兄弟子の複雑な気持ち
オーリフがこの町に来たのは十歳のころだ。
この町の闘技場の建造に集まった多くの出稼ぎ作業員の一人だった。
父親と共にずっと北にある町からやって来たが、父親は身体を壊し途中で亡くなってしまった。
残して来た母親と幼い兄弟たちのため、オーリフは必死に働いた。
泣いている暇などなかったのだ。
作業現場で屈強な人夫たちの中、ひょろりと背の高い彼が働いていると目立つ。
揶揄われたり、小突かれたりはしょっちゅうだった。
しかし彼らに悪気はなく、皆、概ね助け合って暮らしていた。
町の闘技場が完成すると、今度は魔法学校の建築工事が始まり、作業員たちは引き続き雇われることになった。
この町に来て五年が経ったある日、オーリフが休憩していると黒い髪をした男性に声をかけられた。
「えっと、君、ちょっといい?」
耳がエルフっぽいなと思っていたら、良く見ると本当にエルフだった。
誰も彼に気付かなかったのは、そのエルフ自身が気配を消していたからだ。
それを知ったのはずっと後になってからである。
「はい。 何でしょうか」
名前や出身地を少し訊かれた。
じっと見つめるエルフの深い緑の瞳に、オーリフは心の奥まで見透されているかのようだった。
「魔術師になる気はない?」
「え?」
唐突にそんなことを言われて唖然としているうちに、ある人の前に連れて行かれた。
それは、この現場の指揮を執っている白い魔術師ハクレイだった。
「なんだ、この小僧は」
国で最強の魔術師と呼ばれるハクレイは口が悪いことでも有名だった。
「この子を弟子にしない?」
黒髪のエルフの言葉に長身で銀髪の魔術師は顔を顰め、田舎者の少年はただ唖然としている。
「将来有望だよ」
その言葉にはオーリフ自身が驚いた。
「そ、そんなことはありません。 今まで一度もー」
「うん、そうだろうね。 でも君、妖精が付いてるよ」
その妖精がオーリフの魔力を封じているというのだ。
嘘だ、と思った。
オーリフはどこからどう見ても人族なのだ。
知り合いにもエルフなどの妖精族はいない。
「うーん、説明が難しいけど。 おそらくどこかで拾ったんだろうね。
その妖精は何らかの事情で魔力を必要としていたみたいだ。
今も君の魔力を吸い続けているよ」
オーリフは慌てて自分の身体を撫でたり、周りを見回したりする。
だけど何も感じないし、触るものも何もない。
ニコニコと笑う黒髪のエルフはその様子を黙って見ていた。
「おい、そんなのが役に立つのか?」
魔術師ハクレイは黒髪のエルフを睨んだ。
「この子の努力次第ですねえ。
でも誰かが手を貸してやらなければ、そのせいで、この子はいずれ死にますよ」
『死』という言葉を聞いてオーリフの顔は青ざめた。
自分は死ぬわけにはいかない。
故郷には仕送りを待つ家族がいるのだ。
「ぼ、僕はどうすればいいのですか?」
思わずエルフの服に取り縋る。
目線を合わせたエルフがオーリフの肩に手を乗せた。
「どんな辛いことがあっても我慢出来るなら、このハクレイの弟子になりなさい。
口の悪い男だけど魔術だけは超一流だ。
彼の側で知識と技術を、その身体で学ぶといいよ」
にこりと笑ったエルフは妖精付きの事は詳しくは教えてくれなかった。
だが、日常的に魔術に触れることが魔力の枯渇を防ぐ手段らしい。
オーリフは長身のハクレイを見上げる。
この黒髪のエルフのほうはどうも胡散臭くて信用できない気がした。
ハクレイは、大きく「はあ」とため息を吐く。
「分かった。 面倒みればいいんだろう。 小僧、一緒に来い」
「は、はい」
そうしてオーリフはハクレイの館に連れて行かれ、改めて雇用契約を結ぶことになった。
新しい仕事は弟子として師匠の魔法を完成させる手伝いをすることである。
館に三食付きの住み込みの上、作業員としての給金よりも格段に高い手当てに目を見張る。
「本当にいいのですか?」
若干身体が震えている少年にハクレイは興味なさそうに、
「ああ。 この館で住み込みの使用人たちと一緒に他の弟子の面倒もみてもらいたいのでな」
と、一緒に勉強する弟子を紹介する。
とはいっても当時は息子のフウレン、ひとりだけだ。
