点で、親満でスタートした先制リードはとうに溶けていた。
形式聴牌を3回。2000点の混一色。黙聴の2000点のピンフドラ1。そしてたった一発の国士無双。
大きく捲られた、とセンリが内心で舌打ちするも、少年は全くぶれる様子がない。
(……大丈夫、あんなに危険牌をガンガン切っていくんだ。いずれ崩れるさ。こんなのタコマージャンじゃねえか)
センリもヨロクも、少年の攻め気味の打ち筋を低く見積もっている。
全ツッパなんて初心者がやることである。降りるときは降りるのが玄人の麻雀だ。
しかも三回に一回狙っているのが、国士無双や、国士無双崩れの染め手というのは、高打点を狙いすぎている。
果たして、ツモ番が何回あると思っているのだろうか。有効牌がどれだけあるか分かっているのだろうか。
じきに負けが込むようになる。
あの少年の非合理的な打ち筋ではすぐに負けるはず。
――その時までは、少年は、そう思われていた。
◇◇◇
マオとの訓練で気付いた。
尖張牌と赤牌の合計27枚がしっかり目で追えるようになると、一九字牌の合計52枚を追いかけるのは、さほど難しくはなかった。
洗牌のとき、普通はランダムに転がって半分の26枚ほどが目で追いきれなくなってしまうのだが、一九字牌に限っては40枚近くを追いかけることができた。
何故なら、一九字牌は、ほとんどの局で河に捨てられる確率の高い牌だからである。
全52枚のうち、おおよそ30枚ほどが河に並べられたとして、残り22枚の半分がランダムに転がって目で確認できる牌になる。
もちろん、その40枚を追いかけたところで、自山に積み込めるのは34枚が限界、現実的には25枚〜30枚となる。
とはいえ、それだけ積み込めたら、国士無双への足がかりはできたも同然である。
(無理チャンタのときの打ち方が、上手いこと煙幕になってる。俺が変則的な打ち手のように見えているはずだ)
国士無双に走るのが三回に一回、という頻度になっているのは理由がある。
というのも、配牌時の牌姿を見てから、四シャンテン以下の時に国士無双に走っているからである。
(第一ツモ時、14枚が四シャンテン以下となる確率は、おおよそ34%だ。平均シャンテン数は3.15シャンテンだから若干悪い。こういうときはさっさと国士無双に走ったほうが攻防合わせてバランスがいい)
ぶっこ抜きで、国士無双の三向聴〜二向聴ぐらいに一気に寄せる。
後はのうのうと国士無双に向かうだけ。
白發中が二枚ずつ積み込めたら、大三元含みに構えてもいい。
(……さて、平均シャンテン数を割り込むことがないやつが同卓していて、割り込んだとて、三分の一の確率で国士無双の二向聴まで持ち込んでくるような奴がいたら、果たして卓はどうなる?)
考えるまでもない、と俺は思っていた。
結果は、火を見るよりも明らかなのだから。