その五十八 血の海
「……っ……」
少年の言葉に修道長がうろたえる。
そばでその様子を見ていた修道士の男は、意味が分からないという顔で修道長に尋ねた。
「いったい……どういうことですか、修道長……? 街を守るとか殺されるとか……ジャセイさまも街を滅ぼすと、私には聞こえましたが……」
「……もう隠しても仕方あるまい……」
顔をうつむかせて修道長が言う。
「その少年が言ったことは本当だ。ジャセイさまがこの街の修道会に来たあの日、自分の命令を聞かなければ街の皆を殺すと、私に言ったのだ」
「え……」
「最初は私も取り合わなかった……だが証拠を見せるからと言われて、この街の牢獄にともに向かうと、ジャセイさまはそこにいる多くの囚人たちを一瞬で皆殺しにしてみせたのだ。ジャセイさまの強大な力を知った私は、街の皆を殺させないために従うしかなかった……」
「そ、そんな……」
修道士の男がジャセイに振り返った。
「ジャ、ジャセイさま! う、嘘ですよね? 嘘だとおっしゃってください!」
しかしその声にジャセイは、
「フン。修道長が説明したのにまだ理解できないのですか。いますぐ皆殺しにされたくなければ、さっさとサトリを探せ!」
蔑むような目で修道士を見返して、そう吐き捨てた。
「…………ッ⁉」
修道士の男の顔が絶望に染まる。
少年は口を開いて、修道長と修道士の男に言った。
「このままなら、あなたたちは死ぬまで利用され続けて、遅かれ早かれ、いずれ必要がなくなったら皆殺しにされてしまうだけだ! それでいいんですか⁉ 協力して戦えば、きっと……」
勝てるはずだ! 少年がそう声を上げる前に、修道士の男が拒絶の叫びを上げる。
「だ、駄目だ! この街には私の大事な家族も友人も修道会の皆もいるんだ! ジャセイさまに逆らったら、皆が殺されてしまう! 修道長だってそう思っているはずだ! おまえには分からないんだ、私や修道長の気持ちが!」
「……っ」
修道士の男のその気迫に、少年は気圧される。
ケイがサキとイブのことを絶対に死なせたくないように、修道士の男にも絶対に死なせたくない人たちがいるのだ。
修道士の男はジャセイへと駆け寄って、
「お願いします、ジャセイさま! サトリは絶対に探し出しますから! 街の皆には手を出さないでください!」
すがるように言う。
ジャセイは気持ちの悪い笑みを浮かべると、
「最初からそう言えばいいのですよ。そうだ、その忠誠心を祝福して、少しでも探しやすいようにしてあげましょう」
その修道士の男の顔に手を触れた。
「へ……?」
ジャセイの手から緑色の光が放たれて、修道士の男の全身を飲み込んでいく。
「私のチートは細胞を増やすことで傷を治しますが、その細胞増殖を応用して生物の身体を組み替えることもできるのですよ」
まるで修道士の男の身体のなかに何かがいるように、その内側からでこぼこと隆起し、蛇のようにのたうち、全身に広がっていく。
修道士の男が両手で顔を覆い、苦しみに満ちた絶叫を上げた。
それもほんの少しの間だけで。
絶叫が静まり、修道士の男は顔から両手を離し、だらんと下げる。
彼の姿は狼のようなものへと……二足歩行する狼獣人へと変貌を遂げていた。
狼獣人が遠吠えをこだまさせた。
「さあ、いまのあなたなら鼻が利くはずです。サトリを探し……いえ、サトリのにおいを示せるものはありませんでしたね。ならばこの周辺に潜んでいる者のにおいを探し当てなさい」
狼獣人が周囲に首を巡らせて、しきりに鼻をひくつかせる。
数瞬後。かすかに漂っていたにおいを探し当てたらしい狼獣人が、近くの生垣へと猛スピードで駆け出した。
「…………⁉」
二人の少女がどこに隠れているかは少年にも分からない……が、狼獣人が迷うことなく向かっているということは、そこにいるということなのだろう。
「待て!」
少年が叫ぶが、狼獣人は止まらない。ジャセイの言うことを聞いている以上、人語は解しているはずだが……どうやらジャセイの命令以外は聞かないらしい。
少年は駆け出した。
幸いにも、狼獣人よりも少年のほうがその生垣に近い。
狼獣人は走りながら前足の鋭い爪を生垣のほうへと突き伸ばす。その爪が生垣へと到達する寸前で、少年は狼獣人の眼前に躍り出た。
鋭い爪が少年の肩を裂き、鮮血がほとばしる。刺すような痛みなどに構ってはいられない、少年は即座に狼獣人の身体に触れて……。
弾けるような一瞬の閃光のあと、狼獣人は元の修道士の男へと戻った。
「あれ……私は……いったい……?」
「良かった……戻った……」
狼獣人だったときの記憶は覚えていないのか、訳の分からない顔をする修道士の男。
チートで変身させられたのであれば、少年の『チートレイザー』で戻せる。少年は目の前の男の無事な姿を見て、ホッと安堵する。
――が。
修道士の男の腹部が裂け、そこから飛び出した腕が少年の身体をも貫いた。
「ぐ……ふ……」
腕が引き抜かれ、少年と修道士の男はその場に崩れていく。
「ふむ。筋力を強化したのですが、やはりこのガキに触れた途端に解除されてしまいましたね。実に厄介な力です。今日ここで仕留められて本当に良かった」
崩れる修道士の男の後ろから現れたジャセイが、腕を血に塗れさせながら、そう言った。




