3、そして少女は思い出す2
淡い光に意識が浮上してゆっくりと目を開けると、見慣れた天蓋付きベッドの天井が目に入った。どうやら自室のベッドの上の様だ。
酷い頭痛がして意識を手放したのまでは覚えているから、その後誰かがここまで運んでくれたのだろう。
見慣れたはずの天井は先程の夢のせいか違和感を感じる…というか、天蓋付きの広すぎるベッドという‶昨日まで当たり前だった物‶が思い出した記憶があまりにも庶民的すぎて違和感しかない。
横になったまま首を巡らせ周りを見渡してみたが、部屋の中には私以外いないようだった。
メイドや使用人の前で倒れたのは、突然の出来事だったので、心配させてしまっただろうか。
目が覚めた事を伝えた方が良いと思うのだが、それより先に、前世を思い出したせいで色々とごちゃごちゃしている考えを一人でまとめたい思いもある。
少し迷った結果、とりあえず、誰も呼ばずに夢と此れまで、つまり、今の自分と前の自分について整理する事にして、整理が出来たら起きた事を知らせるという結論に至った。
先ずは、先程思い出した前世、『碓氷海音』について整理して行く。
碓氷海音19歳。
4年制のファッション・デザインの専門学校に通う1年生で、ジュエリーデザイナーという夢を追いかけ、田舎という程田舎でもない地方から進学を機に都会へ出て親友の澪とルームシェアをしていた超が付く程平凡な日本人。
家族構成は父、母、姉、祖母。家族、親戚含め女性が多く、それ故に女の意見が強くなる女系気味な家系ではあったものの、珍しくもなんともない普通の家族だったと言える。
因みに、姉は海音が亡くなる4年前に結婚。双子の甥と姪が居た。
顔は日本人特有の特徴のない丸顔、所謂、地味顔だ。
体系は可もなく不可もなくの標準。敢えて身体的特徴を上げるなら、他人よりほんの少しだけ背が低かった事。
後、他人より胸部が平だった所くらい。泣ける。
好きな事はゲーム、お絵かき、手芸、園芸、お菓子作り。澪と二人で様々な趣味を活かしてフリーマーケットや二次創作イベントに赴き作った同人グッズを売っていた。
数回、手作りコスにも挑戦したことがある。が、技術的に技量が足りなさ過ぎて納得のいく作品が出来た事はない。
澪には「クオリティー求め過ぎだから。これでも十分凄い作品だからね?」と言われた事はあるが、製作者が納得していないのだから没作品だと思う。
他に変わっていた所で上げるとするなら『お菓子』は普通に作れるのに、『料理』を作ろうとすると何故か食材が良く分からない物体に変貌を遂げ、稀に爆発が起きる所だろうか。
意味の分からない現象なので澪や家族からは『呪い』と言われお菓子作り以外で台所に立つのは禁止された。
同性愛にも寛容な腐女子よりのオタクだったのは今どき珍しくもなんともない―と思っている―ので変わっているには入らないので除外。
他は…特に出て来ないので考えれば考える程、平凡を地で行っているような人間だったようだ。
・・・前世の私取り柄なさすぎでは?
