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未練の結晶

作者: 黒種 雅

 あの日僕は、君に恋をした。

 僕より8歳も年上の君に。

 少し触ると壊れてしまいそうなほど脆く、弱い君に―。


 息苦しいほど照りつける太陽もようやく勢いを弱めてきた晩夏。ふわりと、秋の香りが僕の頬を掠める。その香りにつられ掘り返される記憶。そして僕は、大切にしまってある日記を開く。


 9月17日 火曜日

「いつもと変わらぬ僕の世界に、今日、天使が現れた。」


 毎年この日の日記を見ると笑ってしまう。

 でも確かにあの日の出会いは、こう書くしかないんだろうなと今でも思う。


 彼女は僕が学生の頃に出会った姉の友人だった。

 社会人の彼女は、学生で、8歳も年下の僕に、自分の弟かのように接した。僕は、それが心地よかった。

 当時彼女には、同棲までしている彼氏がいた。同棲生活が長かったことは知っていたので、「二人はこのまま結婚するんだろうなぁ」とずっと思っていたが彼女は不満が相当溜まっているようだった。

 何度か姉を含めた三人で遊んでいるうちに、僕は彼女と連絡先を交換していた。

 初めは三人でいる時にしか話さなかった彼氏への不満も、仕事の愚痴も、僕と二人で話す時にも話してくれるようになった。僕はそれが嬉しかった。彼女の支えに少しでもなれればと思っていたから。この時には既に、彼氏持ちの8歳年上社会人という僕とは遠くかけ離れた世界に生きる彼女に恋をしていた。

 二人で話すようになってからしばらく経った頃、彼女は友人と旅行に行く関係で実家に帰っていた。旅行の間も遊園地に行くと「今からこれに乗ってくる!」と写真を添えて送ってきたり、ご飯を食べると「おいしかった!」と写真を添えて送ってきたり、僕はそんな彼女がとても愛おしかった。その日の夜は彼女もまだ実家にいたので電話をすることになった。一日の思い出をたくさん僕に語りながらずっと笑っている彼女の声を聞いて、溜まっていたストレスを少しは発散できたのかなと思うと僕の方までつられて笑ってしまう。その日は電話を繋いだまま二人で眠りについた。次の日の朝、電話を繋いだまま寝ている彼女に「おはよ、学校行ってくるね?」とそっと声を掛けた。前日遊んで疲れただろうなと思っていたので起きるとは思っていなかったが、彼女は寝ぼけながら「ん、行ってらっしゃい、頑張ってね」と、僕の声に返事をした。初めて聞いた寝起きの彼女の声はとても可愛く、きっと隣にいたら抱きしめていたのだろうなと思う。

 彼女はこの日を境に、少しだけ僕に心を許してくれたように思えた。

 旅行を終え、彼氏と同棲している家に戻ってからの彼女は、「これならヒョウと話してるほうが楽しいよ~。寂しい。」という話をよくするようになった。彼氏とはもう近いうちに別れるという話は聞いていたので、彼氏に対する罪悪感はあまりなかったが、これでいいのだろうかと不安になることも多々あった。それでも、僕は彼女が好きだったから嬉しかったし、「愛は年齢の壁を越える」なんていうクサいことを考えながら少しでも彼女が年齢を気にしなくなるように、今の彼氏と同じようにはならないために、真剣に向き合って、嫌いなものもしっかり記憶していた。


 嫌いなもの

「しいたけ あんこ 手羽先 貝類 たけのこ」


 食べ物ばっかりじゃないかとツッコミたくなる。


 彼女の口癖は「30歳まで結婚出来なかったらヒョウに骨拾ってもらう!」だった。僕はいつも「そんな待たないでも」と言っていたが、やはり彼女にはまだどこか年齢の壁があるのだろう。それでも、甘えてくれたり頼ってくれたりする彼女を見ていると「このまま好きでいていいんだな」と思えた。


 ある日、彼女は凄く悩んでいる様子だった。

 今の彼氏のこともあり、僕のこともあり、彼女に負担がかかっているのは分かっていたからこそ、僕は、自分がどうするべきかわからなくなってしまった。彼女に最近距離を置かれていることには気づいていたが、ここで何か僕が言ってもダメかもしれないし、そもそも距離を置かれているように感じているのは僕だけかもしれないと思うとなかなか話を切り出せなかった。だが、微妙な距離感は凄く寂しく、苦しい時間だった。僕はそれに耐えきれなかった。


