その三 呪われた少女と召喚された少年
男の佇まいは少年がいた世界の不良や反社会勢力のそれに近い。話は通じそうにない。それでも、誰かとの争いを好まない少年は、立ち上がって、おずおずと説得を試みる。
「あ、あの、どういう状況なのかまったく分からないんですけど……怖がっているみたいですし、とりあえず、この子のことは見逃してあげてくれませんか」
少年の言葉に男は一瞬虚を突かれたような顔をして、ギャハハハハと盛大に噴き出した。
「バカかオメー、いまそいつを殺せば世界を征服できるくらいの力が手に入るってのに、みすみす見逃すアホはいねーよ」
腹を抱えてひとしきり笑ったあと、男が手をかざす。
「テメーがどんな能力なのか知らねえが、関係ねー、二人仲良く死ね」
その手のひらから灼熱の猛火が放たれた。
男と二人との距離は数メートルもない。全てを燃やす炎が二人に到達するまで数秒ほどだろう。走馬灯が駆け巡るには充分といえるその時間において、少年のかたわらにいた少女が死の恐怖におびえきった表情を浮かべた。
彼女のその様子を見て、思わず知らず、迫りくる炎から少女をかばうようにして、少年は両手を広げて少女と炎の間に立ちふさがった。どうして殺されそうになっているのか、理由は分からない。
でも殺されそうになっている人を、非力なだけの自分に救いを求めてきた女の子を、助けたい。たとえ自分が犠牲になったとしても、それで誰かが助かるのなら。少しでも、逃げるための時間を稼げるのなら……。
「早く逃げて……」
「……ッ!」
迫りくる業火の明かりの中、優しい笑みを浮かべる少年に、少女の瞳が見開かれる。
そして少年の全身は炎に包まれた――。
すべてはそこで終わったはずだった。少年の身体は燃え、背後にいた少女の身体すら灰も残さず全てが消滅する。そのはずだった。
しかし違った。眼前に迫っていた灼熱の火炎は、少年の身体に触れた途端、まるで夢や泡沫のごとく、跡形もなく消滅したのだ。自身に起きたことが理解できないで、少年は両手のひらをきょとんと見つめる。
「あ……れ……? いま、たしかに……」
状況が理解できていないのは少年だけでなく、少女も、そして赤髪の男も同様だった。驚愕に満ちた顔で、男が叫ぶ。
「なんだ⁉ 何が起きた⁉ テメーいま何しやがった⁉」
そんなこと少年自身が聞きたい。いったい自分に何が起きたのか。ぽかんとした顔で男に顔を向ける少年に、今度は少女が慌てて言った。
「いまのうちです、攻撃してください……!」
「え……攻撃って……」
「なんでもいいですから、早く……!」
しかしその言葉は驚愕していた男をも立ち直らせることになる。動揺を全て消し去ったわけではないが、攻撃される前に仕留めてやる。男の手に剣の形をとった業火が生成される。
「何をしたのか知らねーが、マグレは二度も起きねーぜ!」
男が少年へと飛び掛かり、手にした業火の剣を振り下ろした。戦い慣れた男と、召喚されたばかりの少年、実力の差は歴然だった。迫る脅威に少年は目を閉じる。
少年は成すすべもなく焼き斬られる……そのはずだと男は思っていたのに、しかしまたしても、紅蓮の剣は少年の頭頂部に触れた瞬間、陽炎を残すこともなく雲散霧消していた。
「な……ッ⁉」
驚きに満ちた男の声に、少年は目を開け、いまだに自分が生きていることが信じられないという思いを抱く。いったい自分に何が起きているのか。戸惑う少年に、もう一度少女が言った。
「いまです……!」
自分に何が起きているのかは分からない。しかしはっきりしていることは、目の前の男は自分と少女を殺そうとしていて、自分たちが助かるチャンスはいましかないということだった。少年は固く拳を握り締めて、
「ごめんなさい……ッ!」
心から申し訳なさそうに言って、男の顔へと拳をたたきこんだ。
顔と頭部、そしてその中にある脳を揺らす一撃。そのクリティカルヒットは脳震とうを引き起こし、ガクガクと膝や全身を震わせたあと、男は地面へと崩れていく。それと同時に、周囲を取り巻いていた炎の渦が消えていった。
男が気絶したことに安堵して、少年はその場にへたり込んでしまった。状況は依然分からないままだが、少なくとも殺されるという危機は乗り切ったようだ。倒れている男を呆けたように見つめる少年へと、足を引きずるようにして少女が地面を這って近付き、彼の手を取る。
「ありがとうございます……!」
「え、あ、うん……」
……どういうことなのかさっぱりだが、とりあえずはまあ、この子が助かっただけでも良かったかな……。とりとめもなく少年がそんなことを思っていると、突然、地面近くの空間に淡い光が発せられ、その淡い光に縁取られた小さな四角い枠が出現する。
その枠の中に、淡い光で書かれた文字が浮かび上がった。
【名前:ケイ
能力:チートレイザー
効果:あらゆるチート能力の無効化】
「なんだこれ……?」
枠の中の文字を読んで、少年は疑問の声を出す。どういうことなのかと少女に聞こうと振り向いたとき、彼女は信じられないというような蒼ざめた表情を浮かべていた。口元に両手を当てて、震えるつぶやき声を漏らす。
「……そんな……うそでしょ……全ての魔力と魔法を捧げたはずなのに、『呪い』は消えなかったっていうの……」
呪われた少女と、召喚された少年。
この出会いをきっかけにして、世界の命運を左右し、捻じ曲げられた運命を切り開く物語が、いま幕を開ける。
【第一幕 終】