オーリフの仕事は、そのほとんどがフウレンの子守りだったのである。
フウレンは、まだ八歳だというのにしっかりしたお子様だった。
早くに母親を亡くし、家族は父親だけ。
フウレンはエルフの血が流れているため何となく中性的だ。
十五歳であるオーリフは自分の弟と同じくらいのフウレンを「坊ちゃま」と呼ぶことになる。
「他の方が連れてくる弟子候補の女性は皆、財産目当てでしたからね」
美形で金持ちで下級だが貴族出身。 実力者である魔術師ハクレイを狙っている女性は多かった。
「弟子や使用人としてこの家に入り込んでも僕の目は誤魔化せません」
この小さな魔術師は、父親に色目を使う女性をことごとく館から追い出した。
そのため、ハクレイの館の人数が激減していたのである。
「その点、あなたなら安心です」
フウレンはオーリフをにこやかに歓迎した。
そしてフウレンの友人で、近所の領主館に修行に来ていたミキリアとヨデヴァスも紹介される。
「僕の幼馴染たちです。 よろしくお願いしますね」
オーリフは、事あるごとにフウレンの部屋に集まるこの子供たちの面倒を見ることになった。
「坊ちゃま。 あまり夜遅くにお友達をお部屋に誘うのはよくありませんよ」
この三人はとても仲が良く、時折、時間を忘れて話し込んでいる。
オーリフはその度に研究を中断して、夜食や飲み物を子供部屋に運ぶ。
「ごめんなさい。 すぐに解散します」
天使のような微笑みを返すフウレンは、父親譲りの銀髪に豊富な魔力量。
一人息子で溺愛されて育った彼の部屋は誰の目から見ても豪華の一言だ。
「えー、いいじゃん。 ちょっとくらい」
勇者の家系といえば王家と張り合うほどの富豪。
暗赤色の髪の少年は、そこの直系の跡取りの一人息子ヨデヴァス。
「だめよ、ヨディ。 ごめんなさい、オーリフさん。 すぐに帰ります」
国で唯一の魔法剣士である母親と、国王も認めているエルフの商人を父親に持つミキリア。
領主館で小さな子供たちの面倒も良く見ている少女だ。
この三人の子供たちは、皆、オーリフとは違い裕福な家に育ち、才能に溢れている。
(この子たちは私のように必死に働くことも、寝ずに勉強をする必要もない)
髪と同じ暗い茶色の瞳をした青年はただ自分の身を哀れんだ。
「ハクレイ様には内緒にしておきますから、お早く」
「ありがとう、オーリフさん」
藍色の髪を背中まで垂らした美少女は、オーリフの気持ちも知らずにまっすぐに彼の目を見て微笑む。
客の子供たちは二階の部屋の窓から綱を垂らして降りて行った。
ふっと息を吐いてオーリフが振り返ると、子供部屋の主であるフウレンは「ありがとう」と礼を言う。
オーリフが子供たちを叱るのは自分のためなので、礼は不要だと告げる。
「でも、父上は僕のことはあまり叱りません。 オーリフさんくらいですよ」
フウレンにとって彼を叱ってくれる人材は貴重なのだ。
そうでなければ、あの悪友たちとどこまで暴走するか分からない。
「私には故郷に幼い兄弟がいますから」
オーリフの言葉に、本当の弟のように思ってくれているのだと勘違いをしたフウレンがうれしそうに微笑む。
(その兄弟たちのために、私は師匠の機嫌を損ねるわけにはいかないんですよ)
無表情のまま部屋を出たオーリフは与えられている使用人部屋へと戻る。
この館の内弟子とは使用人と同じなのである。
その後、オーリフが十七歳のころに、戦闘術のほうが一段落したそうで、正式にミキリアたちが弟子に加わった。
正統派魔術師で、国で最強の魔術師の父親を持つフウレン。
魔法剣士とはいえ、元は魔術師が土台である母親を持つミキリア。
勇者としての独特な血統魔法の血を持つヨデヴァス。
魔術師の魔力は、その多くが血の継承で決まると言われていた。
「私はただの凡人だ。 それでも努力すれば本当に魔術師になれるんだろうか」
オーリフはその子供たちの魔術の才能にも嫉妬することになった。
「望みがあるとすれば、妖精付き、かな……」
彼は黒い髪のエルフが言った言葉を思い出す。
『君、妖精が付いてるよ』
あれはいったいどういう意味だったのだろうか。
未だに分からないままであった。