 10月27日 日曜日

「僕の考えは思ったより当たっていた。少しはフウのことを理解できていたのだろうか。フウは僕のことを真剣に考えてくれていた。色んなことに悩んでいるから僕はそれを待つ。答えが出る過程で距離をとることが必要ならちゃんとフウの口からそれを聞きたいということを約束した。フウにはあまり遠回しな発言はしない方がいいんだろう。ちゃんと素直に気持ちを話す。それが解決に繋がる。フウも思ったことをちゃんと話してくれるからこそ、そうしなきゃちゃんと話し合えないから。」


 モヤモヤが少しは解消された僕に、彼女は「ごめんね、考えがまとまったら、ちゃんと話すからね」と言った。僕は何も聞かず、ただただ待ち続けていた。

 彼女との間に距離ができるまで、僕たちはほぼ毎日電話をしていた。彼女は仕事の愚痴や彼氏に対する不満を僕にいろいろ話してくれた。多方面で苦しんでいる彼女の支えに、少しでもなれている気がして僕は毎日幸せだった。彼女は僕に「ヒョウも愚痴っていいんだからね?」とよく言っていたが、僕は彼女と話しているだけで辛かったことなんてどこかに飛んでいった。唯一こぼした愚痴といえば、「バスケやってたら突き指して痛い!」とかいう、愚痴とも呼べないようなものだった。彼女は、自分ばかりが愚痴をこぼすことをよく思っていなかったみたいだが、僕からしたら頼りなかったわけではないし、むしろ本当に毎日を生きる糧になっていた。そのこともちゃんと伝えてきたつもりだったが、伝わっていなかったのだろうか。


 10月29日 火曜日

「久々にフウの仕事終わりに電話をした。仕事の愚痴とか、彼氏のこととか、久々にフウの支えになれている気がして嬉しかった。距離が生まれた時の苦しさも寂しさも、その分僕がフウのことを好きだって実感できる。今はこれに耐えるしかないんだ。いつも送っていた寝る前のおやすみの連絡をし忘れて最悪の気分。多分フウは気にしないのだろうけど、僕が気にするから明日の朝はちゃんとおはようを言おうと思う。こういう習慣を少しずつ忘れていってやらなくなっていくと、そこから溝が生まれるかもしれないから。真剣に向き合いたいと思うようになり、フウにふさわしい男になりたくて、掃除も家事も意識してするようになった。いつか一緒に暮らせるならば、フウに甘えず、自分でしっかりできるようにしておきたい。」


 僕は彼女と出会ってから、自分の身の回りのことを意識するようになった。掃除とか、料理とか、本当に小さな小さなことだった。フウの彼氏はその小さなことをしない人だったから。きっとフウは僕の小さな意識なんかに気付かないのだろうけど、それでもいいと思った。でも、それに気付いてほしい気持ちもきっと心のどこかにあった。自己満でしかないのに、僕はこんなに頑張ってるんだよなんて、自分で頑張ってるなんて、言うものじゃないのだろうけど。こういう小さいことを含め、僕はフウに認めてほしくて、一体どれだけのことを習慣づけたのだろうか。今となってはもうどれがフウのために付けた習慣かなんて覚えていない。


 11月1日 金曜日

「今日はフウの仕事終わりに1時間くらい、いつものように他愛無い会話や仕事の愚痴なんかを聞きながら話をした。フウが色々済ませた後、一緒に共通の知り合いと遊んで、解散してからまたフウと2人で色んな話をした。フウのハマってた歌を含め、フウのおすすめの曲をたくさん教えてもらった。また少し近づいたかなと思える。愚痴を吐いてもらえたり、聞いてくれてありがとうと言ってもらえたり、「聞いて!」と言って話をするフウの可愛さとか、そういう一つ一つのフウの行動が、僕の支えになっている。なんだかんだで毎日連絡をしてくれる。少しでも気持ちに変化はあったかな、なんて思うけど、僕は待つって決めたし、まだまだ月末までは長いから気長に待とう。遊んだり、日常の悩みや愚痴をお互いに話したり、そうやって少しでもフウの心の拠り所になれたらいいなと思う。」


