その七 危機
男の言葉に、少年は不思議そうな顔をするばかりだった。何をしたのかと問われても、自分たちは何もしていない。ただ迫ってきた荷馬車から逃げただけだ。意味が分からないという少年に対して、しかし少女だけは真剣な表情を浮かべていた。
「いまの襲撃は……あなたがしたのですか」
少女の問いに、直接には答えずに、男は笑みを浮かべる。
「まあいいでしょう。効果が消えたのなら、別の方法で殺すだけ」
男は懐からナイフを取り出すと二人へと投げつける。少女を抱きかかえたまま、なんとかそのナイフをかわした少年の目の前へと、男が迫っていた。二本目のナイフが振りかざされ、だが少年にそれを避けるだけの時間的余裕はなく、このままでは少女もろとも切り裂かれてしまうだろう。
せめてこの子だけでも守らなければ。少年はとっさに身をひねった。
「がっ……!」
鋭い切っ先が彼の肩を切り裂き、赤い線がにじみ出す。痛みに耐えかねて、少年はその場に倒れてしまった。抱きかかえていた少女もまた、路上に投げ出され、荷馬車のそばへと転がってしまう。男は少年へと再度ナイフを振りかざした。
「きみが【ターゲット】を無効化したのでしょう。厄介なので、先に殺すとしましょう」
男がナイフを振り下ろした。月明かりに照らされてギラリと光る切っ先が少年の顔を刺し貫こうとしたとき、男の眼前に幾重もの紙が巻かれた一個の小さな玉が飛び出してきた。紙には何かしらの文字が書かれている。
「⁉ しまっ……⁉」
ナイフの切っ先が、少年の代わりにその玉を刺し貫く。その途端、まばゆい光が路上にあふれ出した。
目がくらんでいる少年の手を誰かがとった。
「こっちです……!」
少女の声に慌てて立ち上がると、引く手に導かれて少年は駆け出した。
光がやむ。顔の前に上げていた腕を下ろした男は、誰もいなくなった宵闇に、舌打ちを漏らした。
さきほどの場所からだいぶ離れた路地裏で、少女と少年は立ち止まっていた。膝に手をつきながら、少年は荒い息を整える。
「いまの……光……は……?」
「……発光玉……魔法具の一種です……倒れた荷馬車のそばに落ちていました……」
壁に寄りかかり、少年と同じように息を整えながら少女が説明する。
魔法具とはその名の通り、魔法の力が込められた道具の総称である。魔法が使えない者や、魔力を使い果たしたときでも、魔法を使えるように作られたものだ。あの荷馬車は食料や日用品だけでなく、その魔法具も積んでいたのだった。
息を整えて、少年は顔を上げる。
「でも、走って大丈夫なの。足に怪我……」
言い終わらないうちに、少女が小さなうめき声を上げてその場にうずくまる。足を押さえるその表情は苦痛に満ちていた。やはり無理していたのだ。