その三 義務と使命
「……これで五軒目……」
街の外れの小さな宿屋から出てきて、少年は残念そうに小さくつぶやく。今夜泊まれる場所を探して少女とともに宿屋を回っているのだが、どこも満室とのことで断られるのだった。
「でも満室なら仕方ないか」
何気なく発した少年の言葉に、少女は顔をうつむかせる。
「……申し訳……ありません……」
「え? ど、どうしてきみが謝るの?」
いきなりの謝罪に、少しだけ慌てて少年は尋ねる。しかし少女は、
「…………」
と答えずに、ただ顔をうつむかせ続けるだけだった。その様子を見ながら、少年はいままで回った宿屋で受けた対応を思い出す。
いずれの宿屋でも少女と少年がドアから入った直後こそいらっしゃいませと愛想の良いあいさつをしてきた。
だがこの世界では奇妙な身なりである学生服姿の少年を見て一瞬眉をひそめたあと、次に少女の整った顔を見て、血相を変えながら現在満室でお泊めすることができませんと、二人が何を言うよりも前に慌てて宿泊拒否するのだった。
「と、とにかく、もう少し探そう。二部屋あいてるところが、一軒くらいならあるだろうし」
気を取り直して少年はそう言うが、少女は「……いえ……」と口をはさむ。
「……もうやめましょう。おそらくどこも満室で断られるでしょうから……」
「え……」
どうしてそんなことが分かるの? 少年がそう問おうとする前に、少女が口を開く。
「……確か、この先にいまは誰も住んでいない廃屋があったはずです。今夜はそこを借りることにしましょう」
石畳の通りの先を指で差す少女の顔は少し悲しげで、さびしげで、少年は「……うん」と答えることしかできなかった。
およそ十分後、二人は街の外れにあるいまにも崩れそうで幽霊でも出そうな廃屋の中にいた。おそらく何十年も前に建てられたのだろう、街にある他の建物はレンガ造りなのに対して、この廃屋は木材で作られていて、壁や天井のところどころが腐っていたり穴が開いていたりした。
床には無数のホコリやチリが積もっていて、ときどき鳴き声を発しながら小さなネズミが走り回っている。ほとんどの窓はヒビが入っていたり割れており、割れたその隙間から街の外の草原や、その先にそびえている岩山、岩山の頂上でほのかに輝く月が見えていた。
「申し訳ありません、こんなところにお連れして。わたしの住んでいた小屋は紅蓮のショウに燃やされてしまったので……」
「そうだったんだ……それなら仕方ないよ」
「それと肩を貸していただき、ありがとうございました。もう大丈夫ですので……」
そう言った少女は少年から離れると、床のホコリを払ってから、
「ずっと歩いていたので疲れたと思います。どうぞ休んでください」
ホコリを払った場所を少年にすすめてから、その対面にあたる床のホコリを払って、傷付いた足首をかばうように横座りする。それまでは歩き続けていたので意識していなかったが、スカートから伸びるその綺麗な足に、少年は一瞬ドキッとする。
「は、はい、お邪魔します」
照れ隠しのために慌てて座り込む少年に、
「……?」
少女は少しだけ首をかしげた。
このときになって初めて少年は、いま一つ屋根の下、夜中の同じ部屋の中に可愛い少女と二人きりでいることを認識する。
(変な気なんか起こしちゃダメだ……どこの宿屋も断られたから、仕方なくいまここにいるだけで……寝るときはもちろん別の部屋で……)
言い訳とも葛藤ともつかない悶々とした考えを心の中で繰り返す少年のことなど露知らず、少女はいたって真面目に口を開いた。
「……それでは先ほどの説明の続きですが……」
「ふぁ、ふぁい……ッ!」
思わず少年は声を裏返してしまう。その様子を見て、少女は心配そうに彼の顔に手を伸ばそうとする。
「あの……大丈夫ですか……もしかして先ほどの戦いでどこか怪我でもしていたのですか?」
少年は慌てて手を振って、
「い、いえ、すみません、違います、大丈夫ですので俺には構わずに続けてください」
「はあ……」
少年の様子は気になったが、本人がそう言うのなら仕方がない。少女は改めて口を開いた。
「先ほども申しましたが、あなたを元の世界に戻すための返還魔法を、わたしは使うことができません。そのため明日からは、その返還魔法を扱える魔導士を探すことにしましょう。もちろん、あなたが元の世界に帰りたいと願っているのなら、の話ですが……」
「うん、まあ、それはもちろん」
とはいうものの、少年にはまだ、いま自分がいるのが異世界だという実感がなかった。彼のそのあいまいな返答を、本当に見つけられるのかという不安だと思ったのだろう、少女は言う。
「この世界に魔導士はたくさんいます。なので一国に一人くらいは返還魔法を扱えるものがいるはずです」
決意を込めるように、自分の胸に手を当てる。
「大丈夫です、安心してください。ケイさんを召喚した者として、あなたを元の世界にきちんと送り帰すことが、わたしの義務であり使命ですから」
「う、うん、ありがとう」
ということは、目の前にいるこの子と一緒にいられるのもそれまでの間だけか……。少しだけ残念なような、さびしいような気持ちを少年は抱く。と思っていたとき、ぐう~、と唐突に少年のお腹が鳴った。