 彼女は今の彼氏と決別するのは11月末だと言っていた。きっとそれまでの間は本当にたくさん悩むだろうし、苦しむだろうから、僕が余計なことを言ってさらに負担になるのは避けようと僕は僕なりに彼女の答えを"待つ"という選択をした。本当は好きだって言いたかったし、僕を好きになってほしかったけれど、今は彼女にとって一番支えてくれる人になろうと思った。待っている間、彼女の好きな歌をたくさん聞いて、彼女の好きなものを好きになろうとし続けた。彼女の好きなものをどんどん知れるというのは、本当に幸せな時間だった。好きと言わなくても、そうやって少しずつ近付けるのが嬉しかった。


 11月8日 金曜日

「なんだかんだであと残りが二週間くらいしかない。早くその日になってほしいなと思っていたあの日から、時間が経つのはとても早くて、フウがもうすぐ彼氏と別れて環境が変わっていくんだなと思うと、楽しみだったあの日に比べ、僕の中の不安も大きくなっていった。別れるのも、その後よりを戻すこともないとフウはいっていたが、それでもやっぱり何かあるのではないかと思ってしまう自分がいる。毎日仕事終わりに話してくれて、愚痴を吐いてくれて、話を聞いてくれて、少しでも時間があれば僕に「話す?」と言ってくれるから、その度にもっともっと好きになっていく。まだあと2週間もあるし、その後すぐには一緒になれないのは僕も分かっているし、急ごうと思っているわけでもない。それでも、好きになる気持ちは抑えられるはずがない。これが僕の悪いところなんだろうなと思う。まだ時間はあるから、支えになろう。今の僕にできることを、僕にしかできないことをしよう。」


 少しずつ、彼女の運命の時が近付く。その度に不安が募っていく。焦る気持ちを抑えて、先走る好きを抱え込んで、ただただ彼女のそばに寄り添うことを進んで選んだ。きっと恋は盲目というのはこの時の僕のことを言うのだろう。僕の世界の中心はいつでも彼女で、僕の頭の中、心の中にはいつも彼女が棲みついていた。いつでも彼女のことを考えている、周りなんてどうでもいいと思えるほどに。そんな自分の感情が好きだった。そんな感情を与えてくれる彼女が好きだった。僕にしかできないことなんてきっとないのだろうけど、自己満足の世界なのだろうけど、それでも僕は真っ直ぐに彼女を愛していた。


 11月9日 土曜日

「なんだか今日のフウは元気がない気がした。フウに元気がないときはいつも何かを一人で溜め込んでいる時だったし、そういう時に僕が何か聞いても答えないのは僕のことで悩んでいることもあるのかなと思ったりする。これに関しては僕の考えすぎかもしれないが。どうやってフウを元気づけるか、原因さえわかれば何かしらできるかもしれないが、フウが溜め込む性格なのは理解しているつもりだし、だからこそ今日みたいに元気のない時は、何かをして元気づけてあげなきゃいけないのはわかってる。でも、今日の僕には何もできなかった。元気のないフウに、僕はいつも通りの在り来たりな言葉しか送れない。僕はそんな自分が嫌いだった。毎日フウのことばかり考えて、いつからこんなにどうしようもなく好きになったのか。少しずつ月末が近付いてきて、不安が増えて、それはきっと僕だけじゃなくてフウもだし、むしろ僕の一つの悩みに比べたら、フウが抱えてる仕事、家庭、今後の悩みのほうがどう考えても大きいし苦痛だと思う。それを踏まえて僕は待ってると言い続けていた。何か力になれることがあったら教えてねと言い続けた。きっと大丈夫、そう自分に言い聞かせて生きるのが精一杯だ。好きだと言えたら、どれだけ楽なんだろうか。」


 こうして見返すと、僕は僕なりに勝手に彼女を分析して、理解した気になっていただけなのかもしれない。自意識過剰で、彼女が好きで、彼女には僕がいなきゃと言わんばかりに。後になって冷静に考えると本当に自分の感情しか見えていないなと思う。こういう悩みも、きっと彼女には届いていなかっただろうし、むしろ届いていても重くて迷惑だったかもしれない。刻一刻と迫るタイムリミット。でも僕が僕の不安を彼女の前で表に出してはいけないと思っていた。負担になりたくない気持ちでいっぱいだった。この時好きだと言っていたら何か変わっていたのだろうか。あまり考えたくない。この辺りは日記も毎日書いているし、それなりに感情が大きく動いた時期だったのだろう。今でも鮮明に思い出せるということはそういうことなのだと思う。


