6話 トラック、再び……
幽霊って、どう助ければいいんだ……?
俺は吉田太洋。
おむつを履く予定はない。今朝起きたら下着がグショグショに濡れていたのは夢だ。そう、昨夜から今朝にかけて起こったことは夢! 全てまぼろしなのだ。ただ、そんな夢の中での出来事とはいえ誓ったことがある。今日一日くらいは人助けを頑張ってみよう。
とはいえ、しがないサラリーマン。
今日も今日とて朝の冷たい空気に身を震わせながら、会社へ行く必要があった。いつも通り金沢駅でバスを降り、西口の方にある会社へ向けて歩いていく。
その道中で、出会いがあった。
「うぇぇん。ぼくどうしてこんなところにいるっの……」
鼻をすすりながら泣いている男の子がいた。
車が走る道路の真っ只中で。
「まじか……幽霊か……」
小学校低学年くらいの男の子。
ハッキリ言って異常な状態だ。全身が白く半透明かつ足元は透けて見えないし、浮いている。十中八九幽霊だろう。今日は頑張ると決めたが、幽霊ってどう助けりゃいいんだ……? 成仏させればいいのだろうか。というかこの十字路って子供がトラックに轢かれた場所じゃねーか。
「……」
俺は俗にいう見えてしまう人だ。
ただ大して霊感がないのか、縁が多少なりともある人じゃないと見れない。あの男の子に対して直接的な縁はないが、助けられなかった罪悪感が多少なりともあったのだろう。それが小さな繋がりとなったらしい。
「やるか」
信号を渡り、子供の傍へと近づく。
「ボーイ」
「ふぇっ……?」
「どうして泣いてんだ? えぇ?」
かるーい感じで話しかけると子供は更に泣き喚いた。
不味い。
凄いぶきっちょ。
実は子供が苦手だったりする。後輩にそのことを言ったら「先輩って子供より子供ですもんねー」と返された。いや、そんなことはどうでもいい。この状況をどうすりゃいい。
そうだ! 子供といえばお笑い!
「ダダーン! ボヨヨンボヨヨン(ものまね付き)」
更に泣かれた。
ヤケクソ気味にネタを連発するがどれも不発に終わる。くそぉ、これが大人なら人目を気にしてすぐ泣き止むってのによ。あぁ幽霊だから視線なんて気にしないよな。いま俺は数多の通行人から奇怪な視線を向けられていた。去年の忘年会を彷彿とさせる視線だ。
良いアイディアが浮かばず足踏みをしていると、突然男の子は泣き止む。
「おじさん、ぼくのこと見えるの?」
首を縦に激しく振り、目立たない路地裏を指差した。
そしてついてくるように告げて足を動かす。
写真撮影はマネージャーを通してくださーい。
男の子の名前は『林 そうた』と言うらしい。
そうた君と呼ぶことにした。小学二年生で私立の小学校に通っていたとのこと。どうりで制服を着ているわけだ。話を聞くと、事故に遭い自分が死んだことも自覚していた。ただ、どうしてあの事故現場にいるのかわからず泣いていたそうだ。
「ずっと前から……昨日やもっと前からあそこにいたのか?」
「ううん、今日の朝起きたらあそこにいたの」
「じゃあ事故から間があったんだな」
彼が亡くなったニュースを見たのは何週間も前だ。
死後の世界の仕組みなんてわからんが、今更になって後悔とかなんとかで幽霊なったりするものなのだろうか。
「あっ、誰かに何かお願いされて来たような」
「お願い?」
「白くてモヤモヤとした人にね、えっと」
「お前も白くてモヤモヤしてるけどな」
やべっ、ついツッコミ入れちまった。
そう反省した時には既に遅く、そうた君は再び泣き始めていた。また一発ギャグをやるか!? 久々に焦りを感じながら、宥めつつ話を進める方向で行くことにした。
