その二 信じるか、信じないか
少年に肩を借り、夜の森の中を歩きながら少女は口を開く。
「ここがどこで、あなたに何が起きたのか説明したいのですが……説明する事柄が多すぎて、何から話したらいいのでしょうか……」
少しだけ困ったように眉を下げる少女に、少年が言葉をかける。
「とりあえず……きみの名前を知りたいかな。なんて呼んだらいいか分からないし」
「そうですね。わたしはサキといいます。一応、魔導士をやっています、ランクは低いのですが……いえ、やっていたという方が正確ですね。いまはもう魔力も魔法も失ってしまっているので」
魔導士? 魔力? 魔法? 少しだけ首を傾げた少年だが、今度は自分が自己紹介をする番だと気付いて、慌てて口を開く。
「俺はケイ。えーと、学生、やってます」
「学生、ですか。ということは、あなたの世界にも魔法が存在していて、習っているのですか?」
少年はもう一度首をかしげる。少女は、あっ、と小さく声を漏らした。
「すみません、質問してしまって。説明するのはわたしの方でしたね」
「いや、別にいいんだけど。ただマホウ? は習っていないかな。数学とか科学とかは勉強してるけど」
「……そうですか……」
ということは少年がいた世界には魔法は存在していない。少女は心の内でひとり合点する。思い出したように少年は聞いた。
「そういえば、さっき俺の名前を言ってたよね。どうして分かったの? まだ自己紹介してなかったのに」
「それは……わたしの【呪い】が関係しているのですが……」
「え……」
呪いという怖い言葉に、少年の声が一瞬緊張する。その雰囲気を察したのか、少女が言った。
「そのことについてはあとで話します。いまはとりあえず、基本的なことから説明しましょう」
「う、うん」
「おそらくすでにある程度は察しているとは思いますが、ここはあなたがいた世界とは別の世界、【ラウンド】と呼ばれている世界です。あなたにとっては、いわゆる異世界ですね」
「はい……?」
少年はとっさに隣にいる少女の顔を見た。整った顔立ち、その表情はいたって真面目で、ウソをついているようには見えない。少年の様子には気付かずに、少女が続ける。
「どうしてあなたがここにいるのかというのは、さきほどの紅蓮のショウとの戦いのときにも言いましたが、わたしが召喚魔法で呼んだからです」
「…………」
少年はぽかんとした表情になる。開いた口が塞がらない、まさしくその表現が適している。この子はいったい何を言っているんだ?
「召喚したからには元の世界に帰してあげたいのですが……この世界の召喚魔法は基本的に一方通行で、元の世界に戻すにはそのための返還魔法を行使する必要があるのです……」
少女の言葉が理解できずに唖然とする少年を見て、少女が申し訳なさそうに言う。
「しかしわたしが読んでいた本の中には返還魔法に関する記述がありませんでした」
そこで少女は首を横に振る。
「いえ……たとえ本に返還魔法に関することが書かれていたとしても、いまのわたしにそれを使うことはできないでしょう。紅蓮のショウを倒すためとはいえ、あなたに能力を付与するために、わたしは全ての魔力と魔法の素質を失ってしまったのですから」
少女は頭を下げ、心からの声で言う。
「わたしの勝手でこんなことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません……」
そこで少年は立ち止まる。つられて立ち止まる少女に、慌てた、混乱しきった声で言う。
「ちょ、ちょっと待って、さっきからきみは何を言っているの? 異世界とか魔法とか能力とか……もしかして俺をからかっているの?」
頭を上げた少女はちょっとの間少年を見つめたあと、少しだけ顔をうつむかせた。
「そうですよね……異世界の民であるあなたに、いきなりこんなことを言って、信じろという方が無理な話ですよね」
少女が顔を上げて、真剣なまなざしで少年を見つめる。
「ですが……信じてください。わたしが言ったことは全て本当のことです」
「そんなこと言われても……」
狼狽する少年に、少女は続ける。
「証拠を見せろというのなら、あなたはすでに見たはずです。紅蓮のショウが、何もない空間から炎を放つのを。あの男が剣の形をした炎を手にしたのを。そしていまわたしたちがいるこの森が、あなたがそれまでいた場所とは全く違うところだということを。とは言っても、あなたがいままでどこにいたのか、わたしには分からないのですが」
この森の中にやってくる前に少年がいた場所、それは少年がいた世界では駅と呼ばれている、電車という乗り物が行き来する建物だった。少年は思い出す。確かに自分は駅にいたはずなのに、一瞬のまばたきほどの間に、いつの間にかこの森の中に迷い込んでいたのを。
少女がウソを言っているとは思えない、しかし本当のことだとも信じられない。どう判断したら良いものか、困り顔の少年を見て、少女が再びうつむく。低い声で、
「……どうしても信じられないというのなら、無理にとは言いません……あなたの世界の常識では、確かにあり得ないことなのですから……」
少女は黙り込む。少年も何を言ったらいいのか分からない。二人に少しの間、沈黙が流れる。
確かに少女が言ったことは信じがたいものだ。少年がいた世界において、異世界だとか魔法だとか召喚だとかいうものは漫画やアニメ、ゲームなどのフィクションの産物であり、現実には存在しないものだとされていた。
しかしだからといって、目の前にいる少女がウソを言っているとも、到底思えなかった。また少年は確かに体験しているのだ。一瞬でこの森の中にいたことを。赤髪の男が自在に炎を操ったことを。これらの事実をどう説明したらいい?
(…………)
少しの沈黙と、少しの思考。そして少年は口を開いた。
「……きみの言うことをまだ完全に信じるわけじゃないけど……」
もし仮に、少年が体験したことが何かしらの手品やトリックによるものだとしても。
「少なくとも、俺はいま、確かにこの森の中にいて、きみと話をしている」
少女が、そして少年自身が殺されそうになったことは真実に違いない。
「だったら、することは簡単だ。きみを安全な場所まで送ったあとで、俺は自分がいた場所に帰る」
少年の言葉に、少女がゆっくりと顔を上げた。
「それなら、いいだろ」
目の前にいる少女に、少年は笑顔を向けた。優しげに言うその言葉に、少女は、
「……ありがとう……ございます……」
出会ってから何度目になるか分からない感謝の言葉を述べていた。
鳴き声が聞こえ、夜の森の中をフクロウが飛んでいく。立ち止まっている少女と少年は、頭上を過ぎ去っていくその影を目で追う。その視線の先は森が開けていて、一つの街がその姿を現していた。
「あれは……?」
つぶやいた少年の声に答えるように、少女が視線の先の街を指し示す。
「あれがわたしたちが向かう街……ノドルです」
そして目の前の街を目指して、少女と少年は再び歩み始めた。