 11月10日 日曜日

「本当に色んな不安が襲ってきて、苦しくて、どうすればいいんだろうってマイナスにばかり考えてしまう。もうすぐ出会って二ヶ月が経つ。時の流れは早い。今朝は連絡が来ていなかったから僕からも連絡はしなかった。なんとなく少しだけ最近また避けられている気がしていたのもあったから。でも結局気になっちゃって、連絡して、一緒に遊んで、そうしているうちにやっぱり避けられてるなんてことないのかなって自分に言い聞かせながらやっていたわけだけど。結局二人で遊んでくれたし、連絡もくれたし、寝る前のおやすみもいつも通りくれた。この1週間はきっと考えすぎてしまう期間なのだろう。頑張って乗り切りたい。」


 どうしてこうも僕の感情の起伏は激しいのだろうか。つい最近まで好きが溢れて、幸せだと日記にまで書いていたのに、何故こんなにも負の感情しか書き記されていないのだろうか。当時の僕は僕なりにいろんなことを考えていたのだろうけど、今の僕からすれば視野が狭すぎる。勝手に彼女の気持ちを決めつけて落ち込んで、一体何をしているのだろうか。あまりにも醜くて仕方がない。


 11月11日 月曜日

「フウの仕事終わりに色んな話をした。最近フウが悩んでいること、色々考えていること、話してくれて嬉しかった。フウは今本当に色んなことを抱えて悩んでいる。本人も人生の中で一番大きな修羅場だと言っていたし、支えてあげられる部分があるならしっかり支えたい。やっぱり僕を恋愛対象として見てくれていないのかなと思ってしまう部分もあるし、そもそも僕のことを考える余裕なんて今のフウにないこともわかる。でもやっぱり僕を好きになってほしい。間違いなくこうやって日記をつけているのは重いと思う。でも、これをいつか二人で見返して笑えたらいいな。今日のフウは本当に悩んでて心配だった。僕が何かしてあげられるわけじゃないんだけど。支えてあげたい、守ってあげたい。」


 僕が抱える一つ一つの不安に気付かれてしまったのだろうか。色んな悩みを、苦しみを、一人で抱えずに僕に話してくれたこと。それだけで僕の不安は薄れ、希望は濃くなり、自分のしてる日記を含めた行動すべてを彼女といつか共有して、笑いあって幸せな時間を過ごしたいと願ってしまった。本当に何かしてあげられることはなかったのだろうか。この時もっと言葉を伝えていれば、望む未来がやってきたのだろうか。彼女の悩み苦しむ姿は、とても自分より8歳も上だとは思えなかった。それくらい、弱く見えた。


 11月16日 土曜日

「フウが今日は会社の飲み会だった。久々の飲み会を楽しんでいたらいいなと思いながら、時間が過ぎていくのを見て楽しんでいそうだなと思いながら、僕は連絡を待っていた。ようやく連絡が来たが明らかに様子がおかしかった。酔っているのは多少あるのかもしれないが、それだけでなく、どこかぐちゃぐちゃで不安定な気がした。話を聞いていると案の定何かあったらしく、こういう時僕が話を聞いて上げられたらよかったのになと思っていたら、突然電話が来た。文面で「涙が止まんない」と彼女は言っていたし、彼女が人前で泣かないことは知っていたので、絶対に電話が来ることはないのだろうと思っていた。それなのに僕の前で泣いてくれて、前より気を許してくれたんだなと思ったし、お酒が入っているのはあるかもしれないが、それでも余裕がなくなった時に真っ先に僕に連絡してくれたというのは信用してもらえてる気がして、頼られている気がして、僕は内心凄く嬉しかった。その一件で更にまた好きになって、支えてあげたいなと思って、僕ならこんな思いさせないのにな、なんて思ったりして。残り一週間と少し。日記をつけ始めてからも随分経つ。毎日書いているわけではないけど、こうやって書いていると自分の気持ちを再確認できるしいいなと思う。フウは本当に良い人だ。素敵な出会いをしたよ。」