「思い出すのはあとでいいからさ! なんかやりたいことはないのか!? ハンバーグを食べたいとか遊園地に行きたいとか、満足してじょうぶ――ジョジョジョーンとやりたいことがあったらオジサンが連れてってやるから!」
「ぐすっ、やりたいこと……」
鼻をすすりながら呟いた一言は、当たり前の願いだった。
目の前に広がる光景は残酷だ。
「ママ、ママ!」
そうた君は母親に会いたいと口にした。
彼に家の場所を聞き、徒歩で向かう。歩いていける距離だった。移動中に会社と後輩に休む旨を伝える。繁忙期は過ぎているし一日休んでも支障はないだろう。後輩に関しても俺が弱ってる時には下手なことをしないと信じている。もし下手なことをしたら悪魔と呼んでやる。
連絡を済ませたあと、移動しながらそうた君と雑談をする。
気弱そうではあるが頭の良い子だと思ったし、愛されて育った子供なんだろうとも思った。だからこそ家族の悲しみも容易に想像できた。
「ママっ……」
道を歩く母親に呼びかけ続けているが、気づいて貰えない。
家を出た時からずっと暗い表情のままだ。父親も見かけたがそちらも似たような状態のまま、スーツを着ておそらく会社へと向かっていった。
救われない光景が何分間も続いたところで、そうた君に声をかける。
「さっき言ってたケーキを食べに行かないか」
「…………」
「ごめんな」
俺は、俺は母親から不審な目を向けられながら見送られた――
赤い夕日と周囲に渦巻く黒々とした雨雲が今日の終わりを告げる。
夕日に照らされた小さな公園の片隅で俺とそうたくんは腰を落ち着けていた。
「ヒーローショーよかったな」
「うん! レッドかっこよかった!」
「ちゃんとヒーローが勝ったしな。福井の恐竜博物館も昔より面白くなってた。ケーキは……」
「食べれなかった……」
「悪い」
彼が満足して成仏できるよう色々な場所へ連れて行った。
その合間に病院で風邪の診断書を貰いに行ったりもしたが、全般的に楽しんでくれていたと思う。だが一向に成仏する気配はない。やはり母親と話をしなければ成仏できないのかもしれない。ご両親も気の毒だったしな……次は寺にでも行ってみるかと思ったところで、彼が「あっ」と声を上げた。
「どうした?」
「あのベンチに座ってる人に見覚えがあって」
彼が指差す方向に視線を向ける。
そこには一人の少女がいた。十五くらいだろうか。夕日に照らされた赤髪の少女は下を向き、アンニュイな雰囲気を醸し出している。服装は独特で、ファンタジー的な中性の村娘のような装いだった。その服は泥や煤でボロボロになっており、よく見れば少女自身も汚れているようだった。
そこに警官が現れる。
心配した様子で声をかけるが、少女は慌てて立ち上がり「すみません」と小さな声で謝って逃げるかのように走り去る。警官は困惑していた。それとは対照的に隣にいる彼は嬉しそうな表情を浮かべ叫ぶ。
「ぼくあの女の人を助けるために来たの!!」
そう口にするや否や全速力で飛んでいく。
おいおい何の説明もなしかよと思いつつ、必死に体を動かし彼を追いかけた――
あーもうダメ。
そうた君の姿が見えなくなったところで走る速度を緩め小走り程度で追いかけていく。どうにか彼が少女を救い勝手に解決してくれる――他力本願を願っていたところで、戻ってきてしまった。
「おじさん、おそーい!」
「ごめんよ、だけどおじさんだから遅いんだ。勘弁してくれ」
足も腰も痛かった。
今日一日動き回ったもんなぁ、頑張ったもんな。振り返り満足感を得ていると、彼が「本当に早く!」と俺の腕を掴むような仕草をする。少し息が整ったところで「わかった、わかりましたよ」と言いながら走ることを再開し、問いかける。
「それで何を思い出したんだ」
「白くてモヤモヤとした人に……」
我慢我慢。