もしも、あの事故が起こらず、平凡な生活が続いていたなら、取り柄がなさ過ぎて就職や自己アピールが必要になった時に困る未来が待っていたと思う。
実際、自己アピールしなさ過ぎて19歳だと言うのに彼氏無し=年齢だったし、誰かと付き合いたいとは思ってなかったが、19歳で彼氏無し=年齢だったのはやばかったのではないだろうか。
今世だと行き遅れにならないように焦る年齢である。
男性と話さなかった訳ではない。ただ、話題がなさ過ぎて連絡事項のような必要最低限の会話しか続かなかった。
親戚含め、家族に女が多かったせいで身近な男性が父くらいの年齢か、1回り程年下しかいなかったのが原因かもしれない。
唯一、年の近い男性が姉の夫の義兄だったのだが、元来の性格なのか、姉に合わせてなのかはわからない。が、妙に大らかというか女性的?であった為、異性という感覚が無かった。
寧ろ、義兄より姉の方が負けず嫌いで男勝りであった為に、見るたびに真逆な夫婦だなと思っていた程。
二人はお互いの何処に轢かれたのか…謎である。
話を戻すが、そんな訳で、前世では老人や1回り以上下以外の異性との面と向かっての交流は少しばかり苦手意識を持っていたのは認める。
人見知りであった事も異性に苦手意識がある原因の一端になっているのかもしれない。
後は単純に女友達、特に澪と居るのが楽で楽しかったせいだと思う。
前世の事を整理していたはずなのに、何故か誰にするでもない言い訳めいた事を考えてしまった。
無意識に閉じていた目を開ける。そこには先程と変わらない景色が広がっていて、何とも言えない違和感を吐き出すようにため息をついた。
トラックに衝突する寸前に思ったのは家族と|親友≪みお≫の事だった。
両親に最後に会ったのはその年の夏。あの事件が秋半ばだったので2月程前になる。
『愛してる』なんてあまり言われなかったし、上京してからはあまり頻繁に連絡も取ることがなかったが、帰省するといつも優しく迎えてくれて、少し豪華で、海音の好物ばかり作ってくれる食事にたくさんの愛情を感じていた。
姉も、彼女が結婚して子供が生まれてからはあまり会えなかったが、義兄と2人、いつも気に掛けてくれて居た事は知っている。
3歳になる双子の姪と甥も、無邪気な笑顔で海音に懐いてくれていた。
2人との次の遊ぶ約束を果たせなくなって本当に申し訳ないし残念に思う。
澪は、最後に話をしたのが彼女だったから、凄く気に病んでしまいそうだなと思う。
普段は気が強いけど、それでいてもろい部分があった人だから。だからあまり気にしていないといいなと思う。
永遠の別れは何の前触れもなく来て、別れの言葉を言う暇はなかったが、海音が居なくなった事をあまり気に病んで欲しくない。
突然いなくなってしまったから、家族や澪を凄く悲しませたと思うけど、それでも、すぐには無理でも皆には笑って暮らしていて欲しい。
前の家族の事を思うと目の奥が熱くなり、鼻がツンと痛くなるような気がするが、今はまだ泣く時ではないような気がするので気のせいという事にする。
暗く沈んでしまいそうになる気持ちを切り替える為、ベッドから起き上がった。何故か酷く喉が渇いていた為、ベッドサイドのテーブルに置いてあった水を一気に飲み干した。
喉の渇きも落ち着いて再度部屋を見渡してみれば、寝室の隅に置いてある姿見の前に立った。鏡には朝焼けの青紫とオレンジの不思議な色のグラデーションをした大きな猫目の幼女が憂いのある顔でこちらを覗き込んでいた。
少し癖のあるゆるく波打つ髪は暗めのブラウンピンクで、薄いがふっくらとしているのがわかる唇と桜色に染まっている頬、子供特有の大きな目が何の違和感もない程バランスの取れた配置で鎮座しているふっくらとしていてとても柔らかそうな輪郭。
何処からどう見ても紛う事無き美少女。
この鏡の中の憂い顔の美少女こそが、今世の私、アリア・ドートリッシュである。
今世の私、アリアはぺタラ国のドートリッシュ公爵家に生まれ、この国の宰相を務める父と社交界でも1、2を争う美しさだと噂される母の間に5年前に誕生した。
アリアは髪の色と猫目以外は母似で、瞳の不思議な色は既に亡くなっていて会った事のない父方の祖母に似たらしい。
随分と前世の自分とは容姿や地位がかけ離れた存在になり、取り柄しかない様な存在になってしまった。
自分だと分かっているのに鏡の中に居る『前世でも中々お目にかかれない美少女』レベルの自分をつい観察するように見てしまう。
生まれてから記憶が戻るまで、何度となく見ているはずなのに違和感が凄い。
これからこの姿で一生生きて行かないといけないがまるで慣れる気がしない。
ド平凡だった海音の影響は凄まじいようだ。
まぁ、順応性は高い方だったのでその内慣れるだろうからさして問題ではない。
それよりも問題なのが――
――アリア・ドートリッシュが海音が死ぬ前にやった乙女ゲームの悪役令嬢だという事だ。