 きっと僕が彼女に恋をしている期間で最も大きな分岐点はこの日だった。今まで絶対に見せなかった涙を僕に見せてくれたことで、僕の中での彼女の存在も、彼女に対する想いも、最大値まで膨れ上がっていた。彼女にとっての運命の日も残り一週間というところまで迫っていたし、それは僕にも同じことだ。自分の中でこうして日記を書いていることを重いなと感じることも多々あった。それでもこれがあったおかげで一つ一つ読み返して自分の気持ちを再確認することができているのは確かなことだった。だから僕は迷わず日記を書き続けたし、苦しみも、喜びも、すべて包まず書き記した。この日、僕が僕の中で支えてあげたいという感情を留めていなければ良かったのか、逆に彼女に全部ぶつけていればどんな未来が待っていたのか、そんなことは全く想像もつかないのだけれど、一つ一つの出来事をこうして遡ると、後悔に押しつぶされそうになる。悔やんだところで結果は変わらないのだし、それは自分の首を絞め続けることにしかならないのに。


 11月17日 日曜日

「もう一週間しかないんだねって。何回目だろうね。正直日に日に好きになっていくし苦しい。好きだと言えたら、僕が絶対大事にすると言えたら、どれだけ楽か。でも、今は言ってはいけない。まだその時じゃない。色んな話を聞く度に僕ならこうするのになって、たくさんたくさん思ってしまう。でも実際フウからしたらそんなの迷惑な話だし、僕の一方的な愛が行き過ぎてるだけのダメなこと。今日は普通に嫉妬することもなくいつも通り過ごせて、比較的幸せな一日だったと思う。この週末二日間はますます好きになったと本当に思う。ただただ僕は待たなきゃいけない。大好きだからこそ、本気で幸せにしたいからこそ、ここで焦って僕のことで悩ませてはいけない。もう少しだけ心にしまっておこう。」


 一番愛が増したこの二日間は、僕にとって本当に濃い時間だった。今でも鮮明にこの日の彼女の声を、涙を、笑顔を思い出せるし、それだけ僕にとって印象的だったのだろう。もう少しだからと、焦る気持ちを抑えて、彼女の「考えがまとまったら話すからね」の一言だけをずっとずっと待ち続けた。どれだけ好きが溢れそうになっても、今じゃない今じゃないと抑えるのは本当にもどかしかったし悔しかった。それでも僕は頑張っていたんだ。好きだったから。本気で向き合いたかったから。


 11月23日 土曜日

「もうあと3日しかない。ようやくここまで来たはずなのに。その日が近付くたびにフウから毎日来ていた連絡は来なくなり、仕事のお昼休憩の時の何気ない報告も、お風呂に入るときの何気ない報告も、他愛無くても、何気なくても、毎日来ていたものが失われるのは寂しかった。フウなりにいろいろ考えているんだとは思うし、僕から連絡したら返事はくれるから嫌われているなんてことはないのだけど、不安は解消されなかった。彼女が何を考えているかなんて何もわからない。SNSで軽く話せる相手が欲しいなって言ってるのを見ると、僕みたいにしつこくて重いやつはダメなんだろうなって思ってしまうし、こんな気持ちのまま"その日"を迎えても、きっと僕は僕に自信が持てない。どうすればいいんだろうね。こんなに好きなのに。」


 この日の日記の内容を見ると、あの日の感情を思い出す。彼女に対して募っていく想いと反比例で、どんどん連絡は減って、距離は開いていった。彼女の力になりたくてもがいていた毎日が、意味のないものだったのかなと思ってしまうほどに。きっとこの落胆ぶりはが、愛の増した一週間の次の週にしてはあまりにも苦しすぎたのだと思う。軽く話せる相手でありたかった。いつでも愚痴れる相手でありたかった。それなのに、いつからかきっと彼女の中で僕は重たい存在になっていたのだろうか。わからなかった。彼女の考えが、言葉が、行動が。僕の日記はこの日からしばらく途切れていた。