「赤い人が今日死んじゃうから助けあげてって言われたの」
「今日死ぬってそらまたどうやって」
疑問を感じ問いかけようとして気づく。
――いつの間にか彼が轢かれた交差点へと戻ってきていたことに。
今朝と違い空はもう暗く、激しい風が吹き始めていた。そして遠く遠くから雷の光が何度も激しく弾けてはお腹に響くような音を立てる。嫌な予感がした。
「おいおい……」
視線の先には少女がいる。
車道の中に立っていた。信号が変われば轢かれる。このままでは轢かれて死ぬのは目に見えていた。まるであの日を彷彿とさせるような出来事。それは俺自身も含んでいる。彼女から見て大通りの反対車線にいるのだ。
冷静に考えていたところで、彼は数多の車が走る場所へと飛び込んだ。
「お前が行ったところで助けられないだろ……!」
俺は主人公じゃない。
らしい終わり方なんてありゃしない。精々少女へ辿り着く前に轢かれて世間様にご迷惑をお掛けするクソ野郎が一人増えるだけだ。
だってのに、
「こういう時こそジジイの出番だろうがぁっ!」
叫びながら車道へと飛び込む。
ヘッドライトに照らされながら、クラクションを鳴らされながら、まず左折レーンを渡り切る。そのあと神懸かり的な回避を繰り返しながら二つのレーンを渡り切り、反対車線へと辿り着く。振り向いた先は赤信号に変わり、俺が行くべき場所は青信号に変わった。左側を見ると少女の車線にいるトラックが動き始めた。気づいてないんだよな、だから車を走らせるんだよな。
彼が少女に必死に呼びかけている姿を見て、足を動かした。
俺に目掛けて車が走ってくるような錯覚、恐怖――それを振り払うようにして、今日の夕飯を思い浮かべる。鰤起こしの雷が鳴ったんだ。今日はブリ大根やブリしゃぶとか刺身、とにかくブリ関係のものを食べたい。きっと美味いだろうなぁ……。
疲労による体の痛みが俺を呼び覚ます。
少女まであと少し。顔を見ると決意に満ち溢れた表情でトラックを見つめていた。死ぬ人間の顔かよ。相手がなにを考えているのかなんてわからない。だが、そうた君があの子を助けたいって言うなら助けてみせる。イメージしろ。最高に格好良い終わり方をイメージするんだ。勢いのままに少女を抱き抱えて、歩道へと転がり込む。できる、俺ならできる。この走ってきた道を映像で振り返れば格好良かったに違いない。なら、これから走り抜ける道だって最高に格好良く決められるはずだ。
息を吐き出し、赤髪の少女へと飛び込んだ――
「来ちゃだめっ!」
はっ。
はっぁあああああ!?
手で押し返され、尻餅をつく。左手から走ってくるトラックは減速をかけていたがもう遅い。少女は轢かれた。
「っ」
少女が弾き飛ばされ、胸元へと飛んでくる。
それを反射的に受け止めた。生きているのかどうかさえわからないが、彼女の体はとても軽かった。俺は自分でも信じられないほど冷静に彼女を抱えながら歩道へと足を動かす。
「なぁ、そうた君。こいつ生きてるのか?」
振り返り呼びかけると彼は天に召されていた。
どんどん上空へと舞い上がっていく。その表情は満足気だった。
もう無理。
「なんじゃそりゃあぁぁあああああ!!」
生きてるの? 死んでるの!?
生きてるんだよね! 生きてるからこそやり遂げた感じの表情なんだよね!? 俺は彼に向かって叫ぶが答えはなく、次第に姿は見えなくなった。
「あっ、腰が」
歩道へとたどり着いたところで少女を寝かせる。
そして自分も腰を降ろした。正確に言えば腰が勝手に座ったのだ。すごく痛い、なにこの痛み――ぎっくり腰か。
俺は泣いた。
地面にへたり込み、ギャンギャン泣いた。三十四の中年が泣いた。
みぞれ混じりの冷たい雨が降り始める。
そうた君が去っていた道だけは、青空だった――