 12月17日 火曜日

「楽しみだったフウの誕生日。もう、嫌だよ。」


 半月以上の期間を明け、運命の日をとっくに通り過ぎたこの日が、僕の日記の最後の日だ。

 彼女に恋をしたあの日から、僕は僕なりに色々考え、彼女の誕生日であるこの日は、きっと素敵なものにしたいと思っていた。それなのに、あの日から連絡は疎らなまま。たくさんの好きと不安を押し込め絞り出した「誕生日おめでとう」の連絡にもただ一言「ありがとう」としか返ってこなかった。薄々気づいていた。もう僕なんかでは彼女の支えになれないことも、今まで少しずつ溜めて少しずつ伝えてきた想いが彼女に届いていなかったことも。僕にはその現実を受け止めることはできなかった。信じたかった。「考えがまとまったら話す」のたった一つの口約束を。


 遊ぶことも無くなり、ついに僕から連絡をすることも無くなった。

 そして、結局彼女から何も聞かされることもないまま年が明けた。


「明けましておめでとう、今年は去年以上に仲良くしようね。」


 もうこれで最後だと思って、ただ無心で連絡をした。


「明けましておめでとう!こちらこそよろしくね。」


 僕と彼女がした最後のちゃんとした会話だった。元旦のことだった。


 それから何日か経った5日のこと。僕にとっての最悪の日。

 その事実を、僕は彼女のSNSの投稿で知ることになる。


「報告します。〇〇と付き合ってます。」


 衝撃だった。今まで彼女の話を聞いたこと、自分の気持ちを抑えて、彼女の考えがまとまるその日をひたすら待ち続けていたこと、あの日の涙も全て、何も繋がらなかったという現実が、残酷すぎた。

「考えがまとまったら話すからね」「もう少し待ってね」「ちゃんと話すからね」その言葉だけを信じて、「待ってるからね」「焦らないでいいからね」と伝え続けた。僕の心はぐちゃぐちゃだった。考えがまとまったらって言い続けてまとまった考えが、いきなり知らない人と付き合った報告を、直接僕に言うわけでもなくSNSに載せて僕には黙っておくということだったなんて信じたくなかった。彼女なりに、僕を傷つけないように導いた答えだったとでも言うのだろうか。理解できなかった。実際今でも理解ができない。薄々気づいていた。色々な彼女のSNSの投稿に彼氏になった男が変身をしていたことはわかっていた。でも、僕からすれば僕のしていることと何が違うのかわからなかった。何が僕と彼氏の決定的な差だったのか。正直今でもたった一つ、年齢という点しか僕には想像がつかなかった。悔しかった。苦しかった。今まで伝え続けてきた言葉も、好きという気持ちも、この日この瞬間に全ての力を失った。確かに彼女には幸せになって欲しかった。次の恋は、結婚のことも真剣に考えたいな。と言っていたから、彼女がその恋に真剣なのはわかっていた。だから僕は黙って下がるべきなんだと思った。それでもやっぱり悔しい気持ちは抑えられるものではない。どれだけ幸せを願ったとて、その幸せに寄り添うのは、いつだって僕であってほしかった。そこに一番近いのは僕だと思っていた。期待させるだけさせて、まとまったら話すって約束も、あの日の寂しいって言葉だって、全部全部その時の感情だったとしても、今となっては嘘にしかならない。苦しかった。それでも、嫌いになれなかった。


 僕は今でもこの日記をずっと保管し続けている。どれだけ腹を立てても、結局僕は彼女のことが好きなんだ。何年経ってもこの日記を読み返して笑って泣いてを繰り返すのだろうか。

 この日記を手放す時がもし来るならば、それはきっと、僕が前に進めたときだろう。

 いつか進みたいとは思うけれど、今はもう少しだけ、未練に心を委ねていよう―。

『未練の結晶』読んでいただき、ありがとうございます。

今作は私の作品の中でこれまでも、そしてこれからも、きっと唯一の私の本当にあった恋愛を綴った物語です。私があの日の失恋に、未練に、しっかりと別れを告げるためにこの小説を書きました。皆様の目には、私の恋がどのように映ったでしょうか。これで私はようやく前に進めるような気がします。たくさん苦しい思いはしたけど、今こうして小説にできて、色々な価値観を私の中で生み出させてくれた彼女には、密かに感謝しようと思います。彼女は今でも毎日幸せそうに過ごしています。いつか笑って彼女から「結婚することになりました。」と直接聞ける日が来たらいいなと思います。

どうか幸せになってください。彼女も、これを読んでくださった皆様も。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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